Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

スポンサーサイト

Posted by Hemakovich category of スポンサー広告 on

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『マッサン』は朝の連ドラ版『プロジェクトX』ではなかった

Posted by Hemakovich category of Diary on


20150330hema.jpg



 シングルモルト宮城峡をイオン系列店で見つけて、数字前に衝動買いをした。

 やたらに高い酒専門店も含めて、いろんなところを見てまわったが、余市と竹鶴はあるが宮城峡だけはどこに行ってもなかったので、原酒不足で出荷停止しているのかと思っていた。
 普段は足を運ばないスーパーにトイレを借りに入店して、たまたまついでみたいに酒コーナーに拠ってみると、それはまるで奇跡のようにあった。
 
 結局、今月はハイボール用のジンジャーエールと肴の品々を合わせて、ウイスキー関連に一万円近く注ぎ込んだ。もはやニッカのお得意様である。

 サントリーとニッカ、両方のシングルモルトのなかで一番クセが薄いウイスキーと、よく見るウイスキー紹介ブログには書かれていた。
 甘くて飲みやすく、フルーティーであるとの触れ込みだった。

 だが実際には余市に劣らず、しっかりクセの強い味と香りだと感じた。

 いまだにピート香だとかスモーキーフレーバーというのがよく分からないのだが、余市を始めて嗅いだときに感じた草の匂いのようなものは宮城峡にも感じられ、むしろこっちの方が強く匂った。

 味の方は独特のクリーミーが漂う余市ほど強烈ではないが、やはりそれなりの個性は感じられ、グレーンの入ったブレンデッド・ウイスキーとは完全に別個の味わいが、しっかりとあった。

 余市と宮城峡しか飲んでないわけだが、肴のマリアージュはやはり、いかくんとか鰯の丸干しなどの海産物系が一番合うように感じられる。それと、チーズたら。
 ウイスキーにはチョコレートが合うようにいろんな人が言うけれど、それはニッカのシングルモルトには当てはまらないような気がする。
 チョコレートと一番相性がいいのは、僕が飲んだものの中ではブラックニッカ・クリア。逆に言えばブレンデッドウイスキーには海産物系はまったく相性が悪い。

 ニッカのウイスキーを飲むときは必ずニッカのサイトを眺めながら飲んでいる。ニッカのサイトは割合にデザインがよく、配色やフラッシュとか画像のセンスがなかなかいい。
 まさに飲む気を誘うようなサイト構成なのだ。
 
 写真で見る余市や仙台の蒸留所、付近の自然は本当に美しい。清涼な水とか空気が二次元の中から香ってきそうなほど、実にきれいだ。
 それらを眺めながらウイスキーに浸る真夜中の時間は本当に至福の一服である。

 「余市を気に入るようになれば、あなたも立派なスコッチ入門者」みたいなことが書かれてあったりするが、今のところは、ニッカだけで十分な気もする。
 人の手作業による石炭の直火焼きでの蒸留なんてことを想像すると、「これこそ本物」みたいに思わざるをえない。
 
 日本人は時として、実に非合理的な部分に美意識とともに合理性を見つけようとする。それは長所ともいえるが、やりすぎると性懲りもない悪癖と化す。


       *    *    *    *    *       


 『マッサン』の最終回を見る。朝の連ドラの最終回を見るのは『私の青空』以来だから、約15年ぶりぐらいか?

 全回視聴した姉は「回想シーンが多くて面白くなかった」というが、想像する限り、あれ以上に他に見当たらない終わり方をしたんじゃないか、というのが、2月から見始めた僕の感想である。

 最後の一週間でサーっと登場人物がどんどん去っていって、最後は主人公二人だけの世界に回帰する。あのドラマの骨子がロマンスである以上、そうやって終わるのが自然だと思う。
 最後の回想シーンにしても、映ったのはほぼ主人公の二人だけだったし、そういう細かな意図にも好感が持てた。

 マッサンがエリーの「ラブレター」を読むシーンは胸が詰まるような思いがした。それは感動に由来する感情ともいえるのだが、実のところ、「あんな完璧なまでに愛されて愛が完結したら、もはやウイスキーすら必要ないんじゃないか」と思えるような、ありえないものを見ているような気持ち、つまりは羨ましさだった。

 特に、自分が死んだら洗濯物はちゃんと表にして脱いでおいて、という遺言の部分と、ウイスキーのことは本当は何も分からなかった、「ごめんね」と最後に告白する箇所で、エリーの最大限のマッサンへの愛情を感じた。

 エリーが逝く場面も劇的だったが、あんな完璧なラブレターを最後に残されたなら、もう何もいうことなく、何も憂うこともない愛の完成形として、成就できるのではないか。
 というか、いくらドラマとはいえ、あんなにありえなさそうな幸福の頂点を見せつけられると、振り返って現実の自分自身の人生について反省してしまうような思いに、僕なんかは持っていかれる。

 ドラマが始まった当初は、いろんな人たちが指摘するように、これは朝の連ドラ版「プロジェクトX」みたいなもんなんじゃないかと、大っ嫌いだった番組と重ね合わせられる気がして、無視していた(いみじくも主題歌は同じ中島みゆきに拠るものだった)。

 印象が変わったのは、年を越して「北海道編」の宣伝CMを見てからだった。あのときに「ちょっとこれ、面白いのかもしれない」と思い始めた。

 実際に見始めたのは太平洋戦争勃発後からであって、エリーが特高に非を唱えて抵抗するという、いきなりクライマックスみたいな場面を見せられて、それに続く一馬の出征ときて、まったく息つく間もない名場面ばかりで、一話一話を見続けるのが正直重い気分だった。でも脚本と演出の素晴らしさがいつも期待以上に感動へと誘ってくれて、毎日爽やかな思いを与え続けてくれた。

 どのような時間軸に必要な場面を多く割くか、そういった配慮が行き届いた脚本だと思った。特に一馬の出征に関して一週間まるごと時間を割いたのには作者の意図の上手さを感じた。あれが後になってすごくドラマに深みを与えた。
 脚本に関しては、さすが『パッチギ!』や『フラガール』を手がけてきた作者だけあって、「上手いなあ」と何度も感嘆させられた。普通のTVドラマだったら台詞や直接的な造作で説明させたりしてしまうところを、間接的な表現で遠まわしに悟らせるところが映画的な手法に近く、共感した。

 最後にスーパーエリーを完成させる場面がそうであったように、懸念していたような「プロジェクトX」臭は微塵もなかった。
 端的にラブストーリーであり、家族や仲間とのいたわりの物語であった。

 朝っぱらから煩わしいと最初は感じていた中島みゆきの歌であったが、ドラマ終盤になるとだんだん歌詞が心にしみて、聴けるようになった。

 『麦の唄』は、あの『地上の星』のような暑苦しさ、男臭い押し付けがましさは、まったく感じられない。むしろ名曲『時代』と同じような道筋の、あどけないロマンティシズムを慈愛で包むような、時間をかけて長く聴き続けられそうな普遍性を持った歌だと、途中から気がついた。


 たぶん、『まれ』は見ないと思うけど、久々に心に残る朝の連ドラを見せてもらった。

 もちろん、DVDになったら買うつもりだ。





PAGE TOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。