Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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三流大卒の再チャレンジくんにもできる!とっても簡単!円安誘導 2012.12.31 tweet

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下痢坊の円安誘導発言のせいで灯油・ガソリンが値上がりしている。政治的発言だけでまだ何もしてないのに円や物価が変動したり住宅ローンの金利が上昇するのだ。誰が首相でも出来そうな仕事を三流大卒のカタワが自慢げにしてるが言い換えれば無責任なカタワの発言で円が投売りされる悪夢も有り得る訳だ
posted at 21:20:39


昔から紅白が大嫌いである。正確に言うと大晦日は紅白を見る日だとする慣習的概念が大嫌いだ。もっと正確に言うと日本って一体感へのカタルシスを演出する年末行事が大嫌いだ。紅白が嫌いなうちは多分マイノリティの感覚で世を拗ねてると思う。もっともTVが大嫌いだからゴリ押しとか言わずに済むが。
posted at 21:28:49


はだしのゲンを1巻から再読してる。原爆投下と原発事故は意味が全く異なると思うが広島の戦後史を読むと東北とか沖縄の取り残された現実と相似するように思う。だから紅白とか馬鹿馬鹿しく感じるのは極端だと思うが復興が進まず基地問題が解消されないのに年末年始を祝う気になれないのは極端だろうか
posted at 21:41:03



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10年後には必ず死語になるアベノミクスって誰が言い出した? 2012.12.30 tweet

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香港の女性に「なぜ日本人は極右の安倍に投票したのか」と問われ色々考えるが返答に困ってる。日本人が右傾化したって結論もおかしい気がする。政治不信が進み無党派層が動かず組織票有利な選挙になったってのが実態だろうか。しかし日本人の多くは改憲を本当に望んでるのか。彼女に上手く説明できない
posted at 21:18:06


アベノミクスって誰が言い出したの?インフレターゲットなんか小泉の頃から言われてた事で目新しくも何とも無い。下痢坊が発案してる国土強靭化だとか建設国債の増発は結局民主政権以前に戻るってだけで何の独創性も無い。レーガノミクスはインフレ退治であり下痢坊の名前を何でもじるのか意味分からん
posted at 21:23:51


インフレは所詮病気であって健康を戻す為に病気になるのは道理と思えない。雇用や賃金が上がらず実体経済には何の動きも無いのにたかが株価や円高が進んだだけで景気を感じさせる錯覚は金融至上経済の病理であって薬物依存者の幻覚みたいなもんだ。内需を無視した政策は円の暴落によって壊滅するだろう
posted at 21:31:26



なぜ十二支には蛇がいても猫はいないのか? 2012.12.28 tweet

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ブログを更新。http://t.co/vDMwnRVV 『はだしのゲン』の著者・中沢啓治さんの訃報についての日記。ツイッターの転載以外でブログを書くのは久しぶり。中沢さんの逝去に関してはツイートで簡略に述べる気にはなれなかった。僕の中では大きな存在で報道を知って今年一番驚いた。
posted at 01:37:52


朝日で小林よしのりが安倍政権に関する主張を載せていて物凄く驚いたが無茶苦茶面白い記事だった。一コママンガ入り。「批判されるのに弱いし陰謀論に陥りやすい」と安倍の支持層であるネトウヨ共々クソミソに批判してた。小林は議論を誘導するのも上手いがウヨ電波芸者と違うのは本当の事をいうところ
posted at 01:45:21


ここ10年ぐらい年賀状を期限内に投函した事がない。大晦日に投函したり年内に書いたものを新年に出したりしてる。なので元旦に僕の年賀状が届いた事はここ10年一度もない。今年もそうなる。デザインに凝り過ぎるからそうなる。今回は大嫌いな蛇なのでいっそ絵抜きで文字だけの賀状でも出そうかな。
posted at 23:38:20



『はだしのゲン』は終わらない - 中沢啓治さんの訃報にふれて

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 『はだしのゲン』の原作者、中沢啓治さんが亡くなった。



 今朝、朝日の1面トップの訃報を見てかなり衝撃を受けた。社会面でも大きく紙幅を割いて報道されていた。毎日新聞の訃報をネットで見て、初めて反戦主義者だった彼の父親の名前も知った。

 訃報:中沢啓治さん 73歳=漫画家 「はだしのゲン」作者

 亡くなった19日といえば僕の誕生日の翌日で、『はだしのゲン』がジャンプで1年半連載された時期に僕は生まれている。非常に個人的な符号だが、今年さまざまな著名人の訃報を聞いた中で、中沢さんの死が一番衝撃的だった。改憲を公約にする安倍自民党が圧勝した選挙の後という意味でも、中沢さんの訃報は忘れがたいものになった。

 
 僕が初めて『はだしのゲン』を読んだのは中学2年の時。アニメ映画を見たのも同じ頃だ。
 
 多くの人が同じような体験を経たと思うが、最初はこのマンガを読むのを倦厭して本屋で初めて立ち読みした時の衝撃的な感覚は今でもよく覚えている。「どうしてこの著者はこんなグロテスクな絵を人に見せるんだろう」と真剣に思った。
 どういうきっかけか忘れたが、岩波ブックレットから出ていた中沢さんの被爆体験を交えた自伝『はだしのゲンはピカドンを忘れない』を読んで、彼が被爆者自身であったことや、実際に父や兄弟を原爆で失っており、『はだしのゲン』が自伝的な体験を赤裸々に告白した作品であったこと、最初は原爆を描くことから完全に忌避していたが母の死で火葬された遺骨が全く残らなかったことへの怒りが原爆を描く決意に繋がったことなどを知った。平易な言葉で中沢さんの体験や思考が端的に記された好著だが、この本がきっかけとなって僕は『はだしのゲン』を含む彼の一連の作品を読み続けることになった。

 新聞の訃報記事に幾つか関係者のコメントがあったが、京都精華大の教員による「『はだしのゲン』は原爆の実相を論理的ではなく生理的なイメージで伝えることに意義のあった作品」という旨の話にこの作品が世の中に与えた業績を集約してると思う。
 映画『原爆の子』や『ひろしま』といった作品が『はだしのゲン』以前にあるのだが、原爆の生々しい視覚的イメージを一般に定着させたメディアは『はだしのゲン』が唯一と言ってもよいのではないだろうか。あの被爆者の焼け爛れた姿やその苦悶に満ちた死のイメージは、たとえば『原爆の図』のような抽象的芸術作品よりも余程リアルに徹していて、被曝直後を捉えた多くの写真が撮ろうとしても撮ることが出来なかった現実を詳細に再現している。
 『はだしのゲン』がなかったら、原爆に関する記録のリアリティは全く違ったものになっていたと思う。

 中沢さんが私財をなげうって脚本・製作したアニメ版が作られたのは1983年6月。当時は冷戦末期の米ソ対立が最も深刻化した国際背景があり、核戦争が現実化しかねない緊張状態が世界にはあった。その時期に、原作以上により被曝の実相を再現したこの作品が発表されたことはとても切実な意義があったと思う。全米で1億人が見たというアメリカのTV映画『ザ・デイ・アフター』より半年近く先行したことは特筆に価する。
 絶対に核兵器を使わせない根拠として『はだしのゲン』は真摯で圧倒的な説得力があったと思う。これがアニメで映画化されるのとされなかったのでは、やはり世の中の動きは違っていたとさえ僕は思っている。



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 『はだしのゲン』の影響力は被曝の写実的イメージにのみあった訳ではない。この作品を特別なものにしたのは、原爆投下以前にあった日本の軍国主義の加害性を描いたこと、そしてあの8月6日以降の終わらなかった広島の悲劇を特に子供の視点から告発したことも、他の原爆作品にはほとんどなかった要素だったからだと思う。

 意外なことかもしれないが、多くの原爆文学やメディアの中で広島・長崎を加害者的立場から言及した作品は昭和の頃ではほとんど見いだすことができない。1989年に今村昌平が映画化した『黒い雨』がカンヌに出展された時、アジア各国のメディアから「被曝を被害者の立場からしか描かれていない」と指摘されたことを僕は今でもよく覚えている。原爆を落としたアメリカの無差別大量殺人を戦争犯罪と糾弾することはあっても、十五年戦争で日本が侵略行為を開始した結末として原爆投下があったこと、日本の加害者責任を総括せずに原爆の被害者的立場のみ言い募る身勝手さが当たり前のように日本人の中にあった。長崎の永井隆博士のように原爆投下を「神の摂理」として被爆者を殉教者のような立場に置く論理もある。だが長崎投下の独自性を差し引いたとしても、「なぜ原爆を投下されたのか」に言及しない論理はそれに至る過程の日本の戦争犯罪に目を背けることであり、日本の犯した戦争犯罪を告発しないことはアメリカの犯した原爆投下がなぜ戦争犯罪であるのかを立証できないことに繋がる。

 『はだしのゲン』の導入部では父親が戦争に反対するゲン一家に対する迫害のエピソードから始まる。また隣人の朝鮮人に対する民族差別も描かれている。「ヒロシマの加害者性」からこの物語が出発していることは「なぜ原爆を投下されたのか」を明確に意識することを読み手に促そうとする。原爆投下の犯罪性と同時に日本の戦争責任を等価に提示していく姿勢が1970年代の時点で示されたことはとても早かったと言える。

 また何よりこの物語のオリジナリティーを挙げるなら、原爆投下で親を失った原爆孤児を描いた点にあるだろう。戦争文学一般に言えることかもしれないが、戦災で親を失った孤児の悲劇を真正面から取り扱った作品と言えば『はだしのゲン』と野坂昭如の『火垂るの墓』ぐらいしか思い出せない。中沢さんの著書によると原爆孤児を救おうとする運動が広島で始まったのは投下後7年経ってからのことで、それまで何の救済もなされなかったという。中沢さんの友人の中には戦前は裕福な家庭に育った子供が原爆で親を失って、戦後の広島のヤクザ抗争で利用されて命を落とした人も数多くいたという。このようなエピソードは現在に至ってもほとんど語られることはないが、戦災孤児への視点が放棄されているのは、とどのつまり彼らを救おうとしなかった大人たちの後ろめたさの結果かもしれず、乱暴に言うならばこれは戦後の大人たちによる加害者性(戦後の戦争責任)であり、故に今まで戦災孤児の悲劇が戦後史から黙殺されてきたとも言える。

 野坂昭如が「戦後闇市派」を自称したように、国民学校1年で被曝した中沢さんには子供の視点から見た原爆投下があり、その年齢での体験が『はだしのゲン』における原爆孤児への目線として、語られてこなかった戦後史を告発することになった。平和都市・広島が忘却しようとしてきたかにも思える原爆孤児のような歴史から消されてきた存在を中心に物語を据えたことは、あの戦争全般を語ろうとしてきた数多いメディアの中でも本当に稀有な存在だったのだろう。
 






 そして何よりも大事だと僕が思えるのは、原爆の悲劇を単に悲劇で終わらせようとしない「明るさ」が『はだしのゲン』の物語性の主軸となっていることだ。その「明るさ」とは戦争が人の心にもたらす諦念や相対的で無力な厭世観へと結果を導こうとすることへの反発であり、原爆を体験した人生を決して悲観的な運命論や絶望へと引き渡すまいとする明確な拒否姿勢であり、中沢さんが生まれ持った天性の資質とも言える。または本来マンガというメディアが根底にもつ表現の力と言っても良いかもしれない。


 「踏まれても踏まれてもまっすぐ伸びる麦のように」


 物語の冒頭から描かれるゲンの父が言い残したこの言葉が作中何度も繰り返されてゆく。救われず報われ難い被曝の宿命を何度も何度もこれでもかとばかりにぶつかっては乗り越えようとする。
 かたくなな「明るさ」と、悲惨を衝き抜くような「笑い」。これは数多い原爆物語の中でも『はだしのゲン』が持つほとんど唯一のオリジナリティーであり信念のような姿勢だと思う。大人になってから僕はこの「麦」の言葉を思い出すとき、同時に原民喜の『鎮魂歌』の断片を重ね合わせて思うようになった。


「一つの嘆きよ、僕をつらぬけ。

 無数の嘆きよ、僕をつらぬけ。

 僕をつらぬくものは僕をつらぬけ」



 僕がさきほど形容した、『はだしのゲン』の物語全体を覆うまるで信念のような、かたくなな「明るさ」と、悲惨を衝き抜くような「笑い」は、生前の民喜が切なる望みのように書き表したこの言葉と近いもののように長じて僕は感じるようになった。生き切ることができなかった民喜が味わった現実の大きさはそのまま被爆者が背負ってきた嘆きの大きさであり、「無数の嘆きよ、僕をつらぬけ」と言い切る願いの力が中沢さんが勇気と涙で書き続けてきたであろう『はだしのゲン』の頑固なまでの「明るさ」と「笑い」であったのだと思う。

 いつだっただろうか、あのエノラ・ゲイが飛び立ったテニアン島を訪れた中沢さん夫妻を映像でみたことがある。「ここが私の人生を狂わせた出発点だ。いまね、あなたとわたしはそのスタート地点に立ってるんだ」。奥さんにそう語りかけながらテニアン島に立つ中沢さんは至極溌剌としているように見えた。原爆という文字を見るだけで憂鬱になっていたという彼がお母さんの死を契機に『はだしのゲン』を書き連ねてゆく中で、中沢さんの作品が中沢さんをテニアン島の上に立たせたのかもしれない。僕自身、これまでの半生いろんな危機に陥ったその時々に繰り返し『はだしのゲン』を読んだ。どれだけ助けられたか、弱い自分を叱り飛ばされ励ましてもらえたか分からない。
 
 ある人はこのマンガを単なる反戦図書ではなくピカレスク・ロマンだという。社会の底辺から、主人公がならず者のように豪快に苦闘と戦って路を切り開くような物語だ。『はだしのゲン』のみならず、中沢さんの作品にはいつもそういう要素があって、読者を突き動かしていく。それは原爆や戦争を超えた部分で普遍性を放っている。


 このような政治状況で日本がいま一つの岐路に立っているこの時、中沢さんはあらゆることを僕らに言い残して静かな眠りについた。中沢さんをいまこの状況で失ったことは痛恨の極みだという人もいる。だが僕はそうは思わない。いまこのような状況の中で中沢さんが亡くなられたことこそ、原爆や戦争やファシズムを少し遠のかせたのであり、様々なことを思い出して、後は自分たちが試されているのだと考えている。



 『はだしのゲン』は終わらないし、未完の続きのこれからは僕たちがつくっていく。

 
 中沢啓治さん、長い間、本当に、本当にありがとうございました。





 「おっさん見えるか


  わしらのお父ちゃんは


  死んだりはせんぞ


  死んだりはせんぞ」   


      2012年12月25日 『はだしのゲン』オフィシャルサイトより




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music : Barefoot Gen's End Theme - Where Do We Come From? Where Are We Going?



冬季うつ全開の中、原武史の『昭和天皇』を完読 2012.12.25 tweet

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毎年恒例の冬季うつがいよいよ本格的になった模様。認知がどんどん歪んできている。休職して冬眠する事も検討中。政権が変わった辺りからおかしくなってきた。悪いベクトルしか感じられない。被害妄想が大きくなる。毎年よくある事なので悲観しない。冬に生まれたのに相性が良くない。親の仇のようだ。
posted at 20:04:00


原武史の『昭和天皇』を三日間で完読。これを読んでたせいか鬱が一層ひどくなる。祭祀王としての昭和天皇に光を当てるという着眼点は面白かったし大胆な推論もよかった。ただ余りに昭和天皇を平板化させすぎの感もある。もっと複雑な人物だと思う。岩波新書の紙幅で書き下ろすにはテーマが勿体無い。
posted at 20:08:36



精神科病棟でのクリスマスの思い出 2012.12.22 tweet

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10年以上前大学病院の精神科に入院して暇すぎて病棟にあるキーボードでYMOを弾いてたら看護師に精神科のクリスマス会できよしこの夜を弾いてと頼まれた。安請け合いして凄く緻密なアレンジを考えたのに当日になって来客の多さにあがってしまって主旋律が弾けなかった。この時期毎年それを思い出す
posted at 22:27:53


今でもクリスマスにカップルはホテルで泊まったりするのか。今年のイヴは祝日だし翌日カップルはラブホから出勤するのかなあと職場で言ったら予想に反してウケてしまい当惑した。僕の生まれて初めて付き合った彼女はイヴに告白して付き合い始めたがクリスマスに喧嘩して別れた。付き合ったというのか?
posted at 22:37:26



日本人は自ら民主化を勝ち取ったことのない政治的劣等民族である 2012.12.21 tweet

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朝日の声欄に「自分は今回自民党に票を入れたが自民は勝ちすぎだと思う」という高齢者の楽しくボケた投書が載って唖然とした。そういう連中が国中に沢山いたからこうなったんだ。白紙信任した奴もそうだが自分の責任を棚に上げて政治家をとやかくいう奴が多すぎる。頭悪すぎ。もう俺は日本人やめたい。
posted at 20:36:25


生活保護に捕捉されない貧困者が受給者の倍もいて毎年電気止められたりして死んだり貧困が起因して虐待で殺されたりする事件があるけれど自民は公約ではっきりと生活保護費10%カットと謳っていたのだから今後同種の事件が後を絶たなかったら自民に投票した連中も殺人者と同じだと思って構わない。
posted at 20:49:08


政治的対立が国内で生じないことが日本の美徳だと薄っすら思っていた部分があったが単に対立を表明する程の根性も勇気も無いだけで抑圧された不満は有色外国人や社会保障に頼る肩身を狭くさせられた人々に向けられている訳でありこういう弱者虐めが自治の基本になる日本人は最も反民主主義人種だと思う
posted at 21:00:20


A級戦犯の孫を総理大臣にした日本人と独裁者の娘を大統領にした韓国人に大きな違いが有るとすれば韓国人は民衆の力で軍事独裁を倒して自分達が民主主義を勝ち取った点にある。国中を焼け野原にされながら軍事国債を買い続け命を捨てて天皇のパシリであり続けたヘタレな我々は民主より奴隷がむいている
posted at 21:06:30




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下痢右翼が下痢に塗れながら下痢愚民の為に下痢で描く歪な地獄絵図 2012.12.20 tweet

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現代アートって全く関心外だけど会田誠って名前だけ知ってる人が女子高生が割腹する絵とか集団がミキサーにかけられるのとかサラリーマンの死体の山を作品にしたらしい。最初聴いた時「げっ!!」っと感動したけどよく考えればコロンブスの卵的な発想で有りがちなのに無さそうな、でも思いつくの凄い。
posted at 20:26:32


自民党の新憲法草案によると国民は主権ではなく表現の自由もなく基本的人権は保障されないらしい。「前文が下手すぎて泣ける」と溜飲を下げてくれる高橋源一郎は自民党草案は「現実」ではなく現代「アート」だと言う。確かにアート。下痢右翼が下痢に塗れながら下痢愚民の為に下痢で描く歪な地獄絵図だ
posted at 20:32:06



ストーカーが依存症なら恋愛感情は自己洗脳である 2012.12.19 tweet

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昨夜は午前0時を過ぎてから誕生日通過のお祝いで久々に飲酒。韓国人の友人に「誕生日なんてさらに孤独が深まるばかりだ」と言われて丁度僕はそんな心境だったのでひたすら映像編集に打ち込む。酔ったついでに昔の恋人に電話して安倍を散々罵倒したが同調してくれなかった。福島はそれどころでないのだ
posted at 23:27:58


フランスに行こうと思ってたが例の仏女子大生に告白して逃走したので渡仏はなくなる。インドネシアか香港か韓国に行きたい。恋愛は僕には脅威の自己洗脳行為だ。理性で処していたならば本来有り得ない感情だと思う。ストーカーが一種の依存症ならそもそも恋愛だってマインドコントロールみたいなものだ
posted at 23:51:29



憲法改正抜きで96条だけを変えるのは憲法違反ではないのか 2012.12.18 tweet

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憲法96条の要件緩和っていうが国会の通常の法案可決みたいに96条を変える事が許されるのか?96条だって憲法に含まれるのだから96条を変えるならやはり衆参両院の2/3以上の賛成と国民投票での過半数の賛成が必要なのではないか。憲法改正抜きで96条だけを変えるのは憲法違反ではないのか。
posted at 18:56:25


地方首長が参院議員も兼職できるように維新が法案を出すとかいうが未来もこれに足並みを揃えるという。もう無茶苦茶ではないか。憲法と国民を馬鹿にしてるとしか言い様がない。地方の権限を強めるとする従来の主張と全く相反しているではないか。こんな無秩序が許されていいのか。まるで後進国の政治だ
posted at 19:10:57



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