Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

スポンサーサイト

Posted by Hemakovich category of スポンサー広告 on

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鬱病患者に「がんばれ」と言ってはならない合理的根拠

Posted by Hemakovich category of Mind on


20140901-53hema.jpg



 菜種梅雨なんだろうか。ずっと晴天が続いていたのに、ここ数日雨ばかりで、先日久々に抑鬱で調子を大きく崩されてしまった。

 どうも鬱というのは低気圧だとか前線と相性が良いらしく、天気が崩れると抑鬱状態も発生しやすい。今回の鬱は2月後半ぐらいに終わっていた冬季うつ以来のものである。

 鬱というのは継続して続いていると多少慣れる場合もあるのだが、久々に発作が起こると、まるで初めて経験するかのように苦しめられる。

 だから20年ぐらいずっと病んでいるけれど、鬱に慣れるということは絶対にない。

 おまけに鬱だけでなく、今回はパニック障害の3歩手前のような、不安症状も伴っている。不安症状が出たのは数年ぶりで、前に、いつなったのか、思い出せない。
 原因に心当たりはないわけではないが、なぜそれがこうなるのか、理解できない。理解できないから病気なのだが。

 
 以前、InterPalsにハマっていたとき、鬱の状態であることを相手に知らせたら、決まって言われたのが、“Cheer up”だとか、“Try to feel good”なんていう言葉だった。
 鬱病の人を気軽に励ましてはならない、という禁忌は、僕の知る限り、日本人の間での方が浸透しているらしい。

 というか、インドネシアとか中東辺りの国の人には、鬱病が理解できない人が多いのらしいか、身近にそういった哀れな知人がいなくて、よほど重篤な人しか鬱病患者がいないようだ。
 それはそれで、幸せなことだが。

 最近になって「新型うつ病」なるものを提唱する人々が現れたが、彼らによると「新型うつ病」の患者は嫌なことは避けるのに好きなことはやれるという「なまけもの」のような存在なので、少しぐらい叱咤激励した方が患者のためだ、みたいな情報を垂れ流している。

 (確認しておくが、「新型うつ病」なんてものは一部の医者が言い出した概念で、医学界で認められてなんかいない。ICDやDSMのような国際的な指針の中にも「新型うつ病」など存在しない)

 「がんばれ!」と言われても、頑張るための対象や頑張れる要素がなかったら、相手の激励に親切は感じても困惑してしまうといった経験は、鬱病ではない人でも多少は経験したことがあるのではないか。

 ましてや鬱病患者は頑張るための目標を何もかも喪失しているか、頑張ることができる力がないのである。それに向かって「がんばれ!」というのは、無責任というか、非合理的でしかないではないか。

 「神風は絶対吹くから戦え!」と言っているのと同じようなものである。僕は合理性を欠いた精神主義やら人を闇雲に追い詰めるような放言には、発言者に対する殺意すら覚えることがある。

 人は誰でも、明確で、達成しやすく、より現実的な範囲での可能性に対しては、努力することができる。相手が達成可能な契機を持つ場合に限って、「がんばれ!」という言葉は精神主義ではなく、合理的な言葉になる。

 明確で達成しやすく現実的な範囲での可能性というのは、短期目標とも呼ばれる。たとえば、仕事にはいけないが、せめて今週は3日くらい、食器の皿洗いだけでもやってみようとか、さして重要ではないことが目標に設定される。

 生き方を変えようとか、人生を根本的にやりなおそうとか、そういうあやふやで、長期的に取り組まざるをえないことは目標としては忌避されなければならない。
 そんなことはやれる人がやればいい。気弱な人や鬱病患者にそれを課すのは、殺すのと同じである。

 目標を設定するのは医者とかワーカーでもなく、家族でもない。本人が自発的に決めることである。周りがやるべきことは本人が長期目標に突っ走ろうとするのを避けさせることだけである。

 目標が設定されて、それでもやはり「がんばれ!」と言ってはいけない。自信を喪失した人が自ら決めた目標に失敗すれば、自分に嫌悪や責任感を背負わせるだけだからである。
 「出来なかったら、また休めばいいよ」とか、その程度の言葉で、目標に重さを与えないことが、予防的で安全だし、むしろ現実に本人が達成できるような助力になりうる。

 
 鬱病であっても、本人がやりたいと望むことは、それが娯楽であっても、基本的に容認して何でもさせてあげるべきだと思う。

 「鬱病のくせに、仕事は行かなくて海外旅行には出かけるなんてけしからん」みたいなことを香山リカあたりがよく放言している。仕事しないならやりたいことは何もするなという論理は、ブラック企業と同じ論理なのだが、エセ左翼の香山は平気でそういうことが言える。
 (確認しておきたいが、本当に臨床を積んでる精神科医は香山リカの臨床経験をほぼ確実に疑っている)

 やりたくないことよりも、やりたいことの方ができるというのは、鬱病じゃない人でも同じではないか。この国のネオリベ論理によれば、生活保護受給者はパチンコ厳禁で、鬱病者は自宅で軟禁されなければいけないものらしい。

 僕が初めて精神科に入院したとき、大学は当然休学したが、バイトも何の挨拶もなく無断でやめて、金銭の絡んでくる行事を約束していた友人にも何も告げず、要するに何もかも放り出して病院に入った。

 3ヵ月後に退院して僕が初めてやったことは、生まれて初めての海外旅行だった。

 タイ、ネパール、ブータンと渡り歩いて、ずいぶん精神的に良好な状態に戻れた。大学は後期から復学したが、海外旅行でのリフレッシュがかなり効いて、半年で卒論を原稿用紙200枚書くという荒業を成し遂げた。
 退院した後に、自宅軟禁みたいな状態で過ごしていたら、そのまま大学はドロップアウト、その後は長期の引きこもりニートになっていたに違いないと、ふりかえってみて思う。


 やりたいことがなくなって、やりたいことがあってもやれなくなるのが鬱病患者なのである。

 やりたいことがあって、しかもそれがやれることなら、このうえなく幸せなことではないか。

 



PAGE TOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。