Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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「あなたは本当に良いものです」

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 最近アクセス解析を見ていると、「障害年金 不正受給」というフレーズでアクセスしてくる件数がやたら多くなった。ふと思いついてグーグルでこのフレーズを検索してみると、僕が昨年書いたブログ記事がトップページに出てきたので軽く驚いた。

 グーグルの検索順は誰がどのように決めているのか分からない。障害年金の不正受給はそれほどマイナーな話でもないので、僕のブログ記事がトップに出てくる理由を僕は見いだすことができない。実例としてある自治体の名前を出して紹介したからか? それとも水商売をやってる女が不正受給しているという実例が障害年金の正当な受給者へのヘイトスピーチに利用できるからなのか? いずれにしろ僕のブログ記事がこのように目立つのは不本意であり、僕はグーグルの良心など全く信用していないし、どのような検索にしろ検索順には一定の作為があると思っている。




 今日はとても疲れた。久々に愚弄な同僚たちに腹を立てた。
 
 大した仕事でもないのになまけることばかり考えてる。喋ってばっかりで単純なポカをやる。そのくせ、作業所でなくて正規の職場で働きたいなどと、ふざけたことを言いやがる。

 久しぶりにあふぉな連中の空気に飲まれた。あふぉのレベルまで成り下がって腹を立てる自分があふぉに思えて胸糞悪かった。ちょうど診察日だったので主治医にさんざん汚い愚痴を吐いた。薬局の美人の薬剤師さんにバカ話をして憂さを晴らした。だが家に帰ってまた気分が悪くなった。俺はなんのために真面目に働いているのだろうと、考えても仕方ない本質まで堕ちていった。

 最近知り合った韓国人が風邪を引いて苦しいというメールが来た。それを見て少し棘が抜けた。猫の写真を添付して送った。「あなたが元気になってくれるとそれだけで嬉しくなります」と、今の思いの究極の本音を書いた。

 「あなたは本当に良いものです」と、翻訳機にかけたらしい日本語で返事が返ってきた。

 今日はそれだけが嬉しかった。少し生き返った。


 
 

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マッコリと、その他のどぶろくに関する思い出

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 昨夜は久しぶりにマッコリを飲む。最近知り合ったプサンの韓国人が送ってくれたのだ。アルコールはあまり飲まなくなっているのだが、マッコリは別だ。三ツ矢サイダーと半分に割って飲むと極上のカクテルになる。

 2年前の夏にプサンに行ったときもホテルで毎晩マッコリを飲んでいた。もっとも、ホテルではマッコリを飲んでいたが、街に出て居酒屋やバーで飲むときは専らビールだった。マッコリが好きだという韓国人はあまり出会わない。ほとんどの人はSoju(ソジュ)という酒の方が好きだという。プサンのコンビニで買って試しに飲んでみようと思ったが、僕の場合は鼻を刺すようなアルコール臭がきつくて、飲むことすらできなかった。

 マッコリと相性がいいのは、もともと僕は「どぶろく(濁り酒)」が好きだということも影響している。大学時代に群馬の友人の実家に遊びに行ったときに、友人のお父さんから地元の名産のどぶろくというのを飲んだのが初めてだ。どんな味だったか覚えてなかったが、ビールしか飲めなかった僕がかなり飲めたのだから美味しかったのだろう。

 1999年の夏にネパールに行ったときも、ダライ・ラマの側近だという亡命チベット人の家でチベットのどぶろくを飲んだ。カルピスみたいな味がして美味しかった。焼酎と同じくらいの度数だったらしいが大いに飲んだ。飲みながらなぜかボブ・ディランの話をしたのを覚えている。深夜になってバスでホテルに戻る途中、路面の悪さもあって運転にも酔ったせいもあるが、思いっきり気分が悪くなって、バスの窓を開けて何度も嘔吐して他国の大地に僕のゲロを撒いてしまった。ホテルで酔い潰れて同室の後輩に介抱されながら便所で寝ようとしてたのをベッドに運んでもらった。次の日にブータンに飛んだ後、一緒に旅行してた同志社の女子大生に咎めながら僕はビールを飲んでいた。

 話を元に戻してマッコリだが、2年前の夏にプサンの看護師の女性が送ってくれたのが最初だった。今回送ってくれた人とは別の人だが。そのままで飲んでも美味しいのだが、サイダーで割ると「トロピカルな味がする」と教えられてサイダー割りを始めた。一時期は休日の前の日になるとマッコリを飲みながら詩を書いてアップロードするのが習慣になって、タバコ以外は全く嗜好品を買わない僕が週2回マッコリを飲んでいた。さすがにこれは病み付きになってまずいと思って「禁酒」した。

 今回別のプサンの人が送ってくれたのだが、どういうわけか韓国の人はネットで知り合って間もないのに、惜しげもなく菓子や酒を送ってくれる人がいたりする。僕の場合、どちらもプサンの人だが、韓国人がそうなのか、プサンの人が親切なのかよく分からない。だが韓国に一定期間住んでいたギリシャ人は、プサンの人たちはフレンドリーだと話していた。

 プサンの繁華街ソミョンに、マッコリ専門の居酒屋を見つけたのだが、見つけたときは韓国を発つ最終日の前夜で、その居酒屋の手前のバーで飲んでたときに、都はるみが大好きだという日本語の上手いママさんに教えてもらった。今度渡航したら必ずあの店で飲もうと決めている。


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Seomyeon,Busan






music : Jang Pill Soon - October



バカ大阪府民は民度の低い差別者ばっかりだから裁判員裁判はイラネ!という判決

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 要するに裁判所が「大阪府民はバカだから民度の低い判決を破棄する」と言ってやったわけだ。

 求刑超え一審判決破棄 発達障害の殺人罪被告を減刑 - 朝日新聞デジタル 2月26日(火)14時58分

 昨年7月の一審判決が出た際、僕はツイッターでこのようにバカ府民を批判している。

発達障害は危険で出所しても行き先がないから出来るだけ長く刑務所にぶち込んどけばシャバが安心だからと求刑上回る判決。予防検束の入り混じったいかにも市民感情に近い疾病差別的な判決だ。大阪での裁判員裁判とか時代を先取りしすぎ。さすが維新の大阪。



 裁判員裁判の判決が求刑よりも4年の懲役が上回ったのも疑問があるが、この一審裁判の愚弄さは判決理由にある。

 

昨年7月の一審判決は、被告を発達障害の一種のアスペルガー症候群と認定。「障害に対応できる受け皿が社会になく、再犯の恐れが強い。許される限り長期間、刑務所に収容することが社会秩序の維持につながる」と指摘。これに対し、日本社会福祉士会や日本弁護士連合会などから「障害への無理解と偏見に基づく判決だ」などとする抗議声明が相次いでいた。



 これに対して今日の二審判決は「犯行の動機に障害が大きく影響しており、責任を軽くする事情ととらえるべきだ」として、一審判決の求刑16年から2年下回る14年の懲役を言い渡した。

 僕の言いたいことは一審判決時に既にツイートとした内容に全部集約されている。判例を積み重ねて慎重に人を裁いてきた法廷が、「普通の市民の感覚」を反映させた裁判員裁判になると「障害者って怖いんやでえ。そやから出来るだけ刑務所に強制収容しといたらええんちゃうの? 受け皿? そんなんうちら知らへんわ。刑務所にほかしといたらええんや」という大阪府民の民度の低さを正確に露呈させたファシズム裁判になった。そして今日の二審判決で「白痴の大阪府民に裁判員裁判やらせるとロクなことない」ということを全国に知らしめたわけである。

 「普通の市民の感覚」などというアホな浪花節(笑)を、僕は全く信用しない。障害者を不当に予防検束するような判決もあれば、「病気の息子のためにやった」などとお涙頂戴の覚醒剤運び屋が執行猶予付き判決(確か九州の事件)になったりする。「普通の愚民の感覚」で安っぽいTVドラマの延長みたいにバカ感情で人が裁かれるのが裁判員裁判のリアルである。憲法が保障する「法の下での平等」を民度の低いバカ市民が自らぶち壊すのが裁判員裁判の悪の本質である。

 ついでに言っとくが、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子よ! この裁判の一審判決こそが本当の「人民裁判」と言うべき悪である。こういう差別判決を無視しといて権威になびくな!ヒューマンライツとか名乗るな、ボケ!!

求刑を超す判決を下した大阪地裁判決に対する会長声明(PDFファイル) - 日本社会福祉士会(2012年8月7日)





もし「死ぬのが怖くなくなる」としたら、それは「人間ではなくなる」ということ

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 「死ぬのが怖い」とはどういうことかという本が売れているらしくて、朝日の日曜読書欄で横尾忠則が評価していた。地方新聞の読書欄にもこの本が取り上げられていた。

 横尾の批評を読んでいろいろツッコミたいところが満載だったのだが、全然読んでもいないのでこの本に関して直接的に述べることは差し控えたい。
 僕がただひとつ思ったことは、「死ぬのが怖くなくなる」ことはいいことなのか?という一点だけである。

 「死ぬのが怖い」というのは人間が生物である限り、幾世代を超えても続いていく基本テーマだと思う。人間は死ぬのを恐れながら人生を生きている。これは人間が人間たる条件でありアイデンティティだと思う。だからもし「死ぬのが怖くなくなる」としたら、それは「人間ではなくなる」ということと同義と言ってもよい。

 死というものがあるから人間は人生に意味を見いだそうとする。その思索の延長上に人間の生命活動の全ての動機が含まれている。死が怖くなくなることによって、死が無意味になるなら、人生も世界も時間もすべてが無意味になる。そこまでして死の恐怖を超越したいだろうか?

 もっと重要な問題がある。死を無意味化して死を恐れなくなることを是とする考え方が国家や集団のイデオロギーとなったらどうなるのか? それが可能になるともはやそれは人間の社会ではなく、異形で不気味なディストピア・コロニーであるように思う。

 「国や天皇のために喜んで死ぬ」という戦前ファシズムと呼応するものすら感じる、というか、こういう考え方がイデオロギーとして為政者に利用されることを考えると、危険極まりない気がする。

 「死ぬことを恐れて、具体的に困ることがあるのか? 人々が死を恐れなくなったら、何か良いことがあるのか?」

 まず、この命題について考えるのが順序として普通だ。これを敢えて飛ばすのは、何故なのか? 目論見があるのか?




品性を相対する関係として、この社会の、精神病の僕と、高架下に住む彼ら

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 大人になってから全く見かけなくなったけど、僕が幼児の頃の、僕の生まれてところの県庁所在地ではホームレスの人と時々出会うことがあった。
 彼らは大体決まって物乞いをしていた。だから僕の中でホームレスの人に対する原初的な印象として「気の毒で可哀想な人」というのがあった。ホームレスを「怖い人」と思ったことは一度もなかった。

 小学校に上がる前、幼稚園の頃だったと思う。繁華街の陸橋を母と一緒に渡っていたら橋の真ん中辺りで物乞いをする男性がいた。どれぐらいの年齢だったろうか、中年と呼ぶよりは若い感じだったような、今の僕の知覚と当時の記憶を重ねて構成される風景からすれば、若かったような気がする。地べたに座っていたのではなかったようにも思うが地面に座していただろうか。お金を入れてもらう箱か何かがあったがどんな形状か思い出せない。髪が短く刈り上げられて、顔が日焼けしてとても黒かったのは覚えている。

 僕はホームレスの人を「気の毒で可哀想な人」と思っていたから、街で彼らと出会うことは耐え難い苦痛を感じていた。「気の毒で可哀想な」という前提は彼らが物乞いをしてたからそう定義されたのだろうが、街を歩く人々に彼らが全く無視されていなかったら気の毒だとも思わなかっただろう。
 幼児期の頃の僕は持病の喘息がとてもひどかった。親は共働きだったから発作が起こったときは祖母に面倒を見てもらっていた。母の帰りが少しでも遅くなったら僕はいつも泣いていた。病弱な子供が持ちうる「見捨てられ不安」というか臨床心理学でいう「分離不安」というようなものだ。
 物乞いをするホームレスと出会う時、喘息の発作を起こした時の自分自身のように僕は自分と彼らを重ね合わせて見ていたと思う(これはあくまで大人になってからの僕の解釈による)。社会という概念が分かっていなくても、子供は子供なりにその身の丈による視覚の高さから社会を漠然と理解することはできるのだ。物乞いをするホームレスの人たちは、道を行き交う人々から「見捨てられた」ように見えたから、僕は彼らが気の毒で仕方なかったのだろう。

 そのとき、なぜそういう行動に至ったのかわからないが、繁華街の陸橋で出会ったホームレスに、いくばくかのお金を「恵んであげよう」というようなことを僕は母に頼んだ。母は数百円の小銭を持たせてくれて僕は彼の前に寄った。チャリン、と辺りに少しだけ響くような音色で、彼の眼前で僕の落とした小銭が音を立てた。瞬間、日焼けした黒い顔のホームレスが地面に額を当てるそうな傾斜で土下座した姿勢から子供にとっては物凄い速さと勢いでがばっとお辞儀した。僕は生まれて初めて大人からお礼をされてびっくりした。お辞儀という言葉を越えたようなお礼だった。彼の身の上の、深い事情が零れ落ちるようなお辞儀だった。僕は数十年後の今に至るまで、あれほど真摯に人から頭を垂れられたことは、あのとき以来他にない。

 母のところに戻ったら、母は歩きながら僕をきつく叱った。
 「チャリンって音立ててお金落としたやろ? なんでお金を落とさんと丁寧に渡してあげへんかったん? 落として渡したりしたら、あの人にすごい失礼やろう?」
 意外なことを言われて、すごくびっくりした。良いことしたつもりでいたのに、子供の頭では思い至ることのできない不作法を怒られて、すごく戸惑った。
 「あのおっちゃんに悪いことをした」という自責の念を理屈で分からないまま、日曜の繁華街を通り過ぎていった。だから、大人になった今もそのときのことを思い出すことができる。

 僕の母は特別優れた人でもないし、差別もすれば偏見も持つ、同じ戦中生まれの世代とそれほど価値観の隔たりもない普通の女性である。ただし、人が人に相対するときに持つべき品性に対して真摯に考える人ではある。もう少し誉めてやるとすれば、相手に対する尊厳について僕や兄弟に真摯に考えさせるように教えてきた母親だった。ジョージ・オーウェルの『1984年』に主人公ウィンストンの母親に関する思い出が描かれるが、僕の母はああいう人だ。昔から、当たり前のことをして僕に気づかせるような、凡庸だが、正しい人だった。

 あのときの母の叱りがなければ、僕はホームレスの人たちを「気の毒で可哀想な人」とは思っても、「見捨てられた、外側の人」といった程度にしか考えない人間になっていたかもしれない。
 物乞いをするホームレスの姿を全く見なくなったけど、大阪や名古屋でブルーテントを見るたびに、あのときのことを思い出す。立場が変われば僕が彼らで彼らが僕であることがありうるのがこの社会なのであって、障害者の僕がいるならば、高架下で暮らす彼らがいて、品性を相対する関係として僕や彼らは繋がって社会の一部で、それはごくごく当たり前のことなんだと。


 最近、またホームレスが中学生だか高校生に襲撃されたらしいが、僕がこんなことを書いてるのは、高校生だか中学生にホームレスを理解させる取り組みを学校で始めたという話をTVで見たからである。

 「授業で勉強する前はホームレスの人は恐かったけど・・・・・・」という学生のコメントがまるでテンプレのように多かったことに違和感を感じた。

 無意味な理由であるとき唐突に人を襲って殺す人間の方が、よほど恐ろしいと思うんだが。単純に。


 品性のなかった僕が不作法に小銭を音を立てて落としてしまった、あの人は、どうしているだろうか。




 

要するに『いちご白書をもう一度』みたいな人

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 今日は診察日。左側セクトの人と喧嘩して絶交したことを主治医に話す。

 彼のメンタリティーを説明するのが難しくて、「要するに『いちご白書をもう一度』みたいな人なんですよ」と言ったが、当たり前のことながら主治医は理解不能な表情をしていた。
 悲しくつらい経験をお互いの心の壁を取り払って共有しあう作業に物凄く情熱を注ぎ込むような人、一言でいえば「ウェットな性格の人」と呼べばいいだろうか、40代後半の左側セクトの人はそういうタイプの人だった。もっと分かりやすく言えば「お互いの傷を舐めあうのが好きな人」って形容すれば「あーなるほど」と分かってもらえるだろうか。

 社会心理学の本とか読めば、1970年前後の全共闘世代(平成生まれの人には石器時代のような感覚の話だが)の人たちには、悲しみとか怒りという負の感情をお互いに正直に吐き出して自分のことのように丸ごと分かち合う、というようなコミュニケーションのあり方が主流だったらしいが、その後普通に死滅していったらしい。今の若い人がどうなのかは知らない。40代後半左翼の人はそういう遅れてやってきた「ウェットな人」だった。

 僕がディープな悩みごとなどを深刻な状態で話していると、親身になって聞いてくれたが、話してすっきりすると、いつしか話題が「世の中の片隅にいる傷ついた人たち」について彼が語る方へと逸れていき、最後には「いろいろ苦しいことあるけど僕たちはいつも一緒だよね、頑張って生きていこうね」というような趣旨を「お互いに確認し合う儀式」へとたどりつくのが、いつものパターンだった。そういう話を僕に「確認を求める」時の彼の声はいつも潤んでいた。

 むかしバンバンというバンドがあって『いちご白書をもう一度』という歌がヒットしたが、彼らが演奏している時、聴衆の女の子たちはみんな泣いていた。だがそれは歌に圧倒されて泣いているのではなく、「こういう歌を聴くときは泣くべきなんだ」という「お約束」のために泣いてるような、奇妙な光景だった。僕はリアルタイムでそういう光景を見た世代ではない。ただ、その「泣く空気」との相似性とか「お約束」の部分が40代左翼氏の「コミュニケーションはこうあるべきなんだ!」にひどく似ている気がしていてた。そういえばその左翼氏はフォークが好きでバンドもやっていた。バンド名が「スピリッツ」というのも彼の性格をよく表していた。また、40代左翼氏はゲイでもあったのだが、その属性と彼のメンタリティが関係があるのかどうか、それは何とも言えない。僕がもし女だったらどうだっただろうかとも想像するのだが。

 40代左翼ミュージシャンとの関わりは電話とメールのみで、結局一度も会わなかった。ただし電話はいつもかなりの長時間だった。終りの方で「いろいろ苦しいことあるけど僕たちはいつも一緒だよね、頑張って生きていこうね」というような趣旨を「お互いに確認し合う儀式」を終える頃には僕はぐったりしていた。

 もしかするとリアルで関係のある人間とはそうでなくても、ネットで出会ってネットで完結するかしないかみたいな相手に対しては、誰でも「ウェットな性格の人」になりうるのかもしれない、そんなことも思う。

 僕が『いちご白書をもう一度』的なメンタリティの彼を理解しうるのは単純な理由がある。若い頃の僕がそういう人間だったからだ。相手の内面に分け入って、相手を包容しているつもりが、実は相手の関わって欲しくないことへ干渉しているような「ウェットな人」だった。知らず知らずのうちに「お互いの傷を舐めあう」ことを相手に強いるような性格だった。
 その性格のために若い頃は随分心が痛い目に遭った。相手を過剰に傷つけたこともあるし傷つけられもした。うつ病を発症するに至った経緯も、若い頃のメンタリティと大いに関係している。40代左翼さんに対する僕の嫌悪感は同族嫌悪と言えるかもしれない。若い頃の身勝手な自分を思い出して腹を立てていたのかもしれない。

 今の僕は「ウェットな人」をもはや辞めてしまっていて、そういう付き合い方をむしろ湿っぽいと思うようになった。だが例外があって、恋愛に関しては僕のメンタリティは若い頃とほとんど変わっていない。だからお決まりのように僕の恋愛はいつも砕け散る。こっちの方をなんとかしたいと思う時があるが全然変わらない。死ぬまでこのままかもしれない。それでもそれはそれとして生きるしかない。今度砕け散るのを楽しみに待っている。




平板化した魂と、刹那的なセックスの哀しい反復と、どちらが幸福といえるのか?

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 今夜も魂が平板化中である。Beckの古いアルバムを聴くが何の感情も生まれず、何の言葉も出ない。

 ふと本棚から大学時代に詩を書き連ねたノートを取り出す。タイトルのない文章の羅列が下手糞な字で所狭しと並んでいる。ほとんどが恋愛について書いたものである。そういうのが6冊ほどある。

 どうやって昔はこのようなものを書けたのだろう。今では不思議に感じる。僕はもはや詩の書き方すら忘れてしまった。どのように最初の一行を始めるか? ノートに連ねた詩の残骸を眺めていると、昔は何の躊躇もなくサラッと一行が書けたように見える。今はまず、その一行を考えるだけで半日かかりそうだ。

 あるいはこのように考えることもできる。僕はもう思いつく限りの詩心を全て出し尽くしたのだと。生涯に書けるだけの詩を書きつくして限界を過ぎたのだと。

 大学の講義にも出ず、ワンルームに籠り、死に近いような鬱や不安に彩られる日々を、いろんな人の詩集だとか詩的な断片を眺めながら、毎日沢山の音楽をラジカセから流して、どこにも収容されないありったけの思いをノートに書き殴って、書き殴って、書き殴って、それでもドーパミンが尽きることなく、書き倒す。そのような生活。

 今は実家で安穏と暮らし、栄養も十分で、とりあえず自殺の危機からはずいぶん遠くなった。他人の詩など読まなくなった。というか、文学を読まなくなった。音楽を聴くのも主に出勤中の車の中。パソコンの前では意外と音楽を聴いていない。
 パソコンの前では文字を入力したり何かを読んでいるのだが、音楽を流すと集中できないから聴かない。だが昔は音楽を流しながらインスピレーションやら情念を燃やしながら、ノートに文字を書くことができたはずだが。今は手で字を書かなくなった。キーボードで入力するだけになった。

 学生の頃にどんな詩人を読んでいたのか? 当時の本棚を思い出す限り、僕はリチャード・ブローティガンぐらいしか読んでなかった気がする。歌詞カードはよく見てたが、ルー・リードやジム・モリソンとかデビッド・ボウイとかトーキング・ヘッズやら、その他諸々。だがあまり多く見ていなかった気がする。

 誰かが言っていたような気がするが、若い人が詩を書けるのは当たり前にできるが若くなくなると詩は書けなくなるというようなことを聞いた気がするが、誰の言葉だっただろう。

 金子光晴のセックスに関する詩をずいぶん前に読んだ。タイトルは覚えていないが、お爺さんになってからの作品だと思う。当時付き合っていた彼女と待ち合わせしていたブックオフで読んだ。その頃の彼女とは会うたびにラブホに行って、ほとんどセックスばかりしていて刹那的な寂しい思いを相手の身体にぶつけるような、ずいぶん哀しい付き合いをしていたが、待ち合わせ中に金子光晴の詩を読んでセックスを上手に観察した作品だと感心した記憶がある。

 簡単に言ってしまえば、刹那的な寂しい思いを相手の身体にぶつけるような哀しいセックスでしか繋がれない状態の僕を感心させたということは、老成した金子光晴も未だ刹那的な寂しい思いを相手の身体にぶつけるような哀しいセックスの本質を見つめる視線を失っていなかったということである。だが他人を感心させるような詩を書けたとしても、そういう作品を造り出せる魂を持ち続けることは、つらい気持ちや孤独感に付着しながら生きざるを得ない場合もある訳で、老年の淵でそういうものを直視し続ける人生が本人にとって幸せだったかどうか。


 魂が平板化したまま感情の起伏は制御されて死にいたる病とは程遠い日々と、刹那的な寂しい思いを相手の身体にぶつけるような哀しいセックスのような人生を絶えず直視し続ける創作と、果たしてどちらの方が僕にとって満たされる時間を得られるのか。

 一度は抑鬱の限界まで到達して死の淵を見てしまったなら、安易に答えが出るような問いではない。

 


希望が失望に変わるのも、理想が腐敗に駆逐されるのも、あまりにも早すぎる

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 セメントが高騰して被災地の復旧に影響が生じているらしい。

 自民が全国の土建屋を儲からせるために、「国土強靭化」という名の下に各地で必要かどうかもわからぬ公共工事を計画しているためだ。材料が足りずに高騰して、一番工事が必要な被災地に材料がまわってこないという。無茶苦茶な話だ。

 下痢坊の政権が始まってから、政治経済のニュースはどれもこれもまるで戦時中の報道を見聞きしてるかのように過ごしている。清沢洌の『暗黒日記』を想像するようにブログを書いていたりする。

 いろいろ思うところはあるのだが、正直、この自民政権下をあれこれブログで論評すること自体、愚劣に感じてくる。今は論ずるに値しないような時代にすら思えてくる。
 震災直後にはTVで聞きかじったMOX燃料について「ひどいもんだ」と言っていた職場の同僚が、今に至って核燃料リサイクルについて「何度も使い回しができて得じゃないか」なんて言ってたりする。

 希望が失望に変わるのも、理想が腐敗に駆逐されるのも、あまりにも早すぎる気がする。




ユートピアは一過的な時間の偶然がもたらす所産である。政治的目的にはなりえない

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 ハンナ・アーレントの言葉の中に「ユートピアを構想する者は、そのユートピアでの独裁者だ」というのがあうらしいのを今日の朝日朝刊で知った。

 そこで「ハンナ・アーレント ユートピア 独裁者」で検索にかけると、柄谷行人の文章に行き着いた。

 

『真の人間』『真の子ども』を構想する教育者、児童文学者はそのような“独裁者”でしかありはしない。しかも、いつもそのことをまったく意識しないのである - 『日本近代文学の起源』(講談社)



 なんか手厳しすぎるというか、なにも教育者や児童文学者をターゲットにしなくても。左というかリベラルな日本の知識人は本来味方に近い人たちに対して不毛な論議をふっかけるのが好きなようで、そういうバカらしいチマチマした重箱のつつきあいをやってるうちに、右側の敵が信じられないくらい肥大化してしまったというか。柄谷とか浅田彰は右傾化された現在、ほぼ全くと言っていいほど政治的言説に沈黙してしまった。彼らは右側の大きな力を持った連中とガチで論争する勇気などないのだ。やる気あんのか?

 むかし、柄谷行人とゲンズブールが大好きでジタンを吸い、居酒屋でワインを注文するようなキザったらしい先輩がいた。僕は彼がそういったアイテムをブランドのようにこよなく愛玩するさまが大嫌いだった。ドゥルーズとかデリダとかラカンの名前を頻繁に引き合いに出す連中も、大学の哲学科時代から大嫌いだった。だから内田樹とか、軽くていかがわしく思えてならない。

 話を戻して、アーレントのこの言葉、僕はブータンを想起してしまう。

 国民総幸福量(GNH)なんてものは、ブータンが存在していくためのユートピア幻想としか思えず、ブータン政府による一連の民族同一化政策は海外にブータンを売り込むための商品のように見える。近代化を進める新興国にGNHを押し付けようとするのは先進国とブータンによる独善的な思惑が働いているように感じる。

 ユートピアなんて、まずもってあり得ないし、国家が幸福を指標にするのは貧困や政治的自由を都合よく隠蔽したり論点を誤魔化す意図が働いている。

 昨今、ある種の人たちがブータンをブランド化するさまを見て、人間の本質を安易に見積もっているように思えてならない。

 幸福は結果の所産であって、目的にはなりえない。セックスの快楽がセックスの結果であって、快楽自体を追い求めすぎると時としてインポになるように。




抗鬱薬リフレックスとの真夜中の闘い

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 用があったので、昔の彼女にメールを出した。返信に「きちんとご飯を食べてね」と書かれてあった。僕はブログの中で食べてない話を多く書いてたのだろうか。それとも彼女と一緒にいた頃、僕はすでに「食べない人」になっていたのだろうか。

 去年の夏、少しお腹が出てきたので焦って筋トレを始めた。しばらくして、ある時期からご飯を以前より減らして食事するようになったら、簡単に痩せた。数ある欲望の中で僕は食欲がほとんどないので、炭水化物を減らすことは全く苦にならなかった。ご飯も白米ではなく、発芽玄米を2年ほど前から食べている。

 自慢にならないかもしれないが、僕は20代中頃の体重が40キロ台だった頃に買ったベルボトムのジーンズが今でもはける。酒も飲まないから、太る要素がない。僕と同世代の知人の中には、中性脂肪やら血糖値やらを下げる薬を飲んでる人がいるが、彼らより病弱な自分がそういう薬と無縁なのは奇異に感じる。

 1年半前からだろうか、僕はリフレックスという新しい抗鬱薬を飲み始めたが、これには強力な食欲増進の副作用が混じっている。この薬は眠気を催すので夜に飲むのだが、眠気が来る前に、強烈な食欲が先に襲ってくる。食欲がほとんどない僕が抑えきれないほどの食欲だから、とんでもない副作用だが、就寝前に食パンを二斤食べる習慣がついてしまって困っている。時には冷蔵庫の生ハムまで食べてしまうときもある。もっとすごいときは夜中の1時にわざわざラーメン(カップ麺ではない)を作っていた時がある。姉貴がびっくりして、以来、僕が衝動食いしないように、いろんな食べものが家のあっちこっちに隠されてしまった。

 医者に言わせれば、この副作用は「我慢する」しか方法はないようだ。リフレックスはそれなりに効き目があるので、僕は仕方なく処方を受け続けている。

 世間の人々が飽食とダイエットの狭間で闘っているとき、食欲がない僕はクスリの副作用の食欲と闘っている。奇妙な話ではある。




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