Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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さよなら、親愛なる魂のコニーアイランド・ベイビー

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 昨日始まる予定だった僕の部屋の改築工事(改装というのが正確だが)は、大工さんの都合で少し延期になった。

 だがパソコン以外のすべての家財を全部移動させているので、何にもない床が剥き出しの部屋でパソコンを前に文字を入力するのは、まるで暗号を打電するスパイかなにかになったような気分。


 ルー・リードが死んだ。


 ただ、「ルー・リードが死んだ」という言葉が身体をグラグラ震わせて、頭の中を反復する。

 凄く苦しいのだが、何と言っていいのかわからない。あまりにも衝撃的過ぎた。あまりにも、あまりにも、それは僕を完璧に動揺させるには十分な報道だったので、思わず、ルー・リードどころかローリング・ストーンズさえ知らない母に「ルー・リードが死んでしもた」と口走るしかなかった。

 この重い事実を、どう受けとめたらいいのかわからない。

 生まれてから今日まで、毎年多くの有名人の訃報に接してきた。だけどルー・リードが死んだことほど僕を機能停止させるような衝撃は、今までなかった。

 昨年亡くなった中沢啓治さんのときでも、これほどの衝撃はなかったと思う。中沢さんのときは、しみじみと惜しまれる死を受け止められることができたが。

 いまは、まるで肉親を失ったような気持ちだ。大学の恩師の逝去を聞いたときの感覚とも、少し似ている。

 あのときもとても切なくてどうしようもなかったから、気が動転して、数年ぶりにプールに泳ぎに行ったり変な行動を取った。そしてプールからの帰りに、夕方の日差しを浴びて車の中で、恩師への追悼の気持ちを込めて聴いたのが、ルー・リードの「コニー・アイランド・ベイビー」だった。

 いまはもう、そのルー・リードがこの世にはいない。

 いま僕たちが生きているこの混迷の時代を、魂の根底から支えてくれる、そんな僕たちの信念のような詩人が、もうこの世界にはいない。


 高校のときにヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「ヘロイン」を聴いて以来、ルー・リードは僕の人生の色彩を完全に決定づけた人だった。
 もしルー・リードに出会わなかったら、いまのような僕は存在しなかったことは確信を持って断言できる。

 彼の音楽とともに、彼の詩が僕の人生を、善悪の境界を越えて完全に変えてしまった。“Between Thought and Expression”(思考と表現の狭間で)と題された彼の歌詞集は、詩を書く人としての僕の一生の姿を、詩人のあるべき姿を、まるで信仰のような絶対的シンボルとして、僕の根底にその形を永久不変に築きあげてしまった。


 なぜ、ボブ・ディランでもなく、ジム・モリソンでもなく、ルー・リードだったのか、それはどうにも答えようのない生まれながらの志向性の話だと思う。

 「ヘロイン」の歌詞の中に、“I guess that I just don't know”(きっと僕は分からないだけ)という一行があるけれど、あのフレーズがもしも「ヘロイン」の中になかったとしたら、たぶん僕は何の気にも留めることなく、あの作品を人生から通り過ぎていっただろうと思う。

 逆に言えば、あの一行に示される世界とか時代とか自分を取り巻くものへの現実認識こそが、僕の寄る辺となる一番の真実に見えたのだろう。



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 また別の場面においては、絶対に受け入れることができないものを、僕にとっては実現したくても決して実現しようのない幻想のフレーズとして、人生のいろんな場面で僕は狂おしく彼の詩を読んできたこともあった。

 「コニー・アイランド・ベイビー」の一節に“But remember the princess who lived on the hill Who loved you even though she knew you was wrong”というのがある。
 真夜中に一人、絶望に屈してすべてを憎んでしまいそうになったとき、「たとえ君が間違っていたとしても君を愛してくれたあの人のことを思い出すんだ」と諭す部分である。“glory of love, just might come through”(すばらしい愛がいま訪れようとしている)というサビへと向かう伏線として歌われる。

 僕はあまりにも単純で想像力がない人間だけれど、人を愛そうとする大事な局面において、いつも「たとえ君が間違っていたとしても君を愛してくれた人」という存在を信じることができなかった。みんな、僕の過ちを見れば、絶対に僕から去っていくじゃないかと、ひねくれた思いでいつもこの歌詞を読んでいた。

 でも、誰かを本当に、深く愛そうとするときにはいつも、「コニー・アイランド・ベイビー」の甘くてノスタルジックでどこまでも優しいメロディが僕を包んでいた。時には、この曲を聴くのが苦痛になって、遠ざけていた時期も存在した。それは、たぶん、僕が理想とする愛情の光景と、とてもよく似ていたんだと思う。

 だから僕には“Who loved you even though she knew you was wrong”という一行の真実性の是非を、ずっと長い時間、こだわりつづけていたのかもしれない。
 僕にとって「コニー・アイランド・ベイビー」は、愛情の時間の中でほんの一瞬しか現れなくて、決して永遠にそれがすべてに叶うことのない、愛の至高聖所を歌った曲だと思っている。

 
 久々にYouTubeでルー・リードの歌をいろいろ聴いてみた。彼の物語り歌スタイルの完成形である「ワイルドサイドを歩け」、人生の根本的な姿を謳歌した「スウィート・ジェーン」、個人的にはいつも落ち込んでから這い上がるような時によく聴いた「ニュー・センセーション」、そして世界のあらゆる都市の下層社会で起こる普遍的な人々の苦闘の姿を力強く共感を込めて描かれた「ダーティー・ブルヴァード」。

 どの歌を聴いても、自分のこれまでのいろんな人生の光景が重なって映り出す。

 ここ最近は「ペイル・ブルー・アイズ」をよく聴いていた。40近くなって、ようやくこの歌が分かってきたように思える。
 「大人のラブソングだなあ」としみじみ感じながら聴いていた。昔の人のことを思い出しながら、一番好きだったけど報われなかった恋を優しい気持ちで省みるのに、これほど最高に似合った歌は他にないんじゃないだろうか、そんなことを思っていた。


 ルー・リードはたぶん、人生が終わる時まで聴いているだろうと思う。

 なぜなら、僕は彼の歌を初めて聴いた時から、彼の歌に描かれるような人生を望んで生きようとして、同じような視線で世界を見て、僕もまた詩を描き始めたのだから。

life is just to die. 人生は死ぬためだけにある。

But anyone who ever had a heart, they wouldn't turn around and break it.
でも思いやりのある人は 背中を向けたり傷つけたりはしない。

and anyone who ever played a part, They wouldn't turn around and hate it.
人生で役を演じた人は 背を向けたり憎んだりはしない。


 さっき、ウィキペディアで調べてみたら、親父と同じ年に生まれてたことに気づいた。

 親父と同じくらい、そういう大きな存在だったよ、ルー・リードは。








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世界が滅びるまで映され続けるロマンティシズム

Posted by Hemakovich category of Music on


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 明日から、わが家の僕の部屋が改築工事に入ります。

 デスクトップのパソコンは片付けて、しばらくの間、ネットとパソコンから離れた暮らしに突入します。

 無線LANを使えばネットは出来るんだけど、ルーターの設定をするのが非常に面倒に感じるので、別にネットしなくても読書してりゃあ別に不自由しないと思ったので、パソコンは片付けることにした。

 僕はスマートフォンとかタブレット式端末は全然使ってない。だから久しぶりに長期の脱ネット生活に入る。

 このブログもしばらく更新できませんが、改築が終わったらまた再開するので、よろしくお願いします。

 
 今日はだいぶ抑鬱も収まってきて、少し活動できるようになった。鬱が襲ってきている間は、音楽すらほとんど聴く気にもなれなかった。

 音楽も聴く気になれないのに、鬱のときって、自分が聴きたくもない音楽のメロディが頭の中で反復したりする。たとえばどうしようもなく希死念慮が襲ってくるときに、何度も何度も笑点のOPが繰り返し流れてきたりする。鬱の頭の中で流れる音楽は、いつもそういう、嫌がらせのような違和感をぶつけてくるメロディが多い。

 幻聴ではないのだが、嫌なメロディが頭にセットされたみたいに、無気力で無意味な鬱の感覚を灰色に彩って僕に何もかも嫌にさせて、疲れさせる。

 そういうときはどうしたらいいかというと、とにかく嫌なメロディを頭から消すには他のメロディを頭の中に叩きつけるしかないので、自分が好きな音楽の中から、鬱の時でも頭に入り込めそうなものを適当に流して、試してみる。上手くいくと、笑点のOPみたいな不気味な嫌がらせをぶち壊すことに成功する。


 今回の鬱の間、僕がずっと聴いていたのはポリスだった。

 日頃まったく聴いてないアルバム“Ghost in the Machine”を聴いてたら、少しだけスッとした。「デモリション・マン」のあのハイテンションが、抑鬱の底なしの陰影に妙に雰囲気が合うような感じがして、頭の中の余計な音が全部消えた。


 初めてポリスを聴いたのは高3のときで、“Synchronicity”が最初だった。あのジャケがいかにも「共時性」とか「現代の孤独」という雰囲気がして、ジャケ買いだった。
 このアルバムは後になって理解できるようになって、今ではポリスの中で一番好きなアルバムだが、当時はパンクっぽいのが好きだったので、あまり良さがよく分からなかった。

 その後、すぐにベストアルバムを買って、「ロクサーヌ」とか「孤独のメッセージ」や「ソー・ロンリー」にやられてしまった。それは大学に入って間もない頃だった。

 入学当初はとにかく、プリンスとヒューマン・リーグ、そしてポリスの初期の2枚ばっかり聴いていた。

 「孤独のメッセージ」を聴いていると、僕はいつも夕方の光に包まれた銭湯の光景を思い出す。当時の僕の下宿は風呂がなかったので、生まれて初めての銭湯に通い始めた。
 「孤独のメッセージ」の僕の中での斬新さと、銭湯の僕の経験の中での新しさが合体して、記憶に強烈に塗りこめられたのだろう。だからあの印象的なギターリフが始まると、僕の頭で流れる映像は夕方の銭湯なのである。


 大学の講義が始まった頃、哲学科のクラスで親睦会みたいなのがあって、京都の大原にある旅館にみんなで泊まりこんだのだが、そのときに一生の友人と呼べるような、二人の同級生と知り合った。そのうちの一人と意気投合したのは、お互いにポリスのファンだったからだった。

 学生時代の僕は大変なエゴイストで、無邪気に他人の心の中に土足で入り込もうとするような幼稚な性格だったから、他人に好かれるのと同時に、他人を疲れさせてしまって不評を買いやすい男だった。
 そんな奴だったが、ポリスファンのその友人は、大学時代の全期間を通して、ずっと僕の味方でいてくれた人だった。

 やがて僕の中で「第三の自我」みたいなのが芽生え始めて、それまで無邪気に付き合えた友人関係にも警戒心を持つようになり、他人に対する抗い難い不信感から極度の不安感情で、生活を持ち崩すようになった。

 不安感が襲ってきてパニックになると、僕はたとえ真夜中だろうとポリスファンの友人に電話をかけた。ほとんど24時間、彼は僕にとって「いのちの電話」みたいな存在になっていた。とにかく今まで知り合った人の中で、一番電話をよくかけたのはその彼であったと思う。
 これから死ぬまでに、彼にかけた電話の回数を追い抜く人間は僕の人生に現れないと思う。もう20年ぐらい経つけど、僕は下宿の電話番号や、付き合った彼女のそれらを全部忘れてるけど、ポリスファンで「いのちの電話」だった彼の番号は、今でも暗記してるぐらいだから。


 話をポリスに戻す。

 やはり学生だった頃、レッドウォーリアーズというバンドのダイヤモンドユカイって人(日本人)が主演した映画で『TOKYO-POP』というのを観ていた。
 そのストーリーの中で、確かどんなバンドをコピーするかってエピソードがあって、ミュージシャン志望の白人女性の恋人から「ポリスなんかいいんじゃない?」と言われて、ユカイさんやバンドのメンバーが少々怒り気味に「ポリスはダメだ!」と、明確に拒否・否定するシーンがあった。

 何の根拠があってポリスがダメなのか、全然語られなかった。その映画自体面白くなくて途中で見るのをやめたのだが、「ポリスがダメ」だというセリフだけは妙に印象に残って、影響されたわけではないけど、なんとなく「ポリスはダメなんだ」というのが僕の誤った価値観として、長い間不条理に形成されてしまっていた。


 長い時間が過ぎた。

 そして、「でもやっぱりポリスって最高じゃないか!」っていう再認識が現れたのは、2008年ごろ、「マテリアル・ワールド」を聴き直してからだった。

 ちょうど世間で派遣村のことが話題になった頃だった。自分の中で政治意識が明確に定まってきた時期だったので、ポリスが持っていた硬派に社会的な色合いを持つ音楽性が「やっぱすごい」と思えるようになったのである。

 
 一番好きなアルバムを問われたら“Synchronicity”だと最初に書いたが、やはりジャズやら民族音楽やらジャンルの幅が広がって、「人類」とか「現代」を見つめる視野がトータルを極めた内容を感じるからだ。

 出だしの「シンクロニシティI」や「ウォーキン・イン・ユア・フットステップ」の音を聴いてると、子供の時によく分からないままに怯えた冷戦末期の緊張感が蘇える。
 「アラウンド・ユア・フィンガー」のメランコリックな旋律や「サハラ砂漠でお茶を」におけるポール・ボールズの文学世界みたいな雰囲気は、なんとも奥深いロマンティシズムに誘われる心地がする。

 では一番好きな曲はと問われたら、選曲に困ってしまうのだが、今の僕にとっては「マテリアル・ワールド」だと思う。

 スカのリズムだと思うのだが、レゲエとかスカをこんなにシャープな音に変えて、近未来的な音の世界なのに歌ってる内容は端的にレベル・ミュージックだというのが面白い。
 歌詞はものすごく単調なことをアジってるに過ぎないのに、曲全体に知性の広がりを感じるのは、やっぱり三人の演奏技術が上手くて引き出しが豊富だからだろう。

 最近聴き直して「すごいな」と思ったのは、2nd収録の「ひとりぼっちの夜」だ。

 そんなに長い曲じゃないけど、YouTubeでライブ演奏版を聴いてるとジャズの即興演奏みたいに、倍の長さの時間でアレンジ豊富に聴かせて深みのある空気感に引き込まれる。
 「ひとりぼっちの夜」はポリスの曲の中でもレゲエ色が典型的なナンバーだが、レゲエ特有の土臭さというかそんなのがない。メロディの美しさが洗練されて聴こえるのは、コープランドのドラミングの緻密さに依るところが大きい。


 コープランドのドラムにしろ、サマーズのギターにしても、何年経っても先鋭的な知性を感じさせてくれる。だからスティングの描く「現代の孤独」みたいな曲の世界に哲学っぽい緊張感を与えているように思う。

 僕はスティングのソロがあまり好きではないのは、なんていうか、「落ち着いた文学性」みたいなところに留まっているような、つまり老成された感じがして突き動かされるものがないように感じるからだ。


 しかしポリスの音楽性というのは、「現代の孤独」みたいなベタな主題性を、張り詰めた緊張感の中で広々とした世界の有り様を映し撮るように聴かせてくれるように思える。

 もっとはっきり言ってしまえば、「危機的な世界」みたいな、そういう切羽詰った終末観を根底に見る思いがするのだ。

 そういう世界の描き方のなかに、世界が滅びるまで普遍的に映され続くようなロマンティシズムを、僕は感じ取る。





みんな、何を求めて、大挙して京都へ向かうのか?

Posted by Hemakovich category of Diary on


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 長引く大雨のせいかどうか分からないが、抑鬱に襲われ、ここ数日調子を崩している。

 基本的には今は鬱に陥りやすい脆弱な時期なのだと思うのだが、きっかけはたぶん、急に来月京都へ行かなければならない所用ができて、そのことが原因でいろいろ気を病んだせいだと思われる。


 今からちょうど一ヵ月後、京都市内に泊りがけで行かねばならないことになって、宿泊するホテルを検索してみたら、完全にどこも満室なのだ。
 じゃらんとか楽天とか、思いつく限りあらゆるサイトで試みた。普通の旅館・ホテルからペンション、外国人滞在用のゲストハウスまで、予約が可能なあらゆる形態の宿泊施設、個室・相部屋を問わず、とにかく泊まれたらいいので散々手を尽くしてみたが、泊まれるところが一つもない。

 今までにこんなことは初めてだったので驚いた。宿泊予定日が連休に重なるので混んではいるだろうが、一ヶ月先だし、ビジネスホテルぐらいは空いてるところもあるだろうと思っていたのだが。

 
 いくら紅葉の行楽シーズンとはいえ、なんでこんなにみんな京都へ向かうんだ? みんな、何を求めて、そんなに大挙して京都へ行くのか。


 8年間京都で大学生活を送った僕には、京都に対して何の魅力も幻想もないので、こういう行楽パターンが理解することができない。もし京都での8年間の生活がなかったら、やはり僕も京都へ行きたいと思うのだろうか。
 だが毎年周期的に訪れようと思うほど、京都にそれほど魅力があるんだろうか。

 学生時代に京都の嫌な部分をたくさん見てきたので、そしてその嫌な部分は僕の中では京都の持つ魅力よりも量的にも質的にも勝っているので、正直僕は京都が嫌いである。

 卒業してからも学生時代の友人に会う都合ゆえに何度か再訪したけれども、数年前の冬を最後に京都はもういいと完全にどうでもよくなった。今回、取りやめにできない急な所用で訪れるのはそれ以来である。

 
 京都市は学生という身分で期間限定的に住むには良い所かもしれないが、元々の郷里から離れてわざわざ定住しようとするなら最悪の場所だと思う。それは気候条件などではなく、土地柄や昔からの住んでいる人々の心証からそう感じるのだ。

 「京都は日本で一番差別が激しい土地だ」と公言して憚らない人たちが一部に存在する。教師だった父の友人で、人権教育の授業ではっきりと資料にそう明記した人がいた。
 僕からしてみれば、差別が激しいというよりも、それ以前に人情が冷たい土地柄だと思う。学生には好意的だが新参の定住者にははっきりと冷たい。

 そして何よりも、すべてにおいて伝統を誇示する。逆に言えば、非常に保守的・排他的だということだ。


 学生に好意的だというのは、要するに彼らの存在が京都の経済を潤すからである。あれだけ多くの大学が集中しているのだから、市内の学生人口はかなりの割合に及ぶ。今はどういうようになっているのか分からないが、僕が学生の頃は下宿先に敷金の上に礼金も払っていて、それが取り過ぎだということで一時期訴訟まで起こった。

 学生というのは基本的に親の金で遊んで暮らす存在なので、彼らの強大な購買力は毎年安定的に需要をもたらす。ただし学生はバイトもしたりするので、社会人に比べれば安いコストで働かせられる貴重な労働力にもなる。

 京都は日本で有数の観光地であるが、観光収入もさることながら、人口の何割かに及ぶ学生たちの支出と労働にかなりの部分で経済的に依存しているのではないかと僕は思っている。


 僕が学生期間中、一番長く働いたのは鮮魚店だったが、その店は店頭で魚を売るだけでなく、焼いたり刺身にして調理したものを器に盛って注文した客に配達するという特殊な営業形態だった。
 客層の大部分は何代も昔からここに住んでいる人たちで、何らかの伝統産業を家業に営む家が多く、金持ちが多かった。
 僕が京都の人々の心証を理解するに至ったのは、その魚屋でバイトを始めてからであった。

 客の性格は、住んでる地区と家屋の古さや新しさを見れば、大体のことが予想することができた。

 どんな古そうな小さい家の主でも、長屋風の並びの一角に奥行きが長く間口が狭い家屋の住人は、昔から代々住んでいる旧家であって、地域で発言力も強く、鮮魚店からは大事な客とされた。そしてそういう家の住人に限って、よそ者の学生アルバイターには冷淡だった。
 逆にどんな綺麗な新築の一軒家であっても、明らかによそから越してきたと分かる家の客に対して、店の対応は雑だったし、そういう家の人たちはバイトの僕に過剰とさえ感じるほど優しく接してくれた記憶がある。
 ただその優しさというのも、古くからの家と「新参者」の住人との対比の上でそう感じられたものであり、だから概して京都の人々は冷たいと受け取ったのだろう。

 
 学生時代を思い出して、もう一つ京都に特徴的であるように感じられたのは、精神科クリニックの乱立であり、しかも患者から見れば質の悪そうな精神科医がたくさんいたように感じられたことである。

 学生時代に鬱病らしき兆候が表れたから、僕はかなりの数のクリニックを「ドクターショッピング」した。本当に良い医者だと思えたドクターは2人だけで、一人は精神分析をやっていて、もう一人は古くからの入院病棟を持った精神科医院の勤務医で、2人とも女性だった。

 精神科医というのは元々個性的でちょっと変わった性格の人が多いのだが、他の府県で受診したときよりも、京都ではそれが顕著に感じられた。
 個人的な経験でいえばヒゲを蓄えた医者とよく巡り会った。TVドラマ化された『名探偵ポワロ』のある一話で「立派なヒゲの持ち主は、偉大な自己顕示欲の持ち主です」というポワロのセリフがあったが、まったくそのとおりで、性格の癖はかなり複雑なのだが、患者に対して高飛車で、かつ冷淡で、やたらに薬を出す医者が多かった。

 「学生は悩んで当たり前」という口癖で、個別的な悩みを世代論に還元して、やたらと説教が好きな医者もいたし、留年したことを診察で話すと爆笑して、こちらの殺意を催したようなヤブ医者もいた。

 そういう常識から外れた人間が多かったからドクターショッピングせざるをえない状況が発生したのだが、そういうクソ医者でも、常に診察に多忙を極めるほど患者を集められたのは、京都で経営していたから、という好条件があったからだと思う。
 僕が学生の頃は精神科受診に対する世間の人々の抵抗感は今よりもっと強かった。だがそれでも精神科の敷居を跨いでいくのは、精神科的な疾病が生じやすい若い人たちで、学生人口が飛び抜けて多い京都では、医者の質がどうであれ、精神科クリニックへの需要は恒常的に高い傾向にあると思う。

 これを端的に言えば、どんな小さなクリニックで特に評判が良いわけでなくても、学生だらけの京都市内でクリニックを開業すれば、どんな精神科医でも絶対食いっぱぐれない、という原則があると言える。

 
 もしかしたら京都という街は、観光客以上に大勢の学生たちが数年に渡って金を落としていくところなのかもしれない。

 
 よく京都の料亭に関して「いちげんさんお断り」というように総称するイメージがある。これを京都の土地柄や人情を表す意味で言うなら、「いちげんさん」というのは要するにそこで根を下ろした古くからの住人ではない者すべてが当てはまるように思う。少なくとも、三代続けて住んでみなければ新参者の扱いを受けるような街のように、僕には感じられた。

 茶道だとか華道だとか、そういう伝統芸能の総家元を結集していて、伝統的な仏教教団の本拠地がある。口は悪いが、偉そうにみえる形でのさばっているのも京都の特徴である。大学で能楽部の友人がいたが、安くない受講料をその偉そうな人たちに収めて偉そうに教えられるわけだが、僕にはそういう京都との関わり方が嫌悪でしかなかった。


 伝統だらけの街に御所という伝統ヒエラルキーの最高峰があるわけだから、伝統という名前がつけばすべてにおいて畏怖の対象で、政治的には高度に保守の領域に属している。
 だから純潔なしがらみとは無縁な者への寛容を欠いているわけで、そもそも京都の基本的な土地柄を構成するのは排他性と看做すのが適当だと、この一面に僕は執着してしまうのである。


 そういう排他的でなんだか偉そうに古臭さを誇示する街に対して、おもねるように全国から観光客が詣でて、ことの学府に憧れる学生たちが集まり、やたら外国人観光客がフレンドリーに歩み寄ってくる。

 京都的なるものとそれ以外との間の、そのギャップが、僕には奇異に感じられてしかたないのだ。


 数年前の冬に京都はもういいと思って、再訪するのをやめたと僕は最初に書いた。だがその理由は、ここまでさんざん書き連ねてきた僕が思う京都の嫌な部分がその根拠になっているのではない。

 日本はとことん景気が悪いのに、京都に来るとその日本の景気の悪さが全然感じられない。それが「なんか違う」と思ったので、京都での学生時代に対するノスタルジーがなくなって、もはや過去の自分がいた京都と同じものではないとケリがついたので、訪れる意味もなくなった。

 大都市の賑わいはどこにしたって、シャッター街の閑古鳥が鳴く田舎と比べれば、景気の悪さなんてものは反映しないものかもしれない。

 だが京都の場合は他とは別なように僕には思える。その理由は僕の中でははっきりしていて、それは親の仕送りで遊んで暮らす学生たちの姿、その若さを見ていたら、景気の悪さなんて関係なく、それが一番の雅な輝きを放っているように思われてならないからである。

 たとえそれが、居心地の悪い時代のほの暗さと逆行するような、不自然な明るさだとしても。

 そして、学生たちの若さの中に、景気の悪さ、僕にとっての灰色の気分なんて吹っ飛ばすようなものを見て、嫌悪しながらも羨ましくて思うのも、同じ京都の街で嘗ての僕は日本の景気の悪さなんて関係なく、親の仕送りで遊び暮らして、何からも自由であるような、そんな幻想の中で生きていたからに違いない。





-2

Posted by Hemakovich category of Poetry on


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“Schizophrenia”      “Depression”




   息を 抹殺するように     透明。


   蒼白い命の火を 凍結させた       アノニマス。

  
   
     永久か、


     それに  ずっと 近く。


命が  あるかぎり


          いつまでか

          どこまでか ・・・・・・。




実感のなかで、

ひとり。


実感。
                  
半分こ  もできずに、
            
ひとり。


ふたりではなく、

なおも      ひとり。
 



「ひとりどうし。」

                                                                       

                
ある日   唐突

                         
送られてきた  「名前」。

                    
           
名づけられた  「名前」

隔てられた   「名前」


                             
罪人の彫り物か 黄色いユダヤのバッジみたいな  


                逃れようのないリアリティ   街角の中で人々に紛れ込んで



「名前」。

   



      別々の名前。

      
      決して

      知られてはならない名前。

  
         そして

            知ってくれている名前。

   

   別々で  生きなくてはならないけど


       ときどきは  別々のまま

            誰もいない 平日の夕刻のカフェ 

                           
                   一緒にいる   名前。


              
                      
                     人々の中から

                     -1。


                     -2にもなれない、

                     -1が  ひとりずつ。


                     -1と

                     もうひとりの  -1。




                          -1と-1が

                          ひとりずつ。

              
                          いま

                          ここで

                          ひとりずつで                                           


                                   ふたり。

                         
いつか

             ふたりで

                    
       この世界のなかで

              -2になることを          待ちわびながら。






「・・・・・・ひとりどうし?」






   教えてくれ、


   「恋人よりも  夫婦なんかよりも

        もっと   深い感じがするわ・・・・・・・」



         って、


         どういう意味なんだい?






Despair at blind populace suicide factory

Posted by Hemakovich category of Quote on


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 俺はほとんど失望した。そして俺のまわりの奴等を見た。

 鎖で縛られていることも知らんでいるような奴が大勢いる。よし知っていても、それがありがたいものだと思っている奴も大勢いる。ありがたいとまでは思わないが、仕方がないと諦めて、やっぱりせっせと鎖を造っている奴も大勢いる。鎖を造ることも馬鹿らしくなって、見張りのすきを窺ってはちょいちょい手を休めて、自分の頭の中で勝手気儘な空想妄想を画きながら、俺は鎖に縛られているのではない、俺は自由の人間だ、などと熱にうかされてたわ言を言っている奴も大勢いる。馬鹿馬鹿しくって、とても見ていられたものでない。

 急に俺は目を見張った。俺は俺の仲間らしい奴等を見つけたのだ。

 人の数も少ない。かつあちこちに散らばっている。しかしこいつらはみんな、主人の手の中にある、みんなの胃の腑の鍵ばかりを狙っているようだ。そして俺と同じように、自分等ばかりの鍵を奪いとることはとてもできないと観念してか、しきりと近所の奴等にささやいて、団結を説いている。


 「主人の数は少ない。俺達の数は多い。多勢に無勢だ。俺達がみんな一緒になって行けば、一撃の下に、あの鍵を奪い返すことができる。」

 「しかし正義と平和とを主張する俺達は、暴力は慎まなければならぬ。平和の手段で行かなければならぬ。しかもそれで容易くやれる方法があるんだ。」

 「俺達は毎年一度、俺達の代表者を主人のところへ出して、俺達の生活の万事万端をきめている。今でこそ、あの会議に列なる奴等はみんな主人側の代表者だが、これからは俺達の方の本当の代表者を出すことに勉めて、あの会議の多数党となって、そうして俺達の思うままに議決をすればいいんだ。」

 「みんなは黙って鎖を造っていればいい。鎖をまきつけていればいい。そしてただ、数年日に来る代表者改選の時に、俺達の方の代表者に投票をすればいいんだ。」

 「俺達の代表者は、だんだん俺達の鎖をゆるめてくれると同時に、最後に、俺達の胃の腑の鍵を主人の手から奪い取ってしまう。そして俺達は、この鎖を俺達の代表者の手にあずけたまま、俺達の理想する新しい組織、新しい制度の工場にはいるんだ。」


 俺は一応、もっともな議論だとも思った。しかしただその数をたのみにしているところ、また自分よりも他人をたのみにしているところなどが、どうも気に食わない。そしてそいつらが科学的だとか言っているその哲学を聴くに及んで、こいつらもやっぱり俺の仲間ではないと覚った。


 こいつらは恐ろしい Panlogists だ。そして恐ろしい機械的定命論者だ。自分等の理想している新しい工場組織が、経済的行程の必然の結果として、今の工場組織の自然の後継者として現れるものだと信じている。したがって奴等は、ただこの経済的行程に従って、工場の制度や組織を変えればいいものと信じている。

 もっともどっちかと言えば俺も Panlogists だ。機械的定命論者だ。けれども俺の論理の中には、俺の機械的定命論の中には、大ぶいろんな未知数がはいっている。俺の理想の実現は、この未知数の判然しない間、必然ではない。ただ多少の可能性を帯びた蓋然である。俺は奴等のように将来の楽観はできない。そして将来に対する俺の悲観は、現在における俺の努力を励まさしめるのだ。

 俺のいわゆる未知数の大部分は人間そのものである。生の発展そのものである。生の能力そのものである。さらに詳しく言えば、自我の能力、自我の権威を自覚して、その飽くところなき発展のために闘う、努力そのものである。


 経済的行程が、俺達の工場の将来を決する、一大動力であることは疑わない。けれどもその行程の結果として、いかなる組織と制度とをもたらすべきかは、かの未知数、すなわち俺達の能力と努力とに係わるものである。組織といい制度という、それは人間と人間との接触を具体化したものに過ぎない。零と零との接触、零と零との関係は、いかようにしても、要するに零である。

 けれども俺は、今日すでにできている組織や制度に対しては、そのほとんど万能ともいうべき大勢力を、慄然として怖れざるを得ない。その破壊を外にして個人の完成を称うるがごとき奴等は、夢の中に夢見る奴等である。

 なまけものに飛躍はない。なまけものは歴史を創らない。


 俺は再び俺のまわりを見た。

 ほとんどなまけものばかりだ。鎖を造ることと、それを自分のからだに巻きつけることだけには、すなわち他人の脳髄によって左右せられることだけには、せっせと働いているが、自分の脳髄によって自分を働かしているものは、ほとんど皆無である。こんな奴等をいくら大勢集めたって、何の飛躍ができよう、何の創造ができよう。


 俺はもう衆愚には絶望した。

 俺の希望は、ただ俺の上にかかった。自我の能力と権威とを自覚し、多少の自己革命を経、さらに自己拡大のために奮闘努力する、極小の少数者の上にのみかかった。

 俺達は、俺達の胃の腑の鍵を握っている奴に向って、そいつらの意のままにできあがったこの工場の組織や制度に向って、野獣のように打っつかって行かなければならぬ。

 俺達は、恐らくは最後まで、極小の少数者かも知れぬ。けれども俺達には発意がある、努力がある。そしてこの努力から生じた活動の経験がある。活動の経験から生じた理想がある。俺達はあくまでも戦闘する。

 戦闘は自我の能力の演習である。自我の権威の試金石である。俺達の圏内に、漸々になまけものを引寄せて、そいつらを戦士に化せしめる磁鉄である。

 そしてこの戦闘は俺達の間の生活の中に、新しき意義と新しき力とを生ぜしめて、俺達の建設しようとする新しい工場の芽を萌ましめるのである。


 ああ、俺はあんまり理窟を言いすぎた。理窟は鎖を解かない。理窟は胃の腑の鍵を奪い返さない。

 鎖はますますきつく俺達をしめて来た。胃の腑の鍵もますますかたくしまって来た。さすがのなまけものの衆愚も、そろそろ悶え出して来た。自覚せる戦闘的少数者の努力は今だ。


 俺は俺の手足に巻きついている鎖を棄てて立った。



大杉栄 『鎖工場』抄 (改行は引用者による)





「おもてなし」という空疎さの背後にある本性

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 『B     o     d     y』という詩を、星空文庫と自サイトに投稿・アップロードした。


 「死体」について描いた作品である。

 もう何年も前に書いた2つの詩を組み合わせて、リライトして完成させた。それを書いた当初は「死体」についての作品ではなかったが、読み直してみると、これは「死体」を意味するんじゃないかと気がついて、それに近づけるように手直しして、合体させた。

 星空文庫に投稿する寸前に、伊豆大島の災害のことを思い出して、「死体」をこんなふうに主題に置くなんて不謹慎じゃないのか、と言われそうなことを予想したが、僕の詩を読む人なんてせいぜい数人だろうし、初めから僕の作品を好んで読もうと思ってくれる人は、そういうことを問題にしない人だろうと思ったので、気にせず投稿した。

 具体的な「死体」のことを思い浮かべながら描いた作品ではなく、ただ単純に、「死体」にも自我があると想定するならばこういうことになるんじゃないかと、発想の切り替えを想像しながら作ったものである。

 ただ、この作品を描きながら思い出したのは、広島・長崎の原爆死者のことだった。

 原爆で死んだ人の中には、閃光と爆風でそれこそ一瞬のうちに、自分に危害が加えられたことを何一つ認識しないまま死んでいった人も多いだろう。
 もし魂の不滅を前提とするならば、死という事実に葛藤や矛盾が生じるとするなら恐らくこういう感覚なのではないかと思った。だからといって被爆死者のことを意識して描いた作品でもない。


 伊豆大島のことと「死体」の作品を描くこととのモラル批判ということに話を移すと、日本人はほんの少し長い時間をかけて物事を忘却して問題を蔑ろにするのが得意な民族なので、あまりそういう心配をすることすら虚しいのではないかと思った。

 いま、たくさんの人がボランティアに向かおうとしたりしてるわけだけど、半年もすれば多くの日本人がこの災害のことに気を留めることなんてなくなるだろう。そういうことが自信を持って断言できるほど虚しい話である。

 
 僕は震災が起こった約半年後の夏にプサンに旅行した。街角でギターを弾いている日本人がいて、お金を入れてもらってるギターケースに福島を応援するという旨のことが書かれてあったのだが、そのとき「いまだにこういうことを書く人がいるのか」と思った自分自身の感覚に僕はひどく罪悪感を持ったものであった。

 僕が「いまだに・・・・・・」と思った背景には、その頃の日本のパブリックな域で、もうすでに福島のことなど表立って考えるそぶりすらなくなっていた、ということを反映していたのだと思う。僕自身が福島を考えていなくて、世間が福島のことを盛んに意識していたとするならば、「いまだに・・・・・・」という意識が起こりうるわけがないからだ。

 原発事故の影響は震災直後とほとんど問題性は変わっていないと思う。少なくとも福島県民や被災者の生活の中では問題が激減したわけではないだろう。

 なのにオリンピック招致に成功すると、あの浮かれようである。

 問題が収束の目処がついたわけでもまったくない。ただ時間が少し長く経過しただけである。仮に震災から半年後の時点でオリンピック招致に躍起になる者がいたとすれば、それはたぶん大きな避難を浴びたことだろう。だが当事者の状況は何も変わってない、むしろ毎日大量の汚染水を垂れ流しているという事実が在るのに、時間が経てばどんな問題も蔑ろにできるのが日本人の特徴である。


 たぶん7年後には、「おもてなし」なんてスローガンすら多くの日本人が忘れているんじゃないだろうか(僕はこの言葉ほど吐き気のするものはない)。

 とにかく時間の長さでどんなことだって忘れるのだ、問題を静かに都合よく破壊させていく意味で。

 
 そして、そういう時間の長さに比例させて物事を蔑ろにする姿勢は、政治的にはむしろ意図的にやってるのだから堪らない。

 北朝鮮の拉致事件なんてその典型だ。人気のなくなった政権浮遊の機会として、元テロリストを来日させたりして話題にはするけれど、この問題を解決させる意志なんて全然ない。横田夫妻もようやく自分たちが政治的に利用されてきたことが分かってきたような節も見られるが、なぜ最初からあんな極右連中と手を組むことに杞憂を感じなかったのか。


 震災のことに話を戻せば、「なでしこジャパン」とか言い出した頃からすでに「忘却=考えないようにする」態度が始まっていたと思う。「被災者に勇気と希望を与えた」とか、たぶんそういう類のことを言ってたと思うが、そうではなく、被災しなかったものに忘却を与え、為政者と東電に責任を不在にさせるチャンスを与えた、というのが実際の話であろう。

 彼女たちが国民栄誉賞を得たのは彼女達の努力と運の賜物だろうが、為政者や東電や大手メディアにとっては国民栄誉賞に値するほどに、震災から国民の眼を離れさせるための「貢献」を担ったのである。

 そういう意味では国民の大多数も同罪である。女子サッカーの健闘があれほど持て囃されたのも、「もういいかげん震災や原発事故と関わりたくない」という心理が働かなかったとは、僕は絶対に思えない。人々もまた、国家的慶事による被災地への無関心と思考停止の機会を自ら望んだのだと、日本人の一人として僕は確信する。


 だからこの国の中から希望を見い出そうとするならば、人々が意識の外に追いやったものを敢えて認識しようとするこだわりの中にこそ、希望があるという気がする。





モラル・アポリアが立ち現れる場所

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 『韓国がわかる60の風景』(林史樹・著)というのを借りてきたが、期待を込めて読んでみたらスカだった。最近図書館で本を借りてくると、必ず一冊は面白くない本と対面する。


 日本人と韓国人の決定的な習慣の違い、価値観の差異について述べてあるのだが、著者の日本人的な審判的態度で意見が述べられているので、どうしても相手のネガティヴに映る部分に対して批判めいた論じ方をしてしまってる。逆に言えば、著者にとって肯定的に映るものは褒めてたりするのだが、外国文化について書くつもりならば非審判的態度で臨むのべきではないのか。

 また、実証的な根拠もなしに著者の個人的体験に基づいて書かれてる要素が強いので、どうしても十派一絡げのような偏見に映ったりもする。おまけにその個人的体験というのも1990年代前半の韓国のことだったりするので、韓国の急激な変動を考えてみれば、時代遅れではないのかという思いもする。

 著者もその辺は意識しているので、自分の書くことが全て事実とは限らないというような言い訳も残してあるのだが、この本が韓国未経験者にとっての良い入門編になるかどうかとなると、全然適書ではないと僕は思う。ある程度韓国人慣れしている人にとっては面白いかもしれないが。

 それに著者の価値観が日本人の一般的感覚かといえば、それもちょっと違うようで、「日本の男は生涯に三回しか泣かない」のが普通だと言ってるような、ちょっと変わった人なので、普通の日本人のモラルを代表してるとも言い難い。なにせ猟奇的な映画を見ると猟奇的な殺人事件が増えると信じているような、ユニークなオジサンだから。

 著者は外語大の講師なのだが、いったい何を教えているのか、経歴を見ても分からない。ひょっとして語学を教えているのだろうか。僕は大学卒業までの8年間、毎年語学の授業を受けたけれども、大学の講師で飛びぬけて変り種が多かったのは明らかに語学教師だった。「ヨーロッパではこんな暴力的なものは見ない」と言って、家庭教師をしていた生徒にドラゴンボールを見せないようにした、という「てがら話」を誇らしげに語るドイツ語教師のことは今も忘れない。


 普通に読んでみたらこの林某先生の本も面白いのかもしれない。だけどつい先日、四方田犬彦の渾身の名著を読んだばかりなので、どうしても比較してしまい、林某先生の方が面白くなくなるのは分かりきっている。

 四方田の場合、映画評論をしている属性もあるのかもしれないが、外国文化の価値観に対しては非審判的である。違和感を感じたとしても、それは相手のアイデンティティに属するものとして、そこに日本人的な評価を加えることなど、先日の著書では全くなかったように思う。その辺が僕にとっては好感を感じたのかもしれない。


 外国文化に触れる場合、自分の母国の価値観でそれを審判できるものではないことは言うまでもないが、では人は外国や異質な存在に相対した時に、自分とは違う評価尺度を批評する場合、どのような手段でそれを批評しようとするのだろうか。

 自分とは異質なものについて倫理的に評価する場合、自分の根拠となるモラルはどこから現れてくるものなのだろうか。

 そのことについて、僕は自分自身の場合は何なのだろうかと昨日から考えている。


 僕はこれまでの人生のある一時期から、自分にとっての価値観のようなもので人を評価することを、外国人はおろか、身近な他人に対しても辞めてしまってる部分がある(政治家とか福祉の専門職者は例外であるが)。
 だから、日本人的な尺度というのも自分にとってそれが日本人的であると認識した段階で、相対的な評価尺度として僕の中ではあまり意味のないものになってしまう。
 僕は信仰を持っているわけでもないし、自分のことをあまり道徳的な人間とも思わない。

 他者に対して何かを前提として評価することを僕は気持ちのいいこととは思わない。なぜなら何かを前提として自分を評価されることをひどく嫌っているからである。

 好きか嫌いか、面白いか面白くないかは明確に感じ取れるわけだけれど、倫理的な評価尺があるかどうかとなると、明確に是非が分かる程度のもの以外を批評判断する根拠は、自分の中にほとんど何もないというような思いがしてくる。


 強いて言えば、心身やの社会的立場の強弱に関してマイノリティな方向に向かってしまう人や行為に対して、幾分同情的だとは言えるかもしれない。たぶんそれは、小児喘息に苦しんだ幼児期の体験に根ざしたものだろう。

 だからといって、マイノリティならすべて擁護するわけでもない。自己顕示欲の強い場合のセクシャルマイノリティに対しては案外冷めてしまったりする。ただし嫌悪感を感じる対象を社会的に擁護することは僕の中でまったく矛盾ではない。


 僕は基本的に自分が意識してるものに関しては、自分がそれらを評価することに関して、根拠無き絶対的な自信を持ってしまう傾向がある。誤りだらけの人間ではあるが、だからこそ簡単に他人の落ち度を裁くことには世間と比べてみれば寛容な方だとは思う。だが何を根拠に自分の規範意識が成立するのか、それがよく分からない。

 なのに、自分が意識できるものに対しては、自分の審判的な態度には誤謬は生じないと、絶対的自信が僕の中に生じる。それはたぶん、何かを審判的に評価したとしても、実際に他人の目に見える形で僕が働きかけることはほとんどありえない、ということが自信の理由になっているのかもしれない。他人に分からなければ、自分のアプローチに変化を見つけられなければ、結局は同じことだと思っているからかもしれない。それが正しいことなのかどうかは分からない(再度念を押すが、政治性が絡んでくると話は別である)。


 一つだけ確実に言えることは、僕が意識しえないものに対しては、僕はなんの評価もできない、そしてついに僕の中で意識されるに至ったばかりのものに対しては、僕はそれを評価することの行為そのものを一時停止させるだろう。そのとき初めて、僕は少なくとも倫理的な意味合いにおいては、非審判的なものと遭遇したと言えるのだと思う。


 なぜなら、他人の中に日常意識されないものは、ほぼそのすべてと言っても構わない割合で、そこにはなんらかの「不幸」が見つけ出される場合が多いからである。

 価値が見い出され易いものならば、とっくに顕在化して誰かが何かを言い尽くしてるものだと僕は思っている。

 意識されうることが困難なものがマイノリティであるのか、マジョリティの合間の見えない隙間にあるのかは分からない。

 しかし、人の意識のうちに昇らないことそのものの在り方が、すでに「不幸」と呼びうるに値する姿を呈していると言えるのではないだろうか。





追い出し部屋解放戦線の攻防

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 三岸USJ連邦軍がブラック・ハタミ新自由同盟をオルグして掃討作戦を開始して以来、反「解雇特区」抵抗ゲリラの拠点包囲網は膠着状態に陥っている。


 汚い連中だ。

 奴らときたら、聖地ナマホの女子供がいる木賃キャンプでさえ決して容赦なく、略奪し、焼き払っていく。




 このごろはやけにIPモルガン無人戦闘機によるフレックスタイム機銃掃射が多い。


 おとといの夜、この無政府無税株主地帯でもっとも反革命的な「解雇特区」ホールディングスの野郎どもが、おれたちをパワハラスター爆撃しようと停職エリアを侵攻してきやがったので、労基署兵站ラインから撃退した。


 和平工作として、「解雇特区」強靭化党の「解雇特区」元総裁が訪れたが、くだらない茶飲み話の面接に終わった模様だ。




 昨日一日は各地で「解雇特区」による「勤労感謝の日」攻勢に襲われた。


 北半球が「解雇特区」だらけになったので、ゼネコン共栄圏をロスジェネットF2Fに搭乗して、あてどもなく脱出し、孤立した飯場トーチカは全滅に至る。


 「解雇特区」ワンコール日雇い戦で負傷した同志は途中で放棄していかねばならない。撤退中に洗脳されて、「解雇特区」季節傭兵として寝返って蘇生してしまうからだ。





 後方の味方は敵のリフレ装甲戦車に自爆ドカチン攻撃を繰り返し「解雇特区」リテイリング民兵に打撃を与えつつ、白色エグゼンプション・テロルによる苛烈な反攻を阻止し続けている。


 第三十二ガテン師団非正規混成義勇軍は、いったい、いつまで持ちこたえられるだろう。




 「解雇特区」だらけの世界を、「解雇特区」をひたすら殺し続けながら、制住権を失ったわれわれは新たな解放職域を目指さし、ゼロゼロ物件方面戦線を転進せねばならなかった。




 「解雇特区」のいない世界なんて、もはやどこにもなかった。





 塹壕デスクの下で、わが同志グラウチョ・マルクスによって著されたPHF文庫『ニートと革命』を大事に抱え、最期の祈りを済ませてから、おれはもう、永遠に眠れる時間を待つ。







僕はもう一度韓国に行くべきかも知れない

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 今でもあるかもしれないが、むかし朝日新聞では「朝日百科」というシリーズを刊行していた。
 週に一回だったか薄い雑誌が送られてくるのだが、それを専用のカバーに綴じていくと百科事典になる、そういうシリーズである。


 僕が小学校の時から始まって、『世界の地理』、『日本の歴史』、『世界の歴史』と、3シリーズを購読し続けた。その次が『世界の自然』とかそういうのだったと思うが、そこからは購入をやめた。

 『世界の歴史』では、毎号の連載として世界各国の映画作品を紹介するページがあった。僕が四方田犬彦という映画史家の名前を初めて見たのは、彼がその連載を担当していたからだと思うのだが、かなり昔のことなので間違っているかもしれない。

 『存在の耐えられない軽さ』という映画の中で、たしか「わたしたちは弱い人間です。だから弱い人たちの国に帰るのです」というニュアンスのセリフがあったと思う。この部分に注目したエッセイを書いたのも四方田犬彦だったとような気がする。それを読んで興味を感じた僕は、クンデラ原作の、この恐ろしく哲学的なタイトルの長ったらしい映画を見ようと思えた。

 たしかそうだったと思うのだが。

 ほとんど書名も覚えていないが、僕は四方田氏が手がけた映画論を何冊か読んだように思うのだが、なにしろ若い頃は驚異的な量の読書が可能だったので、細かいところは全然記憶していない。

 大学に行っていたころ、一度だけNHKの教育放送で四方田氏が映画論を喋っているのを見たことがある。

 僕の好きなレオス・カラックス(Leos Carax)を紹介したときに、彼は「レオス・キャラックス」と発音したのだが、それがなんだかむちゃくちゃカッコよく思えて嬉しくなって、以来、僕は外国人と話すときに好きな映画監督を問われると、「レオス・キャラックス」と発音している。


 その四方田犬彦が岩波新書に上梓した『ソウルの風景―記憶と変貌』を、図書館から借りて読み終えた。




 最初は非常に細やかな文体に慣れるのにとても苦労した。とにかく叙述が非常に細かい。そしてカラックスを「キャラックス」と発音するような人だから、レベルも「レヴェル」と記述する具合で、そういう発音表記の通常の場合との差異が非常に目立って感じる。「オルタナティヴ」も四方田氏に言わせれば「アルタナティヴ」となるらしい。

 だが最後まで読み終えたら、久々に良い本に巡り会えたと、感動した。

 四方田氏は1979年と2000年の二回、向こうの大学の講師として韓国に長期滞在している。その経験をもとに韓国に対する洞察を叙述したのが本書の内容である。

 今まで幾つかの韓国について述べられた本を幾つか読んできたが、この四方田氏の著書が僕にはもっとも韓国への温かみや真摯さが感じられた。
 「アルタナティヴ」と発音表記するぐらいだから、その細やかさは作者の繊細さの反映なのであって、あくまで客観的な視点を崩さないのだが、韓国人の辿った民主化や経済発展に関して、四方田氏は自分の内側で受けとめているような、そういう真摯さがある。彼は日本人として韓国を見つめているのだが、その視線には日本人というアイデンティティを越えて、深く相手の中へ共感していく、そういう気持ちが読者に伝わってくるのだ。

 一番興味深かったのは、四方田氏が従軍慰安婦の集会に訪れて、元慰安婦たちが暮らしている「ナヌムの家」に訪れたことを書いた章だった。

 元慰安婦の女性たちは若い頃から連れ去られて辛酸の極みを経験せざるをえなかった。彼女たちをいわば「受難の英雄」として語る風潮の一方で、元慰安婦たちは未熟な人格に留め置かれたまま、我儘であったり、よく喧嘩したり、そういうエピソードがありのままの事実として記述されている。
 だが、四方田は彼女らのそういった複雑なパーソナリティを肯定的に受けとめ、むしろその中に自分が励まされる思いを感じたりする。

 一人の元慰安婦から「日本の羊羹を食べたい」と言われて、彼は次に彼女と出会う機会に東京の三越で買った羊羹を持って会いにいく。
 四方田はその女性と二度目に会ったとき、ほとんど会話せず、ただ二人で羊羹を食べるのだが、「なぜもっといろんなことを訊いたりしなかったのか」との後の友人からの指摘に、「わたしは彼女と二人で羊羹を食べるということ以上に他にどんなものが必要だったというのだろうか」と返答する。

 元慰安婦たちは長い沈黙の後に自らの過去を証言して、それは多くの本に纏められたりフィルムに収められたりしていて、十分すぎるほど我々は彼女たちの苛酷な事実を知っている。このうえ自分からの言葉によって彼女たちの過去を掘り返そうとすることにどれだけの意味があるのか。ただ時間を共有して、二人で羊羹を食べるということが、短い時間の中での、精一杯彼女たちと繋がる最善のアプローチだったと語るのだ。

 慰安婦に対して「民族の恥」として看做す者や非共感的な者たちの態度の中にも、四方田はこの戦争犯罪がどれだけ深く韓国人を傷つけたのか、その傷の大きさを見て取るのである。


 慰安婦のこと以外にも、金大中のノーベル平和賞受賞や光州事件、日本文化の影響や韓国文学についてなど、広範囲に触れられているのだが、どれも深く掘り下げられた真摯な視点のよって見つめられていて、みな感慨深い内容だった。

 本の終わりに、日本と韓国の両方の身分証の写真を四方田に見せながら、「いつでも日本人にも韓国人にも化けることなんて簡単だ」という若い在日韓国人女性のエピソードを取り上げられているのが印象的であった。四方田は彼女のしたたかさの中に、日韓両国を巡る未来に対しての可能性を見い出そうとして本書は閉じられる。

 韓国に対して深い愛着を持っている人はもちろんのこと、一度でも韓国に訪れたことのある人、行ったことはないが、韓国に関して他の本では見られない本質的な部分を垣間見てみたいと思っている人、そういう人たちには自信を持ってお薦めできる良書である。


 二年前にプサンを訪れて以降、いろんな国に関心があるのだが、これを読んでソウルにも行ってみたい、いや、行かなければならないかもしれないと思った。

 従軍慰安婦に関する本を読み続けているのだが、もっと体系的に韓国のことを学んでみたいという気持ちも起こってきた。

 実際に旅行しようとするには、海外の場合、とてつもない引力がないとなかなか出かけられないのだが。





「ノーベル賞でつかまえて」

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 村上春樹がノーベル文学賞を獲れなかったらしいが、いったい何回彼は候補として予想されてきたのだろう。もういいかげん、彼の受賞を何年も心待ちにしているのは日本人ぐらいではないのか。

 とは言いながらも、僕は毎回この話題が上るたびに「落選してくれ」と願っている。

 だってさ、村上春樹が受賞するぐらいなら、もっと他に選ばれてもおかしくない作家がいるだろう。もっとも、僕が「選ばれてもおかしくない」と思う人たちはみな物故者ばかりなのだが。

 最近、愛人の存在が明らかになった安部公房はノーベル賞の時期になると毎回雲隠れしていたという。受賞したくなかったかららしいが、熱烈な公房ファンの友人の説なので、本当かどうか。

 個人的には遠藤周作は絶対に選ばれてもおかしくないほどの、世界的な普遍性を兼ね揃えた作家だったと思うのだが、やはり『沈黙』でバチカンを怒らせたことが過小評価に繋がっているのだろうか。『沈黙』にしても、『海と毒薬』にしても、世界中のどういう人たちが読んでも主題になりそうな作品を描いてきたと思うのだが。


 村上春樹といえば、僕は彼自身の作品よりも、彼の作品をこよなく愛する人たちに共通する一種のナルシズムを想起させられる。それが正直、本当に嫌で・・・・・・。

 むかしお付き合いした女性の中にひとりだけ「ハルキスト」が存在した。
 彼女は上野千鶴子だとか中井久夫なんかも齧るような、衒学趣味を持ち合わせた人だった。僕はそういう衒学趣味が大嫌いで、当時彼女のことはそれなりに僕なりに愛したとは思うのだが、僕はどうしても彼女の前でインテリぶることができなくて、むしろ馬鹿であり続けた。
 彼女が僕を振って、次に選んだ男はタルコフスキーの『ノスタルジア』をウォッカのグラスをくゆらせながら語るような男だったので、そうか、そういうふうにふるまえばよかったんだな、と後から気づいたが、どうしても「ふるまっている」というのが衒学趣味の行動様式なのだから、僕に出来る筈もない。

 僕が通院している精神科病院の理事長は、40代なのだが未だに茶髪で、真っ赤なシャツを着てBMWに乗るような男で、彼もまた「ハルキスト」である。その理事長夫人がこれまた夫とは別にBMWを所有してて、元モデルで、病院の経理を担当しているのだが、病院職員の中でひとりだけファッションが派手で浮いてるので、患者からも職員からも実は評判が悪いのだが、どうやら岡崎京子のファンのようで、待合室の週刊誌と一緒に彼女の漫画が置かれていて、これがまた浮いているのである。

 旦那が「ハルキスト」で、奥さんが岡崎京子ファンで、どちらも年齢に不相応な振舞いのプチブルで、精神科を経営しているんだから、これはもう「最強」と呼ぶべきだと思うんだが、絵に描いたように「ハルキスト」環境に合致しすぎていて、僕には逆にグロテスクに思えたりする。


 海外のSNSなんかで知り合う日本大好きな人たちは、大抵が「ハルキスト」である。他に日本の作家を知らないんじゃないかと思うくらいに。そして海外の「ハルキスト」のほとんどが先進国の人々である。

 村上春樹というのは民主主義と近代化が飽和状態に達した先進国で、自我肥大化した人々に好まれる作品を描く人である。
 そして、そういった先進国以外の人々が圧倒的多数をしめる世界の現状において、第三世界に生きる人たちにとってはほとんど何の影響も与えない、そういうものしか描けない、実はキャパシティが非常に狭い作家だと思う。

 村上春樹を一言で喩えるならアップルの製品である。世界中の先進国のスノッブな人たちにとってスティーブ・ジョブスはカリスマ的な偉人のような扱いだが、コンピューターとは無縁に生きる圧倒的多数の第三世界の人々からすれば、何の意味もないのだ。

 端的に言えば、村上春樹の影響を受ける世界的な「層」というのはたかが知れていて、おそらくこれから先も世界中で普遍的な価値を持つ文学には至らないと僕は予想する。
 実際のところ、選定委員たちがどう思ってるかは知らないが、村上春樹がノーベル文学賞に至らないのは、その普遍性の無さに理由があるような気がする。


 歴代受賞作家の傾向がすべて当てはまるわけではないが、ノーベル文学賞は政治的か、強固に哲学性を帯びているか、あるいは土着的か、近代化以前の歴史を扱うか、そういった作風を持った人たちが受賞しているように思う。ざっくり言ってしまえば、世界中の多くの国々で最大公約数的に主題が共有されうる作家を選んでいるように思うのだ。

 近年で言えば、バルガス・リョサだとか莫言だとかは、まさに第三世界の人が、いま現在、またはいつの日か未来において読んだとしても、その作品に共感を持つことができるような作家だと思う。僕は莫言は最初誰なのか全然知らなかったが、映画『紅いコーリャン』の原作者と知って、「わかりやすい受賞条件だな」と思ったものだ。

 
 ありえない話だが、たとえ世界中全ての国に民主制と近代化がもたらされたとしても、村上春樹を読む人々の国というのは限定されると思う。彼の物語に現れる人々の自我だとか、生活スタイルから派生するものだとか、そういうのにカタルシスを感じる民族が限定されていると思うからである。つまり彼の小説は本質的にアメリカ発のグローバル文学であり、偏ったグローバリズムがどこにでも浸透するわけではない。

 村上春樹とは、単身で生きる都市生活者の自己愛とか神経症とかいう鏡像を反映した耽美的な意匠である。あるいはブランドと呼んでもいい。だが意匠によって魂の飢餓が満たされるわけではない。また、そもそも本当にそこに魂の飢餓を満たそうとする動機があるのか、そのへんも僕は疑わしいと思う。

 僕の友人に村上春樹と村上龍が大好きな人がいるが、『ノルウェイの森』での統合失調症に関する描き方はとても苦しく読んだと言っていたが、なぜなら彼は統合失調症を現実に病んでいるからである。
 
 だが、その統合失調症さえ美しい意匠にしてしまう辺りに、贋物を見る思いがするのである。

 島田雅彦が村上春樹の文学を「ファンタジーに過ぎない」と言ったとか言わないとか、そういう話があったが、僕がそれを言いえて妙だと思ったのは、主人公の恋人なんかが精神疾患を病んでるって設定がウケるとしたら、それってファンタジー以外なにものでもないよな、と思うからだ。

 ファンタジーは贋物だからファンタジーなので、単なるアイコン以上の意味がない精神疾患が彩られる物語のなかに収斂されるのは、スノッブか自己愛しかないとしか僕には思えない。



 ただ、ノーベル賞をもらったから、もらえないからどうだこうだというのは、正直言って、愛読者には完全にどうでもいいことじゃないのかと、僕が「ハルキスト」なら、そう思えて仕方ない。

 「ハルキスト」は、なぜ毎度毎度、村上のノーベル文学賞受賞にことさら騒ぎ立てるのか。そういう連中のミーハーぶりというのは、僕には東京五輪開催で無邪気に喜べるような心性とほとんど同一のものなんじゃないか。


 そういう一部の「ハルキスト」のミーハーぶりが、どうでもいい人にとってはうんざりして、村上春樹のステイタスを下げているようにしか見えないのだが、でもこの国では村上の新作が出ると「どれ、会社で話のネタになるからちょっと買ってみるか」みたいな人たちによってしか文化が支えていないものだから、たぶん村上の小説を全く読んでなくても彼がノーベル賞獲ったら、また五輪開催決定のときみたいに派手に舞い上がるんだろうな、この鬱蒼とした国の人たちは。





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