Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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壊れる

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物語だった。

   

結末は、ちぎって、捨てたけれど。

   

ありふれた 胃洗浄。


   


   
   

解体された こけおどし迷子関節人形のように  うろたえながら、


横断歩道  足早に渡りきる    名前のない 人の群れ。


病棟の鉄線の中  ぐるぐる回転する    名前の壊れた 人の群れ。


   


   

僕たちは  選んでいく。


僕たちは  賭けに死ぬ。


僕たちは  知りたいだけだった。




そして


僕たちは  秘めておくのだろうね。





爆笑寸前の  


       救いようのなかった   


                 2月の発情    


                       放火されたオメコとチンコ  



                                      魂。 

   


   
   


手のひらの上、


つつんで、



そっと、  隠して、


隠したまま、




その記憶だけが       うすれゆくのかもしれない。







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Process before Yasukuni becoming the justice

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 個人に公的生活と私生活とがあるように、社会全体にも云わば公的生活と私的生活との区別がある。別に社会の裏面があるということではない、社会の内心の生活があるという意味だ。どっちの生活も現実の生活であって、どっちだけを採りどっちを捨てるというわけには行かない。社会の公私生活がお互いに割合背反していない場合には、一方を以て他方を代表させることが出来る。即ち公的生活を以て私的生活を代表させることが出来るのである。事実又、私的なものを(公式に)代表するからこそ、公的生活は初めて公的生活なのだ。社会の公式表現と実質的な潜在情勢とが一致する社会は、幸福である。

 だが大抵の場合、社会周知の潜在情勢は必ずしもそのまま公式な表現となっては現われない。現われないばかりでなく、寧ろ潜在情勢とワザワザ反対な表現が公式な社会特色として通用することが多い。尤もだからと云って、社会的公式表現が必ずしも潜在情勢を悉く詐って、デマゴギー一点張りの外出着をつけるということには限らぬ。潜在事情の如何に拘らず公式表現は公式表現で、それ自身の特有な真実を持っている。例えば世論にしてもそうだ。政府や自治体の声明とか発表とかは、勿論社会の公式な自己表現である。その社会がそういう声明や発表を公式にやらねばならぬということが、取りも直さずその社会の重大な実質の一つであり特色の一つに他ならない。だからそれが必ずしも嘘とは限らない。儀礼というものは抑々そういう性質の真実性を有っている。こういうものも世論でないとは云えない。だが又、公式には到底発現出来ないような併し周知の潜在的見解が、であるから真実でないなどと云うことは出来ない。公的には世間の表面には現われないような一種の「世論」というものも、大いにあるのである。公式には現われないから、私語となり囁きとなり又は「奴隷の言葉」となってしか現われないのを普通とする。もしくは形のない或る一種の世の中の空気として実感される。流言や飛語の母体は正にここにある。

 日本の国民代表が日本の世論を代表して、アメリカやイギリスへ日本の所信を説得に出かけるとする。宣伝は大いに結構である。処でこの代表者達は日本の社会のどういう種類の「世論」を代表するのだろうか、とすぐそういうことが私には疑問になる。日本政府の対外的声明や発表は勿論公式言論であるが、それでも不足だというので出かける民間代表は、では日本国民の潜在的世論をでも説くわけだろうか。併し日本の潜在的世論とは今日何であろう。又そういう民心を知ることが、所謂国民代表に可能なことだろうか。仮にそれを知っているにしても、国家国民の代表者としては、そうあけすけには正直に云えないわけで、結局公式代表の種類を脱することが出来ないではないか。先日或る私立大学の教授がアメリカのインテリに日本の世論を説くべく出かけるについて、向うへ行ってからこういうことを説いて呉れという注文をする会があった。私はこの教授が決して日本の真実な国民の心を代表し得ないことを知っているので、注文する気にはならなかった。恐らく彼もごく公式な日本の世論を伝えるだけに終るのではないだろうか。

 それはさておき、なぜこんなことを云い出したかというと、近頃の日本の社会を診断するには、その公私二重の生活の夫々を連関させて見て行くことが、特別に必要だからである。日本の社会は刻一刻と統制されて行きつつある。経済、政治、社会生活、文化運動、皆そうだ。常識は之を日本の「ファッショ化」とも呼んでいる。こういう言葉は理論的に慎重に使わないと、随分間違いを惹き起こす因になるが、とに角この一般現象を日本ファシズムの結局の発展と呼ぶことは許されるだろう。少なくとも日本型ファシズムの発展と云えば間違いはあるまい。

 この現象は勿論、決して誰かが悪宣伝してそう称しているわけではない。又単に巧妙な宣伝か何かで、そう云われているわけでもない。たしかに日本の社会の公式相貌はそうに相違ないからなのである。そしてこういう他所行き顔も亦、日本の社会そのものの顔なのであって、嘘の顔ではない。他所行きの顔をしなければならぬということも、人間の正直なことの内容の一つだ。日本が日本型ファシズムに向かって勇往邁進しているということは、日本の真実である。日本社会の公式な真実だ。この公式は又日本の社会的儀礼をなしている。公式は儀礼的なものだからである。今日この公式儀礼を多少とも重んじないものは、日本の社会という社交場裏には立てない。新聞記者の批判的言説も無産党の階級的観点も、この公式礼服を着用に及んでいる。モーニングか燕尾服かの相違があるだけだ、公式礼服としては。

 だがこの公式な社会儀礼の皮下に実際に潜在的に動いている日本社会の私的生活は、必ずしもこの公式儀礼には現われない。如何に潜在的情勢でも、あまりに公式儀礼が自分を裏切りすぎると思えば、この公式礼服の着用をお断り出来るわけであるが、それをしないでおとなしく着用に及んでいる処を見ると、今日の日本の私生活も結局この公式儀礼と全く無関係でないことは認めなくてはならぬ。だが、それにしても公式儀礼とは別な或る社会生活意識があることは真実なのである。シェークスピアの芝居などには傍白(アサイド)というのがあるようだ。相手役には聞えないが観衆には聞える台詞である。もし社会でもそういうものが許されたら、この潜流も亦、或る程度日向に出るかも知れない。併し今日の日本では割合そういう傍白が芝居の常道になっていない。それだけに、日本の社会意識を公私共に連関させて診断するには、困難が伴うわけである。



― 戸坂潤 『一九三七年を送る日本』 ―






Just an animal looking for a breeze

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Sometime, May ting used to say to me,

"I hope we will still be friends when one day you longer find me attractive."

"Why?"

"Maybe it's because you are too easy to fall in love with a woman, haha."



One day, May ting broke up with her lover. So I said,

"Are you OK? Rely on me when you feel depressive."

"Thanks, but I'm fine. Just the same loneliness came back again, and have to face it. this is life, right?"




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Sometime I used to say May Ting,

"When I'm thinking about you, I'm always remembering old girlfriend I never forget."

"haha, I'm a female fatale?"

She gave a mirthless laugh.

"But I'm still always not being chosen when they need to choose. that is life."


So I wanted to say to May Ting, though I never said.

"I love you more than my fatherland, I'll surely be able to love you till you die, even if ultranationalists or communists are very terrible. "




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music : Talking Heads - Girlfriend Is Better



The point where we must be arrived at

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 真実の道は一本の縄――別に高く張られているわけではなく、地上からほんの少しの高さに張られている一本の縄を越えて行くのだ。それは人々がその上を歩いて行くためよりも、人々がそれに躓くためにつくられているように思われる。




 すべての、人間の過失は、性急ということだ。早まった、方法の放棄、妄想の妄想的抑圧。




 凡ての他の罪悪がそこから生ずる根元的な罪悪が二つある。性急と怠惰。性急の故に我々は樂園から追出され、怠惰の故に我々はそこへ帰ることができぬ。しかしながら、恐らくはただ一つの根元的な罪悪があるのみであろう。性急。性急の故に我々は追放され、又、性急の故に我々は帰ることができない。




 死んだ人々の影の多くは、死の河の波をすすることにのみ没頭している。何故といって、死の河は我々の所から流出していて、なお我々の海の塩の味がするからだ。かくして、河は、胸をむかつかせ、逆流して、死人どもを再び生に掃きもどす。併し、彼等は狂喜し、感謝の頌歌を唱え、そして、憤激せる河を抱擁するのである。




 ある点からさきへ進むと、もはや、後戻りということがないようになる。それこそ、到達されなければならない点なのだ。




 人類の發展に於ける決定的な瞬間とは、継続的な瞬間の謂である。此の理由からして、彼等の前のあらゆるものを、無なり、空なり、とする、革命的運動は正しい。何となれば、実際には何事も起らなかったのであるから。




 悪魔の用いる最も有効な誘惑術の一つは争闘への挑戦である。それは女との闘いに似ている。所詮は寝床の中に終るのだ。




 Aはひどく自惚れていた。彼は、自分が徳性に於て非常な進歩を遂げたと信じていた。というのは、(明らかに、彼がより挑戦的な人間になつたためであるが)彼が、今迄知らなかった種々な方面から、次第に多くの誘惑が攻めてくるのを見出すようになったからだ。だが、本当の説明は、より強力な悪魔が彼を捕え、そうして、より小さい悪魔どもの宿主が、より偉大な悪魔に仕えるために走って行ったということである。




 人間が、たとえば、一個の林檎について抱き得る観念の多樣性。単に卓子の上にあるそれを見るためのみにも、その首をのばさなければならない小児の眼に映じた林檎の実と、それを取上げ、主人らしい品位をもって客の前に差出す、一家の主人の眼に映じた林檎の実と。


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 智識発生の最初の徴候は、死に対する希求である。此の人生は堪えがたく見える。あるいは到達しがたく見える。人はもはや、死を望むことを恥としない。人は、彼の嫌う古い住家から、彼のなお嫌わねばならぬ新しい住家へと導かれることを祈る。このことの中には、ある信仰の痕跡がある。その推移の間に、たまたま「主(しゅ)」が廊下伝いに歩いてこられて、この囚人を熟視し給い、さて、「此の男を二度と監禁してはならぬ。此の男は余の許に来(く)べきものだ。」とおおせられるかも知れない、信仰の痕跡がある。








昨日と今日と明日と、明後日と、ずっとその先の出来事

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I get away from the blind alley of reality. I am honest to a fault and am ordinary. I assume such a soul and wander. If I can live without turning a back, I don't need a feeling of happiness.

All are poor decoration excluding essence. Therefore I am not able to make the sentence that put decoration on decoration. The snob is self‐assertiveness of the noble hobby. Even if it is a child of the darkness even if it is a child of the light, there is not a purpose besides self‐assertiveness. In other words an expression doesn't have essence. It's collection of waste articles of tricky decoration.

The reason why a snob is eccentric is that it is conscious of normal. the martyr is thrown a stone and is chased, even if he is conscious of normal. The snob is a dance of extremely slender self-consciousness to behave to the degree that not become a martyr. But it is not there that I am interested.

The patient of the schizophrenia is the existence that it is deprived the beginning of consciousness toward the world. They watch TV eagerly all day in a close ward. Do nothing, all day. Their act is the working that is innocence. They are going to regain the consciousness that there is oneself on the world. The person who can be conscious of misfortune is happy. A really unhappy human being is the person who lost the power to be aware of oneself being unhappy.

Therefore I turn attention to the vector of self-consciousness and the interest of the neighbor very much. I pay bigger attention how long it is going to save essence. It seems that I am honest to a fault, and it may be laughed. I will pass the corruption that both the evil and the snob festered a lot from now on. I pass scenery. And I decide it and live.

Both the snobbism and the chauvinism may decrease sharply if space meeting the Big Brother with each other's figures not memory spreads out. Because bluff and the decoration become meaningless. However, apathy interchanging generally is never born with a monitoring camera in substitution for memory since these two people wander around the murder unashamedly. The letter is a mask. And all are existence of the masks now.

It is a pose of the self‐assertiveness and justified even if self-torture and self-deprecation are written in the prose. It is to expose a figure to destroy such a pose. Because the masses doesn't have the talent that can control a visible gesture. Because they cannot see each other's gestures, the murder is convenient for a note. A gesture clarifies the snobbishness of the expression precisely.

The old age is ugly, and the handicapped person becomes be kept on public display, and the ugly face is failure of the worst.I don't want to say that I think so. The morbid uneasiness that lead a cynic's life, and measure distance from normal precisely, They are afraid of such a failure most.

Without the dying of the democrat to isoration and silence, you can upload an entry if you mutter toward the plain monitoring camera. A position of the mind in pursuit of convenience should overlook the development of such a system. If it is a technical condition of the same degree, to speak at a camera for global population than a technical condition touches dying of global population is much more comfortable. But the people never want such a thing. Anyone doesn't have the courage to contact with such a terrible thing. There is only a risk.

It is not the risk that safety and anonymity disappear. The people live in the town watched to a security camera unconcernedly and have fun of the GPS which easily shows the whereabouts. However, it is their risk that reveal one's true character. The functions to meet rial through livecamera on a murder with a person are not popular even if people can upload the photograph about oneself steadily. Nobody demands vivid transmission. The murder is really afraid of realistic description.

I use exclusivism since I buy a monitoring camera. And I feel that memory does not reflect a person really clearly. The picture easily destroys eccentric behavior. A figure appearing from a sound and a monitor not memory is necessary to know a person in a murder. exclusivism may be a tool uncovering decoration by realism.

There is the person who felt friendly feeling with exclusivism than memory in the murder. In the first place it is a meeting with the personality. Nobody should have thought that it was a meeting with the personality when correspondence was a tool. However, in the virtual world, it is natural to get an illusion as if I meet personality at isoration and apathy.

While snobbism and chauvinism are the sad toys of the timid person, I can sneer at them. But Medea of one step this side from reality invites fascio. It is poor mind for fear of realism to support the media. A poor mind easily capitalize on fascio while it thinks about a snob pose.

The people of the murder make decoration on oneself and make character a virtual image and conceal poor mind. And they become estranged from realism and fail. Experiencing from realism saves essence. But I support a tool easily.

The logic that indulged in surplus self-consciousness is a worthless thing. Such a thing is screened necessarily. Therefore they wear cultural authority in a style. The worldly-minded person quotes cultural authority for a surplus. They totally wear quotation like accessories. Their life is full of quotation.

Snobbism and chauvinism are twin brothers. The reason is because they prefer quotation to the essence together. Because the chauvinism is the logic for arguments, the logic is insubstantial. The snobbism is insubstantial to abuse poetic expression. It is not a purpose to tell others. It is a purpose to mystify others.

The reason why they mystifies others is that they don't let others mention realism of their personality. I seem to be strange, but the poetic expression becomes the means for personality imitation not a purpose for snobbism. An ultimate aim of the snobbism is personality imitation. For some reason. It is to plaster over pain of the reality life with a lie.

Chauvinism and the snobbism emit quotation and the logic that festered in a murder without cease. The reason is because it covers their cool reality life. They quote only ideal life and should write it in the murder. Others' eyes can be cheated only by it. But the misery of theirs reality life does not change. Therefore virtual reality and their reality are divided among them.

It is misfortune that they can play virtual character in a murder well. If they will live in virtual reality and real reality well, they will suffer from disease of uneasiness of the neurosis. The uneasiness of their neurosis is questioning from conscience for them. It is questioning from conscience for themselves to betraying themselves. If there is not it, I will express it in other words with the truth for conscience.

It leads to our happiness to tell one's reality life to others and to know the reality life of others. However, there is that it is happy to remove these thoroughly in the murder. It is the self-righteousness that the murder brings. The murder shakes outlook on our happiness without cease and worry us.

But the murder will continue spreading if poor spirits of us who fear realism support the murder. Snobbism and the chauvinism take part in expansion of the self-righteousness of the murder positively. Because their reality life is miserable, they take part positively. If their life in the virtual reality is happy, they can think of reality life miserably still more. The circulation pushes forward estrangement with their reality to them steadily. It is a spiral without the help.

Nobody may come to wish anymore without expecting it for real happiness. The standard of one's sense of superiority to be seen in a murder may replace real happiness. While sense of superiority is a standard, nobody will considere others. The fascio aims at division watchfully. When nobody expects happiness, the fascio appears.

Possibly the progress of the murder may push fascism. If our happiness in the virtual reality of the murder leads to our relief, the value for our happiness rots. The murder is the world of Orwellian if we don't consider others because our sense of superiority participates in virtual reality. Democracy will become Big Brother.

I cannot judge whether I come true in my words saving essence. The doubt is flowed in reality without time to judge it. Even if it is essence, it becomes extinct. silence which somebody wrote that wants to die flows and disappears immediately in reality. It is a characteristic of reality that such silence flows plainly. reality lets a user mind honor so that users increase. reality is totality.

As for reality, a total flow is given priority to over the personal sound. Therefore even the voice of the suicide applicant is washed away instantly. I force an individual to value of totality so that Follow and Follower increase. It is excluded if I don't sympathize totality. Is not this complete fascism anymore?

Because snobbism and chauvinism are deceptions to keep up honor, It does not save others, and it has strong affinity for a murder. The radical tool is shown the weakness of the person in a murder after all. Therefore I learn this paradoxically. I look for a thing release a person from the chain.

Even if silence in search of the help dies, reality continues as if nothing happened. Lonely people live in oneself whom they tampered with in virtual reality ideally. In refined conversation, the people continue betraying reality life limitlessly. Their miserable figure questioned by conscience flows through reality like dead bodys.

global population are exquisite number of characters. We can write only fragmentary words. We cannot but display silence continually to express a full-scale claim and the thought that we systematized. But a flow of reality accelerates if we do so it. It is driven the words of others. One's words are driven, too. One's long silence which continued gives a inconvenience to somebody. If a unit is not buried, totality collapses. In other words totality is dominant in reality.

Only harmless words are left in reality. The words that don't save people form a line. They form a line not to connect people. Totally deprive it of a speech and a thought. On the other hand, doubtful publicity tempts you into a doubtful link. reality has something which is bare. There is bare greed in reality. It expresses the world limitless danger that we live for structurally.

It is not a dangerous thing that there is danger. However, it is dangerous nobody can recognize danger, and to be indifference. It is really dangerous to be no reaction for somebody who falls into danger. We look down at the unhappy people of the reality world from virtual reality. We are conceited in point of view of oneself who looks down at the unhappy people. As if we totally get even omnipotence.

The character of the virtual reality that reality life is known to nobody is egoistic with eccentric. But, as for the character of your virtual reality, ask for help nobody even if misfortune comes for your reality life. Snobby expression and the logic of the chauvinism will make you look cool in virtual reality. But really thus will you endure when you die alone? You continue telling a lie. And your personality continue being divided.

I live in such times. I watch this scenery. I pass this scenery. I continue advancing to the new place consistently. And I make a resolution and make up my mind. I want you to laugh if honest to a fault. I cannot live besides it.






アクチュアリティー乖離克服体操第一用意

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63.245.23.246:80    の  アノニマス・ファンタジー





B:88 W:58 H:86     の  バーチャル彼女、エクスタシー



それと



アノミー全開136時間42分56秒前   の   終了国家、ファイナリィー







ハンドルネームだけ  イケメンです


ショートカットの中身は  圧縮された八頭身が無限に保存です


最新版の「蛇女」は  ネタバレ前にダウンロードです





昨日の教えて君が  明日はナマホのパチをシェアして


収容ハウスではまぬけなスケープゴードの死亡集がロードされ 

 
                 燔祭ゼノフォビアの満員御礼がパルスする







双子の赤字が  五つ子生んで、



阿部一族と統一教会は  晴れて合同ブラック・ウェディング



24個の軍事衛星に  里子に出されたオンラインは ひっそり隔離死して



24枚のシャツを  2400万人のオフラインが  救いようもなく奪い合う   






やがて        おめでたい        



                     念願の  平等カタストロフ







誰も







でもない



やつも、



どこからも



どこにもなかった



ところからも、



みんな  なかよく  いなく  なる。






インスピレーションのはかない誕生

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生まれたての頽廃のガレージ音は


わたしの愛した

あの男のものだった





 歴史は終わって


     もはや カラシニコフも

     リゾームも いらない





死に遅れて

たえず、小刻みに震える

胎動の告白を




    あのひとは

    進化のない


       むきだしの 垂直線上に

       貶めていくのだ




迷い子のわたしを

細切れにしながら



マーケットに並べられた   断絶のピルを食事にして







          汚れた ラヴァー・ジュースと一緒に

          むしろ 降りていきたい




飼いならされた疫病の代わりに

地下世界の饗宴で



          あの人の装う

  ベルベットのドレスに  編み込まれて





インスピレーションは   はかなく誕生する






   ドレスの縫い糸の  先端のような死と共に







チャンネル#15のAT限定ジャンキー

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エレクトリックな  目覚めの朝



モダニズムの  ベッドの上



発育不全の  化学レース



スウィングし続ける  キャピタリズム



あなたは傾いた鋪道  うかつな生存者  



唾液を塗した俺  ほんのマルチーズ



夢みられた  爪先立ち173センチ



手のひらの中にこぼれて  亀さんのよだれ



自意識過剰着色アヘン  くゆらせたら



デスコアでお漏らし  シーツ汚して



ハマチの一本釣りで  抱か せてくれ



シミーズ一枚のスターリンで  むさ ぼりたい



乳繰り合うドラミちゃん  憂鬱 な  わたし



修身教科書のグラビア  欲情させ る きみ




ときどき  辟易




抜くように  突いて 辞意を掻く




ときどき  簿記簿記




ふたり  泣き声合わせる 拷問部屋




灰になった廃人の俳人  全焼して




十回分のおかずで  十階フロアで痴情




初物のおっぱい  を くれ




ウォトカで酔わせて  轢殺  してくれ




幻聴のゲリラは  鼻ったれ




中で出す  浣腸





中でしぼって  柚子風呂





しぼって!  しばって!




エレメントトーク



   

           ディストピアコーク。






人格の重さを見世物小屋のように陳列するネットの時代

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 昨夜、InterPalsで以前出会った19歳の英国人女性から、「わたしは君からdespairを感じる」と言われ、関係を断ち切った。

 だが、僕の人格に対して「絶望的」と烙印を押されたことに一晩中動揺を感じて苦しかった。

 最近全然見ていなかった『被爆者の声』で、証言ビデオを幾つか眺めていくうちに、彼女の言葉に反発する自己肯定感を取り戻すことが出来た。


 以前、同じようなことを数年前に昔の彼女から言われたことがある。彼女には、あなたの考え方には「死」への道筋だ、と言われた。
 だが今回英国人が僕を「絶望」と喩えたことと、数年前の彼女に「死への道筋」と評されたことは全く関係のない内容に基づいている。
 しかし、英国人に言われたことは数年前の彼女に言われたことの衝撃と混同させられるようなショックを僕に与え、理性的に内容の区別を行う作業をなかなか自分の中で始めることが出来なかった。


 InterPalsで僕に話しかけてきたのは英国人の方からだった。僕の作品を称賛してきたことが始まりであったが、昨日関係を断ち切るに至るまで、ほんの2週間しか経過していない。

 英国人との間でどのようなやりとりがあったのか、それを詳細にここで書くつもりはない。僕と英国人との間の正当性に関して他人にジャッジされることは全く意味のないことである。

 
 たった2週間しかスカイプで話した程度の関係の中で、会ったこともないし顔を見たこともない、そのような相手から「あなたに絶望を感じる」などと言われること、そういうコミュニケーションの形に釈然としないばかりか、不条理すら感じた。

 僕が問題にしたいのはそういうことだ。


 数年前の彼女に僕の思考を否定的に評されたことは、僕にとって哀しいことではあったが、彼女が批評すること自体に妥当性があったことは疑う余地のないことだ。僕は彼女と直接に何度も会っていたし、たくさんの話を心を打ち明けて交し合ったし、セックスしたほどだから、彼女が僕をある程度理解していたと看做すことには正統性がある。

 だが、たった2週間しかスカイプでしか喋っていない、会ったこともない、僕はいろんなことを喋った訳でもない、そんな相手から「わたしはあなたのことをとても理解してる」「それはわかる」「あなたはそういう人だ」、そのように相手を評価する行為には、必要十分な条件が満たされているか。

 僕は決してそれを肯定することはできない。


 だが僕が正しいと思うかどうかは別として、たった2週間ネットで交流した人物の全人格をあれこれと「断定」することは妥当だという意識の前提が、その英国人少女の中にあったことは確かなことである。

 僕と彼女の間には、その前提を「正しい」と思えるかどうかというテーマについて、すでに隔たりが生じていたのである。

 
 ほとんどバーチャルでしかない相手を分かったつもりになれる、なぜそういうことが可能になるのか。

 いろんな人がいろんなことを言ってるだろうが、これは単純に世代論で集約されてしまうような話なのかもしれない。

 つまり、ネットが現れる以前のコミュニケーションとネットが媒介するようになった以降のそれを知っている僕に対して、英国人少女が物を考えたりするようになった頃には、すでにネットが人間関係の在り方に強い作用を与えていた。
 その違いが、僕と彼女との間のコミュニケーションの妥当性をめぐる志向に隔たりを与えた、そう言えるかもしれない。


 二十代の頃、人間関係にいろいろもみくちゃにされて完全に参ってしまっていた頃、ある一時期、僕は完全に孤立無援状態に陥ったことがあった。

 いろんな人に考えていることを一生懸命に話すのだが、まったく理解しあえない状態だったのだが、あるとき、同じように一生懸命に自分のことを訳も分からず話していたら、「ようやくMさんが考えていることがわかるようになった」と一人の女友達に言われたことがあった。
 その女友達は今まで常に僕のことを辛口に評価して、皮相な態度しか向けてくれないような、絶対繋がり得ないと僕が思い込んでいたいた人だった。
 電話での会話だったが、彼女がどのような会話の文脈で僕のことを「ようやくわかることができた」と言えるようになったか、全く分からなかった。分かるぐらいに巧妙に話せるぐらいなら、彼女は「わかった」とは言わなかっただろう。

 翌日、彼女は僕の下宿を訪れた。4月頃の、とても陽の光のかざしが柔らかな一日だった。

 僕は彼女と一緒に、マンションの屋上で身体を完全に横たえて、二人で空をずっと眺めていた。ほとんど言葉も交わさなかったが、コンクリートの床に身体を預けてただずっと日差しを浴びている、それだけの時間の中に、僕はなんの不安も感じなかった。

 彼女が僕のことをわかってくれた。

 その明らかな一筋の事実だけがあって、浴びている日差しのなかで、僕も彼女も、もはやなにも諍うこともなく、穏やかな時間を沈黙のうちに安らかに共有する、「和解」の心地よい静けさをただただかみ締めあう、そういう平和がそこにあった。

 ネットどころか、携帯電話すらまともに普及していなかった、そんな時代の話だ。


 学齢期に達した頃にはすでにネットがあって、一番物事の影響を噛み砕いていく人生の一時期にスカイプやLINEのようなものがあって、物理的な距離とは無関係に人とコミュニケーションを取ることが可能である、そういう時代を当たり前の前提として受容せざるを得ない英国人少女の環境を、僕は決して否定しようとは思わない。

 ただ、僕が二十代の頃に経験したようなエピソードを彼女が同じような感覚で享受することが可能かどうか、それが正しいことだとは僕は言えないが、僕が感じた幸福感を彼女もまた満たされる機械があるかどうかは疑わしく思わざるをえない。

 LINEに加わることをかなり積極的に薦められたときは結構不快を感じた。端末に四六時中拘束されることはウェアラブル的な不幸の始まりだと自論を主張したけれど、彼女が理解してくれたかどうかは分からない。

 それよりも、会ったこともないし知り合って時間も間もないのに、「わかる」「わかった」と頻繁に言われることが、実に気持ちの悪い嫌気を感じた。
 「欧米人というのはそういうものかもしれない」と主治医は論評したが、僕は彼女の属する世代の特殊性として感じざるをえなかった。
 ほとんど一日中ネットの人間関係しか接触しない状態で、「好きな人がいる」と言うのだが、それも会ったこともない日本人なのである。

 僕には、その感覚がいまひとつ、理解できない。


 ひるがえって、自分はどうかと思い返せば、ネットを使い始めた初頭の頃は、ネットの中だけで相手の人格を決め付けていたことがなかったとは絶対に言えない。
 だからこれはネットというツールが無差別に人に影響を与える、ツールの作用の問題でもあるだろう。


 ただ、僕と英国人少女の完全な相違として横たわっている事実は、僕が二十代の頃に経験したような人との理解の積み重ねの熟練が過去にあって、これからもその経験が残り続けるのと違って、彼女はネット上が主要な場として人と繋がる機会がほとんどを占めるのであって、僕が持っているような経験を彼女が得る機会は完全に縮小されていっているという、そのことなのである。

 人との関わり方の形、選択肢が一つ無くなるというのは、はっきりいって「損」だと思う。

 じゃあネットで人と関わりあうことがなかった僕らが、ネットという選択肢がなかったことで「損」だったかといえば、僕にはあまり損をしたという感覚がない。

 あの二十年近い前に経験した、4月の屋上の平和のことを思い出すと、ネット上で「わかる」と早合点に断定するような感覚がなかったからこそ、あの女友達といまでも交流が続いているのだと思う。


 便利になったところで、ツールのもたらす便利さが人に幸福を減少させるリスクがあるとするならば、選択肢がなくなったどころか、人との関わり方を限定されたままメソッドが固定化して、過去の人間たちのコミュニケーションの姿に実感を持ちえなくなるかもしれない。

 それは、正直、不幸だと思う。


 英国人少女からアクセスが来るまで、外国人の友達を探すInterPalsのアカウントを僕は完全に放置していた。

 僕がこのサイトにアカウントを作ったのは、外国に友達を作って、仲良くなったらその国を訪問する、そういう形を模索するために利用していた。だがなかなかそういうのが可能にはならないというのが分かって、あまり使わなくなっていた。

 たぶんこのサイトの利用者の大部分も、そういった計画で誰かにアクセスしてもそこへ旅に出るのはなかなか難しい、そのことは分かっているだろうと思う。

 それでもInterPalsを利用する人がたくさん増えているのは、ネット上で交流することそれ自体が、現実に友達との交流のようになってしまってるからなのかもしれない。現実の自分が希薄になる分だけ、ネットの方が良いと思う人だっているだろう。


 だが、会ったこともない人間の人格を「わかる」ものとすることは、会ったこともない人間の多様性を見ずしてその人への視野に「限界」を作ってしまうことでもある。

 “despair”を感じるといわれた瞬間、僕は2週間しか話していない空虚な存在に「宣告」を受けたような感じがした。

 人格と言うのは2週間でジャッジされるようなものでは決してない。

 だから僕は、彼女自身ではなく、彼女のメソッドに「絶望」を感じて、彼女から離れることを決めたのだった。





ジュリア 

Posted by Hemakovich category of Poetry on


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たとえ、


               カメラが覗いていたとしても


        テープが盗み聞きしていたとしても
 


あたしと 

                  愛し合ってくれる?








 強硬にフィードバックされる グロテスクな未来記憶を


  恐れるゆえに、




マスプロダクションによって複製され続ける 端末者の目を逃れ


       ベッドだけが一つ の この部屋まで逃げのびてきた あなたは、




絶え間なく 収容エリアに 押し流される


  永久絶望反復の ビジョンの



           禁じられた


                      停止を 夢みる。






 隙間なく ネーム・コーリングを変えていく


 誰かのシャドウ・ワークのために、



   憎悪の フォントが張り詰められて



              あなたの表情は、



        鏡の顔が突き刺す密告に     歪んで見える。






 イコライザー・ボイスが連呼する“Beautiful regime”から


  ひっそりと 落伍していくあなたは、




     部屋の外から強いられてゆく 無限意図に進行する<根絶劇場>からの


     謀略のシュプレヒコールを、



         力なく


                リップシンクしてるだけ。 







恋人の睦言が死んでいく時間に


                狡猾な裏切り者のように  

                              
                    魂の  空白の飢えをしのいだ



      あたしは、




 きっと同じ 改竄された記憶から


 あなたを選び出したのだ。





       歴史が記録されない 屋上で



                  消されていく   あたしや あなたの    罪の側で。





    いつか、


          あたしはあなたを  

       
                   彼らに    売るかもしれない。




          あなたがあたしを


                   彼らへ    売るかもしれない。








      だけど まだ あたしは


          忘却の寸前まで 考えているだろう





 無慈悲な有機物の残骸になったあなたと


           再びこの路上で 


                  出会わないことを。





むこうみずな求愛のために


  あなたが         ただ   



         惨めに     殺されていってくれる ことを。







   そして どこかに打ち捨てられる 身体の小片に



あたしのあげた       欲情に触れて感じた、


      本当のあなた自身の至福を        覚えていてくれることを。






    ・・・・・・媚態でも  反逆でもなく、


    ほんの他愛ない


            つぶらな胸から生まれた 魂の歓びであった       それを。






そんなあたしのなかの


                潤いの雫で夜を飲みほす丘陵を、



         ・・・・・・身震いしつつ



指先でたどって


     息を吹き込み


           眺め入ってた    

     
                    あなた。





   抹殺されていく あたしを


                 もう一度       愛してくれる?





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Dedicated to Nadezhda Tolokonnikova with us







music : Eurythmics - Sex Crime


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