Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

スポンサーサイト

Posted by Hemakovich category of スポンサー広告 on

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

まるで、最初から、この世界に生まれてこなかったかのように

Posted by Hemakovich category of Reading on


201405301hema.jpg



 ある殺人事件の被害者がつづっていた英語ブログを眺めていた。

 ある脈絡から、かつてInterPalsで交流していたフランス人、ちょうど被害者と同じ年齢ぐらいの少女を思い出す。ブログの文章から伺えるパーソナリティが似ている感じがした。

 InterPalsのアカウントを消して一ヶ月以上経つ。いまはフェイスブックも同じぐらい久しく開いてない。スカイプも同様。

 たぶん、数少ない海外のネット友達からコメントが来てるのだが、それに対して返事をする気力がない。だからコメントを見ないために当該リンクも開かないようにしている。

 ネットで人と接触しなくなった。ネットを介して繋がる人間関係への可能性を信用しなくなった。

 昨年11月に京都で会った香港の女性だけは「一応会った」訳だし、印象的な人物だったので、連絡を保ちたいと思っていた。でも彼女とも音信不通になってしまっている。

 日本人で、学生時代の友達にすら連絡を取るのを怠っているのだから、英語でコミュニケーションをすることなど、求める気持ちはあっても気力が伴わない。

 久しく誰にもメールを出していない。たぶんこれは、孤独な状態である。

 だが孤独が生じると、その孤独をどんどん極端に深めていくのが僕の性分である。

 孤独が深いときほど、夢の中で頻繁に人が現れる。それも、みんな、思い出すと微かに痛みが生じるような、僕の中でそういうポジションにいる人ばかり、頻繁に夢の中に訪れる。
 だから目覚めた後は、少しばかりの抑鬱が伴なう。


 生きていることは毎日、相対的である。

 それが苦痛だと思う人もいれば、それが生きていることの本質だと悟ってよいものかと、迷う僕がいたりもする。



 井上光晴の『明日』を再読する。最後に読了したときより、ずっと自分のなかに溶け込んでいくような思いがした。

 著者はこの小説に関して、読者の魂を揺さぶろうとするような意図をもって書いたのだろうか。そんな問いを立てたくなるのは、僕がそうではないように感じられたからだ。

 先日再読した遠藤周作の『海と毒薬』と比べてみれば、ずいぶん「不親切」な小説だと思う。無駄な文章がない。同時に説明的な文章をできるだけ排している感じがする。人によっては読みづらいと思う。

 それでも井上光晴の『明日』の文体には、いたわりのようなものが感じられる思いがある。読者を感動させようというような作為を放棄しているように、「不親切」だと見えるのに、優しい気持ちが感じられるのである。

 1章から9章まで原爆投下前日の人々の生を描写して、最後の「0章」では8月9日当日、原爆投下直前に子供を出産する母の独白体ですべてが物語られる。
 いまにも新しい命が宿ろうとする時間の流れのなかで、母が過去のいろんな記憶を想起しながら、わが子がこの世界へ訪れる瞬間を迎えようとする。
 その独白の流れが美しく、切なかった。何度も中断しながら、ゆっくり一つ一つ言葉をかみ締めるようにしながら、読み終えた。

 霧のごとくに多くの人々の命がかき消され、その連なりが持ちうるものが失われた。その連なりのなかに持ちうるものというのは、一人の人間のなかに宿った記憶であって、人への思いや、思いのなかに生きている人のことだと僕は理解する。

 僕が孤独な日々のうちに頻繁に夢見る人たちのことは、僕一人の命が絶えたとき、もはやそれがこの世界で意識される可能性の一部は途絶えてしまうことになるだろう。

 だが僕一人だけでなく、僕に連なる多くの人々の連なりが一瞬のうちに霧のごとくにかき消されるということは、互いに意識の連なりのなかで共有された人々の思い合う営み全体が、始まりも終わりもまるで存在しなかったかのように、時間の流れから「なかった」もののように、痕跡のすべてを根絶やしに遺失させられることなのだ。

 まるで、最初から、この世界に生まれてこなかったかのように。


 黒木和雄によって映画化された『Tomorrow / 明日』を最初に見た中学生のとき、原爆投下後の長崎がまったく描かれなかったことに違和感を感じて仕方なかった。

 「その日」の後が描かれないことが、物語の力不足であるかのように感じられた。
 原爆の惨状そのものが描かれなくとも、投下されて数年後の人々が描かれたりする形があってもよいのではないか、なぜここでこのまま切れてしまうのか、そういう作品への報われなさみたいなものを感じたりした。

 今になって思うのだが、人と、人の連なりが持ちうるものが、すべてあの時間で根絶やしにかき消されたということを、この物語は伝えていたのだと思う。

 あの物語のなかで描かれた人々はすべて「なかった」ことのように消されたのだと。だから、あの先以上の時間を描くことに意味は見いだされないのだということを。

 しかし、あの先に人々や人々の連なりのなかで生きうるものが立ち消えたからこそ、あの日の11時2分以前に世界と繋がっていた人間たちがこの地平に宿してきた連続的な確かさに対して意味を強調する意義がある。

 それが1945年の8月8日の再現に、ほとんど完全を尽くすかのようにすべてを込めようとした試みの意図であったのだろう。


 堅苦しい言葉しか吐けないことが、じれったく思う。

 生きていることは、毎日相対的なものだと、僕は書いた。

 このように生きていていいのか、このようにしか生きられないのか、通り過ぎていく時間のなかで僕はいったいなにを尽くして生きているのか。
 そのような自問と、主観的な不確かさに終わりがないからこそ、この一日はどの一日と比しても、永久に相対的なのだろう。

 でも、生きていること、その一つがこの世界の自分のすべてに尽きるのだと、それを僕は、いつか、できうるならば幸福なかたちで、理解することができるだろうか。

 懸命に命を次の時間へと繋いで、繋いで、その反復のなかから、気がつけばこの世界のなかで、連なりを日々遺し続けてきたのだと、この命が絶えるとき、僕はそのことをきちんと気づけるだろうか。





スポンサーサイト

『海と毒薬』のなかに『歎異抄』に通じる救われなさを感じる

Posted by Hemakovich category of Reading on


20140623-2hema.jpg



 昨夜なかなか眠れなかったので、暇つぶしに遠藤周作の『海と毒薬』を再読し始めたら、わずか1時間で半分読み終えてしまった。

 ピカートの『われわれ自身のなかのヒトラー』とは大違いで、格段に面白く、すいすい読み進められる。
 だがピカートのこの著書をかじっていた後に読んだせいか、幾つかの相似点が感じられるような気がする。

 アドルフ・アイヒマンが拘束されたのは1960年。『海と毒薬』が書かれたのはその3年前である。もしかしたら遠藤はピカートの『ヒトラー』を読んでいたか、知識として知っていたかもしれない。

 冒頭の数ページ、語り手の男が主人公の勝呂医師(かつて米軍捕虜の生体解剖事件にかかわった男)のところに気胸に通うエピソードの部分は、そのまんまピカートの『ヒトラー』での指摘と同一のことが語られる。つまり、どれほど戦争中に残虐な行為に手を染めた人間も、市民社会の日常に戻ってしまえば、よき夫であったり、よき隣人となってしまえることの奇異について語られる。

 この冒頭数ページの描写を1950年代に日本文学に提示した点に、遠藤周作の鋭敏さを感じずにいられない。

 実のところ、僕はこれまで『海と毒薬』を面白い小説だと思ったことはなかった。勝呂の親友で、同じく生体解剖に手を染める戸田の描かれ方、その露悪性が稚拙に思えて仕方なかった。

 ウィキペディアでは『海と毒薬』について、以下のような批評がなされている。


 「成文的な倫理規範を有するキリスト教と異なり、日本人には確とした行動を規律する成文原理が無く、集団心理と現世利益で動く傾向があるのではないか。小説に登場する勝呂医師や看護婦らは、どこにでもいるような標準的日本人である。彼らは誰にでも起き得る人生の挫折の中にいて、たまたま人体実験に呼びかけられて参加することになる。クリスチャンであれば原理に基づき強い拒否を行うはずだが、そうではない日本人は同調圧力に負けてしてしまう場合があるのではないか──自身もクリスチャンであった遠藤がこのように考えたことがモチーフとなっている」
 

 この「神なき日本人の罪意識」と言われるようなこの小説のテーマ、僕はそれ自体が大嫌いで、稚拙なテーマだとしか思えなかった。
 だからストーリー自体は面白いのだけど、描いてある主題みたいなのは、いかにも凡庸なインテリが構築しそうな薄っぺらいもので、それが戸田の露悪性と合致して、「くだらないなあ」と思っていた。
 だいたい、それは日本人固有の問題なのか。ナチスを生んだドイツだってキリスト教圏ではないか。遠藤は無理やり日本人を断罪しているに過ぎないのではないか、そう思っていた。

 だが昨夜は中途半端に眠い頭でこの本を読み始めたものだから、主題とかあんまり気にせずに、遮二無二ストーリーに没入して、物語りの言葉そのものを頭に入れていって読んでみたのだが、
 「意外とおもろい小説じゃないか」と、素直にそう思えたのである。

 ウィキペディアに評されているような文脈に沿って、「神なき日本人の罪意識」みたいなものを意識して読んでいると、全然面白くなくなる話である。
 キリスト教がどうだとか、神がどうとか、そういうのを完全スルーして、作者の背景とか批評家の言を無視して読みかかるべき小説である。
 そのように読み始めたなら、断然面白くなる。

 戸田の露悪性にしても、しっかり言葉を追えば、作者がそれを単なる露悪として描いているわけでないことは、はっきりと読み取れる。良心の呵責だったり罪への恐れからくると思われる仕草の描写が、ちゃんと織り込まれている。

 熊井啓によって映画化された『海と毒薬』では、戸田の役を渡辺謙が完璧に演じていた。

 だが熊井の戸田に関する演出の意図が露悪性やらニヒリズムみたいな部分に見事に偏っているので、渡辺の演技は完璧なのだが、戸田の人物像がのっぺりと、うすっぺらい人間としか描かれていない。僕の『海と毒薬』に関するイメージはこの映画に影響された部分が大きく、だからこそ「面白くない」と思ったのだろう。

 それじゃあ映画版が面白くないのかと問われれば、全然そうではなく、こっちはこっちで面白い。生体解剖という戦争犯罪の視覚化は実に上手い。グロいとか衝撃的とかじゃなく、上手く抑制が効いていて、物語り全体の一部として「見世物」にならないように描写されている。
 だからこそ却って「人間の罪」の部分がシンプルに浮かび上がってくる(中国映画の『黒い太陽731』などと比較してみればそれがよく分かる)。

 映画版の方では原作では明確に登場しなかった空襲のシ-ンがあったような気がする(もしかすると勘違いかもしれないが)。

 小説のなかで「毎日病院で人が死ぬが、病院で死なない者は空襲で死ぬ時代だ」というような台詞がある。映画の方ではこの点がむしろ強調されていて、だから「戦争映画」と言えるのかも知れない。

 だが映画版で描写されていた「戦争映画」のイメージは、もう少し丁寧に言うと「戦争中のアノミーを伝える映画」と言う方が的確かもしれない。

 病院で死なない人間は空襲で殺される。人の死が運命付けられていて日常のなかで当たり前の景色と化している時代。そんな時間のなかで人々が押し流されるアノミー。

 今回小説の方を再読していて、そのアノミーを強烈に感じ取った。

 内務班の残酷な日常を描いた『真空地帯』や、秩序を失った生の世界で死が曖昧に命の延長で彷徨う『野火』などがあるが、『海と毒薬』はそれらの話に共通する戦時下ならではのアノミーを、命を救うはずの場所で命が殺意をもって抹殺されるところとして、病院をアノミーの舞台に選んだ物語ではないか。そういうふうに理解すると、俄然面白く感じられるのである。

 「じゃあ『海と毒薬』は戦争小説なのか?」と問われたら、それはちょっとだけ違うような気もする。

 宗教文学の域に入り込んでると実感するのだけど、その文学性が「日本人の同調圧力に対する弱さ」などという、そんな低い次元の話とも思えない。

 ストーリーのなかで親鸞の末法思想に関するご和讃が出てきたりもするのだけど、そういうのを見ると、「これはカタストロフィに対する人間の向き合い方を描いた話なんじゃないか」と思えてきたりもする。
 ちょうど、フランクルの『夜と霧』の対極にあるような、一番絶望的な向き合い方を表現しているような、そういう物語であるような気もしてくる。

 それとか、同じく親鸞に関する『歎異抄』の、「わがこころの善くてころさぬにはあらず」のくだりを想像できたりもする。

 戸田 「断らんのか」
 勝呂 「うん」
 戸田 「神というものはあるのかなあ」
 勝呂 「神?」
 戸田 「なんや、まあヘンな話やけど、こう、人間は自分を押し流すものから、運命というんやろうが、どうしても脱れられんやろ。そういうものから自由にしてくれるものを神とよぶならばや」


 こういう件を読んでいると、神と救いと罪責というものが自明のこととしてあるキリスト教とか、そういう神の欠如を主題としているようには思えなくなるのである。

 むしろこれは『歎異抄』で論じられるようなことこそが、深く関わってくるんじゃないのかという気がする。

 教授夫人であるドイツ人女性ヒルダの「神さまが怖くないのですか、あなたは神さまの罰を信じないのですか」などという台詞が出てくると、かえって「神と救いと罪責が自明のこととしてある」世界が冷やかされているというか、軽佻にすら感じられてくる。

 ここでは、そういう自明のものと向き合ったところで、いよいよ救われなくなる人間が描かれているように思えるのだ。

 だからキリストよりもむしろ親鸞の説く世界の方が、『海と毒薬』の救われなさと通じ合っているように僕は思う。





世界を静かに終わらせるメソッドに、耽美を感じる側の人間

Posted by Hemakovich category of Reading on


20131205-10hema.jpg




 先月、家の大掃除をしていたら1,000円の旧札(夏目漱石)と図書券1,000円分が出てきたので、本を3冊注文していたのだが、それが届いた。

 僕が今回注文したのは、下記のもの。





 とりあえず、表紙に刷られた中沢啓治氏やその奥さんの写真が珍しかったので、あまり内容を確かめずに即買い。

 奥さんである中沢ミサヨさんはNHKのクローズアップ現代に出演されたときに、旦那さんに似て気丈な女性だなと思って、彼女によって語られた『はだしのゲン』連載時の啓治さんのエピソードも大変興味深い物だった。

 松江市教育委員会による閉架措置のときにも、朝日新聞などでインタビューを寄せていた。

 『はだしのゲン』がこの世に出たのも、ミサヨさんの「内助の功」がかなり強かったんだろうなと思った。だから、奥さんの目から見た中沢さんのエピソードを知ってみたいと思った。

 当初、原爆漫画を描き始めてからしばらくの間、ミサヨさんは近所の主婦たちから旦那さんの執筆姿勢に対する心ない悪口や被爆者差別を露骨に受けた、といういきさつは啓治さんによる自伝の中で語られていた。「原爆を描くのはやめて欲しい」と言ったこともあるという。

 だが啓治さんの亡くなった直後に起こった松江市の事件では、ミサヨさんは本当に戦った。

 この奥さんがいなかったら、『はだしのゲン』がこの世に生まれたかどうか。それほどまでにミサヨさんの果たした役割は大きかったのではないだろうか。






 J・G・バラードのことは池澤夏樹の著書『楽しい終末』を読んで知っていた。

 だが池澤が紹介したJ・G・バラードの「破滅三部作」と呼ばれる一連の長編には、あまり関心を持つことは10年ぐらいなかった。

 昨年ごろからバグルスを聴くようになって、彼らの動画をYouTubeでよく見るようになったのだが、あるライブ映像でトレバー・ホーンが「この曲は学生のときにJ・G・バラードを読んだ影響で思いついたんだ」と言って(たぶんそういう趣旨のことを言ったのだろうが確信はない)、“Johnny on the Monorail”の演奏を始めた。

 それがすごく、かっこよかった。

 マイナーコード基調のテクノポップで描かれるバグルスの「近未来」像は、まだ読んでもいないJ・G・バラードの作品世界を雄弁にイメージさせるものがあった。

 J・G・バラードを検索してみると、松岡正剛の千夜千冊で短編集『時の声』が取り上げられていた。

 バラードに実際に会いに行って、「作品を映画化してみたい」というほど入れ込んでいる松岡氏によって、『時の声』のシノプシスが創作されていた。
 これが実に面白かった。ネットの投稿サイトで地道に自作をアップロードしている輩のファンタジー小説なんかより、ずっと洗練されていて、バラードを想像するのに豊かな光景を僕に提供してくれた。

 だが消費に慎重である僕はアマゾンでもJ・G・バラードの評価を確かめずにはおれなかった。

 『時の声』のカスタマー・レビューで見つけた簡潔な批評の素晴らしさが決定的になって、僕は財布の紐を緩めた。


バラードの初期の作品を一言で表現すると
滅びゆくものへのアイデンティティーということになります。

船が沈み始めたら脱出を考えます。
ところがバラードの世界では船とともに運命を共にするのです。

狂気としか言いようが無い世界なのですが作品としては成功しました。

こうしてバラードは次々と世界を破滅に導きました 。



 『終着の浜辺』を一緒に注文することになったのも、同じレビュアーの文章に影響されたものなのだが、バラードは原爆ドームを「過去の記憶」ではなく、未来に起こる出来事に関する記憶、その「未来記憶」の産物として描いているのだという。


「終着の浜辺」には原爆ドームが登場します。

原爆ドームを見ると戦慄が走ります。
なぜでしょうか。

これは未来の世界を予言しているからだと言われています。

記憶には二種類あって未来記憶と過去記憶です。
単に記憶というときは過去記憶をさします。
我々にはこれから起こる未来の記憶を持っているという仮説があります。

原爆ドームは恐ろしい未来を思い出させるのです。



 J・G・バラードを賞賛する人たちの思い入れの大きさもすごいが、それに嫌気が差さない僕もきっと、バラードの側の人間なのだろう。

 世界を静かに終わりにしていくJ・G・バラードのメソッドに、耽美を感じる側の人間なのだろう。


 まだ冷戦が終わってなかったころ、米ソの軍備拡張競争が激しくなったその末期、多くのメディアで騒々しい世界の終わりが描かれていた只中で幼児期を迎えた僕は、「終末の近未来」だとか「ディストピア」を信じて疑わなかった。

 トラウマというほどでもないが、核戦争がやがて来ることを本気で信じていたから、子供のときから成人に至るまで、ずっと長い間、原爆投下前の街を逃げ回る悪夢を本当にたくさん見続けてきた。(大学を卒業してから核戦争の悪夢は見なくなったが、留年の悪夢には今もさんざん苦しめられている)


 「近未来」というのは近いようで決してそこに現実が到達しない、そういう不思議な未来形式である。

 だが考え様によっては、「近未来」に現実が決して到達しないように見えながら、実は「近未来」を遅らせるための、無駄に近い地道な努力を人類が重ねているだけであって、今は「近未来」までのモラトリアム猶予期間という規定も可能ではないか、そんなふうに考えたりもする。

 
 終末はまだ遠いかもしれないが、ディストピアは着実に我々を襲いつつある。

 まもなく特定秘密保護法案は可決されるだろう。

 何度も言うが、これはアベゴミクズが悪いのではなく、ディストピアが大好きなアベゴミクズを代議士に選んだ一部の山口県民と、自民党政権を呼び起こした日本人有権者すべてが悪いのである。

 
 かつて太平洋戦争が勃発した時、多くの日本人が真珠湾攻撃の成果に喝采を持って迎えた。だがわずか4年後に自分たちの頭上に絨毯爆撃を強いられることによって、多くの日本人が真珠湾攻撃に喝采を送った己の愚かしさを身を持って知らされることになった。

 だから、今度もカタストロフが来ないと、絶対に日本人は分からない。

 新たな震災、新たな原発事故、新たな経済恐慌がアホな日本人のアホさ加減を身を持って知らしめるかもしれない。
 だがそのとき、カタストロフに怒ってはならない。すべては一部の山口県民と日本人有権者がアベゴミクズよりも悪いし、責任が重い。

 しかし、僕はそういった日本人を決して許しはしない。


 少なくとも僕にとって、僕が生きるこの世界で、僕が関与する最大の「特定秘密」は、僕がわからない僕自身のことであり、僕が辿る運命のことである。


 そして、それこそが僕にとっての終末の近未来であり、僕自身の終わりを意味している。





僕はもう一度韓国に行くべきかも知れない

Posted by Hemakovich category of Reading on


201310133hema.jpg



 今でもあるかもしれないが、むかし朝日新聞では「朝日百科」というシリーズを刊行していた。
 週に一回だったか薄い雑誌が送られてくるのだが、それを専用のカバーに綴じていくと百科事典になる、そういうシリーズである。


 僕が小学校の時から始まって、『世界の地理』、『日本の歴史』、『世界の歴史』と、3シリーズを購読し続けた。その次が『世界の自然』とかそういうのだったと思うが、そこからは購入をやめた。

 『世界の歴史』では、毎号の連載として世界各国の映画作品を紹介するページがあった。僕が四方田犬彦という映画史家の名前を初めて見たのは、彼がその連載を担当していたからだと思うのだが、かなり昔のことなので間違っているかもしれない。

 『存在の耐えられない軽さ』という映画の中で、たしか「わたしたちは弱い人間です。だから弱い人たちの国に帰るのです」というニュアンスのセリフがあったと思う。この部分に注目したエッセイを書いたのも四方田犬彦だったとような気がする。それを読んで興味を感じた僕は、クンデラ原作の、この恐ろしく哲学的なタイトルの長ったらしい映画を見ようと思えた。

 たしかそうだったと思うのだが。

 ほとんど書名も覚えていないが、僕は四方田氏が手がけた映画論を何冊か読んだように思うのだが、なにしろ若い頃は驚異的な量の読書が可能だったので、細かいところは全然記憶していない。

 大学に行っていたころ、一度だけNHKの教育放送で四方田氏が映画論を喋っているのを見たことがある。

 僕の好きなレオス・カラックス(Leos Carax)を紹介したときに、彼は「レオス・キャラックス」と発音したのだが、それがなんだかむちゃくちゃカッコよく思えて嬉しくなって、以来、僕は外国人と話すときに好きな映画監督を問われると、「レオス・キャラックス」と発音している。


 その四方田犬彦が岩波新書に上梓した『ソウルの風景―記憶と変貌』を、図書館から借りて読み終えた。




 最初は非常に細やかな文体に慣れるのにとても苦労した。とにかく叙述が非常に細かい。そしてカラックスを「キャラックス」と発音するような人だから、レベルも「レヴェル」と記述する具合で、そういう発音表記の通常の場合との差異が非常に目立って感じる。「オルタナティヴ」も四方田氏に言わせれば「アルタナティヴ」となるらしい。

 だが最後まで読み終えたら、久々に良い本に巡り会えたと、感動した。

 四方田氏は1979年と2000年の二回、向こうの大学の講師として韓国に長期滞在している。その経験をもとに韓国に対する洞察を叙述したのが本書の内容である。

 今まで幾つかの韓国について述べられた本を幾つか読んできたが、この四方田氏の著書が僕にはもっとも韓国への温かみや真摯さが感じられた。
 「アルタナティヴ」と発音表記するぐらいだから、その細やかさは作者の繊細さの反映なのであって、あくまで客観的な視点を崩さないのだが、韓国人の辿った民主化や経済発展に関して、四方田氏は自分の内側で受けとめているような、そういう真摯さがある。彼は日本人として韓国を見つめているのだが、その視線には日本人というアイデンティティを越えて、深く相手の中へ共感していく、そういう気持ちが読者に伝わってくるのだ。

 一番興味深かったのは、四方田氏が従軍慰安婦の集会に訪れて、元慰安婦たちが暮らしている「ナヌムの家」に訪れたことを書いた章だった。

 元慰安婦の女性たちは若い頃から連れ去られて辛酸の極みを経験せざるをえなかった。彼女たちをいわば「受難の英雄」として語る風潮の一方で、元慰安婦たちは未熟な人格に留め置かれたまま、我儘であったり、よく喧嘩したり、そういうエピソードがありのままの事実として記述されている。
 だが、四方田は彼女らのそういった複雑なパーソナリティを肯定的に受けとめ、むしろその中に自分が励まされる思いを感じたりする。

 一人の元慰安婦から「日本の羊羹を食べたい」と言われて、彼は次に彼女と出会う機会に東京の三越で買った羊羹を持って会いにいく。
 四方田はその女性と二度目に会ったとき、ほとんど会話せず、ただ二人で羊羹を食べるのだが、「なぜもっといろんなことを訊いたりしなかったのか」との後の友人からの指摘に、「わたしは彼女と二人で羊羹を食べるということ以上に他にどんなものが必要だったというのだろうか」と返答する。

 元慰安婦たちは長い沈黙の後に自らの過去を証言して、それは多くの本に纏められたりフィルムに収められたりしていて、十分すぎるほど我々は彼女たちの苛酷な事実を知っている。このうえ自分からの言葉によって彼女たちの過去を掘り返そうとすることにどれだけの意味があるのか。ただ時間を共有して、二人で羊羹を食べるということが、短い時間の中での、精一杯彼女たちと繋がる最善のアプローチだったと語るのだ。

 慰安婦に対して「民族の恥」として看做す者や非共感的な者たちの態度の中にも、四方田はこの戦争犯罪がどれだけ深く韓国人を傷つけたのか、その傷の大きさを見て取るのである。


 慰安婦のこと以外にも、金大中のノーベル平和賞受賞や光州事件、日本文化の影響や韓国文学についてなど、広範囲に触れられているのだが、どれも深く掘り下げられた真摯な視点のよって見つめられていて、みな感慨深い内容だった。

 本の終わりに、日本と韓国の両方の身分証の写真を四方田に見せながら、「いつでも日本人にも韓国人にも化けることなんて簡単だ」という若い在日韓国人女性のエピソードを取り上げられているのが印象的であった。四方田は彼女のしたたかさの中に、日韓両国を巡る未来に対しての可能性を見い出そうとして本書は閉じられる。

 韓国に対して深い愛着を持っている人はもちろんのこと、一度でも韓国に訪れたことのある人、行ったことはないが、韓国に関して他の本では見られない本質的な部分を垣間見てみたいと思っている人、そういう人たちには自信を持ってお薦めできる良書である。


 二年前にプサンを訪れて以降、いろんな国に関心があるのだが、これを読んでソウルにも行ってみたい、いや、行かなければならないかもしれないと思った。

 従軍慰安婦に関する本を読み続けているのだが、もっと体系的に韓国のことを学んでみたいという気持ちも起こってきた。

 実際に旅行しようとするには、海外の場合、とてつもない引力がないとなかなか出かけられないのだが。





「ノーベル賞でつかまえて」

Posted by Hemakovich category of Reading on


201310111hema.jpg



 村上春樹がノーベル文学賞を獲れなかったらしいが、いったい何回彼は候補として予想されてきたのだろう。もういいかげん、彼の受賞を何年も心待ちにしているのは日本人ぐらいではないのか。

 とは言いながらも、僕は毎回この話題が上るたびに「落選してくれ」と願っている。

 だってさ、村上春樹が受賞するぐらいなら、もっと他に選ばれてもおかしくない作家がいるだろう。もっとも、僕が「選ばれてもおかしくない」と思う人たちはみな物故者ばかりなのだが。

 最近、愛人の存在が明らかになった安部公房はノーベル賞の時期になると毎回雲隠れしていたという。受賞したくなかったかららしいが、熱烈な公房ファンの友人の説なので、本当かどうか。

 個人的には遠藤周作は絶対に選ばれてもおかしくないほどの、世界的な普遍性を兼ね揃えた作家だったと思うのだが、やはり『沈黙』でバチカンを怒らせたことが過小評価に繋がっているのだろうか。『沈黙』にしても、『海と毒薬』にしても、世界中のどういう人たちが読んでも主題になりそうな作品を描いてきたと思うのだが。


 村上春樹といえば、僕は彼自身の作品よりも、彼の作品をこよなく愛する人たちに共通する一種のナルシズムを想起させられる。それが正直、本当に嫌で・・・・・・。

 むかしお付き合いした女性の中にひとりだけ「ハルキスト」が存在した。
 彼女は上野千鶴子だとか中井久夫なんかも齧るような、衒学趣味を持ち合わせた人だった。僕はそういう衒学趣味が大嫌いで、当時彼女のことはそれなりに僕なりに愛したとは思うのだが、僕はどうしても彼女の前でインテリぶることができなくて、むしろ馬鹿であり続けた。
 彼女が僕を振って、次に選んだ男はタルコフスキーの『ノスタルジア』をウォッカのグラスをくゆらせながら語るような男だったので、そうか、そういうふうにふるまえばよかったんだな、と後から気づいたが、どうしても「ふるまっている」というのが衒学趣味の行動様式なのだから、僕に出来る筈もない。

 僕が通院している精神科病院の理事長は、40代なのだが未だに茶髪で、真っ赤なシャツを着てBMWに乗るような男で、彼もまた「ハルキスト」である。その理事長夫人がこれまた夫とは別にBMWを所有してて、元モデルで、病院の経理を担当しているのだが、病院職員の中でひとりだけファッションが派手で浮いてるので、患者からも職員からも実は評判が悪いのだが、どうやら岡崎京子のファンのようで、待合室の週刊誌と一緒に彼女の漫画が置かれていて、これがまた浮いているのである。

 旦那が「ハルキスト」で、奥さんが岡崎京子ファンで、どちらも年齢に不相応な振舞いのプチブルで、精神科を経営しているんだから、これはもう「最強」と呼ぶべきだと思うんだが、絵に描いたように「ハルキスト」環境に合致しすぎていて、僕には逆にグロテスクに思えたりする。


 海外のSNSなんかで知り合う日本大好きな人たちは、大抵が「ハルキスト」である。他に日本の作家を知らないんじゃないかと思うくらいに。そして海外の「ハルキスト」のほとんどが先進国の人々である。

 村上春樹というのは民主主義と近代化が飽和状態に達した先進国で、自我肥大化した人々に好まれる作品を描く人である。
 そして、そういった先進国以外の人々が圧倒的多数をしめる世界の現状において、第三世界に生きる人たちにとってはほとんど何の影響も与えない、そういうものしか描けない、実はキャパシティが非常に狭い作家だと思う。

 村上春樹を一言で喩えるならアップルの製品である。世界中の先進国のスノッブな人たちにとってスティーブ・ジョブスはカリスマ的な偉人のような扱いだが、コンピューターとは無縁に生きる圧倒的多数の第三世界の人々からすれば、何の意味もないのだ。

 端的に言えば、村上春樹の影響を受ける世界的な「層」というのはたかが知れていて、おそらくこれから先も世界中で普遍的な価値を持つ文学には至らないと僕は予想する。
 実際のところ、選定委員たちがどう思ってるかは知らないが、村上春樹がノーベル文学賞に至らないのは、その普遍性の無さに理由があるような気がする。


 歴代受賞作家の傾向がすべて当てはまるわけではないが、ノーベル文学賞は政治的か、強固に哲学性を帯びているか、あるいは土着的か、近代化以前の歴史を扱うか、そういった作風を持った人たちが受賞しているように思う。ざっくり言ってしまえば、世界中の多くの国々で最大公約数的に主題が共有されうる作家を選んでいるように思うのだ。

 近年で言えば、バルガス・リョサだとか莫言だとかは、まさに第三世界の人が、いま現在、またはいつの日か未来において読んだとしても、その作品に共感を持つことができるような作家だと思う。僕は莫言は最初誰なのか全然知らなかったが、映画『紅いコーリャン』の原作者と知って、「わかりやすい受賞条件だな」と思ったものだ。

 
 ありえない話だが、たとえ世界中全ての国に民主制と近代化がもたらされたとしても、村上春樹を読む人々の国というのは限定されると思う。彼の物語に現れる人々の自我だとか、生活スタイルから派生するものだとか、そういうのにカタルシスを感じる民族が限定されていると思うからである。つまり彼の小説は本質的にアメリカ発のグローバル文学であり、偏ったグローバリズムがどこにでも浸透するわけではない。

 村上春樹とは、単身で生きる都市生活者の自己愛とか神経症とかいう鏡像を反映した耽美的な意匠である。あるいはブランドと呼んでもいい。だが意匠によって魂の飢餓が満たされるわけではない。また、そもそも本当にそこに魂の飢餓を満たそうとする動機があるのか、そのへんも僕は疑わしいと思う。

 僕の友人に村上春樹と村上龍が大好きな人がいるが、『ノルウェイの森』での統合失調症に関する描き方はとても苦しく読んだと言っていたが、なぜなら彼は統合失調症を現実に病んでいるからである。
 
 だが、その統合失調症さえ美しい意匠にしてしまう辺りに、贋物を見る思いがするのである。

 島田雅彦が村上春樹の文学を「ファンタジーに過ぎない」と言ったとか言わないとか、そういう話があったが、僕がそれを言いえて妙だと思ったのは、主人公の恋人なんかが精神疾患を病んでるって設定がウケるとしたら、それってファンタジー以外なにものでもないよな、と思うからだ。

 ファンタジーは贋物だからファンタジーなので、単なるアイコン以上の意味がない精神疾患が彩られる物語のなかに収斂されるのは、スノッブか自己愛しかないとしか僕には思えない。



 ただ、ノーベル賞をもらったから、もらえないからどうだこうだというのは、正直言って、愛読者には完全にどうでもいいことじゃないのかと、僕が「ハルキスト」なら、そう思えて仕方ない。

 「ハルキスト」は、なぜ毎度毎度、村上のノーベル文学賞受賞にことさら騒ぎ立てるのか。そういう連中のミーハーぶりというのは、僕には東京五輪開催で無邪気に喜べるような心性とほとんど同一のものなんじゃないか。


 そういう一部の「ハルキスト」のミーハーぶりが、どうでもいい人にとってはうんざりして、村上春樹のステイタスを下げているようにしか見えないのだが、でもこの国では村上の新作が出ると「どれ、会社で話のネタになるからちょっと買ってみるか」みたいな人たちによってしか文化が支えていないものだから、たぶん村上の小説を全く読んでなくても彼がノーベル賞獲ったら、また五輪開催決定のときみたいに派手に舞い上がるんだろうな、この鬱蒼とした国の人たちは。





十数年後についに理解した「定食屋」の喩え

Posted by Hemakovich category of Reading on


20131005-2hema.jpg



 図書館で借りてきた梅原猛の『人類哲学序説』を読破する。


 読みやすそうな新書だったし、僕の知らないハイデガーの思想について書いてあったので、借りた。最初のうちは面白い本だなあと楽しめながら読んでいたが、途中から「これはひどい。ひどすぎるじゃないか」と、岩波から出ているのにこのひどさはなんなんだ、と憤慨しながら読み終えた。

 僕は梅原という人を名前しか知らないし、どんな仕事をしてきた人なのかまったく知らないので、あまり調べたくはなかったが、ウィキペディアで梅原を検索してみた。
 なにやら文化勲章まで貰ったすごい人らしいのだが、この『人類哲学序説』に関しては「あまりにもひどい」と思えてならなかったので、アマゾンのレビューも閲覧してみたのだが、これがほぼ絶対的な高評価で、僕が感じたこの本に対する危機感を誰一人感じていなかった。ただひとりだけ、僕が思ったことと近い内容に触れた人がいたが、それでも五つ星だった。

 アマゾンでレビューすることなんてほんの数回しかないし、否定的なレビューを書くのはネガティブに思えて、そういう負の行為にエネルギーを注ぎたくはない。
 ただ、「あまりにもひどすぎる」と思えてならず、こういう本を読む人たちは恐らく政治的には僕と似たようなスタンスだろうし、そういう人たちがこんな誤りに簡単に啓蒙されるのも危険なことのように思えて、敢えてレビューすることにした。

 以下の文章はその内容全文である。

 『歎異抄』の悪人正機を「人間として女にも金にもだらしない自己の懺悔の物語」に似ていると、半ば貶める物言いをしておきながら、瀬戸内寂聴を引き合いに出して「煩悩即菩薩」を説いたりするのだが、著者は本当に悪人正機を理解してるのか、それとも敢えて貶めているのか。このような貶めの物言いは他にも散見されて、ハイデガーとアレントの不倫について触れたり、どういう意図の下で紹介されているのか分からない部分がある。西洋哲学を批判するために個人の醜聞まで利用するのかと勘繰ってしまう。

 人類文明の危機を導いた科学技術信奉の根拠となった西洋哲学として、デカルト、ニーチェ、ハイデガーを批評していくのだが、この人選に対する疑問がまずある。実存哲学を槍玉に上げる前になぜプラグマティズムを省察しないのか。レヴィ=ストロースやフーコーのようなポストモダン思想の成果に目をそらしてヨーロッパ思想を弾劾するのは卑怯ではないのか。

 語彙の解釈に関する基本的ミスも目立つ。例えば「人間中心主義」という言葉で西洋を指して反自然的な文明批判を行うのだが、哲学で人間中心主義という言葉を使う場合、それは反自然的なものを意味するのではなく、人間に対する知性による還元主義のようなものを指し示すのだが、こういう初歩的ミスを犯しながら肩書きが哲学者なのだから驚愕する。

 言葉の使い方や思想の概論的説明が粗雑過ぎるので、知らない人は著者の誤りを鵜呑みにしやすいと思う。批判の対象を批判しやすいものに限定し、他の広範な学問的成果をなぜかスルーしたりしていて、著者にとって都合のいい誘導で論じている傾向がないとは言い難い。

 西洋哲学を「批判」しているというより「攻撃」して見下している側面が感じられたりもする。例えば太陽信仰に関しても、それが相手の中にないから否定したり、自分の側にはあるからといって肯定したりするのは、単純に文化や民族性の優越を述べてるに過ぎず、それは「省察」ではなく差別だ。例えば西洋哲学のなかでデカルトを批評するのであるならば、デカルトが存在し得た時間軸と空間軸の範疇で批評しなければ、それはフェアではない。

 醜聞まで交えながらさんざん西洋思想を叩いておいて、第五章「森の思想」に至っては日本文化に対する批評ではなく、手放しの賛辞ばかりを展開するので、まるで自国の優位性を誇示しているみたいでげんなりさせられる。天台本覚思想という有難いものが千年近く昔からありながら、それが日本国産の近代哲学のなかでどのように咀嚼されたのか、あるいは咀嚼されなかったのか、そこまで考察するべきであろう。そうでなければならない。なぜ急速な近代化の後に現代の原発事故にまで及んだのか、その間の我々の国の思想過程に対する批評がなく、叩きやすい相手(西洋)だけを叩くだけなら、今後も同じ過ちを繰り返さざるをえない。思想、哲学とはそういうものだ。

 本書における西洋哲学に対する粗雑な取扱い具合と、日本文化への批評なき賛美を見ていると、どうしても「近代の超克」という第二次大戦中の思想家の試みを思い出してしまう。

 「西洋哲学=反自然的思潮=科学技術への無批判の信奉」という著者の命題に対して、そんなに一列に単調で簡単なものなのかという疑問が残る。梅原はガイア仮説という西洋人の提唱をご存知だろうか。また太陽信仰に関して、例えば日の入りと日の出を太陽の「死と復活」というような形容を、実証主義的な現代において安易に用いて良いものか。そのような物言いがそのまま概念化されると中世ヨーロッパのような知性嫌悪と同列に陥るのではないか。

 「草木国土悉皆成仏」という概念は今後の人々の精神活動の如きものとして在り得ても、それが哲学とはならないと私は思う。先程書いたように実証主義こそが全ての学問の基礎であり、そうでなければ原子力を命題として扱うこともできない。
 また「一木一草に仏性が宿る」というのもそれは人間が物に対して照射した視点であって、人間が勝手に考えた認知に過ぎず、自然を人間の思うがままに操作するという認知とは、共に人間の概念の一部であるという意味においては同一である。これもまた人間の思考を中心として世界を捉えようとするイデオロギーとなんら異なるところはない。


「ツグミはわたしたちのために歌ってたんじゃないわ。自分の楽しみで歌ってたのよ。いいえ、そのためでもないわ、ただ囀っていただけのことよ」
(ジョージ・オーウェル著・『一九八四年』)


 いろいろ注釈が必要なレビューではあるが、レビューそのものを書くのに力尽きたので、説明は敢えて省かせていただこうと思う。
 梅原の本で一番腹が立ったのは『歎異抄』の悪人正機に関するふざけた説明に対する部分だ。このことに関してだけでも誤りをブログ記事内で正したいと思うのだが、また今後の機会に残しておきたい。


 実は僕は、かつて哲学科に在籍したときに書いた卒論の中で、梅原が犯した過ちと同じことをやらかして、ゼミのH先生に口頭試問で叱責されたことがある。


 フランクルについて書いた卒論だったのだが、確か人間と動物に関するフランクルの記述の中で、人間の人格の実存を力説しながら、「動物には人格がなく彼らは世界を持たず環境を持っているにすぎない」と規定されていたのと、「人格は神の似姿としてのみ理解される」という、いかにもキリスト教的な文章に嫌悪感を感じたことがあった。

 日本人の仏教的な発想からすれば「同じ生き物として人間と動物を差別してるじゃないか」と単純に思ったので、それをそのまま、どんなふうに説明したか忘れたが、卒論の中で批判した。

 すると口頭試問のときにこの部分を真っ先にH先生に突っ込まれたのだ。


 「たとえばね、君が友達と定食屋にメシを食いに行くとしてね、君がカツ丼を選んで、友達がカレーを選んだとしよう。君はカツ丼を食いながら、友人に『お前はカレーなんか食うからダメなんだ』と非難するとすれば、君がフランクルに対して行った批判はまさにこういうことなんだ。だから君は間違ってるんだ。わかるか?」


 ぜんぜん分からなかった、その時は・・・・・・。


 卒業式のときに成績表をもらって、卒論の成績判定が「A」だったのでとても驚いた。たしかBとCが合格で、DとEが不合格、Aの上にはS(スペシャル)があったが、これはもう「天才」でなければ取れなかった。

 定食屋に喩えられてまで「基本的なミスを犯している」ってことを怒られたのに、なぜH先生は「A」の判定をくれたのか、不思議だった。
 嬉しかったが、H先生が怒ったことが、いったい何をおっしゃっていたのか皆目分からないまま、僕は口頭試問での「定食屋」の喩えがずっと理不尽なまま、心に残り続けた。


 今回、梅原の『人類哲学序説』での西洋哲学に対する激しい攻撃を読んだ時、ダダダダダーーーーン!!!!と雷が落ちるように、「定食屋」の喩えを思い出した、そしてその雷の一撃の一瞬で、僕はH先生のおっしゃりたかったことを瞬間的に理解した。

 梅原の駄文を見て、「こいつ、十数年前の俺じゃないか」と思った。


 つまり、H先生は「おまえも友達と同じカレーを食ってから、カレーを食べる友達に文句を言え」ということを僕に教えてくれたのだ。
 カレーを食ってないのに、「おれはカツ丼食ってるから賢いんだ」と言うのは、相手を理解して尊重もせずに、自分の優越を相手に誇示するだけで、ケンカ売ってるのと同じことなんだ。


 定食屋とは違う、もっとへヴィー喩え方をするならば、これはヒトラーがやったことと同じではないか。

 そこまで分かった時、僕は「危ない」と分かった。


 定食屋の謎かけをしながら、一番大事なことを僕に自分自身で理解させようとした、H先生の親心を理解した。先生のそういうやり方を、本当に有難いものだったんだと、十数年経って、僕は心の底から感謝した。


 H先生はもうこの世にいない。だが先生の問いかけは十数年以上も僕の中で生き続けてきた。

 だから、なにがどのようにして人を生かすのか、それは想像もつかない、思いもよらない出来事なんだと、とても深い、ある種の神秘的な感慨をもって、僕は人と時間の不可思議な繋がりについて思いを馳せていた。





一般教養としての国民的カウンター文学の終わり

Posted by Hemakovich category of Reading on


2013100111hema.jpg



 山崎豊子の小説は一作も読んでいない。だがドラマ化されたものは幾つか観たことはある。

 しかし『白い巨塔』だとか『大地の子』だとか『華麗なる一族』とか、どれもこれも相性が合わないというか、あまり面白いというものはなかった。
 『白い巨塔』は中学の時に田宮二郎が財前を演じたものは再放送で観てたが、他の人が演じたものはまったく印象に残っていない。

 ただ『二つの祖国』を原作にしたNHK大河『山河燃ゆ』は子供の頃に何回か興味深く観ていた。

 といっても、『山河燃ゆ』が放映されていた頃は僕はまだ小学校低学年で、しかも僕が小学校2年から4年の間は両親の都合で実家から転勤していた。転勤先のマンションでは父が「教育方針」としてTVを置かなかったので、この期間のTV番組については名前は知っていても一回も観たことがないものばかりだった。

 『山河燃ゆ』も、その「教育方針」でTVが観られなかった時期に相当するのだが、一週間に一回、日曜日に転勤先から実家に帰った時に観ていたような記憶がある。

 小学校低学年だったから、内容なんてあんまり理解できないまま観ていたが、第二次大戦が舞台なものだから苛酷で息苦しいドラマだったことは覚えていた。
 子供心にすごく印象に残ったのは最終回で、沢田研二が演じたチャーリー田宮がヤクザに刺されてあっけなく死んでしまうシーン、そして松本幸四郎が演じた主人公・天羽賢治が極東軍事裁判が終わった市ヶ谷法廷でピストル自殺する最期が強烈に記憶に刻まれた。

 なぜチャーリーがあのような最期を迎えなければならなかったのか、当時の僕にはとても不条理な死に思えたし、賢治がどうして自殺を選ばざるをえなかったのか、それもまったく理由が分からなかったので、僕にとって賢治の自殺は「ドラマの最終回を盛り上げるための強引な設定」として長いこと記憶されてきた。

 
 残念なことに『山河燃ゆ』は総集編さえもソフト化されていないのだが、昨年だったか、ある動画サイトで全話をアップロードしてくれた人のおかげで、子供の頃の記憶と重ね合わせて観ながら、長い間の疑問点がようやく納得させられる形で鑑賞することができて、僕の中では山崎豊子・原作のドラマでは一番面白いと思える作品となった。

 日系アメリカ人として日本人を忌み嫌っていたチャーリーが、軍服を着てなかったために日本人と誤解されて刺殺される結末に終わったことにも納得ができたし、賢治が東京裁判の通訳を務めながら精神的に追い詰められていくくだりも丁寧に描かれていてラストに繋がる経緯にきちんとした説得力が感じられた。

 賢治は妻や弟にもまったく告げないまま、ただ父親に宛てた手紙の中で自殺する心情を明かしながら死んでいく。そのセリフの詳細は失念してしまったが、確か「米軍の二世部隊で多くの日系人の若者を自身の教育によって参加させて死地に追いやったこと、戦争を止めさせることができなかったばかりか、むしろ積極的に加担してしまった自分を裁くのです」というような言葉だったと思う。

 ウィキペディアによると、原作の『二つの祖国』での賢治の自殺はドラマ版とは理由が異なるらしいし、賢治のモデルとなった実在の人物の自殺理由については分からない。

 だが、「戦争に加担して多くの人間を死なせたために自分を裁く」という理由で自殺するという設定は、とても深い意味を持っていると思う。

 実際あの当時に、そのような理由で自分を裁いた人間が本当にいたのだろうか。

 阿南惟幾や杉山元も自決しているが、彼らの自殺には天皇に対する「おわび」や武士道の切腹に通底する軍人精神の発露のようなものはあったかもしれない。
 A級やBC級戦犯たちの死は刑死であって、彼らがどのような思いで処刑台に臨んだかは知る由もないが、それとて自分の責任感から敢えて自分を裁いた死ではない。

 『山河燃ゆ』の賢治のように、「戦争に加担して人を死なせたから」という自分の戦争責任を自覚した上で、自裁したり戦後の身の処し方を定めた人たちは、どれだけいただろうか。
 賢治は二世であり、彼は多くの日本兵を降伏させるという反戦的な意味合いを持って戦争に参加したのだが、それでも自分の戦争責任への自覚から逃れることができなかった。
 それよりもむしろ積極的にあの戦争に加担して、戦争犠牲者の死に多かれ少なかれ関係した人たちは、戦犯に限らず当時の日本に数多くいただろう。だがどれだけの人たちが自分なりに戦中の行為を自ら裁いただろうか。

 戦犯の処刑と天皇の免責、民主主義への国の変貌とともに、過去に対する責任の不在がその後の日本に今日に至るまでずっと負の影響をもたらしてきたことを思えば、『山河燃ゆ』での賢治の自らへの裁きは多くの日本人の心性に対する猛然たるアンチテーゼとして映るように僕は思うのである。


 山崎豊子の著作活動に対する根源には、学徒動員によって青春期を奪われたことや友人を戦争で失ったことが動機としてあったのだという。

 「先に死んでいった人に対して生きている者としてやらなければならないことがある」

― 10月1日 朝日新聞記事より


 
 同日の追悼コラムの中で浅田次郎は「今、ドラマで話題の銀行小説よりも、『華麗なる一族』の方がマニッシュ(男性的)で硬派だと思う」と書き、松本清張との類似性を指摘したりしつつ、作品が社会に向き合うという著作の姿に対して特別の賛辞を述べている。

 山崎さんの作品は、文壇や作家仲間、小説読みではなく、社会に、世の中に向いていた。自分自身、山崎さんの小説を文学作品としてより、一般教養として読んできた。それは本来の小説のあり方だと思う。


 特定されたジャンルのものや、飛びぬけて一般に知名度が浸透している作家の作品を除いて、小説は本当に読まれなくなった。

 芥川賞作家はもちろんのこと、直木賞作家でさえも受賞後にメディアから消えていくような人がたくさんいる。芥川賞なんてのは純文学がどうだとかいう以前に、エキセントリックな若い女性作家に受賞させたりとかして、賞自体が商業主義となって作品の意味合いなんぞとっくに形骸化されている。
 小説を書きたい人が小説をろくに読まずに文学賞に応募して、もはや作家というのは作品よりも社会的ステイタスを望んで求職する人々の会社みたいになってはいないか。
 既に作家になってる人たちが、社会から隔たりを持った価値観で評価して後進作家を文壇に引き入れて、その文壇自体が社会からはあまりよく分からない感覚で身内どうし互いを賞賛しあってる閉ざされた象牙の塔みたいに小さく縮こまってしまう。

 その結果、小説が人々からどんどん遠くなって、作品が良質な現象となって社会に還元されて進歩を促す、なんていう文学の本来性が完全に失われていっているように思えてならない。


 山崎豊子の動機としての原体験は戦争であったが、もはや緩やかなアパシーがゆっくりとした速度で人々を圧縮したり平板にさせるこの現状は、戦争以上に精神的な荒廃を蝕ませて、山崎や松本清張や小松左京のようなスケールの広さを持って国民的良心を代表するような作家が生まれにくい土壌をもたらしているのかもしれない。





横軸にも縦軸にも普遍的でその人一回限りの知

Posted by Hemakovich category of Reading on


20130929hema.jpg



 親父の書斎に眠っていた三木清の『人生論ノート』を読んでいる。新潮文庫の版だが刷られたのは僕が生まれて12日後である。

 先日、「人間の條件について」という三木の文章を引用したが、この『人生論ノート』の中にある文章はどれもこれも名文ばかりである。単なるアフォリズムの知的遊戯に留まらず、一つの命題から派生してゆく思惟の豊穣さが感じられる。

 たとえばざっくり簡単に抜粋すれば、生きていることが相対的なものであるのに対して死んでいるものは絶対的なのであって、「死者の生命」が信ぜられるのであれば、それは絶対的な生命であって、絶対的な生命とは真理に他ならない、といった具合で、誰も思いつかないところまで思考の射程が及んでおり、久しぶりに「哲学の本を読んでる」という気持ちにさせられる。

 三木清の文章は大変美しいのだけれども、なにせ親父が昔読んでいたものなので、あっちこっちに線が引っ張られている。
 これは実に具合が悪くて、一つ一つ読み進めながら自分なりに咀嚼しているのに、親父が既に線を引っ張っている文句やセンテンツになにか「真実が要約されている」ように錯覚させられ、親父が引いた傍線の部分にばかり集中力が奪われて、なんだか自分が読んでいる気持ちになれないのである。

 親父が持ってる本はすべて傍線が引かれており、これは親父の癖であるが、書物に傍線を引く嗜癖というのは後から読む者にとって迷惑でしかないように思う。


 『人生論ノート』の他にも野間宏の『歎異抄』現代訳など、僕が生まれた前後に親父に買われた本は傍線が膨大に頻出している。この頃、親父は結核を病んで、教職から離れて静養していた時期だった。だから親父は親父なりに膨大な傍線センテンスの中から何かを汲み取ろうとする思いが強かったのだろう。

 教育学部出身だった親父は卒業したら院に進んで哲学を勉強したかったらしい。だが母と学生結婚してしまったので、就職して金を得る必要があり、哲学への道を諦めることになった。
 ヤスパースが一番好きだったというが、親父の書棚にはヤスパースはなくて、その代わりハイデガーの原著やら解説本がかなりの数である。だから、この書棚を眺めながら育った僕が初めて名前を覚えた哲学者はハイデガーだった。

 親父の人生の中には、絶えず啓蒙に対する憧れとか飢餓感のようなものが強かったようだ。結核を病んだり、祖母が創価学会に入ったり、兄が生後数ヶ月で事故死したことも関係したのだろう。最終的に母方の祖父に影響されて神道に進んで、以来ずっと信仰を続けている。
 親父が信仰している教団をウィキペディアで検索すると、どういうわけか「秘密結社」として分類されている。僕からしてみれば、戦争世代の年寄りがグランドゴルフで憩うような感じの穏やかな集まりとしか見えないのだが。

 僕が大学を受験したとき、某芸大の文芸学科と某真宗系大学の哲学科の二つだけ合格した。どっちかといえば「芸大生」というステイタスに憧れていたし、途中で学科変更して映画を勉強したかったのだが、哲学に未練のあった親父の意向が働いたこともあって、僕は哲学科に行った。

 20代の頃は、この経緯のことで随分親父と確執が生じたものだった。だが結果的には芸大に行かなかったことで、僕は自主映画を撮影したり映像編集したりすることやら、文芸の同人雑誌を作ったりすることとか、全部独学で道を開くような習慣がついた。パソコンでwebサイトを作ったりしたこともその独学癖の延長だと思われる。

 ただし哲学の方はあんまり熱心に勉強しなかった。だから哲学のやり方で物を適切な方法で考える習慣を、僕は7年半の長期の学生生活の中でついに身につかないまま終えることになってしまった。

 何年も留年して親を泣かせたり、映画やら詩作やらいろいろと迂回したり、爛れるような恋愛に溺れて自殺の危機まで陥ったり、僕はまともな学生ではなかったのだが、僕が師事したゼミの教授は本当に寛容な先生で、迂回を続ける僕の軌道を肯定的に眺めて下さった人だった。最終的に卒論を書いて大学を卒業するところまでけじめがつけられたのは、そのH先生の寛容さに救われた部分が大きかった。

 初めてH先生とサシで話したとき、僕はキルケゴールなんて原著も読んだことがないくせに「救われない思想だと思います」と見得を切った。先生は大きく笑いながら「君の言う通りだ」と受け取ってくれるような人だった。このことがきっかけで少数の講義の中で先生はよく僕のことを他の学生に「彼は面白い男なんだ」と紹介していた。僕はただ頭を金髪にしたスノッブだけが取り得の男だったけれど。

 同回生がみんな卒業して、僕は卒論用のフランクルのテキストを毎日読み続けながら、不安な日々を送っていた。
 H先生が貸してくれたフランクルの『識られざる神』は根源的な深みまで降りていった息苦しくなるような本で、研究室を出たところの灰皿の前で冬の夕方の陽を憂鬱に嘆息し続けた日々を今でも僕は忘れない。
 
 苦しくなったらいつもH先生の研究室を訪れて、いろんな疑問をぶつけさせてもらったのだが、時には学校が閉門する寸前ぐらいまでずっと話に付き合って下さったことも一度や二度ではなかった。

 
 「哲学っていったいどういうものなんですか?」と、あまりに素朴で根源的過ぎる質問を大学6年目にしてH先生に尋ねてみたことがある。

 「そりゃあねえ、お前さん、横軸にも縦軸にも普遍的でその人一回限り、っていうもののことだよ」

 横軸というのは時間であって、縦軸というのはその人の一生だとH先生は説明してくれた。

 「ソクラテスは毒杯を仰いだけれども、あれはソクラテス以外の人間だったらダメだった。ソクラテスが毒をもって死すことが必要だった。それが哲学なんだよ」

 先にも後にもソクラテスでおしまい、ってことさ、と先生は答えた。

 またH先生は戦時中の話を例に出して、米の配給が食べ盛りの子供と食の細くなった年寄りが同じ量であったことなんて、人間がとことん悪くなった場合の愚の極まりだと指摘しながら、

 「そういう数学じみた発想を愚劣な人間が愚劣に応用する小賢しい所作に対して、唯一抵抗できるものがあるなら、それがたぶん哲学だ」とも語ってくれた。


 H先生が亡くなって10年近く経つけれども、僕は終に哲学を適切な方法で発想するってことを学ばないままに、先生の教えを請うことなく終わってしまった。

 ただ先生が教えてくれた「横軸にも縦軸にも普遍的でその人一回限り」っていう、あるべき姿を感覚として判断するセンスだけは僕の中に残った。

 だから売名目的の社会学者が振りかざすロジックの魅惑だとか、哲学者を名乗る学者たちの時代の小さな枠にしかコミットしない射程範囲の狭い浅はかさとかに、まんまと騙されるような愚か者には最低限ならなかった。

 三木清の『人生論ノート』を読んでいると、誰にでも有り得る事柄について、これほど根源的に考えて考え抜いて、誰にでも回帰しやすいような範囲の広い可能性を提示できるような人は、戦争が終わってからまだ誰一人として現れていないような気がする。


 それゆえに、今日も今日とて、僕は自分の満足のいく、世界の誰かのセンテンスを、のろのろと現状に辛抱し続けながら、決して自分が途絶えてしまわないように、探している。





不安と第六感に煽られ嫌な返事を狙ってた時代

Posted by Hemakovich category of Reading on


20130909hema.jpg



 活字への飢餓感が強く、高校の頃に買った向田邦子の『眠る盃』、鷺沢萠の『少年たちの終わらない夜』を読む。

 向田邦子を買ったのは教科書に載っていた「字のない葉書」の印象がとても強かったからだろう。だが最近まで僕は彼女に関するものには全然関心がなかった。

 最近、TVや出版物でやたらと向田邦子が取り上げられているが、残されたいろんな写真を見ると、すごい美人なんで驚いた。というか、僕の「理想の女性」のルックスなので、ネットなんかで彼女の写真が出てくるとドキドキする。

 ただ『眠る盃』自体はそれほど面白いとは思えない。だが妹の集団疎開と父のことを書いた「字のない葉書」や痴漢を撃退した話なんかは興味深く、やはり女学校出身の世代なので、我々が使う濁った日本語とは全然違う。エッセイの書き出しの一文がとても上手い、無駄な言葉がない。

 向田さんの父は大変に厳格な人で、保険会社に務めていた。身内の葬式かなんかで会社の上司が訪ねて来た時、家族に見せる姿とは全く異なるとても慇懃なお辞儀をする姿を見て、「父はこのお辞儀によって我が家をずっと守ってきたのだ」というふうな結び方で終わる話があったと思う。あれはなんていう名前の作品だったんだろう。


 鷺沢萠は物凄い美人で頭も良くて、僕はほとんどそういう属性のオーラに圧倒される感じで彼女の小説を読んでいた。

 ただ『少年たちの終わらない夜』は、なんていうか、「バブル期の風俗小説」というか、あまり面白い本ではない。表題作は名門大付属高校に通う金持ちの少年少女が、パーティーやったり、飲み明かしたり、セックスしたり、しなかったり、若者のグループが「チーム」とか呼ばれてた頃の話。

 女を「食っちゃう」とか、等身大以上に必死こくことを「キバる」とか、男同士で「ちゃん」づけするとか、アディダスが一番お洒落なアイテムだったころで、「東京限定小説」のようなもので、僕はこの本を読んで「スノッブ」とか「エキセントリック」という言葉を習った。

 小沢健二の『天気読み』みたいなイメージで、若者とか都会の空気が描かれていたような時代と言えば、分かる人には分かるだろうか。


 僕は東京には一回も行ったことはない。

 群馬の友人を訪ねるために「通過」したことが一度あるだけで、だから鷺沢の小説に出てくるような空気感があまりよく分からない。

 10代末期はただの田舎の童貞高校生に過ぎなかったから、「食っちゃう」とか読みながら、「そんないっぱいセックスできるのが羨ましい」と思うしかなかった。
 大学生になって童貞ではなくなって、「食っちゃう」という雰囲気の都会がなんとなく僕の周りにも漂ってはいたけど、東京の空気と京都のそれはまた全然異なるものがあるような気がする。

 鷺沢さんは「飽和した油膜の下」という言葉で東京を表現しているが、関西で学生していた僕の感覚では京都も大阪も「油膜」という感じではなかった。強いていえば大阪は「胡麻油」みたいだったが、京都には「油膜」は感じられなかった。

 ただ、僕の中では京都は小奇麗に冷淡な街だった。

 以前、「いのちの電話」のシンポジウムに行った時、ある牧師さんが「偉くて名誉もお金もある人は小奇麗に冷たい」と表現していたが、「あ、それそれ!」と僕は京都のことを思い出していた。

 
 鷺沢さんが自死されてしまって随分経ったが、彼女が「飽和した油膜」と表現した東京で本当にオリンピック招致が成功してしまった。

 あんなに何から何まで国の根幹が過密してしまった場所に五輪が来ることで、再開発が激化して、またバブルの頃のような狂騒がこの国を覆うのだろうか。

 少なくとも80年代のバブルは中間層がしっかり存在していたから、狂ってはいたが、狂ってるなりに国民もノリを楽しんでいたような気もする。


 だが、今度オリンピック・バブルがやってきたとしても、それは明確に格差で固定されたものであって、多くの人々の怨嗟を買うことになるだろう。

 どういう流れで東京に決まったのか、未だに不思議な感じがしている。

 ただし「東京から福島は250キロメートルも離れている」という言葉を、僕自身は7年後もきっと憶えていると思う。





これは一種のジェノサイドではないのか

Posted by Hemakovich category of Reading on


20130825hema.jpg



 『従軍慰安婦 - 元兵士たちの証言』(西野留美子・著 明石書店)を読む。子供の時に『はだしのゲン』を読んだ時ぐらいのショックを受ける。あまりのショックで死にたくなったほど。

 内容にショックを受けたのは勿論だが、この本が出版されたのが僕が高校生だった時であったことも衝撃だった。あれからこの国は進歩しただろうか。むしろ最悪の道を辿っているのではないか。

 序章からいきなり憲兵の拷問の描写から始まって、それも僕が子供の時からトラウマになっていた小林多喜二の『一九二八年三月十五日』で描かれた拷問がそっくりそのまま記述されてたので、いきなりぶん殴られたような衝撃を受ける。
 (以前にも書いたが、その拷問方法を文字で読むのも怖いので、僕は多喜二のこの本がずっと読めなかった。何度も図書館で借りようとして挫折した。ちなみにその拷問描写は中沢啓治の『ユーカリの木の下で』にも描かれている。どうやら特高や憲兵の拷問というのは一定のパターンがあったようだ)

 最初のうちは慰安婦に同情的だった者や、初めてのセックスの相手が慰安婦で恋愛感情を持った兵士の述懐などが載せられていて、「なんか都合が良すぎるじゃないか、加害者意識はないのか」と腹を立てながら読んでいた。
 だが読み進めるにしたがって、だんだん女性たちの置かれた苛酷な状況に関する証言が増してきて、慰安婦当事者の証言に至ると決定的に叩きつけられるような激しいショックを受けていく。

 「消耗品」のようにされた彼女たちの実像、戦争が負けていくにしたがって兵士と同じように命を落としたり殺されたりした末路、敗戦後も続いた彼女たちの苦悩の人生(なんか自分がこういうふうに書いていても言葉が白々しく感じられるのだが)。

 そして慰安婦だけではなく、強制連行で炭鉱などで働かされた朝鮮人のことや、敗戦によって日本国籍を失うことによって祖国に帰ることができなくなった朝鮮人の悲劇にも触れられている。


 あまりにもむごたらしすぎて、それなのにあまりにも日本人は無知すぎて、日本の罪責の深さを嫌というほど思い知らされた。
 こんなにひどいことをやっておきながら、「狭義の強制的な拉致はなかった」とか「侵略ではない」とか、どの口が言えるのか、死んでしまえと思った。
 日本は決して反省してるとは思えないし、むしろ開き直った盗人のように野蛮だと感じた。今の日本を見ていたら、そりゃ韓国がロビー活動を活発化させてアメリカで慰安婦像を建てていこうとするのも当たり前だと思う。

 「原爆投下は神の懲罰」と言われても仕方ないと、ほんの少し思ってしまった。従軍慰安婦に関する戦争責任はあまりにも根深く、未だに日本人の中で罪責感が薄い。それでヒロシマ・ナガサキとか言うのは結構だが、我々は被害者意識を表に出すほどに、本当に自分たちの負の歴史をきちんと総括してきただろうか。たとえあの戦争で自分たちも苦しんだと言ったところで、従軍慰安婦や強制連行に関してはあまりにも冷淡すぎるのではないか。

 
 「従軍慰安婦のことを知らない元軍人なんていない」と証言者たちは言っている。

 つまり、そのぐらい、その当時一般化されていたことで、だからこのことに関する戦争犯罪は相当重いもので、限られた軍隊の中で起こった小さな事件などではないのだ。なにせ、日本国内にも慰安婦(朝鮮人の)は存在していた事実があるのだから。

 国が関与した事実はない、なんて真っ赤な嘘だ。資料も残ってるし、軍が関与しなければ慰安婦制度は起こりえないのだ。

 占領地での現地民に対する強姦防止のために慰安婦が送られたという話は知っていたが、軍が慰安婦を必要とした最大の理由は、強姦などによって性病に感染して兵力が落ちることを危惧したからだとされる。だから軍医が慰安婦の検診まで行っていたし、軍が定めた慰安所以外の売春宿に行くことを厳しく禁じていた。

 慰安婦の8割が朝鮮人で構成されていたのも理由があって、日本人の売春婦だと兵隊の心情として抵抗が起こるからであって、だから心理的抵抗の少ない(つまり蔑視の対象として)植民地の女性が駆りだされたのだ(日本人の慰安婦が全くいなかったわけではなく、日本人慰安婦は「将校専用」という扱いを受けている)。
 
 しかも性病感染率の少ない女性を慰安婦にしようとしたから、必然的に10代の未成年が対象とされた。12歳の子供まで慰安婦にされた事例もあるという。

 彼女たちは一日に数十人の兵士の相手をさせられた。もちろん無茶苦茶なことをさせているわけだから身体を壊して死ぬ者もいた。代わりはすぐに連れて来られた。彼女たちは騙されたり、強制連行のような形で場合によっては戦地の奥深くまで「物資」扱いで連れてゆかれた。激戦地では軍と一緒に玉砕させられたり、証拠隠滅として殺されたり、部隊が移動して病人のまま置き去りにされたりもした。

 とにかく無茶苦茶なことを日本はやったのである。

 なぜ従軍慰安婦のことが極東軍事裁判で免責されたのか、非常に理解に苦しむ。考えられるのは、満州でのソ連兵や進駐した米兵も強姦事件を起こしていたからだろうか。
 だが戦地に軍隊の行軍と共に売春のための女性を連れて行く行為を組織的に行ったのは日本軍だけである(ナチスすらやってない)。

 本を読んでないと分からない感覚だけど、ここまで朝鮮民族を日本の敗戦の道連れのようにとことん搾取して、あらゆる形で戦争に利用して、まったく人々の疲弊を省みなかった状態を見ていると、これは一種のジェノサイドだと指摘してもおかしくないように思えたりする。

 
 この本は明言はしていないが、描写の構成を見る限りでは天皇の戦争責任に踏み込んでいるように僕は読み取れた。

 天皇の赤子だと教育して日本人に同化させておきながら、結局は自分たちとは別個の蔑視の対象として、一日に20時間も危険な労働をさせたり、何十人もの兵士の性の捌け口とさせられたことを思うと、どう考えたって昭和天皇に戦争責任がなかったなんて、どうしても思えなくなる。

 僕はこの本を読む以前でも、昭和天皇が完全に免責されたことは、結局のところ日本人が一人一人戦争の罪責を反省する機会を失わせることにも影響してしまったんじゃないかと思ってきた。
 せめて昭和天皇は退位して今の天皇に譲位するぐらいのことはすべきだったんじゃないかと考えたりしてきた。


 いま、この本を読んで思うのは、天皇制が残り続けることは、やはり危険なことなのではないかということである。



20110819111116.jpg


PAGE TOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。