Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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半永久的平坦な戦場のアダージョ

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ぼくの    行き先不明  の 殲滅戦  が   進行する  間の


                                             どこかで



           ぎこちない あなたは     セイロン茶を飲んでいる。



               (それとも、油絵を 描いてるの?)








     あなたの 髪    は


                この  大陸の  ベータ線   の   暴風域 のなかで、



             信じられないくらい



               憂鬱 で


                 恍惚で



                鋭利な先端のように    静かだ。








          ぼくの 抱えた   まぬけな  バンザイ突撃    と、




               あなたが キャンバスに描く  寡黙   な  レッドライン。








              これからの 計画は



       爆笑する 人々の    皆殺しプロパガンダ みたいに、



               ちょっと 命がけ  

 

                  そんで          悲惨なほど  軽はずみな気持ち。








              なにひとつ   取り得のない愛撫   は



                                         嘔吐して

                    気取った フェラチオ  が


                                  血まみれ に



          臨時ニュースの           謀略     眺めている ――








   あなたが願う少年のことを      さっきから   ずっと  想像している。



     

       いつの日か、

            ゆっくり  と  わかるときが くるのかも 知れないけれど……








           静かな髪の女の子が  静かな境界で 見殺しにする世界



                  真昼の マグネシウムの  リアリズムごっこ。



             すこしだけ  お昼寝とって


             すこしだけ  お昼寝とって。









       オモチャどうしの 殺戮が 終わったら、


                        ぼくが生きて  帰ったら、




           きっと    訪ねるだろう


               ぼくの世界が終わった後の   あなたの 風景 を





            きっと   教えてくれ



               そんな


               今にも泣き出しそうな 眼が 祈る     血と悪業   の   

                                                      救いを。





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music : Poetly's Theme - La Femme Chinoise



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何を見て、どう生きてきたか、それだけなのだ

Posted by Hemakovich category of Diary on


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 今回の『はだしのゲン』閲覧制限騒動は結局のところ、マンガの絵の描写だとか旧日本軍の戦争犯罪に触れたことへバカウヨが幼稚なクレームをつけたのが事件の本質だとは僕には思えない。

 あの旧日本軍に関する描写は、ゲンが中学校の卒業式で君が代を歌うことに反発して天皇批判を叫ぶくだりで、戦争犯罪に言及されるのだ。

 だから僕は、バカウヨやら市議会の議員が本当に攻撃しようとしたのは、『はだしのゲン』が天皇の戦争責任を訴えたことだったのだろうと思う。(実際に「陳情者」はそのことを明確にクレームをつけている)

 だが市教委にしても朝日なんかにしても、『ゲン』の作中で天皇批判への言及から旧日本軍の残虐行為が描写されるに至ったことを絶対に触れようとしない。
 閲覧制限の根拠として描写が残虐かどうかとか、結局は読み手の思いによってどうにでも判断できるようなことが問題化されて、収拾のつかない神学論争のような体を成しているのは不毛のように思えて仕方ない。

 そもそも芸術が反戦を訴えたり、天皇の戦争責任に言及したりするぐらいで、なぜいつも、どいつもこいつも「政治的」という左寄りのイメージのネガティヴなレッテルを貼ろうとするのだろう。
 前の大戦に関して、戦争犯罪とか原爆を論理的に考えて描こうとしたら、どうしたって天皇制ファシズムの問題に突き当たってしまう。
 それを直言しただけで、どうして「アカ」のように言われなきゃならないのだろうか。

 そういう意味においては、『はだしのゲン』は「政治的」というネガティヴな意味のレッテル張りをバカみたいに繰り返された「悲劇的な芸術作品」だと思う。

 この前もラジオ番組で荻上チキが『はだしのゲン』に関して、「政治的」という文脈で論じようとしつこくああだこうだ言ってるのを聴いて、いいかげんウンザリさせられた。
 
 閲覧制限騒動で問題視された『ゲン』の第10巻で、不良学生たちが卒業式の後に教師たちを集団リンチする描写がある。この描写が当時『教育評論』という日教組の機関紙に連載されていたことを受けて、「連載当時に社会問題になっていた校内暴力のようなことまで描かれているのは連載媒体と関連があるのではないか」というような幼稚な指摘をして、いかにも自分がクレバーであるかのように悦に入っていた。

 中沢啓治氏の自伝記『はだしのゲン 自伝』を読めばはっきり分かるが、教師に対する集団リンチは実際に中沢さんの中学卒業式で起こったことで、あれは完全に自伝的描写なのだ。荻上チキはしっかり自分の無知を恥じて欲しい。


 今日の朝日で、中沢さんの奥さんであるミサヨさんの談話が紹介されていた。ミサヨさんの述懐を読むと、中沢さんがいかに作品に対するレッテル張り的な偏見に抗しながら、あくまで児童マンガとして誠実に子供に戦争や原爆を伝えようと腐心したか、苦労の軌跡がうかがえる。

 兵士が中国人男性の首を面白半分に切り落とす。妊婦のおなかを切り裂き、赤ん坊を引っ張り出す――。今から30年近く前、主人がこの場面を描いたとき、私もショックを受け「残酷すぎるのでは」と言いました。主人の答えは「きれいな戦争というのはないんだ。戦争の残酷な実態を知らせなければ、子どもに戦争というものが伝わらない」。戦争の恐ろしさに小さな頃から触れ、大人になって戦争を防ぐ方法をじっくり考えてほしいというのは、死ぬまで変わらぬ思いでした。

 自分が体験した被爆の場面でも、いろんな資料を集めて描いていましたが、体験のない戦場の場面を描くときは、特に多くの資料や文献を読み込んでいました。描けば批判が来ると覚悟していました。「ゲンはぼくの思いを託しているのだから、ヘンなことは描けないんだ」と言っていました。

 戦場の場面は数コマにとどめて場面転換させ、被害女性の身体は黒く塗り、表情を消して生々しさが出ないようにする。子どもに読ませるにはどこまで表現したらいいかと悩み、工夫を重ねました。

 ゲンの表現が、後半になるほど社会的なものになるというのは事実です。それは自分の分身であるゲンが成長するにつれて、こんなことになったのは誰のせいだと悩むからです。その姿は戦後になっても復興から取り残され、差別され続けた被爆者の怒り、つらさを投影しています。「戦争責任を言わないと、被爆者は泣き寝入りになる」と言っていました。

 ゲンは読みたい子には読ませたらいいし、読みたくない子に無理に読ませなくてもいい。ただ、トカゲのしっぽをちょこっとつかむように、戦争の実態を伝える一部の描写を問題にされ、子どもたちの目につかないところに隠されたのは残念でなりません。

 実は、ゲンの一番のテーマは、踏まれても踏まれてもまっすぐ伸びていく「麦」です。そんな成長物語の背景に戦争と原爆がある。たたかれたり、いじめられたりしても、精いっぱい生きていればいいことがあるという主人がゲンに託したメッセージは、今の子どもたちの心に響くものがあると信じています。

 ゲンの発表の場は、週刊少年ジャンプから、政党・労組系の機関誌へと移りましたが、最後まで少年誌の「はだしのゲン」の延長として描き続けました。政党に入れと何度も勧誘がありましたが、自由にものを考えられなくなると拒絶し、無党派を貫きました。主人らしい生き方だったと思います。




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 中沢さんの自伝の中で奥さんに関するエピソードがある。

 結婚話がまとまり始めた頃、中沢さんは自分が被爆者であることを告白することに不安を持っていたという。当時中沢さんがアシスタント暮らしをしていた東京でも、故郷の広島でも、相手が被爆者であることが分かると結婚が破談になって自殺する男女が少なからずいたからである。

 幸いその女性も、その家族も理解をしてくれ、私はホッとした。後年、妻は、私と結婚するとき、やはり原爆後遺症のことで結婚に不安と悩みをもったことを打ち明けた。

『はだしのゲン 自伝』


 まだ『ゲン』を執筆する以前、幾つかの戦争や原爆に関するマンガを描きながら中沢さんは被爆した幼児期の惨状を思い出して苦しみ、「原爆漫画家」と決めつけられるのが嫌で、原爆をテーマにするのをやめようと何度も思ったという。
 同時に、中沢さんが被爆者であることを新聞で報道されて、近所の主婦から「よく身内の恥を描けるものだ」と夫を侮辱され、「原爆症ですぐ死ぬのに、被爆者と結婚するなんて」とひどい中傷を受けて、奥さんもまた怒りに震えたこともあったらしい。

 このエピソードを読んだ時、まるで戦時中に戦争に反対して非国民扱いをされて苛められた『ゲン』の内容と同じではないかと僕は思った。
 
 東京で被爆者差別に苦しみながら、原爆という言葉を二度と口にすまいと逃れようとしながら、それでも母の死をきっかけに中沢さんは原爆と戦争を描くことに立ち上がった。だがその道のりは、決して平坦なものではなかったのだ。


 やがて、ついに自分自身や家族の戦争体験を下敷きにした、本格的な長編を連載するに至る。

 父の特高警察に捕まり苦しんだ体験も取り入れ、日本の暗い恐怖政治の部分をたっぷり描き込んでいきたいと構想は大きく広がり、気持ちも充実してきた。
 そして妻に、「今度の連載は徹底して書くから、手紙、電話の嫌がらせがあり、変な奴が襲ってくるかもしれんから、気をつけろ、襲ってきたら自分は徹底的に闘うつもりだから」と協力を求め、みずからも決心して作品に取り組んだ。


 このような決意のもとで、『はだしのゲン』は生まれた。中沢さんが文字通り命がけの気概で向かっていったのがこの作品だったのだ。

 中沢さんの自伝の『ゲン』が誕生する直前のこのくだりを読むとき、僕は自分の人生の中でほとんど出会ってこなかったような、とてつもない想いで引っ張って行かれる心地がして、自分まで上気する。とてつもない勇気をもらえたような気持ちがしてくる。

 こざかしい理屈など関係なく、自分が何を見て、どう生きてきたか、それだけなのだと強く感じる。

 それがミサヨさんの言葉にも、『はだしのゲン』の作中にも繰り返し描かれる、踏まれても踏まれてもまっすぐ伸びていく「麦」の真骨頂だと、率直に感じるのだ。


 先日このブログで紹介した閲覧制限撤回に関する電子署名も、10日間も経ずして2万人の署名が集まった。思いもよらずびっくりしたし、すごいことだと、なにか「信じられる」ようなすがすがしい思いがしたものだ。


 たぶん、みんな考えをそれぞれ持ちながらも、きっと『ゲン』のどこかで、中沢さんのとてつもない想いの強さに出会って、ずっと今まで奥底で惹きつけられてきたのかもしれない。

 想いの強さ、それが本当で、それが一番人を動かすのだと、当たり前のことだが、そう、信じていたいと思った。



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「残酷な事実」を知られないことが一番「残酷」なこと

Posted by Hemakovich category of Politics on


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 松江市教委が『はだしのゲン』の閲覧制限要請を撤回することを決めた。

 市教委がこんなに早く「屈服」するとは、僕の中では予想外だった。だが要請をやめただけであって、各学校の閉架措置については「自主性に任せる」という状態なので、実際に閉架が解かれるまではまったく油断ならない。

 朝日は今朝の朝刊でこのニュースを一面に持ってきた。久々に一面見出しを読んでスッとしたと思いながら読んでいたが、少し引っかかることがあった。識者のコメントの部分だ。

 市教委は作品後半にある旧日本軍の行為の描写を「暴力的で過激」と問題視したが、子供にとっては作品前半にある原爆投下で人間が溶けていく描写の方がはるかに残酷でトラウマを与えるという見方もある。かように、作品の一場面を「問題」とし、閲覧制限の対象とするのは慎重な議論が必要だ。にもかかわらず、作品全体の文脈も無視し、感情にまかせて判断したとしか思えない。残酷な描写とは何かをオープンに話し合う場を整えなければ、今後も一部の人の恣意的な判断で学校図書の閲覧が制限される事態が起きてしまう。


 半分だけこの人の意見には同意できるのだが、僕が気にかかったのは文中の「原爆投下で人間が溶けていく描写」というところだ。

 この人はたぶん、『はだしのゲン』をちゃんと読んでいないと思う。

 「人間が溶けていく」という説明の描写は作品中に存在しない。おそらくこの人は、原爆の熱線を浴びた人々の皮膚が水ぶくれして破れることによって皮膚が剥げた描写のことを「溶けていく」描写と判断したまま、『ゲン』を読むのを止めた人だと思う。、作品中ではこのことはきちんと説明されている。

 重箱の隅を突くようなことを僕は指摘しているのではない。僕が言いたいのは、作品中の絵の描写を正しく把握するべきだということを言いたいだけである。

 原爆が地上500メートルで炸裂したとき、中心温度が数百万度の火球が形成されて、爆心地から直線距離で半径1.5キロから2キロぐらいにいる人に最大で4千度の熱線が照射される。この熱線を浴びた人たちにはたちまち照射部分に大きな水ぶくれが生じて、何かのショックで破れると、皮膚全体が流れ落ちてしまう。

 なぜ熱線を浴びると『ゲン』の中であのような描写になるのか、きちんとした事実を正確に知ることが一番大切なのである。なぜなら事実を客観的に知ることは、自分の感情で生じたものから距離を置いて、描かれたイメージの意味を論理的に解釈しようとするからである。
 頭の中でそういう営みが出来るなら、ただ単純に「残酷さ」だけで留まることはなく次へ進める。事実の把握によって自分が「残酷だ」と思った感情の先に進めれば、知性の中で「こういうことが現実に起こったのだ」ということを受容できる。「それが原爆の恐ろしさなのだ」と現実として受け入れる本当の理解が生まれるのだ。

 少なくとも、僕はそういうような経緯を経て、『はだしのゲン』を初めて読んだ時のショックから始まって、本当の意味での作品理解へと進んで行った。

 パッと絵を見ただけで「残酷だ」と感じて、中途半端に読むのを投げ出して無知のままで留まるから、「残酷さ」だけが残って思考停止してしまうのだ。
 
 最初に見たときは確かに衝撃を受けるけれども、「何があのとき起こったのか」ということと正面から向き合おうとすれば、「残酷な描写とは何か」という低い次元を問題設定するようなことがいかにバカバカしいか分かるはずだ。

 残酷もなにも、実際に起こったことを正しく伝えようとしているのだ。1945年の8月にそれを体験した人はもっと苛酷なものを見ただろう。
 絵に対する嫌悪感だけで留まって作品に対する無知のままで留まるのは、被爆者が直面した事実に対する無理解しか残さず、それこそ偏見や差別の方向へ向かいかねないと思う。

 ちなみに上記のコメントを寄せた識者は、広島大大学院の准教授(原爆文学研究)だそうである。


 朝日の声欄なんかにも「『はだしのゲン』を読む子供に心のケアをしてあげればいい」という投書があったりしたが、「心のケア」なんていう発想自体が子供の精神とか認識力を舐めてるようにしか思えない。

 子供はそう簡単に本を読んだぐらいで「トラウマ」を引きずったりするほど、ひ弱ではないし、今のような物事が自由に考えられる世の中で、ちょっと政治的描写があったからといって簡単に影響されたりすることはない。

 もっとも、作者である中沢啓治さんは被爆描写で子供たちが嫌悪感を感じることを「当たり前なこと」として受け止めていたし、被爆描写をどこまで忠実に再現するか、非常に葛藤を感じていたらしい。『ゲン』の中での原爆投下時の描写は「本当はあんな甘いものではなかった。もっと現実はひどかった」という趣旨のことを述べている。

 天声人語にも書いてたし、あるラジオ番組で中沢さんの奥さんのミサヨさんが話していたりしたが、『はだしのゲン』に関していろんな子供の読者の母親たちから「子供が夜に寝られなくなった」「一人でトイレに行けなくなった」というような手紙が来たら、中沢さんは丁寧に返事を書いていたらしい。

 「お宅のお子さんは素晴らしい感性を持ってます。誉めてあげてください」

 「ショックを受けるのは正常なことだし、子供さんは立派ですよ。でも一度目に焼き付けたら、大人になった時にもう一度考えるチャンスが来るだろうから、それはその時に考えればいい。原爆はそんなに綺麗なものではないんですよ。ただ被爆者の哀しみは知ってもらおうと思って、なるべくならリアルに描こうと思うのです」


 同じラジオ番組の中で視聴者からのメールが披露されていたのだが、その中で非常に印象に残るものがあった。

 初めて読んだのは7歳のときで、あまりの衝撃に高熱を出して寝込んでしまいました。当時は幼く、それが恐怖なのか怒りなのか、その感情の判断ができなかったのですが、この読書体験をきっかけに、大袈裟ではなく、「この世界には苦悩がある」ということを知ったと思います。

 そして問答無用に「戦争は嫌だ」ということを身体が覚えました。

 子供には刺戟が強すぎる、という意見を聞くこともありますが、わたしは心の輪郭が曖昧な年齢でこの本に出会ったことを、本当に良かったと思っています。


 広島ではここ近年、『はだしのゲン』を平和教育の教材に使い始めたという。

 だが僕は別に教科書のように無理に読ませなくてもいいし、読みたい子供もいれば、読まない子供がいてもいいと思う。

 子供が『ゲン』の存在を知って、いつでもそれを手に取ることができるなら、それで良いと思うのだ。その子の人生の途上で必要な時が来れば、いつか『ゲン』の世界に入ってゆくときも来るだろう。

 読もうと思うときが来たら、大いにショックを受けたらいいのだ。だいたい、原爆を「残酷だ」と思わずに受けとめられることの方がウソだし、原爆が使われたこと自体が最も「暴力的」なことなのだから。


 ロスアラモスだったかスミソニアンだったか忘れたが、アメリカでは原爆のキノコ雲がデザインされたTシャツやら、「エノラ・ゲイ」や「ボックス・カー」の模型飛行機が子供に売られたりしているらしい。

 『はだしのゲン』の被爆描写よりも、そういう事実が存在することの方がよほどに「残酷」で「暴力的で過激」だと思えてならない。




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これは一種のジェノサイドではないのか

Posted by Hemakovich category of Reading on


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 『従軍慰安婦 - 元兵士たちの証言』(西野留美子・著 明石書店)を読む。子供の時に『はだしのゲン』を読んだ時ぐらいのショックを受ける。あまりのショックで死にたくなったほど。

 内容にショックを受けたのは勿論だが、この本が出版されたのが僕が高校生だった時であったことも衝撃だった。あれからこの国は進歩しただろうか。むしろ最悪の道を辿っているのではないか。

 序章からいきなり憲兵の拷問の描写から始まって、それも僕が子供の時からトラウマになっていた小林多喜二の『一九二八年三月十五日』で描かれた拷問がそっくりそのまま記述されてたので、いきなりぶん殴られたような衝撃を受ける。
 (以前にも書いたが、その拷問方法を文字で読むのも怖いので、僕は多喜二のこの本がずっと読めなかった。何度も図書館で借りようとして挫折した。ちなみにその拷問描写は中沢啓治の『ユーカリの木の下で』にも描かれている。どうやら特高や憲兵の拷問というのは一定のパターンがあったようだ)

 最初のうちは慰安婦に同情的だった者や、初めてのセックスの相手が慰安婦で恋愛感情を持った兵士の述懐などが載せられていて、「なんか都合が良すぎるじゃないか、加害者意識はないのか」と腹を立てながら読んでいた。
 だが読み進めるにしたがって、だんだん女性たちの置かれた苛酷な状況に関する証言が増してきて、慰安婦当事者の証言に至ると決定的に叩きつけられるような激しいショックを受けていく。

 「消耗品」のようにされた彼女たちの実像、戦争が負けていくにしたがって兵士と同じように命を落としたり殺されたりした末路、敗戦後も続いた彼女たちの苦悩の人生(なんか自分がこういうふうに書いていても言葉が白々しく感じられるのだが)。

 そして慰安婦だけではなく、強制連行で炭鉱などで働かされた朝鮮人のことや、敗戦によって日本国籍を失うことによって祖国に帰ることができなくなった朝鮮人の悲劇にも触れられている。


 あまりにもむごたらしすぎて、それなのにあまりにも日本人は無知すぎて、日本の罪責の深さを嫌というほど思い知らされた。
 こんなにひどいことをやっておきながら、「狭義の強制的な拉致はなかった」とか「侵略ではない」とか、どの口が言えるのか、死んでしまえと思った。
 日本は決して反省してるとは思えないし、むしろ開き直った盗人のように野蛮だと感じた。今の日本を見ていたら、そりゃ韓国がロビー活動を活発化させてアメリカで慰安婦像を建てていこうとするのも当たり前だと思う。

 「原爆投下は神の懲罰」と言われても仕方ないと、ほんの少し思ってしまった。従軍慰安婦に関する戦争責任はあまりにも根深く、未だに日本人の中で罪責感が薄い。それでヒロシマ・ナガサキとか言うのは結構だが、我々は被害者意識を表に出すほどに、本当に自分たちの負の歴史をきちんと総括してきただろうか。たとえあの戦争で自分たちも苦しんだと言ったところで、従軍慰安婦や強制連行に関してはあまりにも冷淡すぎるのではないか。

 
 「従軍慰安婦のことを知らない元軍人なんていない」と証言者たちは言っている。

 つまり、そのぐらい、その当時一般化されていたことで、だからこのことに関する戦争犯罪は相当重いもので、限られた軍隊の中で起こった小さな事件などではないのだ。なにせ、日本国内にも慰安婦(朝鮮人の)は存在していた事実があるのだから。

 国が関与した事実はない、なんて真っ赤な嘘だ。資料も残ってるし、軍が関与しなければ慰安婦制度は起こりえないのだ。

 占領地での現地民に対する強姦防止のために慰安婦が送られたという話は知っていたが、軍が慰安婦を必要とした最大の理由は、強姦などによって性病に感染して兵力が落ちることを危惧したからだとされる。だから軍医が慰安婦の検診まで行っていたし、軍が定めた慰安所以外の売春宿に行くことを厳しく禁じていた。

 慰安婦の8割が朝鮮人で構成されていたのも理由があって、日本人の売春婦だと兵隊の心情として抵抗が起こるからであって、だから心理的抵抗の少ない(つまり蔑視の対象として)植民地の女性が駆りだされたのだ(日本人の慰安婦が全くいなかったわけではなく、日本人慰安婦は「将校専用」という扱いを受けている)。
 
 しかも性病感染率の少ない女性を慰安婦にしようとしたから、必然的に10代の未成年が対象とされた。12歳の子供まで慰安婦にされた事例もあるという。

 彼女たちは一日に数十人の兵士の相手をさせられた。もちろん無茶苦茶なことをさせているわけだから身体を壊して死ぬ者もいた。代わりはすぐに連れて来られた。彼女たちは騙されたり、強制連行のような形で場合によっては戦地の奥深くまで「物資」扱いで連れてゆかれた。激戦地では軍と一緒に玉砕させられたり、証拠隠滅として殺されたり、部隊が移動して病人のまま置き去りにされたりもした。

 とにかく無茶苦茶なことを日本はやったのである。

 なぜ従軍慰安婦のことが極東軍事裁判で免責されたのか、非常に理解に苦しむ。考えられるのは、満州でのソ連兵や進駐した米兵も強姦事件を起こしていたからだろうか。
 だが戦地に軍隊の行軍と共に売春のための女性を連れて行く行為を組織的に行ったのは日本軍だけである(ナチスすらやってない)。

 本を読んでないと分からない感覚だけど、ここまで朝鮮民族を日本の敗戦の道連れのようにとことん搾取して、あらゆる形で戦争に利用して、まったく人々の疲弊を省みなかった状態を見ていると、これは一種のジェノサイドだと指摘してもおかしくないように思えたりする。

 
 この本は明言はしていないが、描写の構成を見る限りでは天皇の戦争責任に踏み込んでいるように僕は読み取れた。

 天皇の赤子だと教育して日本人に同化させておきながら、結局は自分たちとは別個の蔑視の対象として、一日に20時間も危険な労働をさせたり、何十人もの兵士の性の捌け口とさせられたことを思うと、どう考えたって昭和天皇に戦争責任がなかったなんて、どうしても思えなくなる。

 僕はこの本を読む以前でも、昭和天皇が完全に免責されたことは、結局のところ日本人が一人一人戦争の罪責を反省する機会を失わせることにも影響してしまったんじゃないかと思ってきた。
 せめて昭和天皇は退位して今の天皇に譲位するぐらいのことはすべきだったんじゃないかと考えたりしてきた。


 いま、この本を読んで思うのは、天皇制が残り続けることは、やはり危険なことなのではないかということである。



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「健康的なナショナリズム」を背負わされた作家の限界

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 「読書が足りない」と危機感を感じたので、木曜に図書館に行って5冊借りてくる。今日読んだのは岩波ブックレットの『近現代史をどう見るか―司馬史観を問う』中村政則・著。15年ほど前の書。


 この本で初めて知ったのだが「自慰史観」で有名な藤岡信勝(いま何やってるの?)は相当熱烈な司馬ファンであり、彼が歴史修正主義運動に入り込んだのは司馬の著書に出会ったからだという。

 藤岡が自著の中で司馬遼太郎本に関する特徴として「健康なナショナリズム」「リアリズム」「イデオロギーからの自由」「官僚主義への批判」を挙げているのはなかなかに興味深い。

 百人の日本人に遭遇したら五人くらいは熱烈な司馬マニアにぶつかるのではないかという気がする。

 僕の場合、大学の時のサークルの先輩がそうだった。彼が何度も『鬼謀の人』と『歴史の視点』のエピソードを繰り返し話して、関西人の先輩の語り口の面白さも手伝って、僕は後者と『花神』を買った。『花神』にはかなりのめりこんで、あれぐらいの長編は今でも絶対に詠むことはないのだが、当時は授業をサボって睡眠時間まで削って三日ぐらいで読み終えたように思う。

 詩の投稿サイトで知り合った音大出身の女の子がいて、サブカルに関してはとてもスノッブな人だったのだが、政治とか歴史とかは苦手なのに、どんなきっかけがあったのか司馬の幕末モノにハマってしまった。かなりの長州びいきになってしまって、そのくせあんまり知識もないので、山口が大嫌いな僕が長州の悪口と会津の肩を持つようなことを言ったら、「白虎隊なんて児童虐待じゃないですか!」と怒られて、その「児童虐待」という発想に驚愕した覚えがある。(彼女は今、『八重の桜』を見てるんだろうか)

 『花神』にはハマったのだが、『歴史と視点』ではどうも肌に合わない要素を感じて僕は司馬マニアにはならなかった。
 
 簡単に言えば、昭和(戦前)という時代を無茶苦茶に否定する割に、明治という時代を偏執するかのように賞賛しすぎている、と思ったのである。
 
 僕は平和主義者なので十五年戦争は勿論、日清・日露戦争にしても全く肯定できないのだが、司馬遼太郎は昭和の戦争指導者の無能さをボロクソに批判するけれど(それには僕も同意するが)、明治の戦争は完璧でクレバーであるかのように言う。朝鮮や台湾を植民地化したことには言及せずに諸手を挙げて賞賛する辺りに、なんか情緒的な偏執を感じ取った。

 司馬ファンなら誰でも知ってるだろうが、彼は敗戦をきっかけに日本人のダメさ加減を痛烈に感じて、「じゃあ日本人は昔からこんな劣等民族だったのか?」という問いから歴史小説に向かったとされている(こんな簡単な説明だとファンから怒られるだろうが)。
 『歴史と視点』を読んだ時、「このオッサンは自分が属した昭和をあまりに憎んでるものだから、意地になって明治を美化しようと必死こいてるだけなんじゃないか?」という思いがした。もし僕がこの本を読まずに『花神』から『竜馬が行く』とか『燃えよ剣』へと読み進めて行ったら、僕はそんな簡単に司馬遼太郎から離れることはなかったかもしれない。

 司馬遼太郎を読んだ頃には、僕の中には歴史に対する一定の自分の認識(それがイデオロギーだとは思わないが)というものがあったのだろう。ましてや健康だろうが病人だろうがナショナリズムは昔から嫌いだった。「国民国家」という理念にあまり良いイメージを持ってないし、ポストモダンとかポストコロニアリズムの方が自分との親和性を感じていた(逆に強烈な「司馬イスト」はこれらを親の仇のように憎悪している)。

 何より幕末とか戦国といった時代が嫌いだった。それに『花神』は確かに面白かったけど、「なんか、大村益次郎を持ち上げすぎてるんじゃないか?」という、極端なヒロイズムを感じないわけでもなかった。

 小林よしのりや藤岡信勝が「自慰史観」をばら撒き始めた頃、それに対するカウンター本として『リアル国家論』というのが出たが、これの中で網野善彦の史学に触れて、「ああ、こういうのが本当の歴史だ」と目が覚めるような思いがした。僕は司馬遼太郎の英雄主義が嫌いだったんだと分かった。


 今回読んだ『近現代史をどう見るか―司馬史観を問う』は、いわゆる「司馬史観」に対して玄人の歴史学者が批判的に考察する、といったスタイルなのだが、この中で引用された加藤周一が評した司馬批評が白眉である。

 司馬遼太郎氏の史観は天才主義である。……このような天才たちは政治的支配層の力関係の中で動き、国際情勢に反応し、技術的進歩に敏感である。しかしそこには、民衆が演じた役割と、経済的な要因がもったであろう意味は、ほとんど描かれず、ほとんど分析されない。
『司馬遼太郎小論』


 『花神』にのめりこんでいた時、藤岡信勝が指摘した司馬文学の「リアリズム」というのは僕も強烈に感じて、「なんてドライでクールなんだろう」と惚れ惚れしていた。

 だが今から考えてみると、歴史小説で激動期の英雄を描く時に限って司馬文学はリアリズムのようなものを強烈に放つのだけど、それは彼の思想とか「司馬史観」と呼ばれるものがリアリズムであるわけなのではなくて、司馬が好んで英雄を描く時の描写や文体がリアルに見えるだけなのじゃないかと思う。

 『歴史と視点』の中で横井庄一さんを取り上げた「大正生まれの『故老』」だとか、戦車兵だった自分の戦争体験に触れるとき、司馬が「集団的政治発狂」とか集団ヒステリーと呼ぶ戦前・戦中の政治体制の「情緒的なもの」に対して、司馬はすごくそれを嫌悪して「合理的なもの」に立とうとするように見える。
 だが、彼が自分が経験した時代に対してまるでそれが無価値であるかのように罵倒すればするほど、司馬の文体の中から「合理的なもの」が失われて「情緒的なもの」が比例して映り込んでくるように感じるのである。

 昭和天皇が死んだ時に彼が産経新聞に寄せた追悼文などは、「情緒的なもの」が溢れすぎて僕なんかからすれば読むに耐えないものだが、それは十五年戦争の昭和とか天皇制ファシズムという自らの運命を縛りつけたものに対して、司馬がきちんと対象化できていなかったからのように思ったりする。
 
 まるで歴史小説家が自分の生きた時代の歴史にコンプレックスを持つかのように。


 「明るい明治」と「暗い昭和」、その中間の評価にすら値しない大正。このように司馬史観は至極単純なのだが、これらに連続性を見い出そうとしない、白か黒かのような極端な価値評価、それゆえにその史観は無理を来して破綻せざるをえない。

 司馬史観の近現代史というのは、結局のところ、自分の生殺与奪を思うがままに握られた戦争体験に対して、司馬遼太郎が生涯を通して誇りを奪われ屈辱を感じ通したことからすべてが始まって、その想いの大きさゆえに、最初から破綻を余儀なくされた史観に身動きが取れず、幅の狭いものにならざるをえなかったのかもしれない。


 それが正しいとか間違っているとか言うのではなく、「健康的なナショナリズム」を背負わされた司馬のような国民作家と呼ばれる立場での限界というものなんだろうと僕は思う。





はだしのゲンに関して徳島新聞が掲載した明らかなウソ

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 徳島在住の知人から聞いて知ったのだが、松江市教委の『はだしのゲン』閉架措置問題に関して、明確な誤りが記述された投稿を、徳島新聞が自社の投稿欄「読者の手紙」に載せたらしい。


 徳島新聞を全く読んだことがない人に最初に断っておきたいが、この新聞社はかなり右寄り思想の保守新聞社である(ネトウヨがブログに書いたようなこの痛い一面コラムを見てほしい)。

 以下、問題の投稿を敢えて全文転載して紹介する。

「過激描写も子に判断させよ」 (徳島市・匿名希望・37歳・自営業)

 今年も猛暑の中、終戦記念日が過ぎた。普段は忘れがちな平和の尊さを再認識する日だ。戦争の悲惨さを後世に伝え、過ちを二度と繰り返してはいけないと誓うことは日本人の義務と言えるだろう。
 しかし先日、耳を疑うような記事を見つけた。島根県松江市教育委員会が「はだしのゲン」に過激な描写があるため、市内の小中学校図書室での閲覧を制限するというのだ。旧日本兵がアジア人の捕虜の首をはねるシーンや、従軍慰安婦の性的描写が不適切と判断したらしい。
 この漫画は原爆被害に遭った作者が、当時の広島の地獄絵図を全身全霊で描いた作品だ。戦争がどういうものか、自分の目で見たものだけを包み隠さず描いている。
 私が初めて読んだのは学校の図書館だ。不適切とされた描写ははっきりいって覚えていない。それよりも原爆を浴びた人が、肉がむき出しになった傷に張ってあるガーゼを交換するときにうみがへばりつき、無理にはがして気絶するほどの痛みだとか、けがや病気の苦しみの断末魔ばかりが記憶に残っている。
 不適切とされる描写も含めて戦争である。無菌室で育てるように「制限」ではなく、子供が表現の真意をくみ取れるように自分で「判断」させる教育こそが望ましい。

(徳島新聞 「読者の手紙」 2013年8月22日)



 文中に「従軍慰安婦の性的描写」とある。

 これはまったくのウソである。

 いま世間で「問題」と槍玉に上げられている『はだしのゲン』における強姦シーンとは、被爆者姉妹が路上で通りすがりの進駐軍兵士(米兵)に襲われて、姉が草むらでレイプされるという描写を指しているのだろう(単行本4巻 P160~P161)。もしくは日中戦争でのいわゆる「三光作戦」に関する描写で日本兵が女性器に一升瓶を押し込んで殺害する場面がある(10巻 P20)。だがこれは従軍慰安婦の描写ではない。

 他には強姦の描写はまったく存在しないのだ。

 そもそも『はだしのゲン』では、従軍慰安婦に関する言及すら一切存在しない。


 事実にウソが含まれる読者の投稿を新聞に掲載された場合、そのウソに関する責任は掲載した新聞社の責任である。ウソが含まれる投稿を掲載するのは、新聞社自身がウソを報道するようなことと意味は等しい。


 なぜ徳島新聞はこのようなデタラメの書かれた投稿を掲載したのか。

 ウソをウソだと事実把握しないままに適当に掲載したのか? 徳島新聞の投稿欄編集者はそんなポカをやらかすような編集者失格の輩が仕事してるのか?

 それとも、敢えて、政治的な意図をもって、このようなデマ投書をこっそり挿入したのか?


 そもそもこの「匿名希望」氏の投稿文は、注意して読むとおかしな書き方が多い。

 「不適切とされた描写ははっきりいって覚えていない」と断っておきながら、なぜか「従軍慰安婦」とはっきりと断定しているのである。
 単行本4巻での描写では、ジープに乗った英語を話す、外国人であることをデフォルメされた典型的な米兵による通りすがりのレイプが明確に描かれているが、これがどう記憶されると従軍慰安婦と断定できるイメージになるのか。


 「匿名希望」氏の記憶に残っているのは、「ガーゼの交換」の描写であるらしい。

それよりも原爆を浴びた人が、肉がむき出しになった傷に張ってあるガーゼを交換するときにうみがへばりつき、無理にはがして気絶するほどの痛みだとか(以下略)


 個人の記憶の中で何が鮮烈にイメージを残すかは千差万別ではある。だが投稿文のこの記述をそのまま受け取るなら、これは自殺しようとして未遂に終わりゲンと再会する夏江のセリフ(単行本6巻 P138)をリライトして引用したに過ぎないように思えてしまう。それに米兵のレイプ場面を「従軍慰安婦」と「誤読」する割には、妙にこの部分は具体性を帯びた言葉や表現を使っているのも奇妙である。まるでそこだけ見開いて抜書きしたみたいだ。

 この人が『はだしのゲン』を初めて読んだのは学校の図書館だという。小学生の時に読んだのか、それとも中学なのか(その違いで全然影響が異なる)、明らかではない。

 だがこの「匿名希望」氏と1歳しか違わず、小学校から高校までを徳島に在住していた僕は、当時の学校図書室で『はだしのゲン』が置かれてるのを見たこともないし、そういう話を聞いたこともない。地域性の異なる県北と県南に2回転校しているが、中学の時に書店でマンガを見るまでは『はだしのゲン』なんてアニメの方しか知らなかった(原作があるなんて思いもよらなかった)。徳島で数十年教員生活を送った父に尋ねてみても、学校に『はだしのゲン』が置かれている話は記憶にないという。なぜなら徳島はそもそも自民党の票田である「保守王国」の土地柄だからである。


 この投稿者は『はだしのゲン』をきちんと、もしくはまったく読んだことがないのではないかと思いながら、僕はこの投稿文の真意にすら疑念を抱いている。

 有り体に言えば、この投稿者は『はだしのゲン』の閲覧制限を批判する形で論陣を張りながら、実はこのマンガを貶めることを目的としているのではないか、そういう隠された悪意を疑っているのだ。

 「不適切とされた描写は覚えていない」と“アリバイ”を作っておきながら、保守的な県民性を煽るかのように、極めてナーバスな問題である「従軍慰安婦」が描かれていると明確に断定している。

 作者が戦争がどういうものかを、「自分の目で見たものだけを包み隠さず描いている」というくだりが、やけに強調されたフレーズに見えるのは僕だけだろうか。「じゃあこの作者は実際に戦場で従軍慰安婦や日本兵の首切りを見たのか?」という右寄り読者の反証をまるで促しているかのようである。

 「不適切とされる描写も含めて戦争である」というのは一見してみれば正論を述べているのだが、受け取る読み手によっては曖昧で両義的な表現である。松江市への陳情の理由に挙げられた「この本にはありもしない日本軍の蛮行が描かれている」と考える立場にしてみれば、「不適切」はそもそも「事実ではない」ことなのでそれを「含める」ことなど許し難いからである。

 「従軍慰安婦」に過敏な反応を示すような、そんな右寄り立場の人間を挑発したい思惑があるのだろうかと思えてしまう。

 つまり、ネットで使う表現で言えば、「釣り」のように見えるのである。


 僕が感じている疑念の究極を述べるなら、もしかすると、この「徳島市・37歳・自営業」なる「匿名希望」氏は実在の人物ではなくて、これは新聞社の記者が書いたニセ投稿なのではないかとすら想像してしまう。

 もしかすると、「はだしのゲン」には従軍慰安婦が描かれているというデマを拡散するために記者が投稿を偽造して印象操作を目論んだのではないかと、絶対あってはならないことさえ疑ってしまうのだ。

 最初の方で述べた作品中にある日本兵が女性器を痛めつけて殺す描写、考えてみれば投稿者があれを指して「従軍慰安婦のことかと思った」という言い訳したとして、やろうと思ったら出来るのだ。なにせ「はっきりいって覚えていない」らしいのだから。

 だが、「従軍慰安婦」という固有名詞を使うかどうかで、今の日本人に与える印象の度合いは全然変わってくる。まともな新聞社ならその語が出てきたら作品細部までチェックしてきちんと確認するだろう。それが本当に「従軍慰安婦」に関する描写なのかきちんとチェックして、その言葉を含めた投稿の掲載に責任を持つのが本来の新聞社の仕事だ。
 
 けれども保守的な地盤の三流地方新聞なら、もし数少ないクレームが来ても「細部まで確認できなかったが不適切とされる場面であることには変わりないと判断した」とか何とか言えば、捕虜に対する残虐行為だろうが性奴隷だろうが細かいことまで考えも及ばないで、とにかく「中韓がやかましく因縁つけてるウソの話のことだな」って分かればどうでもいい保守的な県民もグダグダ言わないだろうし、操作する側もそうタカをくくってるかもしれない。

 だがとにかく「従軍慰安婦」という過敏に反応されやすい言葉を引き出しさえすれば、「よく分からんが『はだしのゲン』ってそんな反日マンガだったのか」と民度の低い連中は過剰に煽られるに違いない。そういうことを考えて意図的に断定された固有名詞を狡猾に挿入する姑息な連中はいるかもしれない。

 「従軍慰安婦」というポピュリズムを極めて刺戟する言葉一つ、使うか使わないかで、知的怠惰で偏見大好きな無知な人たちにとっての『はだしのゲン』に対するラベリングが全く異なってくるのだ。煽られて沸騰したバカな年寄りどもが三流過疎新聞に必死こいて投稿してきてくれて、日頃頭を悩ませている投稿欄の原稿不足も解消するかもしれない。


 僕がそこまで疑ってしまうのには根拠があって、これまでに徳島新聞は明らかなウソを記述されながら右翼思想が盛り込まれた匿名希望者の投稿文を何度か掲載した経緯があることを、徳島の友人を通じて僕が知っているからである。


 このような僕の究極の推測が外れてくれることを、僕は願わずにはいられない。

 
 いずれにしろ、『はだしのゲン』では従軍慰安婦に関する記述はまったくなく、虚偽の事実が記述された投稿を(ミスであれ故意であれ)投稿欄に掲載したことを、徳島新聞は読者に謝罪すべきだろう。


 「歴史認識を問うのなら、事実に立脚しなければ」だって? 

 「このウソ垂れ流しの零細地方紙、シゴウしゃげたろか。(by 近藤隆太)」






Everlasting prayer at this our delta

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 槇(まき)氏は近頃上海から復員して帰って来たのですが、帰ってみると、家も妻子も無くなっていました。で、廿日市町の妹のところへ身を寄せ、時々、広島へ出掛けて行くのでした。

 あの当時から数えてもう四カ月も経っている今日、今迄行方不明の人が現れないとすれば、もう死んだと諦めるよりほかはありません。槇氏にしてみても、細君の郷里をはじめ心あたりを廻ってはみましたが、何処でも悔みを云われるだけでした。流川(ながれかわ)の家の焼跡へも二度ばかり行ってみました。罹災者の体験談もあちこちで聞かされました。

 実際、広島では今でも何処かで誰かが絶えず八月六日の出来事を繰返し繰返し喋っているのでした。

 行方不明の妻を探すために数百人の女の死体を抱き起して首実検してみたところ、どの女も一人として腕時計をしていなかったという話や、流川放送局の前に伏さって死んでいた婦人は赤ん坊に火のつくのを防ぐような姿勢で打伏になっていたという話や、そうかと思うと瀬戸内海のある島では当日、建物疎開の勤労奉仕に村の男子が全部動員されていたので、一村挙(こぞ)って寡婦となり、その後女房達は村長のところへ捻じ込んで行ったという話もありました。

 槇氏は電車の中や駅の片隅で、そんな話をきくのが好きでしたが、広島へ度々出掛けて行くのも、いつの間にか習慣のようになりました。

 自然、己斐駅や広島駅前の闇市にも立寄りました。が、それよりも、焼跡を歩きまわるのが一種のなぐさめになりました。

 以前はよほど高い建ものにでも登らない限り見渡せなかった、中国山脈がどこを歩いていても一目に見えますし、瀬戸内海の島山の姿もすぐ目の前に見えるのです。
 それらの山々は焼跡の人間達を見おろし、一体どうしたのだ? と云わんばかりの貌(かお)つきです。しかし、焼跡には気の早い人間がもう粗末ながらバラックを建てはじめていました。

 軍都として栄えた、この街が、今後どんな姿で更生するだろうかと、槇氏は想像してみるのでした。すると緑樹にとり囲まれた、平和な、街の姿がぼんやりと浮ぶのでした。

 あれを思い、これを思い、ぼんやりと歩いていると、槇氏はよく見知らぬ人から挨拶されました。
 ずっと以前、槇氏は開業医をしていたので、もしかしたら患者が顔を憶えていてくれたのではあるまいかとも思われましたが、それにしても何だか変なのです。 

 最初、こういうことに気附いたのは、たしか、己斐から天満橋へ出る泥濘(ぬかるみ)を歩いている時でした。

 恰度(ちょうど)、雨が降りしきっていましたが、向うから赤錆びたトタンの切れっぱしを頭に被り、ぼろぼろの着物を纏った乞食らしい男が、雨傘のかわりに翳(かざ)しているトタンの切れから、ぬっと顔を現しました。
 そのギロギロと光る眼は不審げに、槇氏の顔をまじまじと眺め、今にも名乗をあげたいような表情でした。が、やがて、さっと絶望の色に変り、トタンで顔を隠してしまいました。

 混み合う電車に乗っていても、向うから頻(しき)りに槇氏に対(むか)って頷(うなず)く顔があります。
 ついうっかり槇氏も頷きかえすと、「あなたはたしか山田さんではありませんでしたか」などと人ちがいのことがあるのです。


 この話をほかの人に話したところ、見知らぬ人から挨拶されるのは、何も槇氏に限ったことでないことがわかりました。

 実際、広島では誰かが絶えず、今でも人を捜し出そうとしているのでした。




原民喜 『廃墟から』 (『夏の花』三部作・最終章。一部改行は引用者による)







はだしのゲンへの「焚書」テロを許さない

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 『はだしのゲン』への閲覧制限を行っていたのは、松江市だけではなかったらしい。

 はだしのゲン:鳥取市立中央図書館でも事務室に別置き - 毎日新聞 8月19日


 個人的には、こちらの件のほうが松江市の事例よりもっと重大なケースだと思う。学校で読めなくても自治体の図書館に置いてあれば、『はだしのゲン』に触れる機会は保障されていると僕は考えていたからだ。

 しかし町の図書館までもが自由に手に取れないようになっていると、子供たちが『ゲン』を知る機会は限りなく剥奪されてしまう。

 うちの近所の図書館では『ゲン』以外にもたくさんのマンガを置いているが、性的描写のあるマンガなんて他にもたくさんある。
 『島耕作』なんて『はだしのゲン』と比べものにならないくらい露骨にセックスを描いてあるが、あんなものですら平気で子供が読めるコーナーに置いてある。
 強姦の描写が良くないというんなら、手塚治虫のマンガだってレイプシーンがたくさんあるのに、鳥取の保護者は全然ご存じないのだろうか。
 僕が把握している限りでは、『はだしのゲン』で描かれてる強姦はほんの1ページ、数コマであって、手塚治虫のある種のマンガや『島耕作』と比べれば、セックスの卑猥さや暴力性はかなり薄めて描かれている。

 もっとも、『はだしのゲン』に対して重箱の隅をつくようなクレームを仕掛けてくる連中を、僕は普通の「市民」だとか「保護者」だとはまったく思っていない。
 
 それなりの力を持った歴史修正主義者たちのグループが不穏当な圧力を仕掛けてきているのだと考えている。


 今日の朝日の朝刊で、ネット上の電子署名で『はだしのゲン』に対する閲覧制限を松江市教委に抗議する動きがあることを知った。

 「はだしのゲン、自由に読ませて」電子署名2日で6千人 - 朝日新聞 8月19日

 戦争や原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」が、松江市の小中学校の図書室で自由に読めなくなったことについて、堺市北区の学童保育指導員、樋口徹さん(55)が、閲覧制限を指示した松江市教育委員会に「自由に読めるように戻してほしい」と求めるネット署名を呼びかけたところ、2日間で6千人分が集まった。

 樋口さんは16日夜、ネット署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オルグ)」に、自身が学童保育で接している小学生が「ゲン」を読んで原爆の恐ろしさや平和を学んでいると記し、署名を呼びかけた。署名はツイッターやフェイスブックを通じ海外在住者まで広がり、サイトを運営するハリス鈴木絵美さんは「これほど短期間に5千を超える署名が集まるのは極めて異例」。樋口さんは署名が1万を超えたら松江市教委に提出する。

 市教委によると、18日夕までに全国からメール約250通が届き、その大半が市教委の対応を批判する内容だったという。


 今回の問題が最初に報道された時よりも僕の考え方は少し変わった。だから署名に応じることにした。

 署名はこちらのページで簡単に行える。住所は郵便番号のみで、電話番号などは書かなくてよいし、氏名もカタカナやアルファベット表記でも大丈夫のようらしい。

 キャンペーン | 「生きろゲン!」松江市教育委員会は「はだしのゲン」を松江市内の小中学校図書館で子どもたちが自由に読めるように戻してほしい。 | Change.org

 
 さきほど僕が署名した段階ではすでに1万人を超えていて、なお4千人ほどの署名を募っている。どうやら1万5千人分の署名を目標に掲げているようだ。

 僕はこのような電子署名にそもそも関心はなかったし、今までもこういうものに参加したりすることは全然なかった。

 今回に限って署名に加わったのは、もちろん『はだしのゲン』に関して思い入れが大きいというのも理由にある。
 だがそれよりも、歴史修正主義者たちがこのマンガをターゲットに仕掛けてきたのはかなり問題が根深いと判断したことが最大の動機である。
 
 もしこのまま何もカウンターがないままに松江市教委の行為を放置していると、それによって世の中に与える影響は計り難く、リベラルな社会の存立を大きく揺るがしかねないと思える程の危機感を感じたからだ。
 
 僕の中の感覚では、『はだしのゲン』を読めないようにされるというのは、たとえば「大東亜戦争は植民地解放の正しい戦争だった」と記された歴史教科書のみが教科書検定で採用されてしまうような、それぐらいのインパクトのあることのように思える。

 
 こういった電子署名の力で『ゲン』の閲覧制限が解除されるかどうかは分からない。

 ただ何も動きがないよりも、松江市教委や歴史修正主義者たちにカウンターを浴びせなければ、これが契機となって雪崩を打って次から次へと彼らの右傾化活動が激化して、それらが公然とまかり通る空気を許してしまうことにもなりかねない。

 極右たちに「絶対に許さんぞ」と示威をぶつけて、連中の思い通りにさせないという人々の意思を表明して、リベラルの抵抗力を世の中に印象づけることが一番大事だと思う。


 『はだしのゲン』が過激かどうかという議論に拘泥させられてはならない。

 自由に本が読めない、それを許してはならないだけなのだ。



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無知の多くは自ら望んだ意図的な偏見である

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 「教育委員会」という、現役の時に体制に従順でだったバカ教師たちのくだらない名誉職の吹き溜まりで、『はだしのゲン』が事実上の“発禁処分”に遭ったらしい。

 はだしのゲン」過激描写理由に「閉架」に 松江 - NHKニュース
 はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」 - 毎日新聞


 島根といえば竹島問題を率先して子供に学ばせてる「保守王国」だから、このようなことが起こったとしても、さして不思議とは思わない。むしろ「いかにもやりそうなことだ」と感じた。

 それより以前から不思議に思っていたのは、『はだしのゲン』を読んだ人たちの多くが「学校の図書室に置かれていたので読んだ」という事例がたくさんあることである。

 僕が住んでるところは島根に負けず劣らず保守の真骨頂のような辺境であるが、小・中学校時代、学校の図書室に『はだしのゲン』は置かれていなかった。小学時代に一回転校しているが、どちらの学校にもなかった。

 閉架処分にした松江の学校は一応『はだしのゲン』を所有しているところは49校のうち39校もあるという。それだけでも封建的な村社会が残ってるところで生きてる僕にしてみたら「ちょっとだけ誉めてやる」ような事実である。うちの自治体の学校なんか、『はだしのゲン』を所有すらしていないんじゃないか。


 だから、僕が初めて『はだしのゲン』を手にとったのは町の本屋で立ち読みしたときである。近所の図書館に『ゲン』が置かれるようになったのもかなり遅かったように記憶する。図書館の中でも児童図書が置かれた子供向けのスペースではなく、大人が読むところに配置されている。だから小学生がこの本に触れる機会はおそらく限定されている。

 図書館の子供コーナーで全く戦争関連の図書が置かれていないわけではなく、サイパン戦で軍と共に行動し従軍看護婦を志願した女性の、比較的「右っぽい」手記なんかは、子供が読むには難しそうなのに子供コーナーにある。なのに児童マンガである『はだしのゲン』が子供コーナーにないのは何とも恣意的なものを感じざるをえない。

 朝日に掲載された記事によると、以前に市議会へ「ありもしない日本軍の蛮行シーンが描かれてる」から子供に見せないようにしてくれと「市民からの陳情」があったらしい。
 どうせどこかのバカウヨク団体なんだろうけど、市教委が圧力に屈したのだろう。

「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授の話: 作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。

 教育評論家の尾木直樹さんの話: ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは世界に発信され、戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。


 うちの親父は社会科専門の元小学校教師だが、ずっと昔は中沢啓治さんのことを「共産党系の組織に関わっている人間だ」と思い込んでいた。

 無知と呼ばれるものの大部分は、瑕疵のない知り得る機会の剥奪とか知的怠惰のように見えるが、本当のところは情緒のレベルにおいて、偏見やレッテル張りを自ら望んで意図的に作用させている。


 『はだしのゲン』はただ単純に原爆や戦争犯罪の事実をありのままに告発しただけの作品ではない。以前も書いたけれど、作品の根底には原爆のような凄まじい困難が立ちはだかろうとも、それに打ち勝って、たくましく生きていくという、テーマがしっかりと貫かれている。

 「美しい日本」という妄想に依存する脆弱な精神のバカウヨクどもが、この作品をどんなに隠蔽しようとも、隠そうとすればするほど、読みたいと思う子供は現れるだろうし、権力に反骨的な精神を養うきっかけにもなるだろう。かつての僕がそうであったように。

 学校が配布するような歴史教科書からは僕は何も学んでこなかった。

 今の僕を形成してきたものは、常に、「読むな」「聴くな」「観るな」と権力から横槍を入れられるような作品ばかりだった。

 学校がどのように機会を剥奪しようとも、子供は学校以外の様々な場面から世界を学ぶものだ。だから全然心配していない。




 NHKスペシャル『従軍作家たちの戦争』を再放送で見る。

 火野葦平のことを扱ったものだから大体の番組内容は見る前から見当がついていて、おおよそ予想した通りの内容だった。

 ただ石川達三の発禁小説『生きてゐる兵隊』が戦争当時から外国で翻訳されていたことには驚いた。戦争に協力していった作家の一人、『放浪記』の林芙美子が「いまは恋愛なんかくだらないことを小説にする時代ではないんです」という、その発言そのものの響きが実にリアルな時代の色を知らしめる感じがして衝撃的だった。

 自ら進んで戦争に協力していった菊池寛が、戦後になって何の自己批判もなくファッショがどうのこうのと軍部を批判して「転向」する下衆な凡庸さは、後世に伝え聞く菊地自身のイメージとまったく違うところがなく、いかにもくだらなかった。『はだしのゲン』に出てくる町内会長の鮫島とほとんど同じじゃないかとすら感じた。

 だからこんな菊池寛が戦中に創設した芥川賞なんて、受賞して喜ぶような価値のあるものなのか、実に汚らわしい文学賞ではないか、そんなことさえ思えて、僕の中で今日この日を最後に芥川賞の権威は完全に崩壊した。

 火野葦平の証言のなかで、インパール作戦において兵士の中から牟田口廉也に対して殺意すら起こっていたことは特筆に価するだろう。

 僕は火野の『革命前後』を未だ読んだことはないが、番組で紹介された範囲での火野の自分に対する自己批判っぷりは手厳しく、切実極まりない内省の苦悩を感じさせる。あれだけ自分の戦争責任に自覚的であろうとするならば、自殺という最期を迎えるのも不思議ではなかったように思う。(芥川賞受賞者の火野葦平の遺書が芥川龍之介の遺書と同じ文言で自殺の理由に触れているのも皮相的である)

 火野葦平の自己批判の厳しさに比べれば、あれだけ戦争に協力していった多くの作家たちの責任に対する「沈黙」の様相は、軍人たちが辿った責任回避の姿とあまり変わらないような、倫理的頽廃を感じる。なにも政治家や軍人たちだけではなく、メディアの人間たちもこの体たらくであったのだから、戦後の日本がアジア諸国から批判される根拠は最初から「雰囲気」として形成されていったと見るべきだろう。

 フィリピンの大学教授が戦争中のアメリカの反攻時に抗日ゲリラが続々現れたことについて、「われわれはアメリカを通じて民主主義を知っていた。だから日本の下に置かれる大東亜共栄圏は屈辱だったのだ」という発言も印象的だった。
 要するに日本が侵攻したアジア諸国での民度の違いが、これらの国々の中で戦後の日本に対する評価に若干の温度差を生んだだけの話。


 原爆を二つも投下され、沖縄を今でも好き勝手にやられてる日本の、アメリカに対する媚び諂いの属国感情の所以は、それが日本の民度なのだという理屈になる。



 前回、戦死した祖父の話をブログに書いた。

 今日の朝日の朝刊を読むと、「兄の死を美化しないで」という見出しで、2006年に戦死した兄の合祀取り消しを求めて国と靖国神社を相手に法廷で戦った女性の話が載っていた。
 
 次兄が台湾で戦死され、長兄を僕の祖父と同じくビルマで喪ったこの女性の言葉にハッとさせられた。

 「わたしにとって靖国はA級戦犯の問題ではない。戦死者をたたえ、遺族を納得させようとすることが怖い。国に命を捧げるのが美しいことのように」

 先日、僕が書きたくて仕方がないのに見つけることができなかった表現が、この女性の言葉の中に端的に示されている。

 戦死も自決もせず生き延びようとして刑死した戦争指導者だけを、彼らが喜ぶように靖国で合祀してやったらいいのだ。戦死した死後の人間までも極右イデオロギーで縛りつけようとするからこそ、靖国は極悪非道なのだ。

 (ちなみに靖国神社は戦死した将兵や、公務中に事故死した自衛隊員を「強制的に」一つの魂として「合祀」として縛りつけておく場所である。だから刑死した戦犯たちには靖国で祀られる「資格」はそもそも存在しない)



 イスラエル政府高官の原爆投下に対する発言について少しだけ。

 この国が中東で孤立しながらも存在し続けられるのは、日本に原爆を投下したアメリカの庇護があるから成り立ってるだけであり、イスラエルも非公式ながら核保有国であることを考えれば、こういう発言が出てくることは全く不思議ではない。

 第二次大戦でナチスドイツの同盟国であった日本に対する、一部のユダヤ人のこういった意識が有ったとしても、それが異常なことだとは僕は思わない。僕の中にだって、9.11のWTCビル跡地をアメリカ人が「グラウンド・ゼロ(爆心地)」と呼んでることは独りよがりだと思う意識は存在する。

 原爆投下を「侵略行為の報い」だと考える意識は、とりわけ日本に侵略された国家の中では、一部であれ当たり前に存在するものと自覚するべきだろう。正当性の問題ではなく、戦争加害国であったわれわれの主体的意識が問われてるものとして考えることである。

 このイスラエル高官は「日本が侵略した国々の犠牲者も追悼すべきだ」という趣旨の発言も行ったらしいが、彼の物言いや意図の真実はどうであれ、一定の理はある。
 原爆投下の非を訴える際に、われわれは絶対に「内向き」であってはならない。すべては十五年戦争の侵略行為の経緯の果てに行われたことは事実で、戦争犯罪を個別的に捉えるやり方は国内では通用しても、国際的には説得力に限界がある。

 われわれは自分たちの加害責任にもっと自覚的でなければ、どのような怒りや哀しみの表現も独善的だと解釈されかねない。

 原爆の非人道性は特別かもしれないが、ある一面での戦争被害者の苦悩は人類総体の視点からすれば相対的なものでしかなくなってしまう。

 それぞれの被害当事者が抱えた内なる痛みの重さは、被爆者でも、元慰安婦でも、差異はなく、比べようもない、その人にしか分からない切実さがある。自分も相手も同じだということだ。
 
 そのことを踏まえながら、戦争被害者個人の苦悩は当事者の生涯を通じて背負わされる悲惨であるものと改めて認識し、なんびとたりとも一人の苦悩はそのひとの実存にとっては絶対的なものだと理解されるべきである。


 それはたとえば、南京であれ、アウシュビッツであれ、広島・長崎であれ、同じく等しいことなのである。







祖父の死を「英霊のおかげ」などと言われたくない

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 夕食時に父と高校野球の会話をしていたのだが、NHKニュース7が始まって終戦の日の話題が報道されると、それを見て晩酌で酔っ払った父が政治の話をふっかけてきた。


 いきなり、「おまえは従軍慰安婦は日本の国が関与していると思うか?」と尋ねてきた。そこからどういう経緯でどういう展開になったのか思い出せないが、僕が「軍人や軍属だけが恩給やらいろいろ貰えるのに、空襲なんかで身体障害を負った人たちが何の補償もしてもらえないのはおかしい」と言い出したら口論に発展してしまった。

 「空襲で被害を受けた人まで補償していたら日本の財政はパンクしてしまうじゃないか」と父が言うので、
 「だったら軍人への恩給や遺族年金も払うべきではなかった。軍人だけ優遇されて一般の戦争被害者が何も救済されないのは平等じゃない。財政をどうこう言うなら誰にも払わない方がよかった」と返事すると、父は怒っていた。



 僕の祖父は昭和19年の6月にビルマで戦死している。だから父は日本遺族会に入っている。


 昼間、たぶん父は遺族会の催しに参加していたのだろう。やはり遺族会に入っている近所の爺さんが自民党員で、「新しい歴史教科書を作る会」の会員で、日頃から産経新聞の切抜きをコピーして町内会の会合で配るような、とってもウザイ糞爺がいるのだが、その爺さんが今日の催しで「慰安婦は民間の売春業者が独自にやったことで、国も軍も関係ない」と熱心に気炎を吐いていたらしい。

 だから僕としては父と口論してしまったのは、そのクソジジイのせいと、そもそもこんな日の夕食時にニュースなんか見るのが良くなかったんだと思っている。


 「戦死したおじいさんの補償を国がしてくれたから、今のおまえの人生が(間接的であれ)成り立ってきたんだ」と、結局父はそういうことを僕に自覚させたかったのだろう。

 だが僕にしてみれば、祖父が戦死しても遺族年金がもらえて、祖母も親族も元気で、田舎の百姓だったから戦後も比較的食糧事情に困らなかった父は「運がいい」方だと思う。都会で空襲に遭って自分以外一家全滅した戦災孤児なんかの境遇を想像してみたら、単純に国や遺族会に感謝するような神経は「自分のことしか考えてない」と思う。「そういう人たちまで助けてたら日本の財政はパンクしてた」などと言うのは身勝手に過ぎる。


 だいたい、祖父が戦死して補償されることを国に感謝するよりも、祖父が戦死させられたことや父の顔さえ知らずに育った自分の境遇に関して国に対して怒ることの方が、僕の感性からすれば普通なのだが。

 戦死した祖父だって、靖国に合祀されたり自分が戦死して補償されることよりも、自分が生還することの方を何よりも願っていただろう。いや、なにより戦争になんか行きたくなかったのだ。赤紙が来たとき「戦場に行きたくない」と祖父が泣いていたという話を、生前の祖母から僕は聴いていた。


 祖父の立場からすれば、なによりも絶対に戦死なんかしたくなかったはずだ。自分を戦地に向かわせた戦争指導者と一緒に祀られるなど、僕が祖父の立場だったら「絶対にやめてくれ」と思う。恩給なんて貰わなくてもいいから、生きて還って家族に再会したかっただろうし、異国の戦地なんかで朽ち果てたくなかっただろう。

 だからこそ、「英霊の犠牲があったからこそ今日の日本の繁栄がある」だとか、「英霊のおかげだから感謝しなければならない」とか、よく右翼どもが放言する薄汚い美辞麗句に、僕は怒りを感じるのだ。

 自分が戦争で殺されてしまった後に、「おかげ」などと戦争を知らない奴に都合よく解釈されるのは怒り以外何物でもないだろう。
 戦死がそんなに有難いものなんだったら、「じゃあおまえが代わりに戦死してくれよ」と、僕が戦死者ならそう言いたくなるだろう。

 それゆえ、祖父が戦死したことに対して国が金をくれたりしたところで、祖父を戦死に追いやったことに関して、僕は絶対に国を許すことができない。

 
 何年か前まで、祖父の遺族年金がどのように関係するのか分からないが、毎年郵便局が送ってくるお歳暮とかお中元なんかの商品カタログから、年に何点かの商品をタダで貰っていたときがあった。
 そのカタログから家族で好きな商品を選んだりしていた時に、いつも母が「これもお祖父さんのおかげ」というたびに、虫唾が走っていた。

 そんな恩恵を受けるより、祖父が生きてた方が良かったと思う方が、遺族として普通の感性ではないのか。祖父の無念を汲み取ることの方が大事で、祖父の死で利益を得られることを喜ぶなど、薄情ではないか。

 祖父が戦死したことを暗黙のうちに「仕方ないこと」と既成事実化するより、なぜ祖父が理不尽に戦死を強要させられなければなかったのか、まずそこから拘り続けるべきではないのか。




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 僕は祖父の戦死を、「国の権力で強要された死」、つまり国に殺されたんだと、そう解釈するようにしている。

 祖父の死は、空襲やら原爆やらで殺されてしまった人たちの死と、等しい意味合いのものだと考えている。

 つまり、祖父は絶対に死にたくなかったはずだ。戦争のために望まない死に方を押し付けられたのだ。

 だから終戦の日は「そもそもなんで戦争なんかやってしまったのか」と、二度と戦争しないために考え続ける日だと思ってる。
 ただ単に戦死者を悼むだけの日なら無意味でしかない。大勢の人を死に追いやったことを国民みんなで後悔するための日であるべきだ。
 後悔しなければ原因や責任なんて忘却するだけで、人々が何故死んだのかを悔まないなら「終戦の日」なんていらないと思う。

 すべての戦争犠牲者の無念の死は悔まれるべきものである。「英霊のおかげ」なんていうのは死者への冒涜だ。誰も死にたくなかったはずなのだ。「英霊のおかげで今の繁栄がある」などと言うのは、「国のために死ね」と命じた時代の延長にある国家の犯罪的思想である。

 鉄道事故で誰かが死ねば、遺族は鉄道会社に原因を追究させて事故防止に努めさせるだろう。戦死者もそれと同じであるべきで、当時の国家による戦争への原因責任を国民が共有して、そのうえで戦争を防止するのが筋である。

 「終戦の日」に戦争を反省することをしないなら、「終戦の日」なんてものを押し付けるなと言いたい。



 
 祖父がビルマで戦死した昭和19年の6月、彼の地ではインパール作戦によって、多くの将兵が飢餓や疫病で悲惨な退却をしていた時期だ。

 僕の祖父がどういうふうに死んだのか、あの「白骨街道」と呼ばれた地獄の末路の果てに倒れたのか、知る術もない。

 俳人だった祖父が残した句は、現在の我が家に一つも伝わってはいない。戦後に再婚した祖母が後添えの夫の嫉妬を避けるために、祖父が句を書き残したノートなどの類をすべて焼いてしまったからだ。



 子供の時から祖父のことはずっと祖母から聴かされてきた。だから小学校の頃から何度も『ビルマの竪琴』を読んでいた。


 あの物語で水島上等兵が収容所の戦友たちに、竪琴で「埴生の宿」を弾いて自分のことを明かし、そして「あおげばとうとし」を弾いて別れを告げる場面、あそこを思い出すとき、僕はいつも、このブログを書いている今も涙がこみ上げてたまらない気持ちになる。


 一緒に日本へ帰ろうという戦友たちに、彼は一人、戦場で朽ち果てた死者達の弔いのためにビルマに残る運命を選ぶ。


 「自分は帰るわけにはいかない」


 あの水島上等兵の心情が、あの戦争で死んでいったすべての犠牲者の死の意味にわれわれが寄り添うための姿、その術を見い出せるような、僕はそんな気がしてならないのだ。



 時間が遠く隔たりを経たからこそ、あえて「あの時間」に残ろうとする。



 「あの時間」の悲哀、生きたくても終に生きられなかった者たちの思いの中に、いつまでも残り続ける。

 死んでいった人たちの寄る辺としての心願の世界へ辿り続けるために、何度も「あの時間」の悲哀に還り続け、死者たちの思いを絶えず自らに刻印しながら、その営みとともに永久の時間を繋ぎ続けようとする。



 僕が祖父を想像し思い続けることは、喩えてみればそういうイメージかもしれないと、思ったりするのだ。







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