Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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Stay, Stay, Stay

Posted by Hemakovich category of Poetry on


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Catastrophe




      人々は望むものを悲劇的に願い、


    人々は人々の顔を知らない、


        言葉は同じ言葉に収束されて、   


                カミソリへと仕向ける仕草を鏡に向かって繰り返す。


あなたは彼や彼女を使い捨てて、


        彼や彼女に似た誰かへと向かう。


             繰り返す物語に嘔吐しながら、


      そしてあなたはあなたの求めるすべてに憎悪するから。
   






Catastrophe




               彼は彼女に夢みられた世界をロッヂで待ち続ける。


      少年は古い指紋を懐かしみ少女は新しい誘惑にドレスが湿る


           混乱した鋪道の上で衝突する幾つかの人生は命がけで


                  僕はあまりにも多くの顔のことをいらないと思う。


あなたは時々立ち止まってふりかえり


        彼や彼女に似た誰かの運を数え上げるだろう。


             繰り返されるしかない物語に誰かは犬死にして、


        そしてあなたはあなたの求めるすべてから生き残るから。
 









あなたの求めるものへ、



あなたは求めたものに、



あなたの求めるものから、



あなたを求めたものが。








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断酒、そして自主映画、人生最後の目標

Posted by Hemakovich category of Diary on


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 身体の中が、昼夜逆転状態になっている。

 昼間はちゃんと起きていて生活しているのだが、意欲が湧かず、感情が反応しにくい。むしろ夜の方がやる気が起こって、情緒も活発に働く。だから「身体の中」というわけなのである。



 ウイスキーをやめたら、途端に体重が5キロ減った。

 同時に「食」に関する好奇心も元通りに消え失せた。あれほど「余市」と一緒につまんで美味しいと思っていた子いわしにも興味がなくなった。

 夜食を食べなくなった。食事を自分で作るのも大層に感じてしまうようになった。やはり酒を飲んでこそ、肴としての食物に対して欲が生じるのだ。

 ウイスキーと同時にInterPalsもやめてしまうと、夜になると空虚感に襲われ鬱みたいになってしまったので、どちらかはしばらく残そうと思い、InterPalsのアカウントを復元させた。
 InterPalsを続けるのはフリーだが、ウイスキーはべらぼうに金がかかる。依存性がダイレクトに身体に直結する点においても、やはりアルコールの方を除くのが適当である。

 それでもなんだかウイスキーが恋しい。ブラックニッカ・クリアでも良いから飲みたくなってくる。



 大学時代に撮った自主映画をほぼ全作品、YouTubeにアップロードした。

 数年前にアナログテープを再生させてmpg2で取り込んだものが、古いパソコンの中に眠っていた。それを新しいパソコンの方に移動させて、アップロードしたのである。

 一番時間の長い映画はファイルをパソコンどうしに移行させるだけでもかなり苦労した。40GBある古いハードディスクにコピーしようとしたが、6.3GBのファイルがどうしても移せない。
 マイクロソフトのone driveにアップロードさせる方法も試してみたが、6時間近くかかって残り数パーセントのところでエラーが出て失敗した。
 ネットで調べてみたら20GBぐらいのファイルを吸い上げるサービスがあったので、やってみたら20分も経たずに成功して、新しいパソコンへのダウンロードはもっと早く、あの6時間の苦闘はなんだったのかと拍子抜けする。

 6.3GB、1時間33分なんてYouTubeにアップロードなんかしたこともない。最初にOperaからアップロードしようとすると1パーセント消化するのに10分ぐらいかかったので、グーグルでめぼしいソフトを検索する。
 見つけたフリーソフトだと確かにアップロードは早いのだが、映像だけで音声を押し上げてくれない。
 どうしたものかと、Google Chromeで地道にアップロードしようと試みると、30分弱で成功。Operaだと400時間が表示されたが、ブラウザによるこの大きな隔たりは、いったいどういうことだろう。

 ただし、アップロードしたファイルの処理には半日以上かかって、ようやく見れるようになった。

 今回、アップロードに踏み切った理由は、InterPalsで出会ったアート好きの中国系アメリカ人女性がぜひ見たいとのことで重い腰を上げて作業したのだった。まことに僕は女性に対して甘い、というか弱い。
 だがその女性とも自主映画の大半をアップロードした時点で、すでに喧嘩別れしてしまい、結局、見せる相手がいなくなった。

 今のところYouTubeでは「限定公開」扱いにしている。動画のリンクを知ってる人しか見れないという状態だ。

 これを普通の「公開」状態にするかどうか、考えあぐねている。

 画質が良くて、見てもらっても恥ずかしくない作品なら公開してもいいのだが、僕の作品のほとんどは8ミリフィルムやアナログビデオで撮影したものなので、当然ながらほとんどが画質が悪い。
 しかも現在あるノンリニア編集と違って、アナログ時代はダビングにダビングを重ねていく画質劣化式編集しか素人にはなかった。だから画質の悪さも、ちょっとどころではないのだ。

 夜中に、昔の自作を久々に眺めていたら、それこそウイスキーを飲みたい気分に駆られた。激しいノスタルジーなのである。

 友達も自分も、みんな、嘘みたいに若い。映画自体、当時の自分の感受性が思い出されて懐かしいのだが、実際に映像には映っていないけど、映らなくても記憶に焼きついた思い出がどんどん画面から放出されて、なんともいえない気持ちになる。

 画質は本当にクソみたいに汚いのだが、16:9のハイビジョンに見慣れてしまった感覚からすると、4:3で、ノイズに画面が揺れて、インターレースが走りまくりのクソ画質が、なにやらシュールで前衛的な作品のように見えてくるのだから、それもまた面白い。

 
 大学時代に撮ったアナログ映画を、すべてデジタルに転換して一から再編集するというのが、僕の人生の最終目標である。

 ダビングにダビングを重ねて劣化しているので、撮影時のオリジナルテープをデジタル化して、一番きれいな状態の画像を繋ぎ合わせて、最初から終わりまで編集しなおすのである。

 だがその作業には膨大な時間がかかる。だから今までそれを放り出して、一年が経ち、二年が経ち、最初にそれを企図してから15年以上が経ってしまった。

 YouTubeにアップロードしたのを契機に、再編集へ取り組まなければならないという気持ちが強くなった。

 今のパソコンでIEEE1394を使ってテープから動画を取り込むのにも成功した。Adobe Premiereも一応使いこなせるようにもなった。

 条件は揃っている。あとは始めるだけなのである。

 自主映画の再編集をやらなければ、僕は死ぬにも死に切れない。言い方を変えれば、作品を半永久的な形で残せる目処がつければ、もはやこの人生のしがらみに、なんら思い残すことなどない。





その肉体の地図に分割された新領土に僕は住んでいる

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1 すでに街娼のことについて屡々しばしば、僕はその実在についてのエピソードを書いた。

 かの女たちの色彩の同一色であることは、労働者の持つ社会観が赤と黒によって染められたと同じく、かの女たちのイヴニング・ドレスの黒色と紅の一線が虹のように浮き、厚化粧に口紅の持つ特殊な色は、これはマドモアゼルでもなし、不良の女でもなし、ショップ・ガールでもない、商売女としての商標を明瞭に人々に感じさすところの色彩だ。
 この間も僕は妻を同伴して銀座を散策してかの女たちの一人を見出すと、妻にかの女こそ、ストリート・ガールの典型的なものだ。と、云った。
 流行品店とキャバレーのあるアスファルトの露地に、黒いケープレットのついた夜の衣裳をつけて、ハイ・ヒールのエナメルの靴を穿はいた都会の売笑婦。
「――君。それ、ほんと。」と、僕の妻は異彩のある女にたいする興味を外に見せて確めるように云った。
「――うん。最上等の立ち淫売だ。」
「――もし、……そうなら、今夜は君をかの女の恋愛術の中へ預けたいのよ。」
「――うん、御随意だが、君はどうする?」
「――仕事があるのよ。Sデパートに依頼された新衣裳と、R新聞に原稿を明朝までに書いて置かなくちゃならないの。」
「――それで、あの女にはいくら支払う。」「――いくらぐらい必要なの。あの女?」
「――十円とその他、……いくらか。」
 夜間の遊覧飛行イルミネェーションで作られたファンタジツクな科学の尻尾、――妻にたいする愛を結びつけて、……。

2 極楽鳥パラダイツの飾りをつけたフェルトの流行とは正反対のグランとツバの拡い帽子を目深まぶかにした身装いでたち、……流行品店の飾窓に映るかの女の姿態を裸体にするキャバレーの門柱のムーラン・ルージュ。

 ラジオの音声が、かの女の肉体の下層に忍び込むとき、人々はかの女から、鋪道と化粧塔の匂いを嗅いだ。
「――今晩は。」「――何か御用?」
 夜の女の衣裳の背後が社交的に展ひらいて、生姜しょうが色の皮膚の断面に機能の失せた女の蠱惑こわくが感じられた。

3 ホテルの部屋で僕はかの女が花瓶の中の花の茎のように華奢な肉体なのに気が付いた。

 僕は女性にたいする狩猟家であったか。かの女の痩せた花粉のついた装飾にすら、僕は情欲をもって鎧よろいばっている。女性の尻ばかり見て暮す男にとっても、売笑婦の心理的な綺羅きらによって飾られた脣くちびるから、下腹部にかけてのガリッシュな紅色の部分については特殊な魅惑を感じる。かの女たちは小指のような微生物まで琥珀色こはくいろの液体で染めた。
 エロチシズムの演技場に行くまでの道程については云う必要もあるまい。そして近代女の技術主義についても。
「――あなたの一緒にいた御婦人について伺いたいわ。」
「――恋愛でないセンジュアリズムの見本。」「――と、云うと?」「――女房だ。」
 街に展いた窓の出張でっばりに置かれた洋紅色の花鉢を寝台の枕もとに持ってくると、夜の女は眸ひとみの快楽のために、
「――その女房と云うのはどんな役目なの?」
「――君に委任された僕のセンジュアス以外のものの委托品いたくひんあずかり所なのだ。」
「――あなたの云うこと、よく分んないわ。」

4 夜が更けて僕が眼覚めたとき、かたわらには腐敗しかかった売笑婦の肉体が萎しおれた花のように残っていた。

 その肉体の地図に分割された新領土に僕は住んでいる。売笑婦の持つ感覚の楼上から底辺に達する戦場には、資本家の軍隊の残した指紋の遺跡がある。……つまり、売笑婦の蠱惑を戦場の地域に例たとえるのに、現今として誰一人、不服はない筈だ。
 侵略される肉体の所有者について探究するとき、かの女たちは、そこに帝国主義的な型を持った男性の手管を感じ、軍閥ぐんばつの持つ圧力を、ブルジョアジイの持つ征服にたいする歓喜を衝けるのだ。――ラグビー争闘の場合の靴の跡を刺繍ししゅうされ、……野球における華美な盗塁と、……水球のときの潜水と、……ミニチュア、ゴルフの墜死と、……ボクシングにおける残酷な、……マットの中の死を。
 戦争にたいする僕の幻影のいかなるものかについてはいま語るをさし控えよう。かの女の肉体の地図に戦争の持つ赤手袋を穿はめて、僕は他日を約して一先ひとまず退却だ。国際連盟の持つイデオロギイからも、満州の階級性からも、シャンハイをまったく取巻いた赤色プロレタリアの××からも、第二、世界経済恐慌の襲撃からも、……しだいにかの女の吹鳴らすラッパの音韻の沈衰して行くままに。

5 夜が明けて僕は卓上の電話の受話器を妻の寝室に通じた。

「――お早う。昨夜はよく寝られたかね。」
「――……君のいない、……おかげで、あたし睡眠を充分とることが出来たわ。」



吉行エイスケ 『戦争のファンタジイ』 (改行の一部は引用者による)






中国系米国女、晩酌の終わり、ルー・リード

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 Mくん、こんばんは。

 気候もだいぶ穏やかで暖かくなりましたが、その後、調子の方はいかがですか。鬱病の方は少しは寛解しましたか?

 僕は冬季うつの方は改善されたのですが、ネット上の人間関係のトラブルで、ここ最近少し調子を崩しました。

 そのトラブルというのは例の海外メル友サイトInterPalsのことでして、僕のビデオ作品が気に入ったという中国系アメリカ人が近づいてきたんですが、これがとんでもない痴女でした。
 
 「あなたの作品見て興奮しちゃって、オナニーしてるの」って、全裸の写真送ってきたりするんですが、どう見てもハメ撮りなんじゃないか、てな写真で、「これであなたもアソコこすって」って強要してきたりして、まあオナニーしちゃったんですが、「これでわたしたちの感情芸術は別の高域レベルまで上がった」とか、もう訳分からなくて。

 向こうから来たんであって、選んでるわけじゃないんだけど、もうこんな変な女ばっか。僕が独身なの、わかるでしょ?

 ・・・・・・実に不可解な出来事だったのですが、案外しょぼい話かもしれなくて、まあ気持ちに余裕が出来たら、この痴女体験、またお話しようと思いますが、どうなるか分かりません。

 InterPalsの件はアカウントをdeleteしちゃうことで、トラブルは終結させたのですが、案外長いこと、今回ものめり込んで遊んじゃったんですね。
 終結のダメージ、というか、のめり込んでPCに向かうときは他のこと何もやらなかったんで、空白状態になったというか、やる気とか意欲が失われて困ってます。
 
 日記とかコラージュ、ほとんどやらなかったんですね。特にコラージュは深刻です。新しい作品は全然造ってなかったです。
 コラージュとか映像作品っていうのは、定期的にやってないと腕が落ちる、っていうか、何をどうやったらいいか分かんなくなるんです。
 中国系米国女に作品を見せたりしてましたが、最後の方に作ってた、割りと「洗練」されている絵は全然関心持ってくれなかったですね。
 むしろ10年前くらいにアダルト写真を使って作った下手くそでやたらシュールなコラージュの方が受けたりしました。まあ、相手は痴女ですから・・・・・・。

 最近分かったことは、要するに「洗練」というのは、「普通になる」ってことで、つまり面白くなくなるってことなんですよね。


 もう遠い昔の話になりますが、マッサン、最後まで見ましたか?

 僕は2月の中旬くらいから見始めて、最終回まで見てしまいました。朝ドラの最終回を見るなんて、10数年ぶりです。

 ニッカのウイスキーにハマってしまって、シングルモルトを一ヶ月に3本買うぐらいになって、有名どころのブレンデッドや、「余市」だとか「宮城峡」は全部飲みました。初回ブラックニッカ復号限定発売まで手を出して飲んだくらいです。

 安物ですが、スコッチにも手を出し始めたところでした。

 ところが、人間関係のトラブルのせいで、純粋にウイスキーを味わえなくなり、自棄酒みたいになってしまいまして、これではいかんと、今朝、残っていた「余市」と「宮城峡」、スコッチの計3本を台所の流しに全部捨てました。

 実にもったいない話です、あと5日分くらいは酒盛りできた量がのこってたんですが。

 今夜は二ヶ月ぶりぐらいに真夜中の晩酌のない時間を過ごしてます。晩酌って言うより、もはや酒盛りっていう言葉が当てはまるぐらい、ほんと、毎晩大量に飲んでたんですが。

 予想はしてましたが、一気に飲酒をやめてしまったので、今夜はちと、プチ鬱です。

 どうにもつまらん話ばかり書いてますが、ここんとこ、ほんとブログの日記ネタに事欠いてまして。ネタ自体は浮かぶことは浮かぶんですけど。
 たとえば、英語の"Have fan?"っていう言葉に萌えちゃって、これ読むと、むらむらして、下半身が濡れる話とか。

 でもそれを実際に書かないってことは、どうでもいいことなんですよ、結局。自分とってね。残すほど意味ないんです。


 最近、ルー・リード、聴き直しています。アリスタ時代の『都会育ち』とか後期RCAの『レジェンダリー・ハーツ』とか。

 「ルー・リードって誰ですか?! れじぇんだりーはーつ???」、Mくん、洋楽聴かないからそうなるだろうけど、まあいいじゃない、ルー・リードです。
 最近、ルー・リード聴くと、精神衛生上、とても良いんです。

 基本的に透き通るようなトーキングスタイルのボーカルだった初期のころが、僕の一番好きなルーなんですが(カレーじゃなくて)、試行錯誤から円熟へ向かう過度期のアリスタ時代の作品愛聴してるのは、重要な理由があります。

 僕が40歳に到達したからです。

 「40になるって、アイデンティティの危機なんです、男には」って、ダンティヒ生まれのドイツ文化概論の先生が学生時代に言ってましたが、それがいま、よく分かります。
 女で言えば閉経の時期でしょうか、女じゃないから分からんけど、要するに、男としてのアイデンティティがどっちに転ぶかわかんなくなる、そんな時期なんですね。どっちっていうのは、それが「ダンディ」になるか、「おっさん」になるか、そういうことなんですね。

 「今もまだ学生気分なんです」だなんて、君は有名私大の近くで一人暮らししているから言えることなんですよ。Mくんも39だから、一年後、勝負の分かれ目で、悶え喘いで燃え尽きますよ、きっと。

 そんなアイデンティティの危機だから、ちょうどルー・リードがその時期に製作した『都会育ち』なんて、しぼんだリビドーが下品に暴れまくるほど、萌える良作なんですね。
 僕のお気に入りは、タイトル作の"Growing up in public "でしょうか。これで萌えますね、いまの僕。

 彼が死んでから分かったことなんですが、ルー・リードの音楽って、アメリカの歌謡曲なんですよね。

 前衛とか社会派とか、そういうのとまったく無縁なんです。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代との最大の違いは、そこなんです。これ、理解できない信奉者が、意外とたくさんいるんですよね。

 村上龍なんか、「ルー・リードの音楽は精神性がない、だから優れたポップスなんだ」なんて言ってますが、彼はたぶんアリスタ時代とかほとんど聴いてないでしょう。
 僕からすれば、ルー・リードを喩えるなら、日本のドリカムみたいなもんですよ。精神性、ダダ漏れで流れっぱなしですよ。

 彼がやりたかったのは、たとえばチャック・ベリーと同じことなんです。単純に軽快で気持ちいいロックンロールをやりたかっただけなんです。インテリだから無駄で余計なアイコンが付いてしまうんだけど。デカダンスとかね。

 唯一、ヴェルヴェッツ時代から引き継がれた音楽性、つまり「精神性のなさ」を反映した曲は、アルバム『トランスフォーマー』の各曲とか、「コニーアイランド・ベイビー」ぐらいじゃないでしょうか。
 アルバム『ニューヨーク』は社会派なんじゃないか、って意見が聞こえてきそうですが、僕からすれば、あれはロックの演歌のアルバムです。

 名曲「ワイルドサイドを歩け」は、本来なら通俗的なジャズっぽいアレンジの微妙さが逆に前衛に聴こえてきて、あれが全然飽きません。プロデューサーのミック・ロンソン、天才ですね。
 社会とか意味とか関係なく、他人事を他人事として空虚に歌う、あの歌詞世界こそヴェルヴェッツに共通するものであって、ああいう描き方がいまでもあのバンドが唯一無比な伝説になった所以と言うべきでしょう。

 それと比較すれば、「コニーアイランド・ベイビー」ってのは主観的な私小説の極致みたいで、全然方向が真逆です。実に、通俗的な曲になるべきであったはずのものだった。
 でもあれが信じられないほど奇跡的な神秘の名曲になったのも、やはりアレンジの妙が決め手なんですね、プロデューサー、誰だっけ。

 「愛? そんなもん、ほんまは奇跡なんちゃうの?」ってことを歌った曲は、通俗的で惰性のように、腐るほど書かれています。

 でも、「コニーアイランド・ベイビー」の「奇跡」っぽさって、半端ないです。ずっと長いこと、あんなこと、ありうるわけがない世界だって、ずっと思ってました。
 「愛の奇跡」を歌いながら、一人の人間にそれを20年以上信用させないって、それだけですでに名曲の条件に適ってるとは思いませんか?

 僕がその「愛の奇跡」をようやく理解したのは、ルー・リードが死んでからです。

 「コニーアイランド・ベイビー」ってのは、「もしかしたら君が愛ではなかったって思ってたことのなかに、本当は愛があったんじゃないの? 君はいつ、それに気づくんだろうね。ひょっとしたら、死ぬまで気づかないかもね」っていうことを、聴き手に問いかけないように問いかけてる曲なんだと思います。

 本当は、そこに愛があったんじゃなかったのか。

 一生かけてもそれを見落としていたり、気づけないってことはざらにあります。人生、そんなもん。
 愛なんて自分の過去の中で、目立つイベントに勝手に思い込んでいて、だから通俗的で惰性。バタ臭くて嫌になってきます。

 でも、愛だとは思ってなかったところに、あれ? あれって愛だったんじゃない?ってことを過去の中から見つけ出して、本当に愛してもらったことに感謝して、かき消される寸前だった事実に対していまの自分がようやく愛するようになることで、愛として生まれ変わるように昇華される。

 それこそ「愛の奇跡」なんだと、思います。

 40過ぎたからこそ、そういうふうに分かるようになったってことは、40もまた妙齢ってことでしょうか。歳をとるのもわるいことばかりではなさそうです。


 希望を持ってみます。






ヴァーチャリティ、英語、不安の順調な予兆

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For you, I may be the person fall into the life of a computer and forget the real world.

For you, I may be a mere virtual existence.

For you, I may be only a face in LCD screen.

But I'm a human being with the earnest loneliness.

You are going to take only a necessary part for you out of me. But o you know the story of my family and pet? And I know nothing about your work and family. You are unconcerned only your wanting to know it about me.

For you, are such relations "friends?"

I'm always painful for loneliness and jealousy concerning you.

It would be better that I live without you if this pain continues all the time. I hate the relations with the pain.

There are a lot of my stories to want you to turn interest to me.

I am not "the art android in inter net" that it is convenient for you.


You may be interested in them before losing them if you have a friend and a lover with loneliness.

But you have almost none of the interest in me with loneliness. Is it because I am only just a mere virtual world resident for you?


I really love you. It's true.

But I have loneliness and uneasiness and jealousy about relation with you. (My jealousy was reduced by you.)
The cause of loneliness and the uneasiness is your ignorance for me and my ignorance for you.

When you talked to me about "computer and people", I felt that I was discriminated as virtual existence by you.
My and your relations are not same as your other human relations. Even so, I do not want to be discriminated from me by your other relations.

I'm also real person.
I live in real like this.

We share art deeply.

But I hardly know the thing except the art about you. I feel uneasiness and loneliness unless we share each other's various stories.

I want to know you a lot even if I am person that it is virtual for you. Because for me, you are not virtual, and I feel you as irreplaceable existence for me.

I love getting pleasure by touching own self while seeing each images with you. I will reach the emptiness if it is only this pleasure.

We should talk more about various things, family, friend, work, experience, mind....etc


I'm sorry for long sentence. Forgive me.

I wanted to say my think honestly.







このようにして日本語の囁きに乞い飢えていく。

ただし、

どれもこれも此処も彼岸もそれもそれらも彼も彼女もあの人々も世界も地球も、

まったく僕の本意ではない。






この入り口はただお前のためだけに用意されたものだから

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 道理の前でひとりの門番が立っている。

 その門番の方へ、へき地からひとりの男がやってきて、道理の中へ入りたいと言う。
 しかし門番は言う。
 今は入っていいと言えない、と。
 よく考えたのち、その男は尋ねる。
 つまり、あとになれば入ってもかまわないのか、と。

「かもしれん。」

 門番が言う。

「だが今はだめだ。」

 道理への門はいつも開け放たれていて、そのわきに門番が直立している。
 そこで男は身をかがめて、中をのぞいて門の向こうを見ようとした。
 そのことに気づいた門番が笑って、こう言った。

「そんなに気になるのなら、やってみるか。おれは入ってはいかんと言っただけだからな。いいか、おれは強い。だが、おれはいちばん格下の門番にすぎない。部屋を進むごとに、次々と門番が現れるだろう。そいつらは、前のものよりもっと強いぞ。三番目の門番でさえ、おれはそいつを直視することもままならん。」

 これほどの難関を、へき地の男は予想だにしていなかった。
 道理は誰にでもいつでも開かれているはずなのに、と思った。
 だが、男は門番をじっと見つめた。
 門番は毛皮のコートに身を包み、大きなかぎ鼻を持ち、黒く長いモンゴルひげをひょろりと生やしている。
 そのとき男は心に決めた。むしろ、入っていいと言われるまで待つのだ、と。
 門番が男に腰掛けを与え、門のわきへ腰を下ろさせた。
 その場所で、男は幾日も幾年も座り続けた。
 男は、入ってもいいと言われたくて、さまざまなことを試してみた。だが、あまりにもはげしいため、門番をうんざりさせた。
 門番は、幾度となく男に簡単な尋問をおこなった。男の出身地をあれやこれやと問いつめた。
 それ以外のことも同じように訊いたが、その問いかけは目上の人間がする一通りのものにすぎず、いつも終わりに門番は男へこう言うのだった。
 今は入っていいと言えない、と。
 旅のために男はあらかじめたくさんのものを持ってきたが、すべて使ってしまった。だが、どれもずいぶん役に立った。門番に賄賂を贈ったのだ。
 この門番はどれもみな受け取りはしたが、そのときにこう言い添えるのだった。

「一応もらっておく。やり残したことがあるなどと思ってほしくないからな。」

 何年ものあいだ、男はほとんど休みなく、門番から目を離さなかった。
 そのうち男は他にも門番がいることを忘れ、最初のこの門番が、道理へ到るための唯一の障害だというふうに思えてきた。
 男は不幸を嘆いた。はじめの一年はなりふり構わず声を張り上げていたが、年老いてしまうともう、ただいつまでもだらだらとぼやくだけだった。
 子どもっぽくなった男は、門番をずっとつぶさに見てきたからか、なんとその毛皮の襟巻きにノミがいると気づいた。そこで、男はそのノミに、助けてくれ、あの門番を説得してくれ、と頼み込んだ。
 ついには視力も衰え、男は本当に暗いのか、ただ目の錯覚なのかが、わからなくなった。
 とはいえ、暗闇の中、道理の門から消えずに差し込んでくる光が、男には今はっきりと見えた。
 もう、男の命ももはやこれまでだった。
 死を目前にして、男の頭の中で、今までの人生すべての時間が、ひとつの問いへと集束していった。
 それは男がこれまで門番に一度も訊いたことのない問いだった。
 男は門番に、手を振って知らせた。
 身体がこわばって、もはや自力で起き上がることができなかった。
 門番は男のためにしゃがみこんだ。ふたりの大きな身長差が、今は男にとってずいぶん苦しいものとなっていたからだ。

「今さらいったい何を知りたいというのだ。」

 門番が訊く。

「欲張りめ。」

「だが、万人が道理を求めようとするではないか。」

 男は言った。

「どういうわけで、長年にわたって、わたし以外に誰も、入ってよいかと聞きに来ないままだったのだ?」

 門番は気づいた。男はもう、今わのきわにいる。
 かすかな聴覚でも聞こえるよう、門番は男に大声でどなった。

「ここでは、他の誰も、入ってよいなどとは言われん。なぜなら、この入り口はただお前のためだけに用意されたものだからだ。おれはもう行く、だからこれを閉めるぞ。」



フランツ・カフカ 『道理の前で』 (改行の一部は引用者による)






鬱病患者に「がんばれ」と言ってはならない合理的根拠

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 菜種梅雨なんだろうか。ずっと晴天が続いていたのに、ここ数日雨ばかりで、先日久々に抑鬱で調子を大きく崩されてしまった。

 どうも鬱というのは低気圧だとか前線と相性が良いらしく、天気が崩れると抑鬱状態も発生しやすい。今回の鬱は2月後半ぐらいに終わっていた冬季うつ以来のものである。

 鬱というのは継続して続いていると多少慣れる場合もあるのだが、久々に発作が起こると、まるで初めて経験するかのように苦しめられる。

 だから20年ぐらいずっと病んでいるけれど、鬱に慣れるということは絶対にない。

 おまけに鬱だけでなく、今回はパニック障害の3歩手前のような、不安症状も伴っている。不安症状が出たのは数年ぶりで、前に、いつなったのか、思い出せない。
 原因に心当たりはないわけではないが、なぜそれがこうなるのか、理解できない。理解できないから病気なのだが。

 
 以前、InterPalsにハマっていたとき、鬱の状態であることを相手に知らせたら、決まって言われたのが、“Cheer up”だとか、“Try to feel good”なんていう言葉だった。
 鬱病の人を気軽に励ましてはならない、という禁忌は、僕の知る限り、日本人の間での方が浸透しているらしい。

 というか、インドネシアとか中東辺りの国の人には、鬱病が理解できない人が多いのらしいか、身近にそういった哀れな知人がいなくて、よほど重篤な人しか鬱病患者がいないようだ。
 それはそれで、幸せなことだが。

 最近になって「新型うつ病」なるものを提唱する人々が現れたが、彼らによると「新型うつ病」の患者は嫌なことは避けるのに好きなことはやれるという「なまけもの」のような存在なので、少しぐらい叱咤激励した方が患者のためだ、みたいな情報を垂れ流している。

 (確認しておくが、「新型うつ病」なんてものは一部の医者が言い出した概念で、医学界で認められてなんかいない。ICDやDSMのような国際的な指針の中にも「新型うつ病」など存在しない)

 「がんばれ!」と言われても、頑張るための対象や頑張れる要素がなかったら、相手の激励に親切は感じても困惑してしまうといった経験は、鬱病ではない人でも多少は経験したことがあるのではないか。

 ましてや鬱病患者は頑張るための目標を何もかも喪失しているか、頑張ることができる力がないのである。それに向かって「がんばれ!」というのは、無責任というか、非合理的でしかないではないか。

 「神風は絶対吹くから戦え!」と言っているのと同じようなものである。僕は合理性を欠いた精神主義やら人を闇雲に追い詰めるような放言には、発言者に対する殺意すら覚えることがある。

 人は誰でも、明確で、達成しやすく、より現実的な範囲での可能性に対しては、努力することができる。相手が達成可能な契機を持つ場合に限って、「がんばれ!」という言葉は精神主義ではなく、合理的な言葉になる。

 明確で達成しやすく現実的な範囲での可能性というのは、短期目標とも呼ばれる。たとえば、仕事にはいけないが、せめて今週は3日くらい、食器の皿洗いだけでもやってみようとか、さして重要ではないことが目標に設定される。

 生き方を変えようとか、人生を根本的にやりなおそうとか、そういうあやふやで、長期的に取り組まざるをえないことは目標としては忌避されなければならない。
 そんなことはやれる人がやればいい。気弱な人や鬱病患者にそれを課すのは、殺すのと同じである。

 目標を設定するのは医者とかワーカーでもなく、家族でもない。本人が自発的に決めることである。周りがやるべきことは本人が長期目標に突っ走ろうとするのを避けさせることだけである。

 目標が設定されて、それでもやはり「がんばれ!」と言ってはいけない。自信を喪失した人が自ら決めた目標に失敗すれば、自分に嫌悪や責任感を背負わせるだけだからである。
 「出来なかったら、また休めばいいよ」とか、その程度の言葉で、目標に重さを与えないことが、予防的で安全だし、むしろ現実に本人が達成できるような助力になりうる。

 
 鬱病であっても、本人がやりたいと望むことは、それが娯楽であっても、基本的に容認して何でもさせてあげるべきだと思う。

 「鬱病のくせに、仕事は行かなくて海外旅行には出かけるなんてけしからん」みたいなことを香山リカあたりがよく放言している。仕事しないならやりたいことは何もするなという論理は、ブラック企業と同じ論理なのだが、エセ左翼の香山は平気でそういうことが言える。
 (確認しておきたいが、本当に臨床を積んでる精神科医は香山リカの臨床経験をほぼ確実に疑っている)

 やりたくないことよりも、やりたいことの方ができるというのは、鬱病じゃない人でも同じではないか。この国のネオリベ論理によれば、生活保護受給者はパチンコ厳禁で、鬱病者は自宅で軟禁されなければいけないものらしい。

 僕が初めて精神科に入院したとき、大学は当然休学したが、バイトも何の挨拶もなく無断でやめて、金銭の絡んでくる行事を約束していた友人にも何も告げず、要するに何もかも放り出して病院に入った。

 3ヵ月後に退院して僕が初めてやったことは、生まれて初めての海外旅行だった。

 タイ、ネパール、ブータンと渡り歩いて、ずいぶん精神的に良好な状態に戻れた。大学は後期から復学したが、海外旅行でのリフレッシュがかなり効いて、半年で卒論を原稿用紙200枚書くという荒業を成し遂げた。
 退院した後に、自宅軟禁みたいな状態で過ごしていたら、そのまま大学はドロップアウト、その後は長期の引きこもりニートになっていたに違いないと、ふりかえってみて思う。


 やりたいことがなくなって、やりたいことがあってもやれなくなるのが鬱病患者なのである。

 やりたいことがあって、しかもそれがやれることなら、このうえなく幸せなことではないか。

 



順調な通過

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As someone who loves art like me, we tend to feel more than most people.

We have deeper passions, deeper loves and often have deeper connections with our world.

We see things that no one else sees.






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それは  幸せなことなのだろうか

それとも  これ以上なく   不幸なのか

わからないまま  またしても

始めから なかったことにしてしまうのか。









科学とは真理に恋することさ

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 いわしから先に食うか? 大根からにするか? よい物から先に手をつけろ!
 いつ死ぬかわからんから……。
         *       *
 旅に出たら一流旅館に泊まれ! その町のいちばんいい点がわかる。木賃宿に泊まるのもよい。その町のいちばん悪いところが知れる。
 友を選ぶなら、いちばん善人を選べ! そしていちばん悪い人も加えろ! 教えられる。
         *       *
 桜も植えたいし、南瓜もならせたいし。――桜は南瓜にはならぬものかネ?
         *       *
 まかぬ種が生えると気味が悪い。まいた種が生えないと落ち着かぬ。――殺したようでネ。
         *       *
 こうして寝てばかりいると、縦の物を横に見て暮らすわけだが、たまに座って眺めるまともな世間も美しいものヨ。
         *       *
 赤い大はさみを振りかざし、横行しているかに――あれで正しいつもりなんだからナア。ところが、赤と横歩きとが新しい真理だと思って、わざわざ真似している者もいるんだって……ふふふ。
         *       *
 買い被かぶられるのは、胴上げされるようなものだ。いつ落とされるか、気が気じゃないよ。
         *       *
 有名になるな! 名前なんてものは、茶の間で、あめ玉がわりに一分間しゃぶられるだけのもの。
         *       *
 ろうそくが短くなると、いまにも消えるか? とそのほうにばかり気を取られ、仕事の手につかぬ人がいる。いくら心配したって寿命は延びないのに――。
         *       *
 本を読んでいるときに来る見舞い客は決まったように、「お退屈でしょう」と言う。日本人が本を読むのは退屈なときだけかねェ?
         *       *
 いちばん欲しいものは――時間。
 その惜しくて惜しくてたまらぬ時間を、善意の訪問客に横領される。
         *       *
 私の写真の出ている新聞紙を便所の中で見つけると、名を売った罰だと思うね。
         *       *
 ほう、うまく掛かったの? 太いねずみだネ。賢そうな顔をしているが、……ついにご馳走にだまされて、一命をおとすとは――。
         *       *
 一流になる見込みのないことに手を出すな? 手を出したら一流になるまでやれ!
         *       *
 電灯が消えたぐらいのことで、いちいち、アッと声を出すな! お父さんなんか原子爆弾が落ちた時、泰然腰を抜かしておったゾ。
         *       *
 節約すべきは金ではない。時間と労力よ。
         *       *
 科学とは真理に恋することさ。
         *       *
 梅・すいせん・寒らん――寒さをしのいで咲く花はゆかしい香りをもっているね。どうも楽な季節に咲く花は、人目を引くばかりで。
         *       *
 決心は一生に一度しかするものではない。毎年元日に新しい決心をする人があるが、あれは儀式サ。
         *       *
 開拓者はさんざん苦労したあげくの果て、死んでいく。うまい汁を吸う役は後に控えている。
         *       *
 肉体の苦痛なんて他愛ないものよ。我慢すりゃしのげる、死んだら止まる。
 霊魂の苦痛は、とても自分の力だけでは、なおらぬ。おまけに死んだって消えない。
         *       *
 罪を犯さぬ聖人の霊的苦痛は深いものだろうねェ!
         *       *
 告白のとき同じような罪ばかり思い出すものだが、――案外、自分の気のつかぬところに欠点があるのじゃないか?
         *       *
「ありがとう」の一言で決算をすませる気にもならぬので、……ご恩を借りておこう。
         *       *
 ひとさまの施しを素直に受け取れるまでには、なかなかの修業がいるものだ。
         *       *
 こうして寝ておれば、悪い遊びもできないが、善いこともせぬものよ。
         *       *
 再建というのは天主堂を建てたり、家を建てたりすることじゃないよ。

 私らの信仰を建て直さなきゃ――。



永井隆 『この子を残して』 - 子に向かってもらした言葉 - 






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