Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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横軸にも縦軸にも普遍的でその人一回限りの知

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 親父の書斎に眠っていた三木清の『人生論ノート』を読んでいる。新潮文庫の版だが刷られたのは僕が生まれて12日後である。

 先日、「人間の條件について」という三木の文章を引用したが、この『人生論ノート』の中にある文章はどれもこれも名文ばかりである。単なるアフォリズムの知的遊戯に留まらず、一つの命題から派生してゆく思惟の豊穣さが感じられる。

 たとえばざっくり簡単に抜粋すれば、生きていることが相対的なものであるのに対して死んでいるものは絶対的なのであって、「死者の生命」が信ぜられるのであれば、それは絶対的な生命であって、絶対的な生命とは真理に他ならない、といった具合で、誰も思いつかないところまで思考の射程が及んでおり、久しぶりに「哲学の本を読んでる」という気持ちにさせられる。

 三木清の文章は大変美しいのだけれども、なにせ親父が昔読んでいたものなので、あっちこっちに線が引っ張られている。
 これは実に具合が悪くて、一つ一つ読み進めながら自分なりに咀嚼しているのに、親父が既に線を引っ張っている文句やセンテンツになにか「真実が要約されている」ように錯覚させられ、親父が引いた傍線の部分にばかり集中力が奪われて、なんだか自分が読んでいる気持ちになれないのである。

 親父が持ってる本はすべて傍線が引かれており、これは親父の癖であるが、書物に傍線を引く嗜癖というのは後から読む者にとって迷惑でしかないように思う。


 『人生論ノート』の他にも野間宏の『歎異抄』現代訳など、僕が生まれた前後に親父に買われた本は傍線が膨大に頻出している。この頃、親父は結核を病んで、教職から離れて静養していた時期だった。だから親父は親父なりに膨大な傍線センテンスの中から何かを汲み取ろうとする思いが強かったのだろう。

 教育学部出身だった親父は卒業したら院に進んで哲学を勉強したかったらしい。だが母と学生結婚してしまったので、就職して金を得る必要があり、哲学への道を諦めることになった。
 ヤスパースが一番好きだったというが、親父の書棚にはヤスパースはなくて、その代わりハイデガーの原著やら解説本がかなりの数である。だから、この書棚を眺めながら育った僕が初めて名前を覚えた哲学者はハイデガーだった。

 親父の人生の中には、絶えず啓蒙に対する憧れとか飢餓感のようなものが強かったようだ。結核を病んだり、祖母が創価学会に入ったり、兄が生後数ヶ月で事故死したことも関係したのだろう。最終的に母方の祖父に影響されて神道に進んで、以来ずっと信仰を続けている。
 親父が信仰している教団をウィキペディアで検索すると、どういうわけか「秘密結社」として分類されている。僕からしてみれば、戦争世代の年寄りがグランドゴルフで憩うような感じの穏やかな集まりとしか見えないのだが。

 僕が大学を受験したとき、某芸大の文芸学科と某真宗系大学の哲学科の二つだけ合格した。どっちかといえば「芸大生」というステイタスに憧れていたし、途中で学科変更して映画を勉強したかったのだが、哲学に未練のあった親父の意向が働いたこともあって、僕は哲学科に行った。

 20代の頃は、この経緯のことで随分親父と確執が生じたものだった。だが結果的には芸大に行かなかったことで、僕は自主映画を撮影したり映像編集したりすることやら、文芸の同人雑誌を作ったりすることとか、全部独学で道を開くような習慣がついた。パソコンでwebサイトを作ったりしたこともその独学癖の延長だと思われる。

 ただし哲学の方はあんまり熱心に勉強しなかった。だから哲学のやり方で物を適切な方法で考える習慣を、僕は7年半の長期の学生生活の中でついに身につかないまま終えることになってしまった。

 何年も留年して親を泣かせたり、映画やら詩作やらいろいろと迂回したり、爛れるような恋愛に溺れて自殺の危機まで陥ったり、僕はまともな学生ではなかったのだが、僕が師事したゼミの教授は本当に寛容な先生で、迂回を続ける僕の軌道を肯定的に眺めて下さった人だった。最終的に卒論を書いて大学を卒業するところまでけじめがつけられたのは、そのH先生の寛容さに救われた部分が大きかった。

 初めてH先生とサシで話したとき、僕はキルケゴールなんて原著も読んだことがないくせに「救われない思想だと思います」と見得を切った。先生は大きく笑いながら「君の言う通りだ」と受け取ってくれるような人だった。このことがきっかけで少数の講義の中で先生はよく僕のことを他の学生に「彼は面白い男なんだ」と紹介していた。僕はただ頭を金髪にしたスノッブだけが取り得の男だったけれど。

 同回生がみんな卒業して、僕は卒論用のフランクルのテキストを毎日読み続けながら、不安な日々を送っていた。
 H先生が貸してくれたフランクルの『識られざる神』は根源的な深みまで降りていった息苦しくなるような本で、研究室を出たところの灰皿の前で冬の夕方の陽を憂鬱に嘆息し続けた日々を今でも僕は忘れない。
 
 苦しくなったらいつもH先生の研究室を訪れて、いろんな疑問をぶつけさせてもらったのだが、時には学校が閉門する寸前ぐらいまでずっと話に付き合って下さったことも一度や二度ではなかった。

 
 「哲学っていったいどういうものなんですか?」と、あまりに素朴で根源的過ぎる質問を大学6年目にしてH先生に尋ねてみたことがある。

 「そりゃあねえ、お前さん、横軸にも縦軸にも普遍的でその人一回限り、っていうもののことだよ」

 横軸というのは時間であって、縦軸というのはその人の一生だとH先生は説明してくれた。

 「ソクラテスは毒杯を仰いだけれども、あれはソクラテス以外の人間だったらダメだった。ソクラテスが毒をもって死すことが必要だった。それが哲学なんだよ」

 先にも後にもソクラテスでおしまい、ってことさ、と先生は答えた。

 またH先生は戦時中の話を例に出して、米の配給が食べ盛りの子供と食の細くなった年寄りが同じ量であったことなんて、人間がとことん悪くなった場合の愚の極まりだと指摘しながら、

 「そういう数学じみた発想を愚劣な人間が愚劣に応用する小賢しい所作に対して、唯一抵抗できるものがあるなら、それがたぶん哲学だ」とも語ってくれた。


 H先生が亡くなって10年近く経つけれども、僕は終に哲学を適切な方法で発想するってことを学ばないままに、先生の教えを請うことなく終わってしまった。

 ただ先生が教えてくれた「横軸にも縦軸にも普遍的でその人一回限り」っていう、あるべき姿を感覚として判断するセンスだけは僕の中に残った。

 だから売名目的の社会学者が振りかざすロジックの魅惑だとか、哲学者を名乗る学者たちの時代の小さな枠にしかコミットしない射程範囲の狭い浅はかさとかに、まんまと騙されるような愚か者には最低限ならなかった。

 三木清の『人生論ノート』を読んでいると、誰にでも有り得る事柄について、これほど根源的に考えて考え抜いて、誰にでも回帰しやすいような範囲の広い可能性を提示できるような人は、戦争が終わってからまだ誰一人として現れていないような気がする。


 それゆえに、今日も今日とて、僕は自分の満足のいく、世界の誰かのセンテンスを、のろのろと現状に辛抱し続けながら、決して自分が途絶えてしまわないように、探している。





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やがて冬季うつが訪れて、また「ラーメンたべたい」を聴く

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 昼間の日差しの傾きを感じながら、急速に肌寒く季節が変わってゆくので、僕が外出の車の中で聴く音楽も「夏仕様」から「秋・冬仕様」へと切り替わっていく。

 僕が「夏仕様」で聴く音楽はいろいろあるが、女性アーティストに限れば小島麻由美がその代表格だ。そして人肌恋しい「秋・冬仕様」になれば、断然ヘビーローテーションで僕が聴くのは矢野顕子である。

 ということで、矢野顕子の『ラーメンたべたい』を最近よく聴いている。


 ピアノ弾き語りアルバム『SUPER FOLK SONG』や『Piano Nightly』の収録曲を除外すれば、僕が一番好きな矢野さんの曲は圧倒的に群を抜いて『ラーメンたべたい』である。
 矢野さんのボーカルスタイルを形容するとき、僕は「日本のデビッド・バーンだ」というふうに表現することにしている(たぶん誰も同調してくれないが)。
 他に追随のないエキセントリックな歌い方だが、意外なほどにソウルフルを感じさせる。決して正統派のソウルフルじゃないのに、好きな人にしてみれば、これ以上感情が無防備で赤裸々にさせられるボーカルは他にない。

 だから僕は、矢野顕子こそが日本で一番ソウルフルな女性ボーカリストだと勝手に決めつけてる。そのエキセントリックなソウルフルが一番反映された彼女の曲こそが『ラーメンたべたい』だと思ってる。

 『ラーメンたべたい』を聴きながら過去の人生で一番よく思い出す事柄は、「引越し」である。

 当時、大学3回生の終わり頃だった僕は、京都市の上賀茂神社近くのアパートから鞍馬口のオートロック付きマンションに引越しをしてる時期だった。「時期」というのは、つまり前のアパートを引き払ったのに次のマンションにすぐには移れず、約一ヶ月ほど入居待ち状態だったからである。
 仕方なく荷物を複数の友人宅に預かって置いてもらいながら、僕はまだ冬の寒さの厳しい一ヶ月近くをいろんな友人の下宿を泊まり歩き、「居候暮らし」をしていた。

 『ラーメンたべたい』を初めて聴いたのはその居候期間であった。

 サークルの女性先輩の下宿にやっかいになったとき、彼女からこの曲を聞かせてもらった。厳しい冬の流浪生活中はいろいろと心細いことも多かったので、初めて聴いて「なんて励まされる力強い歌なんだろう」と随分感動させられた。それまで矢野顕子はYMO繋がりからちょこっと聴く程度だったが、これをきっかけに本格的に聴き入るようになった。

 だから『ラーメンたべたい』と言えば、僕の中では必然的に厳しい冬の寒さの中で切なさを噛み締めながら聴く歌、という扱いになっている。


 学生の頃から冬季うつ病を病みつつあった僕にとって、京都の厳しい寒さの中で一番の青春時代を送るということは「とてつもなくやみくもに頑張る」ということだった。だから僕にとって自分を励ます歌だった『ラーメンたべたい』は、学生時代の冬の季節以外に聴いた覚えがまったくない。

 僕は大学に7年半行って卒業したが、一番苦しいながらも頑張ったのは6回生の後期の冬だった。この頃は鬱に陥りそうになったら、必ず『ラーメンたべたい』を流しながら、「さあ、やるぞ!!」という感じで部屋の掃除を一生懸命こなしたような、そんなイメージを僕はよく思い出したりする。

 その頃、僕は大学を卒業するのに必死で、おまけに一年間想い続けていた片思いの恋愛を成就させるのにも必死だった。

 6回生だったから大学の中で一緒に入学した友人は当然一人もなく、講義を一人で受け続けるのは結構寂しかった。卒業論文の書き方を一緒に悩んでくれる友達もいなかったから、学科の研究室で来る日も来る日も孤独にテキストを修行僧のように読み続ける日々だった。

 一年間片思いで思い続けた女性は同い年の保母さんだったが、親の仕送りを電話代で散財していた僕は、頻繁に彼女と一緒に外食してお金を出してもらっていた。そういうのが情けないと思いながら、僕は生まれて初めて「決して諦めない恋愛」をしていた。今までに経験したことがないほど深く相手を愛したという意味では、一種の初恋ともいえる恋愛だった。

 児童養護施設で働くほどだったからしっかりした人だったが、僕の前ではよく泣いていた。それも大泣きするとかそんなのでは全然なく、会話の途中で二人が哀しかったり切なかったりするような雰囲気になると、ふっと唐突に黙って静かに無言で涙を流す、そういう感情の静謐な表し方をする人だった。

 彼女も矢野顕子が大好きで、僕の誕生日には黙って内緒にしたまま、そっといきなり『SUPER FOLK SONG』や『Piano Nightly』のCDをプレゼントしてくれたりした。


 12月、規定枚数の倍の量の卒業論文を無事提出した頃、僕は保母さんと付き合い始めた。そして僕が内緒で二枚買っておいた矢野顕子の「さとがえるコンサート」に二人で行った。

 ライブ自体も良かったのだが、それ以上にライブの帰り道の出来事が記憶に残った。あれはクリスマスの夜だったように思うが、手を繋いで歩いてると道で通りすがった大阪の悪ガキどもに「お兄さん、今夜はせいぜい楽しんでや!!」と大声でからかわれた。保母さんの方は苦笑いしていたが、僕は「本当に彼女と付き合ってるんだ」と幸せな感覚を再確認させられた思いで、からかわれることさえ嬉しかった。


 『ラーメンたべたい』を何度も聴いて完全に燃焼し尽くして、あまりにも頑張り過ぎたせいなのか、付き合い始めて3ヶ月ほど経って春が来る頃には、僕と保母さんは別れていた。
 1年間想い続けて、とてつもなく頑張った割には、あまりにもあっけない終わり方だった。

 大学の方も幾つかの一般教養の科目を落として、何回目かの留年を迎える羽目になった。

 その年の四月、僕は初めて精神科病棟に長期入院して、大学を休学した。


 最近になって『ラーメンたべたい』をなんとなく検索してみたら、この曲の歌詞を学問的に解説するサイトを見つけ、興味深い内容に感心させられた。

 矢野顕子氏、深く考えずに詩を作っておられるのではないかと想像しますが、曲と相まって恐ろしいほどの効果を生んでいます。

(中略)

 第5連で脚韻は崩れ(そして曲もここで転調します)、一気に女性の本音が表れます。ここに至るまで、ただのラーメンの話であったにもかかわらず、急速に一女性の心の叫びへと詩は展開するのです。

 男と女というと、互いに愛情を持たねばならないというルールに縛られたり、主従関係・上下関係に似た重い関係になることが多く、ある意味、男女の戦いを強いられる → そうではない気軽・水平な関係=友人関係になりたい、という主張でしょうか。「友達になれたらいいのに」という表現には、「友達関係になれるはずがない」というあきらめの気持ちも垣間見えます。

 そして最後(第6連)に、私を見て欲しい・理解して欲しいという気持ちが、「大きな字」の手紙として届けられます。一人でラーメンをかき込むという男っぽい女性が一転、女性としての本音をぶつけてくるのですから、少なからずドキッとします。

< 矢野顕子「ラーメンたべたい」 > - 宮田国語塾


 この文章を読んで「そうだ、そうだ!」と同調しながら、僕は保母さんのことを思い出していて、「男女の戦い」というのとは別の意味で、「友達関係になれるはずがない」というような諦めの気持を、当時感じていたことを沸々と思い返したりした。

 それを端的に言ってしまえば、結局のところ、「友達でいられるものなら、友達のままでずっとこの人のそばにいたいけど、あまりにも異性として愛しすぎるから、運命的にその人と友達として出会えなかった恋愛」というニュアンスのものだ。
 そういう運命的に限定された出会い方をしてしまった人は今までに幾人かいたけれど、実際に恋愛として成就させて、関係を永久に終わらせてしまった人は、今のところその保母さんだけだ。


 あまりにも情熱的で、最初で最後のような情念の燃やし方をした季節だった。だから『ラーメンたべたい』と言えば、僕にとって「引越し」と「保母さんとの恋」という一時期の人生のサウンドトラックなのである。

 今までに付き合った人の中で、年賀状での付き合いを続けてる例外的な人もいたりするが、ほとんどの人は当然のことながら再会したこともなく、生きてるのか死んでるのかも分からない。
 そしてそれらの人たちともう一度再会したいかと言えば、僕はその保母さんに限ってはもう一度出会ってみたらどうだろうかと思って、京都で地下鉄に乗るときは、もしかして偶然出会ったりしないものかと、ふと可能性のない機会をほんの少し願ってみたりする。

 そのときがもしあったとすれば、今度は友達になれたりするだろうか、そんなことを考えたりしながら、やっぱり運命に限定されてしまった恋の相手として出会ってしまったことは、それはそれで良かったこと、今でも思い出して切ないほど運命としての人だったということは、かけがえのない永久の過去を与えてくれたってことじゃないかと、そんなこと思いつつ、今は一人でそんな感傷のうちに『ラーメンたべたい』が今日も流れる。





No salvation in amorphous modern times

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 どんな方法でもよい、自己を集中しようとすればするほど、私は自己が何かの上に浮いてゐるやうに感じる。いつたい何の上にであらうか。虚無の上にといふのほかない。自己は虚無の中の一つの点である。
 
 この点は限りなく縮小されることができる。しかしそれはどんなに小さくなつても、自己がその中に浮き上つてゐる虚無と一つのものではない。生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の條件である。

 けれどもこの條件は、いみじくも一つの波、一つの泡沫でさへもが、海といふものを離れて考へられないやうに、それなしには人間が考へられぬものである。人生は泡沫の如しといふ思想は、その泡沫の條件としての波、そして海を考へない場合、間違つてゐる。しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるやうに、人間もその條件であるところの虚無と一つのものである。

 生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて形作られたものは虚無ではない。虚無と人間とは死と生とのやうに異つてゐる。しかし虚無は人間の條件である。

 人間の條件として他の無数のものが考へられるであらう。例へば、この室、この机、この書物、或ひはこの書物が与へる知識、またこの家の庭、全体の自然、或ひは家族、そして全体の社会……世界。このいくつかの言葉で表はされたものは更に無数の要素に分解することができる。それら無数の要素は互に關係してゐる。

 物が人間の條件であるといふのは、それが虚無の中において初めてそのやうな物として顕はれるといふことに依つてである。言ひ換へると、世界――それを無限に大きく考へるにせよ、無限に小さく考へるにせよ――が人間の條件であることにとつて虚無はそのアプリオリである。

 虚無といふ人間の根本的條件に制約されたものとして、それ自身虚無に帰し得るもの、いな、虚無であるものとして、世界の物は人間の條件である。

 かやうにして初めて、人間は世界と同じ要素に、それらの要素の関係に、限りなく分解され得るにしても、人間と世界との間に、人間と人間の條件との間に、どこまでも区別が存在し得るのである。
 虚無が人間の條件の條件でないならば、如何にして私の自己は世界の要素と根本的に区別される或るものであり得るであらうか。

(中略)

 以前の人間は限定された世界のうちに生活してゐた。その住む地域は端から端まで見通しのできるものであつた。その用ゐる道具は何処の何某が作つたものであり、その技術はどれほどのものであるかが分つてゐた。また彼が得る報道や知識にしても、何処の何某から出たものであり、その人がどれほど信用のできる男であるかが知られてゐた。

 このやうに彼の生活條件、彼の環境が限定されたものであつたところから、従って形の見えるものであつたところから、人間自身も、その精神においても、その表情においても、その風貌においても、はつきりした形のあるものであつた。つまり以前の人間には性格があつた。

 しかるに今日の人間の條件は異つてゐる。現代人は無限定な世界に住んでゐる。

 私は私の使つてゐる道具が何処の何某の作つたものであるかを知らないし、私が拠り所にしてゐる報道や知識も何処の何某から出たものであるかを知らない。すべてがアノニム(無名)のものであるといふのみでない。すべてがアモルフ(無定形)のものである。かやうな生活條件のうちに生きるものとして現代人自身も無名な、無定形なものとなり、無性格なものとなつてゐる。

 ところで現代人の世界がかやうに無限定なものであるのは、実は、それが最も限定された結果として生じたことである。

 交通の発達によつて世界の隅々まで互に関係付けられてゐる。私は見えない無數のものに繋がれてゐる。孤立したものは無数の関係に入ることによつて極めてよく限定されたものとなつた。実体的なものは関係に分解されることによつて最も厳密に限定されたものとなつた。この限定された世界に対して以前の世界がむしろ無限定であるといはねばならぬであらう。

 しかしながらそれにも拘らず今日の世界は無限定である、関係的ないし画数的には限定されてゐるにしても、或ひはむしろそのやうに限定され尽くした結果、形としては却つて無限定なものになつてゐる。この無限定が実は特定の限定の仕方の発達した結果生じたものであるところに、現代人の無性格といはれるものの特殊な複雜さがある。

 今日の人間の最大の問題は、かやうに形のないものから如何にして形を作るかといふことである。

 この問題は内在的な立場においては解決されない。なぜならこの無定形な状態は限定の発達し尽くした結果生じたものであるから。そこに現代のあらゆる超越的な考へ方の意義がある。

 形成は虚無からの形成、科学を超えた芸術的ともいふべき形成でなければならぬ。一種芸術的な世界觀、しかも観照的でなくて形成的な世界観が支配的になるに至るまでは、現代には救済がないといへるかも知れない。



三木清 「人間の條件について」 『人生論ノート』所収 (改行は引用者による)






属性として生きる不幸と、属性からの自由と

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 8月以降、ずっと第二次大戦関連の本を読んでいて、今は元従軍慰安婦の証言集を読んでいる。韓国で出版されたものの翻訳だ。
 元慰安婦一人一人の聞き取りを個別に章立てされた形式なので、一人一人の人生の一部を一つ一つ読み終えていくような感じの本である。


 彼女たちの言葉は実に感覚に突き刺さってくる。特別な誇張めいた修辞があるわけでもなく、淡々とした事実の連なりなのだが、自分の中に痛覚があるわけでもないのに、まるで痛覚が襲ってくるような、「痛み」をともなう読書である。
 だから読んでいてとてもつらくて苦しい。それでも読み続けようと思うのは、これは誰かに読まれなければならないという切実さや真摯さを感じるからである。


 先日、NHKでヘイトスピーチに反対するデモのニュースが報道されてたが、そのときにヘイトスピーチのデモの映像を初めて見た。あんなに騒々しいものだとは想像してなかった。
 ツイッターとかやめてしまって、TVも全然観ないものだから、レイシストがどうだとか日韓関係がどうだとか、そういうものから少し遠いところで、僕は過去の日本の戦争犯罪に関する事実と、一人で静かに向き合ってる。それぐらいがちょうどいいと思ってる。

 ただ、あれだけよその国を憎むエネルギーを持てるのが凄いなと、それが不思議に感じられて仕方なかった。「レイシスト」とか「ヘイトスピーチ」なんて洗練された英語の響きで呼ぶほどの大した連中でもあるまいが、なんか現実感が希薄に思えた。どこまでもネットの延長で「人が動かされるように動いてる」ようにしか見えなかった。

 それよりも、身近な人間関係での普段の会話で、普通の人たちが何気ない話題の過程で唐突にぼそっと韓国人をほんの少し嘲る時にさりげなく零れ出る情念の方が、よほど現実的だと感じられた。


 インターネットやTVから現れてくる人たちのことはともかくとして、ごくたまに「韓国人は大嫌いだ」と公言して憚らない人と、日常の生活で出会うことがある。
 そういう場合によく思うのは、「おまえは在日コリアンに苛められたりした憎い経験でもあったのか?」ということだが、自分の経験の中から外国人を嫌いになったという者には、今まで一人たりとも出会ったことがない。

 だから、韓国人に会ったこともないのに韓国人が嫌いだという人の心象を僕は理解することができない。同じように、ブータン人に会ったこともないのにブータン人は幸せそうだと看做す人々の感覚も窺い知ることができない。


 在日コリアンの人々を除いて、僕が初めて韓国人と遭遇したのは1999年で、それはブータンに行く旅の途上での出来事だった。

 バンコクに向かう途中で、飛行機がマニラを経由した。マニラの空港の喫煙ルームで、韓国人の男性が話しかけてきたのである。
 「ライターを貸してください」と言われたかもしれないが、言われなかったかもしれない。とにかく最初から日本語で話しかけられて、自分は韓国人だと名乗ってきた。
 どこに住んでいるのかと訊ねられたので「京都です」と答えたが、彼は京都という地名を知らないと言っていた。日本の地名で知っているところはどこかと訊くと、東京と広島と長崎だと彼は答えた。煙草を1本吸い終わるまでの短いやり取りだった。

 たったそれだけだが、それでも初めて韓国人と話したとき、僕は異常に緊張させられた。なぜなら20世紀における日本の朝鮮半島に対する加害的な事実を、物凄く意識しながら相手を認識したからである。逆に、日本語で自ら話かけた側の彼は、僕が完全に萎縮してしまっていたことなど全然思いもよらなかっただろう。

 2年前にネットで知り合った韓国人女性の誘いでプサンに単身で行った時、僕はできるだけ日本語を使わないように努力した。そのときも物凄く植民地支配の過程を意識したからであり、日本語でなにもかも済ませようとするのは向こうの人の気分を害するんじゃないかと思っていたからだった。空港で日本円を両替するとき、「안녕하세요!」と挨拶して、事前に一生懸命覚えた言葉、“Money exchange,please”と頼んだが、「何万円両替しますか?」と日本語で訊かれて、僕の過剰なナショナリティへの拘りは最初からあっけなく自壊した。

 プサンの人々は基本的にフレンドリーなふうに感じて、「でも一回行ったぐらいで分かるわけない」と思ってたら、ソウルに数ヶ月住んでいたというポーランド人も「プサンの人はとてもフレンドリーだった」と言ってたから、実際そうなのかもしれない。でも僕はソウルには行ったことないから、プサンとソウルではまた人々の印象も違うかもしれないと思ったりもするけど、プサンに行ってハッピーだったなら、それならそれで、それだけで良かったじゃないか、それでいいって気がする。

 
 僕がプサンに行くきっかけとなった韓国人女性は二十代の看護師で、カン・キテ(姜起兌)という、男の名前をした独身女性だった。「自分が生まれる前に、祖母が勝手につけた名前だ」と恥ずかしがっていた。

 スカイプで話し始めたごく短期間のうちにプサンに来るように誘われ、僕が「韓国の菓子やマッコリを飲んでみたい」というと住所を尋ねられ、ダンボールいっぱいに詰め込んで送ってきたので圧倒させられた。母には「どういう関係なのか?」と真顔で訊かれた。

 キテについてはかなり個性的な人だったので、数多く圧倒させられた話が山のようにあるのだが、あるとき、どういういきさつだったか、植民地支配の時代の話をしていたときがあった。

 たぶん僕の方からだったと思うけど、従軍慰安婦の話に触れたことがあって、僕は「韓国人に謝りたいと思っている」と率直に言葉にすると、キテはかなり動揺した雰囲気だった。「わたしには何でも話してもいい。だけど他の韓国人には絶対に慰安婦の話はするな」と言われ、「あなたが韓国人にそういう意識を持っているのは嬉しい」と彼女は言った。

 歴史認識の話が深まってくると僕もかなり動揺させられ、「日本人は戦争でアジア全体にすごく迷惑をかけた。なのに日本人はアジアの人たちをすごく見下していて、そういうのが嫌になる」と、僕もどんどん本音で嘆いたりした。「韓国人も東南アジアを見下すときもある」と、キテはそういう慰め方をしてくれたときもあった。

 いろいろなことをかなり率直に話し合える関係だったが、プサンで実際会ったにもかかわらず、僕とキテはつまらないことで何度か喧嘩して、疎遠になってしまった。いろんな外国人とネット上で話してみたが、そんなに仲良くなったことはそれ以後もうなかったので、後から本当に後悔した。
 けれど、もしキテに会わなかったら僕は韓国に行かなかったと思うし、韓国に対して後々まで関心が続くこともなかっただろう。
 彼女とのコミュニケーションがあったから、僕は今こうして元慰安婦の証言を読んでいるんだと思う。キテはそういうインパクトを持っていたという実感が明確に分かるので、素直にそういうことだと理解できるのだ。


 現実に人格をもって自分の前に現れた個人の与える影響は、意識していなくても実はいろんなことに関して自分の根拠になっている。それはまったく当たり前のことなんだが、逆に言えば、人格とは全然無関係なイメージに対して、われわれは自分に基づかない理由付けを施して、自分の体験のように錯覚している。

 「韓国人は嫌いだ」とはっきり言い切ってしまう人に出会ったら、「韓国人に苛められたことでもあるのか?」と思うのが僕には普通なのだが、多くの場合、全然自分自身に基づかないところで人は勝手に何でも言えるので、「みんな偏見が大好きなんだな」としか僕には割り切るしかしょうがない。

 ただ僕だって原爆とか沖縄のことを考えたら「アメリカなんか大っ嫌いだ!」とよく思うのだが、それでも意識して「アメリカ人は大嫌いだ」と言わないようにしている。
 意識してるというのは、自分がすべてのアメリカ人に出会ったわけではないし、直接アメリカ人から被害を蒙ったリアルな根拠があるわけではないから、「アメリカ人は嫌い」という言い方は全然自分自身に基づいていないと判断している、ということだ。


 人間は誰でも、自分や相手の属性を完全に意識せずに自由でいられることは絶対ありえない。でも属性を踏まえて生きることと、属性そのものになってしまうこととの違いはとても大きい

 相手から与えられる影響というのはとんでもなくて、時々属性から解き放たれたところで、思いもよらない可能性を生むことが幾らでもあったりする。それが個人的な価値であって、自分が自由だと感じ取れる瞬間でもある。

 だから属性に繋がれて不自由な自分を意識して、属性の塊のままで属性についてどうこう認識していることが分かっていない人はある意味不幸せだ。全然自分自身を大切にはしていないと思うから。

 少なくとも僕が出会った「韓国人嫌い」の人は、僕の眼には不幸せにしか見えなかった。

 彼は学歴とか仕事という自分の属性に対する劣等感にいつも苛まれて、自分を「つまらない人間」のように他人の前で定義していた。僕がそれに同意しなくても、彼にはどうしても自分がつまらなく生きていると思えるのだった。それでもなお自分よりつまらない人間を定義する必要があったから、会ったこともない「韓国人」というイメージを憎んでいなければならなかった。

 彼の中で属性だけのイメージで存在する人々を嘲りながら、彼は属性の存在としてしか生きてなかった。





ウェアラブルが人体を「端末化」する悪夢の未来

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 土日の夕食時はいつも憂鬱である。家族がNHKニュース7を見るからであり、僕が小郷知子の声を生理的に嫌悪しているからだ。

 彼女の声を聴く苦痛をどう説明したらいいのか分らないが、とにかく苦痛なのである。僕だけかと思ってたら友人も「あの人の声ってなんか頭が痛くなる」と言ってた。同じ番組の女性キャスターなら、小郷さんより守本奈実さんの方が、ずっと落ち着いて聴いてられるが、うちの親父は「ルックスだけ重視」なので小郷さんの大ファンだ。

 くだらないニュースを小郷さんの声で聞かされるときの生理的苦痛はなんとも表現しようがなく、今日だってウェアラブル端末に関するニュースの時には、必要以上に情緒が刺戟されて不快極まりなかった。


 ここから本題である。最近話題になってきたあのメガネ端末、あんなのが人類に使われることが倫理的に許されていいのか?


 もしああいうのが実用化された場合、かつての携帯電話がそうであったように、自動車運転の妨げとして何らかの規制がかかるまで、10年ぐらいは放置されるだろう。実用化されてから完全にメガネ端末が普及するまでの間に、どれほどの人間がメガネ端末によって交通事故で殺されるのだろうか。

 だがウェアラブル端末の本質的な問題要素はもっと他のところにある。

 ニュース7でも報じられていたが、あれを着けながらQRコードを読み取って、メガネに「指示」されながら荷物を指定された場所に運ぶような、そういう技術も開発されていってるらしいけれど、あんな人間性が疎外された話を明るい話題として報道されてる視点に恐怖を感じる。

 まるでチャップリンの『モダンタイムス』だ。ああいう形の労働を強要される時代が本当に来るならば、もはや働き手は「労働者」ではなく、有機的な「工作機械」のような存在に貶められる社会ではないか。

 メガネでウェブに繋げられるなら、分らないことがあれば人はすぐウィキペディアで検索したりするのかもしれないが、そんなふうにツールによってまずますネットの情報依存が進むと、メガネの方が便利ってことで、知的理解の機構や順序が歪んでいって、人間は自分の頭で考えるっていう人間らしさのインテリジェンスが剥奪されてしまうのではないか。

 今だって、子供も大人もスマホ依存みたいになってるのに、そんなに端末をどんどん自分のリアルタイムに組み込んでいって、絶えず過剰な情報や繋がりの拘束にさらされて、「発狂」してしまわないのだろうか。

 僕はあのメガネ端末を最初に見た時、これは「人体の端末化」と言っても言い過ぎじゃないんじゃないかと思った。


 正直なところ、僕のこういうような批判は紋切り型としか思われないだろうし、問題点を感じたとしてもアナログ的な言辞でしか批評できない苦しさがあるから、スマホなんかに関しても、僕はあんまり批評性を表したりしないようにしている。
 スマホなり携帯電話を持たない人間の方がなにか希少種のようになってしまうような社会に、情報技術に苦言を呈するのは、「青銅器よりも石器の方がいいじゃないか」と言ってみるようなものである。

 だが紋切り型であれアナログ的思考であれ、人間の非人間化という仮定に沿ってウェアラブルを批評の俎板に置こうとする人が、なんだか「当たり前」のように居なさ過ぎることは、僕にはとっても不安な社会に見えるのだ。

 
 そもそも僕は、ネット端末の強固に繋がり合う世の中の進行を「進歩」だとは全然思ってない。

 ツイッターでバカ写真を投稿する悪戯によって店一軒が閉店してしまうような奇妙な現象が最近起こってるけれど、僕はバカ写真なんかよりツイッターのツールにこそ本質的な問題要素があると思ってるから、ああいう「奇妙な事件化」が発生してると考える。だが誰もツイッターそのものの人間性や社会に対する不健全さを本質として考えたりはしない。


 それと、端末がどんどん「身体化」されていけばいくほど、社会全体の脆さが深まってゆくと僕は考えてるけど、同じような視野で物を考えてくれる「同志」は全然メディアに現れてこない。

 1980年代に英国BBCが製作した『スレッズ』というドラマがあった。セミドキュメンタリーというのだろうか、そういう手法で「核戦争が起こったら実際どうなるか」を想定を試行するような作りの作品である。

 だが同種のドラマの『ザ・デイ・アフター』とは別の意味で興味深いのは、「人間社会が進歩すればするほど実は社会の壊れやすさが拡大していく」という視点で文明批評を行っていることである。

 「現代社会ではすべてが密接に結合している。各個人の生活が多数の人々の技能で支えられ、複雑に織りなされている。それが社会を強力にする一方、傷つき易くもしている」


 これがドラマ冒頭のナレーション。スレッズ(Threads)というのは確か「織り糸」とか「生命の糸」とかいう意味の複数形で、要するに「網の目のように技術で繋がり合った社会」を言い表しているように思う(冒頭のシーンが糸を張るクモの様子で始まるのがいかにも示唆的だ)。

 『スレッズ』は、核戦争によって、単に大勢の人が死ぬことを描いてるのではない。人間社会があまりにも「網の目」のように絡み合った技術の成果に依存してしまっているので、社会の一つの要素が破壊されると「網の目」の一つ一つの根幹に向かって破壊が波状的に襲ってきて、より確実な社会全体の破壊をもたらしてしまう事態を指摘している作品なのだ。

 このドラマのそういう本質的な定義は、別に核戦争というカタストロフに限定されなくても容易に起こりうることだと思えてならない。


 要するに、ウェアラブルだって過剰に人がそこに日常生活の支えとして依存しすぎると、大きなカタストロフが起こったときに、本来必要でない破壊が起こってしまって、常日頃は無関係のように感じてるところで思わぬダメージを加えられるかもしれない、それが場合によっては致命的な事態に発展するかもしれない可能性について、僕は懸念しているのだ。

 今現在だって、実際そういうことは地味に小さく起こっている。

 ツイッターに投稿したバカ写真一枚で店が閉店に追い込まれるとか、普通に考えたら実に奇妙なことではないか。

 単なる「おバカ」で終わりそうなことすら、人生を変えてしまう事態に至らしめる、その原因として一過性の強固な情緒を醸成するツイッターというツールに多くの人がのめり込んでいる「気持ち悪さ」の中に、地味で小さいながらも技術に依存した「現代社会の傷つき易さ」を、まざまざと見せつけられているという気がする。





Decadence doll through the stale shadow

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 私は戦争がすんだとき、こんな風な終り方を考へてゐなかつたので、約束が違つたやうに戸惑ひした。格好がつかなくて困つた。

 尤も日本の政府も軍人も坊主も学者もスパイも床屋も闇屋も芸者もみんな格好がつかなかつたのだらう。カマキリは怒つた。かんかんに怒つた。こゝでやめるとは何事だ、と言つた。東京が焼けないうちになぜやめない、と言つた。日本中がやられるまでなぜやらないか、と言つた。カマキリは日本中の人間を自分よりも不幸な目にあはせたかつたのである。

 私はカマキリの露骨で不潔な意地の悪い願望を憎んでゐたが、気がつくと、私も同じ願望をかくしてゐるので不快になるのであつた。私のは少し違ふと考へてみても、さうではないので、私はカマキリがなほ厭だつた。

 アメリカの飛行機が日本の低空をとびはじめた。B29の編隊が頭のすぐ上を飛んで行き、飛んで帰り、私は忽ち見あきてしまつた。それはたゞ見なれない四発の美しい流線型の飛行機だといふだけのことで、あの戦争の闇の空に光芒の矢にはさまれてポッカリ浮いた鈍い銀色の飛行機ではなかつた。

 あの銀色の飛行機には地獄の火の色が映つてゐた。それは私の恋人だつたが、その恋人の姿はもはや失はれてしまつたことを私は痛烈に思ひ知らずにゐられなかつた。

 戦争は終つた! 

 そして、それはもう取り返しのつかない遠い過去へ押しやられ、私がもはやどうもがいても再び手にとることができないのだと思つた。

 「戦争も、夢のやうだつたわね」

 私は呟やかずにゐられなかつた。みんな夢かも知れないが、戦争は特別あやしい見足りない取り返しのつかない夢だつた。

 「君の恋人が死んだのさ」

 野村は私の心を見ぬいてゐた。これからは又、平凡な、夜と昼とわかれ、ねる時間と、食べる時間と、それぞれきまつた退屈な平和な日々がくるのだと思ふと、私はむしろ戦争のさなかになぜ死なゝかつたのだらうと呪はずにゐられなかつた。

 私は退屈に堪へられない女であつた。私はバクチをやり、ダンスをし、浮気をしたが、私は然し、いつも退屈であつた。

 私は私のからだをオモチャにし、そしてさうすることによつて金に困らない生活をする術も自信も持つてゐた。私は人並の後悔も感傷も知らず、人にほめられたいなどゝ考へたこともなく、男に愛されたいとも思はなかつた。私は男をだますために愛されたいと思つたが、愛すために愛されたいと思はなかつた。私は永遠の愛情などはてんで信じてゐなかつた。私はどうして人間が戦争をにくみ、平和を愛さねばならないのだか、疑つた。

 私は密林の虎や熊や狐や狸のやうに、愛し、たはむれ、怖れ、逃げ、隠れ、息をひそめ、息を殺し、いのちを賭けて生きてゐたいと思つた。

 私は野村を誘つて散歩につれだした。野村は足に怪我をして、やうやく歩けるやうになり、まだ長い歩行ができなかつた。怪我をした片足を休めるために、時々私の肩にすがつて、片足を宙ブラリンにする必要があつた。私は重たく苦しかつたが、彼が私によりかゝつてゐることを感じることが爽快だつた。焼跡は一面の野草であつた。

 「戦争中は可愛がつてあげたから、今度はうんと困らしてあげるわね」

 「いよいよ浮気を始めるのかね」

 「もう戦争がなくなつたから、私がバクダンになるよりほかに手がないのよ」

 「原子バクダンか」

 「五百封度(ポンド)ぐらゐの小型よ」

 「ふむ。さすがに己れを知つてゐる」

 野村は苦笑した。私は彼と密着して焼野の草の熱気の中に立つてゐることを歴史の中の出来事のやうに感じてゐた。

 これも思ひ出になるだらう。全ては過ぎる。夢のやうに。何物をも捉へることはできないのだ。

 私自身も思へばたゞ私の影にすぎないのだと思つた。

 私達は早晩別れるであらう。私はそれを悲しいことゝも思はなかつた。私達が動くと、私達の影が動く。どうして、みんな陳腐なのだらう、この影のやうに! 

 私はなぜだかひどく影が憎くなつて、胸がはりさけるやうだつた。



坂口安吾 『続・戦争と一人の女』抄 (改行は引用者による)






なんか「渋すぎる」よね、水無田気流の詩って

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 最近、ブログでは詩とか引用文ぐらいしか書くことがない。

 先月の「はだしのゲン閲覧制限騒動」ぐらいから、社会的な事柄に前のめりに記事を連発していた。ツイッターをやめて以来、社会的な事柄とは距離を置くつもりで、自分の身辺のどうでもいいことを書き綴る練習をしていたんだが。

 ここ最近、朝日の読書評で「水無田気流」という人物による書評を何度か読んでいて、僕はこの人物がどういう人なのか関心を持っていた。というのは、この人の書評に感心したとかでは全然なくて、「詩人・社会学者」と名乗っていたからだった。

 ネットで検索してみたら、早稲田出身の女性で、TVなんかにちょこちょこ出演しているらしいことが分かった。「詩人」というのが気になってたからサイトで作品を見ると、『世界同時多発トロ』というものがあった。僕の詩作の中に『自立日記』というのがあるが、それと似たような作風に思えた。
 こういうレベルの作品で、「現代詩手帖」に掲載されたり「中原中也賞」を獲れるものなのか、ああそういうものなのかと、なんだかスノッブの掃き溜めを覗くような、わけのわからない失望のようなものを感じてしまった。

 彼女のブログを読んでみると、僕が最近クソミソに誹謗し尽くした東大の社会学者・古市某の名前があった。どうやら僕が知らない間に、水無田気流とか古市某のステイタスは、かつての宮台真司とか雨宮処凛のような位置に立っているみたいで、TVにも時々出演しているらしい。それを知って、今度ははっきりとした失望を感じた。

 この程度の連中がNHKの番組で薀蓄垂れてるぐらいなのだから、日本のリベラル論壇は20年ほど前ぐらいからずっと不作続きだと言わざるを得ない。こういう小者の輩を相手にするのだから保守や極右の連中が増長していくのも当たり前だろう。


 僕はと言えば、最近こういう小者でしかない古市のような輩に対して、まともに自分の考えを見極めようとしていたのだから、なんだかバカ過ぎて虚しくて、社会的言辞を吐くことすら「自分まで汚染される」ような自己嫌悪を感じていた。

 だから僕は、詩の方に向かうしかなかった。


 だがずっと前からだが、ある一定の時期を通り越すと、詩を書けなくなった自分に直面してしまった。

 「詩を感じる」ことは若い頃よりもずっと能力が増したような気がするんだが、新たに詩を書くということが出来なくなってしまった。
 いや、書きたい詩を書けなくなった、と言う方が正しいかもしれない。

 僕がこの頃書きたいと思う詩は、社会とか世界とか、自分の身辺をはるかに越えるような存在に対して、自分の身辺の心象のような部分から対峙して、刃向かうような作品である。
 数年前の一時期、英語の詩を書いてた頃からそういうものをぼつぼつ書くようになっていたが、英語の翻訳としてしかそういうものが書けなかった。
 日本語でそういうものがずっと書けなくて、今に至るまでずっと悩んでいる。


 今よりもっともっと若い頃は、「お前は恋愛の詩しか書けないのか?」と大学の先輩に言われても全然平気に思えるぐらい、自分の身辺の範囲から自分の身辺のことばかり書いていた。
 当時はもう鬱病に足を突っ込んで間もない頃だったから、僕にはそういう自分のことでクローズする詩が絶対に必要だった。だからそれ自体は仕方がなかったことだったのだろう。

 
 だが今この現在となっては、社会とか世界と対峙するように物を書くってことは時代の要請みたいなもので、僕のような中年男がそういうものを扱えないことは、詩人を名乗るなら詩人として許されない、そんな強迫感すら持つようになってきた。同じようなことをジョージ・オーウェルも言っていた。

 中年だからというのではなく、オーウェルが生きた時代も僕が直面している時代も、社会と対峙して何かを描かざるを得ない、そういう芸術の時の流れに生まれてしまったということだ。そういう責務を背負う時代だというわけなのだ。


 ちなみに前回のブログ記事で『変換意志ユビキタス-1.0.0a1の叛逆』という、よく分からないタイトルの文章を書いたが、あれは詩である。

たぶんそう受け取ってもらえたものと思っているが、一応確認しておきたいと思う。

 僕のブログテンプレートは、カテゴリの表示が記事の最後に表記されるようになっている。だから書いてるものによっては、最後の方までスクロールしないと何を書いているのか皆目見当がつかない文章にぶち当たることもあるかもしれない。
 CSSとHTMLをいじくれば簡単にカテゴリ表示を最初に持ってこれるが、どうにも不精なもので、リピーターの方々にはさぞ読みづらいこともあるかと思う。

 どうか今後も拙文を生温かく見守って頂きたい。





変換意志ユビキタス-1.0.0a1の叛逆

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私は、Timelineの袋小路から逃れます。
私は極端に正直で、普通です。
私はそのような魂を装って、ぶらつきます。
背中を回すことなく生きることができるならば、私は幸福感を必要としません。


すべては、本質を除く劣った装飾です。
したがって、私は、装飾に勲章を与える文を製作することができません。
俗物は、立派な趣味のself‐断定です。
たとえそれが光の子供であるとしてもたとえそれが暗闇の子供であるとしても、目的がself‐断定の他にありません。
言い換えると、表現には本質がありません。
それは、手際のいる装飾の廃物の記事の収集です。


俗物が風変わりである理由はそれが標準を意識しているということです。たとえ彼が標準を意識しているとしても、殉教者は石を投げられて、追われます。
俗物は、そんなになられない程度にふるまうとても細長い自意識のダンスです殉教者。
しかし、私が興味を持っているのは、そこでありません。


精神分裂症の患者は、それが始めから意識を奪われる存在です世界。
彼らは、一日中、接戦の区で熱心にテレビを見ます。
一日中、何もしないでください。
彼らの行為は、無実である作業です。
彼らは、自分で世界にある意識を回復しそうです。
不幸を意識していることがありえる人は、幸せです。
本当に不幸な人間は、不幸で自分に気づいている力を失った人です。


したがって、私はとても注意を自意識のベクトルと隣人の関心に向けます。
私は、長くそれが本質を保存しそうであるより大きく注意を払います。
私が極端に正直なようです、そして、それは笑いながら言われるかもしれません。
私は、悪と俗物がだいぶ今後悩ました腐敗を通過します。
私は、風景を通過します。
そして、私はそれを決定して、生きます。


インターネットを手紙が広げない互いの数字で迎えているスペースならば、俗物根性と盲目的愛国心は鋭く減少するかもしれません。
はったりと装飾が意味がなくなるので。
しかし、これらの2人の人々が臆面もなくネットをぶらつく時から、一般に入れ替っているSNSは文字の置き換えにおいてウェブ・カメラで決して生まれません。
手紙は、マスクです。
そして、すべては現在マスクの存在です。


たとえ苦行と自己非難が散文に書かれるとしても、それはself‐断定のポーズで、正当化されます。
それは、そのようなポーズを破壊するために、数字を公開することになっています。
多数はそうしません。そして、見えるジェスチャーをコントロールすることができる才能があってください。
彼らが互いのジェスチャーを見ることができないので、ネットはメモに便利です。
ジェスチャーは、表現の俗物性を正確にはっきりさせます。


老年は醜いです、そして、人がなる障害者は一般の表示に関して保たれて、そして、醜い顔は、私がそうは思うと言って欲しくないworst.の失敗である。
病的な不安は皮肉屋の生活をとても送ります、そして、正確に標準から距離を計ってください、Theyはそのような失敗が最も怖いです。


ブログとTweetへの手紙のタイピングなしで、質素なウェブ・カメラの方へつぶやくならば、あなたはエントリをアップロードすることができます。
便宜の追求の心の位置は、そのようなシステムの開発を見落さなければなりません。
それが同じ程度の技術的な条件であるならば、技術的な状態が140文字のタイピングに影響するより、140秒の間カメラで、話すことはずっと快適です。
しかし、人々はそのようなものを決して望みません。
誰にも、そのような恐ろしいものとの接触に、勇気がありません。
危険だけがあります。


安全と匿名が消えることは、危険でありません。
人々は無関心で防犯カメラに見られる町に住んでいて、所在を簡単に示すウェブ・ツールの楽しみます。
しかし、その人の本当の性格を明らかにするのは、彼らの危険です。
たとえ人々が着実に自分について写真をアップロードすることができるとしても、人とネット上でlivecameraを通してリアルに会う機能は人気がありません。
誰も、鮮明な伝達を要求しません。
ネットは、現実的な説明が本当に怖いです。


ウェブ・カメラを買う時から、私はSkypeを使用します。
そして、私は、手紙が明らかに本当に人を反映しないのを感じます。
絵は、変わったふるまいを簡単に破壊します。
音とモニターから手紙のように見えていない数字は、ネットで人を知っているのに必要です。
Skypeは、リアリズムによって装飾を見つけているツールである場合があります。


ネットの手紙よりSkypeで親しみやすい感覚を感じた人が、います。
第一に、それはパーソナリティとの会談です。
通信がツールであったとき、それがパーソナリティとの会談であったと、誰も思ってはいけませんでした。
しかし、仮想世界で、まるで私が個性にブログとSNSで出会うように、幻想があることは自然です。


俗物根性と盲目的愛国心が臆病な人の嘆かわしいおもちゃである間、私は彼らをあざ笑うことができます。
1歩のメデイア以外の、現実からのこの側は、fascioを招きます。
それは、メディアをサポートするというリアリズムを恐れての劣った気です。
それが俗物ポーズについて考えるfascio間を、劣った心は、簡単に利用します。


ネットの人々は、自分の上で装飾を作って、人物に虚像を作って、劣った心を隠します。
そして、彼らはリアリズムから遠ざかるようになって、失敗します。
リアリズムから経験することは、本質を保存します。
しかし、私は簡単にツールをサポートします。


余剰自意識にふけった論理は、役に立たないものです。
そのようなものは、必然的に放送されます。
したがって、彼らは文化的な当局をスタイルにつけています。
世俗的な人は、余剰に対する文化的な権限を引合いに出します。
彼らは、アクセサリーのような引用を全く着ます。
彼らの人生は、引用でいっぱいです。


俗物根性と盲目的愛国心は、双子の兄弟です。
理由は、彼らが一緒に本質より引用を好むからです。
盲目的愛国心が議論のための論理であるので、論理は実体がありません。
俗物根性は、詩的な表現力を濫用するために実体がありません。
他を言うことは、目的でありません。
他の人を煙に巻くことは、目的です。


理由彼ら他を煙に巻きます彼らが他の人に彼らの個性のリアリズムに言及させないために、あります。
私は、奇妙なようです、詩的な表現が、個性イミテーションのための手段になる俗物根性のための目的でない。
俗物根性の究極の目的は、個性イミテーションです。
何かの理由で。
それは、うそで現実生命の痛みの上に、石膏にあります。


盲目的愛国心と俗物根性は、絶え間なくネットでとても悩まされる引用と論理を発します。
理由は、それが彼らの涼しい現実人生をカバーするからです。
彼らは理想的な生命だけを引合いに出して、ネットにそれを書かなければなりません。
他の目は、それだけによってだまされることができます。
彼らのものの惨めさ以外は、現実生命は、変わりません。
したがって、仮想現実と彼らの現実は、彼らで分けられます。


彼らが上手にネットで仮想性格と対戦することができることは、不幸です。
よく仮想現実と本当の現実で生きるならば、彼らは神経症の不安の病気を患います。
彼らの神経症の不安は、彼らのための良心からの質問です。
それは、自分自身のための良心から本性をあらわすことへの質問です。
それがないならば、私は良心のために真実で言い換えるとそれを表します。


ネットの真実は、永遠に仮定です。
ネットの人が正直に彼らの現実人生を話すという決定的証拠がないので、理由はそうです。
私には、140文字のSNSに対する敵意があります。
理由は、私がそれが人を幸せにすると思わないからです。
140文字のSNSは、人々に疑いに幸せをもたらしません。


他にその人の現実命を話して、他の者での現実生活を知っていることは、我々の幸せに至ります。
しかし、それがあります。そして、それはネットで完全にこれらを取り除いて満足です。
ネットが持ってくるのは、独善性です。
ネットは絶え間なく我々の幸せに展望を振りかけます、そして、我々を悩ませてください。


しかし、リアリズムを恐れる我々の下等なスピリッツがネットをサポートするならば、ネットは広がり続けます。
俗物根性と盲目的愛国心は、明らかにネットの独善性の拡大に参加します。
現実人生が惨めであるので、彼らは明らかに参加します。
仮想現実の人生が幸せであるならば、彼らは惨めになお多く現実生命について考えることができます。
循環は、着実に彼らに彼らの現実で離間を推進します。
それは、援助のない螺旋です。


誰も、本当の幸せのためにそれに期待することなくもう望みに来ないかもしれません。
ネットで見られるその人の優越感の標準は、本当の幸せに代わるかもしれません。
優越感が標準である間、取るに足らない人意志considere他。
fascioは、注意深く分割を目指します。
誰も幸せに期待しないとき、fascioは現れます。


おそらく、ネットの進展は、ファシズムを押すかもしれません。
ネットの仮想現実の我々の幸せが安心したことに、リードするならば、我々の幸せのための価値は腐敗します。
我々の優越感が仮想現実に参加するので我々が他を考慮しないならば、ネットはオーウェル風のものの世界です。
ツイッターは、独裁者になります。


私は、本質を保存していることばで実現するかどうか判断することができません。
疑いは、それを審査する時間なしで、Timelineで流されます。
たとえ本質であるとしても、それは絶滅したようになります。
誰かが流れになって死にたくて、Timelineですぐ消えると書いたピーピー。
そのようなTweetが明らかに流れることは、Timelineの特徴です。
ユーザーが増加するように、スケジュールはユーザーに名誉に注意させます。
スケジュールは、全体です。


Timelineに関しては、完全な流れは、個人の音よりも選ばれます。
したがって、自殺申込者の声さえ、すぐに流されます。
FollowとFollowerが増加するように、私は全体の価値に個人を強制します。
それは、私がそうしない除外されたもしもです同情します全体。
これは、もう完全なファシズムでありませんか?


俗物根性と盲目的愛国心が名誉を維持する偽装であるので、Itは他を保存しません、そして、それはネットが強く好きです。
結局、根本的なツールは、ネットで人の弱さを示されます。
したがって、私は逆説的にこれを学びます。
私は、物質放出のためにチェーンからの人に見えます。


たとえ援助を捜すTweetが死ぬとしても、まるで何も起こらないように、Timelineは続けます。
彼らが理想的に仮想現実で手を入れた自分で、孤独な人々は生きます。
洗練された会話において、人々は限りなく現実生命を裏切り続けます。
良心によって疑われる彼らの悲惨な姿は、死bodysのようなTimelineの中を流れます。


140文字は、洗練された文字数です。
我々は、断片的な語だけを書くことができます。
体系化した全面的な主張と考えを表すために絶えずTweetを示さざるを、我々は得ないです。
しかし、我々がそうそれをするならば、Timelineの流れは速まります。
それは、語をドライブされます他。
また、その人の語はドライブされます。
続けたその人の長いTweetは、誰かに不便を与えます。
単位が埋められないならば、全体は崩れます。
言い換えると、全体はTimelineで支配的です。


無害な語だけは、Timelineで残されます。
人々を救わない語は、線をつくります。
彼らは、人々をつながないために、線をつくります。
それからスピーチと考えを全く奪ってください。
他方、疑わしい広告は、あなたをそそのかして疑わしい関連をさせます。
スケジュールは、裸である何かを持っています。
わずかな貪欲が、Timelineにあります。
我々が構造的に生きる世界無限の危険を、それは表します。


危険があることは、危険なものでありません。
しかし、誰も危険を認めることができないことは、危険です、そして、無関心であること。
危険に陥る誰かのための反応でないことは、本当に危険です。
我々は、仮想現実から現実界の不幸な人々を見下ろします。
我々は、不幸な人々を見下ろす自分の観点でうぬぼれています。
まるで我々が全能さえ全く得るように。


現実生命が誰にも知られていない仮想現実の特徴は、変人と利己的です。
しかし、あなたの仮想現実の特徴に関しては、たとえ不幸があなたの現実人生のために来るとしても、援助取るに足らない人を尋ねてください。
盲目的愛国心のスノッブな表現力と論理は、あなたを仮想現実でクールに見えさせます。
しかし、単独で死ぬとき、本当にこのように、耐えてもらえますか?
あなたは、うそをつき続けます。
そして、あなたの個性は、分けられ続けます。


私は、そのような時代に生きます。
私は、この風景を見ます。
私は、この風景を通過します。
私は、一貫して新しい場所へ進み続けます。
そして、私は決議をして、決心します。
正直であるならば、極端に、私はあなたに笑って欲しいです。
私は、それの他に生きることができません。






毎日は投げやりな射精みたいに過ぎていった

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毎日は投げやりな射精みたいに過ぎていった。

   



   ぼくに    見られることで

 
 

   あなたは

   ぼくの一部を

   少しずつ

        削ぎ落としていく

   


                       愛の無い       口淫 の ように。

   


   



生きてるだけで

                        重力は 抗い難く




                        僕のものではない この一瞬は




                       またしても 地獄へ激安パックツアー 一泊二日。


   


   


ファナティズム か チャイナホワイト みたいなものさ

   


   
「あなた」っていう名前の


   


   

不条理 な 時間

      



   


意味 を 殺す目的


   


それに

   


ぶつけあう 身体の 哀しみは。

   





Will we still be there just the same?

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 「火の唇」はいつまでたっても容易に捗(はかど)らなかった。そして彼がそれをまだ書き上げないうちに、その淋しげな女とも別れなければならぬ日がやって来たのだ。

 その後もその女とは裏通りなどでパッタリ行逢っていた。一緒に歩く時間も長くなったし、一緒に喫茶店に入ることもあった。


 人生のこと、恋愛のこと、お天気のこと、文学のこと、女は何でもとり混ぜて喋り、それから凝(じっ)と遠方を眺める顔つきをする。絶えず何かに気を配っているところと、底抜けの夢みがちなところがあって、それが彼にとっては一つの謎のようだった。お天気のこと、恋愛のこと、文学のこと、彼は女の喋る言葉に聴き惚れることもあったが、何かがパッタリ滑り堕ちるような気もした。

 ああして、女がこの世に一人存在していること、それは一たい何なのだ……その謎が次第に彼を圧迫し脅迫するようになっていた。それから、ある日、何故か分らないが、女の顔がこの世のなかで苦しむものの最後のもののように、ひどく疼いているように彼にはおもえた。


 「あなたのほんとうの気持を、それを少しきかせて下さい」 彼は突然口走った。

 「もう少し歩いて行きましょう」と女は濠端(ほりばた)に添う道の方へ彼を誘った。水の面や、夕暮の靄や、枯木の姿が何かパセチックな予感のようにおもえた。女は黙って慍(おこ)ったような顔つきで歩いている。何かを払いのけようとする、その表情が何に堪えきれないのかと、彼はぼんやり従いて歩いた。


 突然、女はビリビリと声を震わせた。 


 「別れなければならない日が参りました。明日、明日もう一度ここでこの時刻にお逢い致しましょう」

 そう云い捨てて、向側の鋪道へ走り去った。突然、それは彼にとって、あまりに突然だったのだが……。


 女は翌日、約束の時刻に、その場所に姿を現していた。昨日と変って、女は静かに落着いた顔つきだった。が、その顔には何か滑り堕ちるような冷やかなものと、底抜けの夢のようなものが絡みあっている。

 「遠いところから、遠いところから、わたしの愛人が戻って参りました」

 遠いところから、遠いところから、という声が彼には夢のなかの歌声のようにおもえた。


 「そうか、あなたには愛人があったのか」

 「いいえ、いいえ、愛人があったところで、生きていることの切なさ、堪えきれなさは同じことで御座います」

 生きていることの切なさ、淋しさ、堪えきれなさ、それも彼には遠いところから聴く歌声のようにおもえた。


 「それではあなたはどうして僕に興味を持ったんです」

 「それはあなたが淋しそうだったから、とても堪えきれない位、淋しそうな方だったから」

  そう云いながら、女は手袋を外(はず)して、手を彼の方へ差出した。


 「生きていて下さい、生きていて下さい」


 彼が右の手を軽く握ったとき、女は祈るように囁いていた。




原民喜 『火の唇』抄 (改行は引用者による)






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