Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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中国系米国女、晩酌の終わり、ルー・リード

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 Mくん、こんばんは。

 気候もだいぶ穏やかで暖かくなりましたが、その後、調子の方はいかがですか。鬱病の方は少しは寛解しましたか?

 僕は冬季うつの方は改善されたのですが、ネット上の人間関係のトラブルで、ここ最近少し調子を崩しました。

 そのトラブルというのは例の海外メル友サイトInterPalsのことでして、僕のビデオ作品が気に入ったという中国系アメリカ人が近づいてきたんですが、これがとんでもない痴女でした。
 
 「あなたの作品見て興奮しちゃって、オナニーしてるの」って、全裸の写真送ってきたりするんですが、どう見てもハメ撮りなんじゃないか、てな写真で、「これであなたもアソコこすって」って強要してきたりして、まあオナニーしちゃったんですが、「これでわたしたちの感情芸術は別の高域レベルまで上がった」とか、もう訳分からなくて。

 向こうから来たんであって、選んでるわけじゃないんだけど、もうこんな変な女ばっか。僕が独身なの、わかるでしょ?

 ・・・・・・実に不可解な出来事だったのですが、案外しょぼい話かもしれなくて、まあ気持ちに余裕が出来たら、この痴女体験、またお話しようと思いますが、どうなるか分かりません。

 InterPalsの件はアカウントをdeleteしちゃうことで、トラブルは終結させたのですが、案外長いこと、今回ものめり込んで遊んじゃったんですね。
 終結のダメージ、というか、のめり込んでPCに向かうときは他のこと何もやらなかったんで、空白状態になったというか、やる気とか意欲が失われて困ってます。
 
 日記とかコラージュ、ほとんどやらなかったんですね。特にコラージュは深刻です。新しい作品は全然造ってなかったです。
 コラージュとか映像作品っていうのは、定期的にやってないと腕が落ちる、っていうか、何をどうやったらいいか分かんなくなるんです。
 中国系米国女に作品を見せたりしてましたが、最後の方に作ってた、割りと「洗練」されている絵は全然関心持ってくれなかったですね。
 むしろ10年前くらいにアダルト写真を使って作った下手くそでやたらシュールなコラージュの方が受けたりしました。まあ、相手は痴女ですから・・・・・・。

 最近分かったことは、要するに「洗練」というのは、「普通になる」ってことで、つまり面白くなくなるってことなんですよね。


 もう遠い昔の話になりますが、マッサン、最後まで見ましたか?

 僕は2月の中旬くらいから見始めて、最終回まで見てしまいました。朝ドラの最終回を見るなんて、10数年ぶりです。

 ニッカのウイスキーにハマってしまって、シングルモルトを一ヶ月に3本買うぐらいになって、有名どころのブレンデッドや、「余市」だとか「宮城峡」は全部飲みました。初回ブラックニッカ復号限定発売まで手を出して飲んだくらいです。

 安物ですが、スコッチにも手を出し始めたところでした。

 ところが、人間関係のトラブルのせいで、純粋にウイスキーを味わえなくなり、自棄酒みたいになってしまいまして、これではいかんと、今朝、残っていた「余市」と「宮城峡」、スコッチの計3本を台所の流しに全部捨てました。

 実にもったいない話です、あと5日分くらいは酒盛りできた量がのこってたんですが。

 今夜は二ヶ月ぶりぐらいに真夜中の晩酌のない時間を過ごしてます。晩酌って言うより、もはや酒盛りっていう言葉が当てはまるぐらい、ほんと、毎晩大量に飲んでたんですが。

 予想はしてましたが、一気に飲酒をやめてしまったので、今夜はちと、プチ鬱です。

 どうにもつまらん話ばかり書いてますが、ここんとこ、ほんとブログの日記ネタに事欠いてまして。ネタ自体は浮かぶことは浮かぶんですけど。
 たとえば、英語の"Have fan?"っていう言葉に萌えちゃって、これ読むと、むらむらして、下半身が濡れる話とか。

 でもそれを実際に書かないってことは、どうでもいいことなんですよ、結局。自分とってね。残すほど意味ないんです。


 最近、ルー・リード、聴き直しています。アリスタ時代の『都会育ち』とか後期RCAの『レジェンダリー・ハーツ』とか。

 「ルー・リードって誰ですか?! れじぇんだりーはーつ???」、Mくん、洋楽聴かないからそうなるだろうけど、まあいいじゃない、ルー・リードです。
 最近、ルー・リード聴くと、精神衛生上、とても良いんです。

 基本的に透き通るようなトーキングスタイルのボーカルだった初期のころが、僕の一番好きなルーなんですが(カレーじゃなくて)、試行錯誤から円熟へ向かう過度期のアリスタ時代の作品愛聴してるのは、重要な理由があります。

 僕が40歳に到達したからです。

 「40になるって、アイデンティティの危機なんです、男には」って、ダンティヒ生まれのドイツ文化概論の先生が学生時代に言ってましたが、それがいま、よく分かります。
 女で言えば閉経の時期でしょうか、女じゃないから分からんけど、要するに、男としてのアイデンティティがどっちに転ぶかわかんなくなる、そんな時期なんですね。どっちっていうのは、それが「ダンディ」になるか、「おっさん」になるか、そういうことなんですね。

 「今もまだ学生気分なんです」だなんて、君は有名私大の近くで一人暮らししているから言えることなんですよ。Mくんも39だから、一年後、勝負の分かれ目で、悶え喘いで燃え尽きますよ、きっと。

 そんなアイデンティティの危機だから、ちょうどルー・リードがその時期に製作した『都会育ち』なんて、しぼんだリビドーが下品に暴れまくるほど、萌える良作なんですね。
 僕のお気に入りは、タイトル作の"Growing up in public "でしょうか。これで萌えますね、いまの僕。

 彼が死んでから分かったことなんですが、ルー・リードの音楽って、アメリカの歌謡曲なんですよね。

 前衛とか社会派とか、そういうのとまったく無縁なんです。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代との最大の違いは、そこなんです。これ、理解できない信奉者が、意外とたくさんいるんですよね。

 村上龍なんか、「ルー・リードの音楽は精神性がない、だから優れたポップスなんだ」なんて言ってますが、彼はたぶんアリスタ時代とかほとんど聴いてないでしょう。
 僕からすれば、ルー・リードを喩えるなら、日本のドリカムみたいなもんですよ。精神性、ダダ漏れで流れっぱなしですよ。

 彼がやりたかったのは、たとえばチャック・ベリーと同じことなんです。単純に軽快で気持ちいいロックンロールをやりたかっただけなんです。インテリだから無駄で余計なアイコンが付いてしまうんだけど。デカダンスとかね。

 唯一、ヴェルヴェッツ時代から引き継がれた音楽性、つまり「精神性のなさ」を反映した曲は、アルバム『トランスフォーマー』の各曲とか、「コニーアイランド・ベイビー」ぐらいじゃないでしょうか。
 アルバム『ニューヨーク』は社会派なんじゃないか、って意見が聞こえてきそうですが、僕からすれば、あれはロックの演歌のアルバムです。

 名曲「ワイルドサイドを歩け」は、本来なら通俗的なジャズっぽいアレンジの微妙さが逆に前衛に聴こえてきて、あれが全然飽きません。プロデューサーのミック・ロンソン、天才ですね。
 社会とか意味とか関係なく、他人事を他人事として空虚に歌う、あの歌詞世界こそヴェルヴェッツに共通するものであって、ああいう描き方がいまでもあのバンドが唯一無比な伝説になった所以と言うべきでしょう。

 それと比較すれば、「コニーアイランド・ベイビー」ってのは主観的な私小説の極致みたいで、全然方向が真逆です。実に、通俗的な曲になるべきであったはずのものだった。
 でもあれが信じられないほど奇跡的な神秘の名曲になったのも、やはりアレンジの妙が決め手なんですね、プロデューサー、誰だっけ。

 「愛? そんなもん、ほんまは奇跡なんちゃうの?」ってことを歌った曲は、通俗的で惰性のように、腐るほど書かれています。

 でも、「コニーアイランド・ベイビー」の「奇跡」っぽさって、半端ないです。ずっと長いこと、あんなこと、ありうるわけがない世界だって、ずっと思ってました。
 「愛の奇跡」を歌いながら、一人の人間にそれを20年以上信用させないって、それだけですでに名曲の条件に適ってるとは思いませんか?

 僕がその「愛の奇跡」をようやく理解したのは、ルー・リードが死んでからです。

 「コニーアイランド・ベイビー」ってのは、「もしかしたら君が愛ではなかったって思ってたことのなかに、本当は愛があったんじゃないの? 君はいつ、それに気づくんだろうね。ひょっとしたら、死ぬまで気づかないかもね」っていうことを、聴き手に問いかけないように問いかけてる曲なんだと思います。

 本当は、そこに愛があったんじゃなかったのか。

 一生かけてもそれを見落としていたり、気づけないってことはざらにあります。人生、そんなもん。
 愛なんて自分の過去の中で、目立つイベントに勝手に思い込んでいて、だから通俗的で惰性。バタ臭くて嫌になってきます。

 でも、愛だとは思ってなかったところに、あれ? あれって愛だったんじゃない?ってことを過去の中から見つけ出して、本当に愛してもらったことに感謝して、かき消される寸前だった事実に対していまの自分がようやく愛するようになることで、愛として生まれ変わるように昇華される。

 それこそ「愛の奇跡」なんだと、思います。

 40過ぎたからこそ、そういうふうに分かるようになったってことは、40もまた妙齢ってことでしょうか。歳をとるのもわるいことばかりではなさそうです。


 希望を持ってみます。






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