Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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You have a man to remember yours favorite phrase

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 僕は現在の自分の暮らしが不幸せだとも幸福だとも思ったことはない。

 ただ、報われ難い人生を歩いているとは思うこともある。


 就労訓練を受けていて事実上無職であるわけで、結婚もしていないし勿論子供もいない。配偶者や子供が欲しいかどうかは別として、そういう機会が経済的に与えられていないわけだ。
 それらの社会的ハンディキャップは、僕が精神疾患を長年病んでいることに全ての原因が由来している。

 僕がもしそれなりの経済的余裕があるなら、相手に恵まれれば結婚することもあるかもしれない。それに仮に僕が女性であるなら、相手に恵まれれば自立した自活能力がなくても、相手の男性の経済力に依存して専業主婦にでもなって、結婚して子供が出来れば、障害者の社会的ハンディキャップから一気に脱出することも可能かもしれない。実際にそういうメンヘラ友達を僕は多く見てきた。ただしこのような過程を省いた推論はナンセンスだとも思う。

 だが僕の長年の友達の中で、僕が未だ変らず社会的ハンディキャップを背負っていることを知り得ながら、自分が結婚したこととか子供が出来たことを報告してくる人がたまにいるのだが、そういう時は結構傷つく。
 
 しかしそこで僕が考える。もし僕が正反対の立場、つまり結婚とか子供とか運良く普通の平凡な幸福を得られる立場であったなら、そういう幸福を手に入れられない条件化に縛られているハンディを背負った人が親友の中にいるとすると、やはり僕も相手に対して配慮を欠いた形で自分の幸福を相手の現状も省みず、うっかり伝えてしまうのだろうかということだ。

 昨日、次姉にそういう話をしてみたが、
 「なんや、あんたまだ結婚とか諦めてなかったん? こっちはとっくの昔に諦めたけど」
 姉は突拍子に屈託なく笑いながら、質問に答えていない回答を返してきた。

 次姉は大学を出てから15年間教員採用試験を受け続けたが、年齢制限の最後まで受かることは無かった。それから調理師の専門学校を出て料理の世界に入ったが、やはり女であることと年齢を経ていることが悪条件となって職場を転々としてそのうちに僕と同じく鬱病になった。
 次姉の場合、これまでの人生の中で例えば結婚という「就職」をする機会が無かったわけではないが、「自立していないから」という彼女なりの理由で結婚しようとしなかった。それどころか僕の知る限り、大学を出て以来、次姉は恋愛すらせずにストイックに教員試験や調理師の勉強ばかりしていた。親が「不憫」に思ったのか、見合い話なんてものを持ってきても全て断っていた。彼女は結婚という「就職」に収まる選択肢を全く考えてこなかった。

 ある意味変っているようにも思うのだが、むしろ、「女は就職できなければ結婚すればいい」という発想が当たり前として男の僕が考えることの方が女性に対して失礼なのかもしれない。

 だが僕は、ストイックすぎるまでなほど自立に拘って他者に頼らない次姉の生き方を、心の中で少し、たくましく思えてくる。


 
 報われ難い人生が切なくなった時は、僕は名古屋で暮らしていた時のことを思い出す。

 大学時代に数回の精神科入院を経て、僕は自分と同じく精神疾患に苦しむ人たちを助けたいと思って、精神保健福祉士の資格を得るために、名古屋の養成専門学校に入った。
 だが、病院実習や作業所へのボランティアに通う日々の中で、本当にギリギリの生存すらままならない日常を送っている人たちを見るにつけ、僕は真面目に考えれば考えるほど、自分が彼らを助けるどころか、彼らのハンディキャップにつけこんで搾取する側に回りかねないことの矛盾に悩まざるを得なくなった。

 搾取という言い方は適切ではないかもしれない。
 だが精神疾患というのは狭義の意味では服薬を絶やしてはならない病気で、言い換えれば治癒という終わりのない病気である。特に若い時期に重篤な疾患に見舞われたなら、社会的に半永久的なドロップアウトを余儀なくされることは決して珍しいことではない。
 そうなれば残りの人生を入院と通院を繰り返して費やすことになり、継続的な経済活動が難しいわけだから当然収入は安定しない。だが病気に終りがないということは薬や入院費を長年に渡って継続的に支払っていくのであり、精神科や製薬会社からしてみれば固定された患者であり、意地悪く言えば安定的に収益を見込める客でありカモなのである。

 だが「搾取されている」というのは当事者にしか分らない実感であり、当時の僕はただ闇雲に正義感を振りかざして誰かを断罪するだけの、そんな、本当に報われ難い人々にとっては「余裕のある他者」でしかなかった。




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 ある作業所にボランティアに通っていた頃、当時30代ぐらいの独居男性の患者と親しくなった。

 彼はことあるごとに「精神障害の無い健常者の友達が欲しい」と口にしていた。他の作業所メンバーと仲が悪いわけでもないのだが、大勢の作業所仲間ではなく、当時は「健常者」であったボランティアの僕といつも話したがっていた。

 僕は彼の求めに応じるままに親しく話していたが、ボランティアの立場では禁じられている「電話番号の交換」をしてしまった。何度か電話で話して、ある時、作業所以外の場で会いたいという彼の気持ちに応じて、ある晩喫茶店で落ち合って二人で話した。

 だが今にして思えば、彼は自分から僕に求めながらも、気持の中で「健常者」の僕とボランティアとは関わりの無い場面で会うというシチュエーションに激しく緊張していたのだと思う。もしくは、今までボランティアで作業所に現れた「健常者」の中で彼の求めに応じたことは彼にとって稀有だったのかもしれない。彼は喫茶店に入った途端、突如平静を全く失ってしまった。彼の中で激しい幻聴症状が現れた。

 彼は喫茶店で向かい合った数時間、その殆ど全体を自分の幻聴の話を僕に延々と聞かせることに終始した。

 「オウムがサリンを撒いた頃は冥王星の基地でビームサーベルで戦うのに必死でさ、空間ワープ航法で星間戦闘が激しかったけどコスモクリーナーがバクテリアを撒き散らして中世期の騎士団が全滅してるんで、電磁波をもっと強烈に発砲したんだけど、敵の根拠地は千種区を包囲してるんだよ。どう思う? くそくらえだよ! あの時から波動砲が全然利かない、くそ、ハエがうるさい、ハエが……」

 激しく戸惑ったが、僕は全くその彼の「言葉のサラダ」と呼ばれる統合失調症の陽性症状による会話を遮ることが出来なかった。あまりにも澱みなく彼が喋り続けたというのもあるが、会話を遮ることが良いのか悪いのかわからなかった。
 それどころか「どうして冥王星にいたの?」という感じで、僕は彼の「言葉のサラダ」に付き合ってしまった。本当は幻聴体験を話していることに安易に応じてはいけないらしいのだが、それがどうしても出来なかった。

 結果的に僕は数時間に渡ってただひたすら彼の幻聴の話を聴き、彼に話を「聞いている」という事を知らせる相槌や質問して応える形で終わってしまった。
 僕たちは何一つ、友達らしい話を交わせず、終わった。


 だが喫茶店を出て別れる時、彼は不意に、幻聴ではなくいつもの口癖を一言、小さく、呟いた。



 「僕は病気じゃない友達が欲しいんだよ……」

 

 家路に向かう地下鉄の中で僕の頭はグラグラしていた。



 僕はこれまで大勢の患者さんと会ってきたが、なにか、そのことが全く無意味な体験でしかなかったような、僕の経験の価値が、どしゃっと崩れていくような気持ちだった。



 この世に救われないものがあると仮定するなら、その一端を見てしまったような気がした。

 それは幻聴を話した彼のことではない。

 彼に対してなすすべもなく、彼と正面で向き合うことで露呈した、僕の無力さ。欺瞞。思い上がり。

 それが救われないと思ったのだ。



 そのことがあってから、僕は彼のいる作業所にはボランティアに行けなくなった。彼から何度か電話があっても電話に出られなかった。

 「もし今晩電話をかけなおしてくれなかったら君の番号は削除する。でも良かったらかけてきてよ」

 長い没交渉の日々のあと、そんな留守番メッセージがあったが、僕は電話できなかった。彼からその後、僕に連絡することは全くなくなった。 

 僕はその喫茶店での出来事があって、「精神保健福祉士にはなれない」と深い諦めを自分の中で思い知らされた。たとえ資格を取っても、働けないと思った。

 それは別にナイーヴで感傷的な思いからそうなったわけではない。
 彼にはとうとう言わなかったが、僕が過去に入院を繰り返して、彼と同じ「病気仲間」だからこそ、彼をどうにかする立場になど立てるわけがない、そう思ったのだ。

 僕のようなシチュエーションが必ずしも普通だとは思わない。精神疾患を持っていてもソーシャルワーカーとして同じ疾患の人々を助けている人の存在は幾らか聞いたこともある。
 僕がそういう立場に立てなかったのは結局のところ、経過の結果でしかない。

 僕には病気の仲間を助けることなんかできやしない、僕はそう思いながら、資格だけ取るつもりで精神保健福祉士の国家試験の勉強を続けていた。

 そして結果としてその途上で僕自身の鬱病が再発し、入院してしまった。何とか短期間で入院を終えて、受験資格の単位だけでも取るつもりで、地元の精神化病院を出てからすぐに名古屋の精神科病院へ二ヶ月の実習に向かった。そして最初の一日で僕の病状がまたしても再発した。結局単位を取ることは出来ず、僕は専門学校を中退して地元に戻った。ドロップアウトして「健常者」には戻れなくなった。

 数年が過ぎて、僕は今、就労訓練を受けて、病院の作業所に通っている。




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 報われ難い人生のことを思うとき、僕は名古屋のことを思い出す。

 緊張に激しく苛まれながら幻聴のことを僕に喋った彼のことを思い出す。

 僕は実感として、先に述べた「搾取」ということを考えたりすることがある。でも、それでもまだまだ自分の中に「報われ難い誰かにとっては余裕のある他者」でしか有り得ないような気もする。
 自分が不当に恵まれているような、そんな後ろめたさが、僕をますます多くの人の人生の報われ難さへの眼差しへと駆り立てられずにはいられないのだ。

 若い頃は売春をしていたが身体を売ることも出来なくなってどこにも身寄りがなく余生を閉鎖病棟で暮らすおばあさんとか、ふとしたきっかけでアルコール依存になって家族も仕事も失ってホームレスになり、雨の日にブルーシートもなく子供から石をぶつけられるような路上生活を経て精神科に辿り着いたおじいさんだとか、ヤク中になって子供も育てられず入院して外泊するたびにシャブを打ってしまう若い母親、その子供の面倒を見ながら生活保護のお金をパチンコに使ってしまうその母親の母親だとか。

 人生を生きていく上で、幸せとか不幸だとかいう安易なレッテルを自他に貼り付けることなく、報われ難い人生をも、がむしゃらに懸命に生きていくために僕に必要だったこと、それを僕は名古屋でいろんな人たちの尊い生き様から教えて貰った。

 
 仕事に就いて、暮らしていけるだけのお金を得て、誰かと結婚して、自分の子供を授かって―。

 普通に平凡な人生のライフサイクルかもしれない。
 
 しかし病を背負った者にとって、その平凡を得ることがなんと非凡なほどに難しいことか。その「普通に平凡」という形容が、得られぬ人間にとってなんと哀しい呪縛に映ることか。
 
 幸せは結果であって、生き方なんて世界の人口分だけ多様に満ち溢れているはずなのだ。
 なのに「普通に平凡」という在るはずのない幻惑が、物や金が儘ならない人生から、ほんの少し満ち足りた一瞬のかけがえのない素朴さや、一人一人の心の中に分け隔てなく与えられた自分の尊厳の実感を、奪い取って、代わりに惨めな荒みを背負わせる。

 報われ難いというのはそういうことだ。
  
 
 報われ難さに屈する時、僕は誰かの暮らしを妬んで、ルサンチマンと絶望で世界を覆って見つめてしまう時もある。

 そんなときに、あの幻聴を語った彼を思い出す。思い出そうとする。

 だけど、なんのために思い出そうとするのか分らない。ただ、今なら僕は彼の口癖であった「病気じゃない友達が欲しい」という思いがなんであるのか、少し分るような気もする。少なくとも、彼の言いたかった本当の思いに自分も共に寄り添えるような気もする。


 「僕は病気じゃない友達が欲しいんだよ……」


 彼は「病気じゃない」ものの中に、「普通に平凡」な自分、手にすることが狂おしいほどに困難なささやかな自分の生き方を見出したかったのかもしれない。ささやかな充実を手にした人と繋がることが、彼が彼の困難な境遇を抜け出すための唯一の手段だったのかもしれない。

 彼がそうすることで本当に幸せになれるのかどうか、僕には分らない。
 「普通に平凡」なんて画一的な生き方はどこにもあるわけがない。世界には生きている人間の数だけ生き様があるのだ。みんな、唯一度の人生を唯一人の自分を精一杯生き切るのだ。
 
 他の誰でもない、紛れもないこの自分を、誰に押し付けられたわけでもない自分が信じた轍を踏んで、他の誰でもない自分だけの人生を終えることが出来ることが本来自由と呼ばれるものではないか。その自由を全うできた者だけが得られるものが、不安も未練も唯一つもない誇りなのではないか。

 
 ただそれは今の僕だから思えることに過ぎない。「病気じゃない」「普通に平凡」なものをまるで愛を乞うように健気で一途に追い求める彼を決して否定など出来ない。出来るはずがない。彼の気持ちはきっと必ず僕の中でもどこかで絶えず残り続ける思いでもあるのだから。

 思えば、きっと彼は報われ難い思いの中で、彼なりに彼のやり方で必死で自分の尊厳を探していたのだから。それがどのような道筋であろうとも、その懸命な生きる姿をなにゆえに詮無いものといえようか。

 そしてなにより、彼はたくさんの思いを抱えて、僕との友情を求めてくれたのだから。

 彼が生き方を変えるために必要な相手として、僕を選び、僕へと向かってくれたのだから。


 そんな彼の思いを理解するために僕は10年近い僕自身の苦悩の日々が必要だったのだ。さんざん打ちのめされ、やっと自分の人生を受け入れられる誇りを保てるところまで辿り着いた。
 だがあのとき彼を受け入れておいて結局最後に彼を締め出してしまったことへの彼の痛みを思い知らされるかのように、僕はあのとき彼が自分の境遇に感じていたであろう彼が生きることの苦しさの一端を、僕が生きることの苦しさとして10年近く味わった。彼を拒んだときの彼の痛みを自分のこととして身体全体の痛みのように理解した。だが、理解したというのは不遜なのだ。

 彼がいま生きているならば、すでに僕が経験したもの以上のものを彼はいま受け入れているはずなのだ。そして後を追ってやがて僕もそこへ行くだろう。生きているならば、新しい受難が、彼から僕へ、タイムラグを経て受け渡される。そうやって僕らは繋がっている。

 繋がって生きているように、僕は思うようにしている。

 
 先日、いろいろ悩んだ折に東京の年上の友人にそのようなことを話した。
 友人は鬱病の他に視覚障害を持っていて、ゲイでもある。「普通に平凡」という呪縛に頭が縛り付けられた時、僕は自分よりもマイノリティとして誇り高く自由に生きる彼と話したくて電話する。


 「名古屋の彼のことを時々そんなふうに思い出すってすごいことだよ。その彼の存在にとってはね。遠い時間の向こうになにもかも押しやられても、誰かの生きていた姿を頭に思い浮かべるって、今もどこかにいるその人間が世界の中で孤独では決してないってことじゃないかな。その人間がいま現在生きている意味が、その瞬間に溢れ出るってことなんじゃないか。名古屋の彼は君が思い出してることは知らないわけだけどね。でも君が彼のことを思い出したら、その瞬間、どこかにいてどんなふうに生きていようとも、彼は決して一人じゃないんだよ。彼は今でも誰かの為に生きてるってことだと思うんだよ」


 ゲイの友人のそんな言葉に、思わずハッとさせられる思いだった。

 あの喫茶店で彼と話して別れた後、地下鉄の中でグラグラと僕を揺るがした、救われなさのことを思い出した。

 あのとき感じた、僕の無力さ。欺瞞。思い上がり。

 10年近く経過して、あの時から抱えたままだった救われなさが、報われて昇華される思いがした。
 
 ……それは一瞬泣きたくなったほどだった。彼を傷つけた僕の救われなさが、友人の言葉で許されたような、贖罪が実ったような、数年間にわたって記憶の隅で潜めていた自分に対するわだかまりが、氷解するように、僕は一瞬泣きたくなった。



 

 ボランティアに行っていたあの作業所からは、毎年正月になれば今でも年賀状を頂いている。

 
 僕も毎年ずっと手書きの文章を添えて賀状を送っている。


 文章を綴りながら、昔の苦悩を思う。


 苦悩に感謝している、懐かしい人々を思い出しながら、思い出して生きていられる苦悩の不思議さの神秘を感じながら。



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music : Joe Strummer - Afro Cuban Bebop





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