Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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When the LCD is shut down

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Morning, from Los Angeles, she is an overseas student from the developing country and wealthy person's daughter, ask you.


 朝、ロサンゼルスに留学している発展途上国の富裕層出身の彼女が尋ねた。



"Which do you want? friend? or lover?"
"No, ally"



 「あなた彼女が欲しいの? それとも友達?」
 「違う、味方だ」




You answer, You are a neet that relies on old parents' pensions, in Tokyo, ungraceful tonight.


 還暦過ぎた親の年金暮らしで一級在宅士の不様な俺が答える、東京の夜。



Skype is cut.


 スカイプを切断する。



It have just come at last, time to rush into depression all alone.
You can love world nobody soon.
It's isolated.
Feelings like lynching attack you.
Switch off the PC soon, you'll barricade oneself in the bed, and you'll bear.



 独りで鬱に入る時間がやってきた。
 もうすぐ世界の誰もが愛せなくなる。
 完璧な孤立。
 袋叩きの気分が襲ってくる。
 そのうちパソコンの電源を切れば、俺は布団にもぐり横ばいになって耐えるだろう。




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You delete names in succession,
Names that has never met, found on net.
Swallowing Levoprome a lot,
You hear an ominous whisper on iTune.



 ネットで知り合った会ったこともない奴らの名前、
 どんどん削除していく。
 レボトミン、少し多めに呑みこんで、
 iTuneから胸の悪くなる囁きが聞こえる。





"What do you think I'd see if I could walk away from me?"


 「何が見えると思う? もし自分から遠ざかることが出来れば」



You become silent once again,
To pass completely from her,
Even though you've never met her.



 俺はもう一度沈黙する。
 彼女からすっかり通過してしまうために。
 俺は彼女になんか一度も会ったことがないのに。




You've just decided with all narcism.

"Happiness is no duty after all"



 ナルシスティックに浸って、決意する。

 「幸せになろうなんてのはやめた」




The LCD is shut, and your day where you should live have been over now.


 液晶画面が閉じて、ちょうど今、俺の生きるべき一日が終わったところ。



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music : Velvet Underground - Candy says




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Ideology of ground zero

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The act of sympathizing belongs to the minority.
The ground zero should have never existed in the world if the majority was merciful.



 しょせん人を思いやるって行為はマイノリティに属しているのだ。
 マジョリティが慈悲深ければグラウンドゼロなんて存在しないに違いない。




I read a certain female journalist's column with the newspaper.
She lived in the United States when it was a junior high school student, and went to a local junior high school.
The teacher questioned students one day.
"Do you think that what method is necessary to solve the Japan and United States trade frictions?"
Then a certain white classmate said in fun.
"It's good for us to drop the atomic bomb to Japan again."
All students in the class had a hearty laugh his remark.
The white young man might have only said a mere joke.
But she didn't laugh. She raged for humiliation without a word.
Her grandparents were bombed during war in Hiroshima.



 新聞である一人の女性記者のコラムを読む。
 彼女は中学生の時アメリカに住んでいて、現地の中学校に通っていた。
 ある日、教師が生徒たちに質問した。
 「日本とアメリカの貿易摩擦はどうすれば解決すると思う?」
 すると白人のクラスメートがおどけて言ったそうだ。
 「もう一度日本に原爆を落とせばいいよ」
 クラス中の生徒がみな大笑いした。
 それは単なるジョークに過ぎなかったのかもしれなかった。
 しかし日本人である彼女は笑わなかった。黙ったまま、怒りに震えていたという。
 彼女の祖父母は戦争中に広島で被爆していたのである。




The American may blame a Japanese about the surprise attack of Pearl Harbor adversely if a Japanese protests an American by atomic bombing in World War II.
But do many Americans know that there is a submarine called USS Bowfin in the museum of Pearl Harbor?
The submarine attacked a torpedo to the evacuation ship which carried a private citizen on board in closing period of World War II, and killed 1,418 people. The most of the dead people were children.
Such a submarine is praised as National Historic Landmark now.
More nonresistant citizens in Hiroshima and Nagasaki and died 65 years ago was burnt to death.



 もし我々が第二次大戦中の原爆投下についてアメリカ人を責めたところで、彼らは逆に真珠湾のだまし討ちの話を始めるだろう。
 だが真珠湾のミュージアムに置かれたボーフィンという潜水艦が犯した過去を知る者は少ない。
 大戦末期に疎開船に魚雷攻撃を仕掛け、1418名を殺した。沖縄戦の悲劇と共に語られる対馬丸事件である。
 対馬丸を撃沈したボーフィンは現在「真珠湾攻撃の復讐者」として称えられ、国定歴史建造物に指定されている。
 65年前の広島と長崎ではそれよりもっと多くの無抵抗の市民が閃光と共に蒸発して死んだ。




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65 years ago, two big cities were exterminated by atom bomb in only less than several minutes.
It cannot compare with the collapse of only two buildings.
There is a big difference in Ground zero of Hiroshima and Nagasaki and it of N.Y.
They who got furiously angry with tragedy for only two buildings invade the foreign country and continue massacring it nearly 10 years.
I have a hearty laugh for their weak self-satisfied victim feelings in joke.



 65年前、二つの大都市が僅か数分足らずで原爆で消えた。
 たかがビルが二つ倒壊したのとは訳が違う。
 広島と長崎に比べればニューヨークにあるのはグラウンドゼロ(爆心地)ではない。先住民を追い立てた拠点の成れの果てである。
 ビル二つ分の悲劇に怒り狂った彼らは海を隔てた他国民を侵し始め、10年近く殺戮し続けている。
 わたしはその脆弱で独りよがりな被害者感情にジョークを込めて爆笑しよう。




"It's good for us to drop the atomic bomb to Japan again." I may be the just same as the white young man.
No, surely I'm just same as him,
I must be the same as him.
The reason is because there was "ground zero" in Nanjing 73 years ago.
For a victim of Nanjing Massacre, we Japanese is the pack of lies which put on weak self-satisfied victim feelings.



 「もう一度日本に原爆を落とせばいい」。その白人の青年と私はちょうど同じ程度かもしれない。
 いや、同じなのだ。
 同じでなければならないのだ。
 なぜなら73年前の南京にも「グラウンドゼロ」はあったからだ。
 南京のことを思うとき、わたしはきっと脆弱で独りよがりな被害者を気取った嘘の塊に違いないのだ。




There is the ground zero where many people died in the world various places.
All the martyrs who died may be minority.
Because they could leave nothing in the world, and was merely crossed out to the outside of the history.
Only stupid self-righteous majority multiplies in the world after a martyr was killed.



 グラウンドゼロが存在する。多くの世界に、多くの人間が絶命したその果てで。
 死んでいった受難者はみなマイノリティかもしれない。
 彼らは何もこの世に残せず、ただ歴史から抹殺されていったのだから。
 受難者が消された後に、愚かで独善的なマジョリティだけが世界を覆いつくす。




In ground zero, the prayer to the victim is deleted.
there is only an ideology of the retaliation.



 グラウンドゼロでは犠牲者の祈りはかき消される。
 あるのは報復のイデオロギーだけである。




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music : Flash & The Pan - Walking in the Rain




Simple doubt to the Bhutanese

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Happiness is subjective. And, it is a result and not a purpose.

GDP is only an expedient standard. However, GNH is an ideology.
Is "Freedom to choose misfortune" admitted for the ideology?




 ブータンという国は前国王が国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念を提唱していて、独自の緩やかな近代化政策や環境保護、伝統文化保持で知られる国で、ある種の人々からは理想的な国家像として語られることが多い。僕も10年程前にこの国に旅行したし、Facebookでブータン人の友達もいて話したりすることもある。

 そのブータンに関して、最近見つけたのがこのような記事だ。

 クーリエ連載:ブータンの民主主義」(2007/6)

 あまりにもブータンは理想的な国として喧伝されるので、実際にはこういった現実があるというのは別段不思議でもないし、おそらく事実だろうと思う。

 国民総幸福量だとか、我が国の首相の「最小不幸社会」だとか、幸福や不幸にまつわる事柄に関して僕が思うのは、戦争や飢餓といった絶対的な極限を別にして、幸福や不幸という極めて個人的主観に属する価値観を、国家が関与するようなことは、斬新なように見えて実はとても後退化した手法だと思うのだ。

 幸福は国家や集団が規定するものではなく、個人が追求するものだ。なぜなら幸福は必ず幾許かの不幸を前提としていて、幸福感とは個人的な事情・理由によって投影されるものであるからだ。そして個人の幸福感という感情に国家が関与することは許されないことだ。、どのような価値であれ、個人の感情に国家という強制力を伴う代物が足を踏み入れるのはファシズムと手法を同じくしているからである。

 国民の幸福度を高めることを国是とするのは、見方を変えれば為政者の執政に予め正統性を保証しているだけのことなのである。しかし政治は国民が幸福である可能性を整備するのであって、国民の幸福それ自体を目指すことは不可能なのだ。個人が幸福を求めるための生存を保証するのは近代的な国家であるが、幸福という精神性までも保証することはできない。
 国家が精神性になにがしかの接近を行うようであれば、それは北朝鮮の主体思想や中世の宗教的国家像といった異形の姿と近づきかねず、危険な行為と言わざるを得ない。

 幸福には幾許かの不幸が前提となると僕は言ったが、国家がやるべきことはその幾許かの不幸に国家が関与しないようにせいぜい努力するほどのことなのだ。幸福を求めるには個人が生存していることが必要だから、社会権というものがある。
 国民総生産は社会権の充実をある一面においてだけ計量出来るかもしれない尺度にすぎない。だが国民総幸福量というのは根拠のない指標であり、根拠がなければイデオロギーでしかなく、社会主義国の国家が持つ独善性と大差なきものとなりかねないのではと思う。

 ブータンが実際にどのような国であるかは問題ではない。だが、国民総幸福量という美名に乗せられずに正確に物事を考えようと努めれば、そのような疑問が浮かび上がるというだけの話だ。

 少しも幸福の前提にならない幾許かの不幸があるとすれば、それは幸福とは不幸が全く関与しない絶対的な価値だと錯覚してしまうことである。

 不幸が感じられないところには幸福も存在しない。なぜなら痛みを知らない人間は痛みを逃れることを初めから考えられないからである。そして痛みを知らない人間だらけの場所には人々に共感作用というものもない。

 そもそも幸福は幸福を目的とすることから不幸が始まっている。そのような不幸は何の意味もない。だが幸福とは一見何の幸福も期待し得ないような苦悩や欠乏を通過した後、直感において瞬間に生まれる「意図せぬ結果」である。

 それを理解できないところでは、ブータンに対するある人たちのの如何わしいユートピア幻想は如何わしく続くのだろう。


 

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