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Chinese bluff and American profit

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船長釈放は「日本の降伏」=地域にも悪影響―米識者
時事通信 9月25日(土)14時18分配信

【ワシントン時事】米保守系シンクタンク、ヘリテージ財団のクリングナー上級研究員は24日、日本が尖閣諸島沖で起きた漁船衝突事件で逮捕した中国人船長を釈放したことについて、「日本の降伏」と厳しく批判した。
 同研究員は「中国の圧力に対する日本の降伏は日本、米国、地域に否定的な影響を及ぼす」と指摘。中国人船長釈放という「日本が送ったシグナルは、アジアの平和と安定の将来にとって危険なものだ」と述べた。
 また、米政府が今回の事件を受け、日米同盟による強力な支援を表明したことを評価。ただ、日本が中国の圧力に屈服したことで、中国は挑発行為をさらに強 める恐れがあり、米国が地域・世界の脅威に対処するため日韓両国との同盟強化を図るのがより困難になるとの見方を示した。
 一方、米外交評議会のシーラ・スミス上級研究員は、中国政府が対応をエスカレートさせたことが、近隣諸国に不安をもたらしたと中国側の対応を批判。これに対し「菅内閣は事件に率直かつ冷静に対処したことで高い評価に値する」と語った。 





 政治のことはよく分からないが私の印象。

 日本は当て逃げされた暴走漁船の船長の不起訴・釈放に追い込まれ、挙句の果てに謝罪・賠償まで迫られるという19世紀の列強進出時代のごとき屈辱的な立場に追い込まれている。
 困った挙句にアメリカに泣きついて「尖閣は日米安保の対象」と宗主国からの「お言葉」を頂かねばならなくなったわけだ。

 そのアメリカと中国は先日、サマーズ国家経済会議(NEC)委員長が北京の人民大会堂で胡錦濤国家主席と会談して、台湾武器供与以来の冷えた関係から歩み寄って軍事交流を再開しようとしているのだという。
 アメリカは尖閣問題を他人事のように論評しながら、日中の対立をよそに、米中は日本の頭越しに「尖閣」を抜きにした外交を展開しているのだ。


 結局、一連の流れを俯瞰してみると、アメリカが日中対立の間で「漁夫の利」を得ているように感じるのは私だけだろうか。


 今回の事件で多くの日本人が感じた恥辱と悔しさは、恐らくは北朝鮮の拉致問題が表面化したとき、それ以上に値するものであったのではないか。日頃ナショナリズムとは無縁に暮らしている人々の眠っていた愛国心にも大きく火をつけたに違いない。

 だが我が国の政府は独自の外交をしようとしても中国相手に負けっぱなしであって、日本は結局日米同盟に頼らざるを得ない。
 言い換えればアメリカという「宗主国」にすがらなければ日本は中国相手に何も出来ないのではないか?
 このアメリカに対する諦念のような見方は多くの国民の中でコンセンサスとなっているように思う。

 つまり、日米同盟で守ってもらう代わりに、今まで通りアメリカの属国として言いなりになるしかないのではないかという結論が暗黙のうちに引き出されるのではないかと思う。


 ここで重要な局面を迎えるのは、沖縄の普天間基地移設問題である。


 鳩山政権を倒閣に追い込み、菅政権の参院選惨敗をもたらした民意の底には、基地問題に関して裏切られ切り捨てられた沖縄への本土の人々の潜在的なシンパシーが少なからずあったのではないかと私は思う。
 そうした沖縄への支援に傾きかけている潜在的な民意を後ろ盾にするかのように、辺野古移設に反対する名護市市議選挙が行われ移設反対派の圧倒的勝利があり、11月知事選に向けて、これまで立ち位置をはっきりさせてこなかった現職・仲井真知事も基地の「県外移設」を公約に盛り込む事態が導かれた。

 その流れの中で起こった尖閣漁船事件は、米軍海兵隊を追い出したい沖縄県民からすればまさに最悪のタイミングで迎えた災厄とも言えるのではないか。

 なぜなら、今回の尖閣事件で屈辱的外交を見せつけられナショナリズムを焚きつけられた多くの本土日本人は、日米同盟への更なる依存を現状として認めざるを得なくなるわけで、その結果、尖閣の直近に位置する軍事拠点としての沖縄の役割を現状追随的に認識させられるに違いないからである。
 つまり、沖縄の基地負担に少なからず同情を寄せつつあった世論の傾きが一気に「日米同盟への更なる依存=在沖縄米軍の要求への無条件の妥協」へとシフトが逆行する可能性がある。沖縄の呻きにようやく耳を傾けつつあった本土の民意を、民主政権やアメリカの言うままに元へと覆し、主権外交なき日本の為にまたしても沖縄を捨石へ追い込みかねないわけだからだ。


 焚きつけられたナショナリズムが何者かの見えないフリーハンドによって無自覚に我々の選択を消し去っていく。


 なにより私がアメリカをしたたかだと思うのは、
 「中国の圧力に対する日本の降伏は日本、米国、地域に否定的な影響を及ぼす」とか自分たちもが利害の当事者に含まれるかのように日本に責任を課しておきながら、
 腹の底では、
 「日米同盟についてちょこっと日本にエサを撒いてやれば、沖縄の基地問題も俺たちの言いなりに出来る」
てなふうに計算して発言しているようなアメリカの黒い腹芸が透けて見えてくるところにある。
 


 基地問題という懸案を合わせ鏡として今回の尖閣事件を映し出してみれば、これが中国の単なる19世紀の列強のような古めかしい業腹っぷりに留まらず、背景に多くの意図的な青写真が巧妙に織り込まれているように私は思えてならない。


 今回の漁船当て逃げ事件は、そういった何者かの意思を踏まえた上での、実は作為的に行われた謀略として疑ってみてもよいのではないか。 


 謀略とは勘繰りすぎだとしてみても、アメリカと中国が互いの利益を見積もった上で事後的に裏で手を結んでいるのかも知れないと私が疑うとすると、それは果たして飛躍しすぎなのだろうか。




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Insignificant matter about "a right" and "the human rights"

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 いろいろとツッコミどころの多いブログ記事を見つけて、あれこれといろいろ考えたのだが、私の思ったことをごく端的な私的メモのつもりで記しておく。



共に幸せになる道を探そう」(人権や権利という対立からの自由)- 森へ行こう(心とからだと子育てと)



 政治的カテゴリの概念である民主主義を、別次元のカテゴリである親子の関係や自然と人間との関係性に置き換えて話を進めること自体がナンセンス。パレスチナ問題を嫁姑の喧嘩話に喩えるような愚劣さと同じで、問題の複雑さを矮小化して情報量を意図的に減らして無理やり我田引水しているに過ぎない。

 人権とか福祉とは人間が自然発生的に社会規範を整えたり他者を思いやることが出来るとは看做さない立場から生まれたものだ。
 言い換えれば何の教育も受けずに完全に放任されて育っても自然と人助けが出来るような人間ばかりなら人権という概念は必要ない。
人権が語れるのは人権が保障されてるからだ。

 権利とは対立的な思考に基づくものでなく自立的思考から考えるべきだ。
 誰しも自分の社会的行為や人生に対する自己決定を主体的に行う自由意志を有している。他者に依存してしまうことなく自分にとって最も最善の道を自分で考えて自分の意志で決定し行使する。
 その一連の自立的過程こそが権利である。

 人権や権利を主張する人達に対し「寂しい人」と断じる見下すのは何故か。
 自分の気持ちや存在を受け入れてもらっていないと感じることは寂しいことだが、それは当人に自分の人権や権利が認めてられているという充足感がないからではないか。
 つまり自分の寂しさを決して受容していない卑屈さの現れである。権利を正統的手段で主張しようとする人々に対する屈折した羨望、そのような真似をできない自らの非力さに関する劣等感情こそが、このような妬みに満ちた誹謗しか吐けなくさせるのだ。

 DV やACに限定して言うなら“with”ではなくむしろ“own”の志向が大事だと思う。
 他者依存や共依存傾向こそがこれらの問題解決を遠ざけるからだ。
 自分の意思や権利を大事にして主張できなければ相手を同じく対等な権利を持った自立的他者として尊重できない。対等な意識こそが関係を安定させるのだ。

 そもそも「幸せ」と「権利」を同枠で論じることは破綻する。
 過剰であろうとも権利を主張することに自分が充足できるなら相手からどう映ろうとも幸せなのだ。
 換言すると充足している相手を貶めることにしか自分が躍起になれないならそんな負の感情は不快という不幸せしかもたらさないかも知れない。

 子育てというカテゴリに限って言うならば、「共に幸せになる道」と論じるなら「子どもの視点」を持つということが「子どもの権利」を我が子に促すことに他ならないことを悟るべきだ。
 もっとも僕は「共に幸せになる道」は「共に自立する過程」の結果として対等な相手を思いやれる自分の充足感だと思う。

 僕は子育てはしたことないから何か言う資格はないかもしれない。 
 ただ僕は自分の親に対して、親であると同時に自分とは異なる意思を持つ当たり前の他者であること、親の立場という権利を有した独立した人格だと看做せるようになって、初めて親と和解できた。それが老いてゆく親への思いやりへと繋がった。
 親子の関係は子育てのみで終了するわけではない。親の老いを子がどのように迎えるかといった事柄にまでその課題は存続するのである。



 最後に。

 民主主義が弱者を生むのではない。
 「人権」とか「権利」という考え方に対立的構図を見いだす者の、民主主義とは相容れない排他的な不寛容こそが弱者を作るのだ。



 

『「人権」とか「権利」という概念は、民主主義を守るためのものであって、人を守るために生まれたものではありません』



 

『それは子どもには「人権」や「権利」という概念がないからだけではなく、子どもが求めているものが「人権」や「権利」ではないからです』





 この言葉をじっくり注目して欲しい。
 「人権」や「権利」の言葉にこのようなファッショに似た反動的な悪罵をつらつら書けるのは、もはや異論の他者を「対立的」な存在として抹殺したい者の悪意の本音が十二分に暴かれている。



 それはもはや誰をも幸せになどしない、恐怖社会すら望む陰湿なルサンチマンに他ならない。



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"What’s happening?" commands me to fill the blanks.

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Any idea can be made a word. But I cannot make words without a idea.
I stare at the blank and try to write some words. But the words do not appear though nothing thinks.
We use the words for a thought. But the words are means, and and not a purpose.

When I look at Twitter, I feel certain an obsession. Though there is not the request from my thought, I must write in words.
Why is it Twitter?
The reason is because Twitter commands me to report a progress without result in every time.

However, we don't have the dramatic life every day so as to need that we often report something.
We don't live in the moment when words come out steadily.
I don't feel tiredness in writing the idea of something.
However, it's mere painful for me to spend all my time as I always consider it to produce something reported to others.

Our words never created for an advertisement to link.





 いかなる思考も言葉にすることはできる。だが思考もなく言葉を創ることは出来ない。
 私は空白を見つめて何か言葉を書こうとする。だが何も考えていないのに言葉は現れない。
 我々は思考を目的として言葉を使う。だが言葉は手段であって目的ではない。

 私がTwitterを眺める時、私はある種の強迫性を感じる。私の思考の要請もないのに私は言葉を書き込まなければならない強迫性である。
 なぜそれがTwitterなのか?
 Twitterがあらゆる時間において結果がなくても経過を報告することを私に命ずるからである。

 しかし我々は報告することを必要とするほど劇的な人生が毎日起こっているわけではない。言葉がどんどん出てくるような瞬間を生きていない。
 わたしは何か考えたことを書くことに疲れを感じることはない。
 しかし誰かにに報告するネタを作り出すために常に意識して自分の全時間を過ごすことは単なる苦痛でしかない。

 われわれの言葉は連動する広告のために生まれるのではない。



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