Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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LINEと気分変調症のジム・モリソン、空気のように反日を吐く

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 Lineにハマっている。

 スマホなんぞ死んでも持つかと決めているのだが、ネットで人と出会うと、必ずLineのIDを尋ねられる。

 ずいぶん前だが、どうしても友達になりたい人と肉声で喋りたくて、スカイプの有無を尋ねたらLineのIDを尋ね返された。仕方がないから、スマホなしでPCにLineを導入する術を調べたら、案外すんなり成功した。

 やってみると、なかなか面白い。スカイプよりも面倒ではなく、距離感の取り方が絶妙なアプリケーションだと分かった。

 ただ、一度だけLine友だちといざこざがあって、アンインストールしたことがあったが、わずか一日でもう一度インストールし直した。

 人と繋がりたいから繋がるためのアプリケーションを使う。これが普通は本当であって、そのためにスカイプやFacebookは機能しているのだろう。

 だがLineの場合、これが逆なのだと分かった。

 Lineをやっていると無性に人と繋がりたい欲求を刺激されるのだ。もともとそれほど対人関係に欲求がなくても、Lineを使っていると、なかった欲求が注入されて、体内に依存症のように巣食ってしまうのである。
 
 ドラッグに喩えるなら、Lineは覚せい剤のようなものである。試してみるだけで、本来不必要だったものが必要になって依存してしまう。
 スカイプやFacebookはそれを求める動機が先立って使用されるのであるから、精神病患者に向精神薬を処方するのと同じようなものなのだ。
 だが、Lineの場合、動機の有無に関係なく、最初から依存がやってきてしまう。

 今のところ、一対一のチャットしかやってなくて、グループ機能のような類には使ってはいない。なにしろLine友だちは皆、外国人だから。

 ブログも全然書いていないし、筆記が必要な作業が日常にほとんど存在しないので、日本語を全然書かずに英語ばっかり書いて一日が終わる場合が、しばしばある。
 いま、このブログを書いているけれど、日本語で思考して日本語で表現するのは実に一ヶ月ぶりぐらいのような感じがする。



 ドアーズにもハマっている。

 数年ぶりぐらい、久しぶりに聴いている。気分の状態に関係なく、いつも聴いている。朝目覚めて窓から明るい日差しを浴びながら、爽やかに『ジ・エンド』とか『ストレンジ・デイズ』を聴いていたりもする。

 いつだったか、『ブルー・サンデイ』だか『インディアン・サマーズ』だかを聴いていて、ジム・モリソンって実は僕と同じ気分変調症を患っていたのではないかと考えたことがあった。

 ドアーズの音楽はペシミズムとか無常観に彩られているのだけども、それが異様に美しいのである。厭世的な世界を常としてその上に自分の美意識をひけらかすなんて、気分変調症患者ぐらいしかやりそうにないことだ。

 だから勝手に、「ジムは僕と同じ気分変調症だったんだ!」という推論の延長でドアーズを聴いていると、すごく感情移入できたのである。
 高校ぐらいから聴いているけれど、なんか、「本当に分かった」という感じがしたのは、「ジムは気分変調症」という勝手な決めつけの後に生じたものなのである。

 逆に推論してみると、ドアーズを聴き始めた高校生のときぐらいから、僕は世界を厭世の産物としか見なくなっていた、ということも考えられる。

 そして、すなわち、僕の気分変調症は高校生ぐらいのときにはすでに発症していたという可能性を立てることもできる。

 前にも書いたと思うが、オリバー・ストーン監督の伝記映画を見て、僕はドアーズを知った。
 あの映画でのジム・モリソンの描かれ方はちょっとひどすぎるような気もするけれど、あれを見て彼らを知った人たちは僕の世代では多いんじゃないだろうか。

 映画館を出た後、自分の人生がなんだか一瞬で変わり果てたように思えたあのときの感覚を、今でもはっきり憶えている。

 数年後、大学に入ってだらしない暮らしをしていた頃、深夜の番組であの映画をもう一度見た。

 そんなに感慨深い気持ちは起こらなかったものの、見終わった後で同棲していた恋人と激しいセックスを数回やった。それがとてつもなく気持ちよかった。あの夜、汗まみれになって僕の腕の下にいた恋人の悶えた表情を、今でもはっきり覚えている。

 ドアーズ以上に官能的なポップスを僕は他に思いつかない。ジム・モリソンの声ほどにセクシーな男のボーカルを僕は今まで聴いたことがない。

 ペシミズムに満ちた世界で繰り返されるセックスほど、美しくて気持ちいいものはない。僕はセックスするときに音楽は聴かないけれど、なんで若い頃にドアーズを聴きながらセックスをいっぱい貪らなかったのか、そんなアホな後悔さえ覚える。



 反日にハマっている。

 台風通過で電話線が壊れ、家の周囲にどこから飛んできたか分からないトタンやら枝木が転がっていた。

 NHKの7時のニュースを見ると、台風被害よりも先に国立競技場の見直しとかなんたらを報じていた。「国の威信にかけても競技場建設を間に合わせなければならない」とNHKの解説委員が力説してるのを聞いて、脱力感を覚える。

 「国の威信」という言葉までもが堂々と発揚されるこの国に吐き気がする。

 いっそのこと、未曾有の災害で東京が地図から消えてくれたらスッとする。そんな悪意が自然に起こり、それが当たり前のことのように日々一層怨念が募っていく、下痢だらけの魑魅魍魎が気分を覆う時代。

 
 ドアーズの音楽だけが、そんなものから一番遠いところにあり、ルサンチマンの野糞のように成り果てた僕を少しだけ浄化して、安息の彼岸へと誘引してくれる。





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