Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

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その肉体の地図に分割された新領土に僕は住んでいる

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1 すでに街娼のことについて屡々しばしば、僕はその実在についてのエピソードを書いた。

 かの女たちの色彩の同一色であることは、労働者の持つ社会観が赤と黒によって染められたと同じく、かの女たちのイヴニング・ドレスの黒色と紅の一線が虹のように浮き、厚化粧に口紅の持つ特殊な色は、これはマドモアゼルでもなし、不良の女でもなし、ショップ・ガールでもない、商売女としての商標を明瞭に人々に感じさすところの色彩だ。
 この間も僕は妻を同伴して銀座を散策してかの女たちの一人を見出すと、妻にかの女こそ、ストリート・ガールの典型的なものだ。と、云った。
 流行品店とキャバレーのあるアスファルトの露地に、黒いケープレットのついた夜の衣裳をつけて、ハイ・ヒールのエナメルの靴を穿はいた都会の売笑婦。
「――君。それ、ほんと。」と、僕の妻は異彩のある女にたいする興味を外に見せて確めるように云った。
「――うん。最上等の立ち淫売だ。」
「――もし、……そうなら、今夜は君をかの女の恋愛術の中へ預けたいのよ。」
「――うん、御随意だが、君はどうする?」
「――仕事があるのよ。Sデパートに依頼された新衣裳と、R新聞に原稿を明朝までに書いて置かなくちゃならないの。」
「――それで、あの女にはいくら支払う。」「――いくらぐらい必要なの。あの女?」
「――十円とその他、……いくらか。」
 夜間の遊覧飛行イルミネェーションで作られたファンタジツクな科学の尻尾、――妻にたいする愛を結びつけて、……。

2 極楽鳥パラダイツの飾りをつけたフェルトの流行とは正反対のグランとツバの拡い帽子を目深まぶかにした身装いでたち、……流行品店の飾窓に映るかの女の姿態を裸体にするキャバレーの門柱のムーラン・ルージュ。

 ラジオの音声が、かの女の肉体の下層に忍び込むとき、人々はかの女から、鋪道と化粧塔の匂いを嗅いだ。
「――今晩は。」「――何か御用?」
 夜の女の衣裳の背後が社交的に展ひらいて、生姜しょうが色の皮膚の断面に機能の失せた女の蠱惑こわくが感じられた。

3 ホテルの部屋で僕はかの女が花瓶の中の花の茎のように華奢な肉体なのに気が付いた。

 僕は女性にたいする狩猟家であったか。かの女の痩せた花粉のついた装飾にすら、僕は情欲をもって鎧よろいばっている。女性の尻ばかり見て暮す男にとっても、売笑婦の心理的な綺羅きらによって飾られた脣くちびるから、下腹部にかけてのガリッシュな紅色の部分については特殊な魅惑を感じる。かの女たちは小指のような微生物まで琥珀色こはくいろの液体で染めた。
 エロチシズムの演技場に行くまでの道程については云う必要もあるまい。そして近代女の技術主義についても。
「――あなたの一緒にいた御婦人について伺いたいわ。」
「――恋愛でないセンジュアリズムの見本。」「――と、云うと?」「――女房だ。」
 街に展いた窓の出張でっばりに置かれた洋紅色の花鉢を寝台の枕もとに持ってくると、夜の女は眸ひとみの快楽のために、
「――その女房と云うのはどんな役目なの?」
「――君に委任された僕のセンジュアス以外のものの委托品いたくひんあずかり所なのだ。」
「――あなたの云うこと、よく分んないわ。」

4 夜が更けて僕が眼覚めたとき、かたわらには腐敗しかかった売笑婦の肉体が萎しおれた花のように残っていた。

 その肉体の地図に分割された新領土に僕は住んでいる。売笑婦の持つ感覚の楼上から底辺に達する戦場には、資本家の軍隊の残した指紋の遺跡がある。……つまり、売笑婦の蠱惑を戦場の地域に例たとえるのに、現今として誰一人、不服はない筈だ。
 侵略される肉体の所有者について探究するとき、かの女たちは、そこに帝国主義的な型を持った男性の手管を感じ、軍閥ぐんばつの持つ圧力を、ブルジョアジイの持つ征服にたいする歓喜を衝けるのだ。――ラグビー争闘の場合の靴の跡を刺繍ししゅうされ、……野球における華美な盗塁と、……水球のときの潜水と、……ミニチュア、ゴルフの墜死と、……ボクシングにおける残酷な、……マットの中の死を。
 戦争にたいする僕の幻影のいかなるものかについてはいま語るをさし控えよう。かの女の肉体の地図に戦争の持つ赤手袋を穿はめて、僕は他日を約して一先ひとまず退却だ。国際連盟の持つイデオロギイからも、満州の階級性からも、シャンハイをまったく取巻いた赤色プロレタリアの××からも、第二、世界経済恐慌の襲撃からも、……しだいにかの女の吹鳴らすラッパの音韻の沈衰して行くままに。

5 夜が明けて僕は卓上の電話の受話器を妻の寝室に通じた。

「――お早う。昨夜はよく寝られたかね。」
「――……君のいない、……おかげで、あたし睡眠を充分とることが出来たわ。」



吉行エイスケ 『戦争のファンタジイ』 (改行の一部は引用者による)






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この入り口はただお前のためだけに用意されたものだから

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 道理の前でひとりの門番が立っている。

 その門番の方へ、へき地からひとりの男がやってきて、道理の中へ入りたいと言う。
 しかし門番は言う。
 今は入っていいと言えない、と。
 よく考えたのち、その男は尋ねる。
 つまり、あとになれば入ってもかまわないのか、と。

「かもしれん。」

 門番が言う。

「だが今はだめだ。」

 道理への門はいつも開け放たれていて、そのわきに門番が直立している。
 そこで男は身をかがめて、中をのぞいて門の向こうを見ようとした。
 そのことに気づいた門番が笑って、こう言った。

「そんなに気になるのなら、やってみるか。おれは入ってはいかんと言っただけだからな。いいか、おれは強い。だが、おれはいちばん格下の門番にすぎない。部屋を進むごとに、次々と門番が現れるだろう。そいつらは、前のものよりもっと強いぞ。三番目の門番でさえ、おれはそいつを直視することもままならん。」

 これほどの難関を、へき地の男は予想だにしていなかった。
 道理は誰にでもいつでも開かれているはずなのに、と思った。
 だが、男は門番をじっと見つめた。
 門番は毛皮のコートに身を包み、大きなかぎ鼻を持ち、黒く長いモンゴルひげをひょろりと生やしている。
 そのとき男は心に決めた。むしろ、入っていいと言われるまで待つのだ、と。
 門番が男に腰掛けを与え、門のわきへ腰を下ろさせた。
 その場所で、男は幾日も幾年も座り続けた。
 男は、入ってもいいと言われたくて、さまざまなことを試してみた。だが、あまりにもはげしいため、門番をうんざりさせた。
 門番は、幾度となく男に簡単な尋問をおこなった。男の出身地をあれやこれやと問いつめた。
 それ以外のことも同じように訊いたが、その問いかけは目上の人間がする一通りのものにすぎず、いつも終わりに門番は男へこう言うのだった。
 今は入っていいと言えない、と。
 旅のために男はあらかじめたくさんのものを持ってきたが、すべて使ってしまった。だが、どれもずいぶん役に立った。門番に賄賂を贈ったのだ。
 この門番はどれもみな受け取りはしたが、そのときにこう言い添えるのだった。

「一応もらっておく。やり残したことがあるなどと思ってほしくないからな。」

 何年ものあいだ、男はほとんど休みなく、門番から目を離さなかった。
 そのうち男は他にも門番がいることを忘れ、最初のこの門番が、道理へ到るための唯一の障害だというふうに思えてきた。
 男は不幸を嘆いた。はじめの一年はなりふり構わず声を張り上げていたが、年老いてしまうともう、ただいつまでもだらだらとぼやくだけだった。
 子どもっぽくなった男は、門番をずっとつぶさに見てきたからか、なんとその毛皮の襟巻きにノミがいると気づいた。そこで、男はそのノミに、助けてくれ、あの門番を説得してくれ、と頼み込んだ。
 ついには視力も衰え、男は本当に暗いのか、ただ目の錯覚なのかが、わからなくなった。
 とはいえ、暗闇の中、道理の門から消えずに差し込んでくる光が、男には今はっきりと見えた。
 もう、男の命ももはやこれまでだった。
 死を目前にして、男の頭の中で、今までの人生すべての時間が、ひとつの問いへと集束していった。
 それは男がこれまで門番に一度も訊いたことのない問いだった。
 男は門番に、手を振って知らせた。
 身体がこわばって、もはや自力で起き上がることができなかった。
 門番は男のためにしゃがみこんだ。ふたりの大きな身長差が、今は男にとってずいぶん苦しいものとなっていたからだ。

「今さらいったい何を知りたいというのだ。」

 門番が訊く。

「欲張りめ。」

「だが、万人が道理を求めようとするではないか。」

 男は言った。

「どういうわけで、長年にわたって、わたし以外に誰も、入ってよいかと聞きに来ないままだったのだ?」

 門番は気づいた。男はもう、今わのきわにいる。
 かすかな聴覚でも聞こえるよう、門番は男に大声でどなった。

「ここでは、他の誰も、入ってよいなどとは言われん。なぜなら、この入り口はただお前のためだけに用意されたものだからだ。おれはもう行く、だからこれを閉めるぞ。」



フランツ・カフカ 『道理の前で』 (改行の一部は引用者による)






科学とは真理に恋することさ

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 いわしから先に食うか? 大根からにするか? よい物から先に手をつけろ!
 いつ死ぬかわからんから……。
         *       *
 旅に出たら一流旅館に泊まれ! その町のいちばんいい点がわかる。木賃宿に泊まるのもよい。その町のいちばん悪いところが知れる。
 友を選ぶなら、いちばん善人を選べ! そしていちばん悪い人も加えろ! 教えられる。
         *       *
 桜も植えたいし、南瓜もならせたいし。――桜は南瓜にはならぬものかネ?
         *       *
 まかぬ種が生えると気味が悪い。まいた種が生えないと落ち着かぬ。――殺したようでネ。
         *       *
 こうして寝てばかりいると、縦の物を横に見て暮らすわけだが、たまに座って眺めるまともな世間も美しいものヨ。
         *       *
 赤い大はさみを振りかざし、横行しているかに――あれで正しいつもりなんだからナア。ところが、赤と横歩きとが新しい真理だと思って、わざわざ真似している者もいるんだって……ふふふ。
         *       *
 買い被かぶられるのは、胴上げされるようなものだ。いつ落とされるか、気が気じゃないよ。
         *       *
 有名になるな! 名前なんてものは、茶の間で、あめ玉がわりに一分間しゃぶられるだけのもの。
         *       *
 ろうそくが短くなると、いまにも消えるか? とそのほうにばかり気を取られ、仕事の手につかぬ人がいる。いくら心配したって寿命は延びないのに――。
         *       *
 本を読んでいるときに来る見舞い客は決まったように、「お退屈でしょう」と言う。日本人が本を読むのは退屈なときだけかねェ?
         *       *
 いちばん欲しいものは――時間。
 その惜しくて惜しくてたまらぬ時間を、善意の訪問客に横領される。
         *       *
 私の写真の出ている新聞紙を便所の中で見つけると、名を売った罰だと思うね。
         *       *
 ほう、うまく掛かったの? 太いねずみだネ。賢そうな顔をしているが、……ついにご馳走にだまされて、一命をおとすとは――。
         *       *
 一流になる見込みのないことに手を出すな? 手を出したら一流になるまでやれ!
         *       *
 電灯が消えたぐらいのことで、いちいち、アッと声を出すな! お父さんなんか原子爆弾が落ちた時、泰然腰を抜かしておったゾ。
         *       *
 節約すべきは金ではない。時間と労力よ。
         *       *
 科学とは真理に恋することさ。
         *       *
 梅・すいせん・寒らん――寒さをしのいで咲く花はゆかしい香りをもっているね。どうも楽な季節に咲く花は、人目を引くばかりで。
         *       *
 決心は一生に一度しかするものではない。毎年元日に新しい決心をする人があるが、あれは儀式サ。
         *       *
 開拓者はさんざん苦労したあげくの果て、死んでいく。うまい汁を吸う役は後に控えている。
         *       *
 肉体の苦痛なんて他愛ないものよ。我慢すりゃしのげる、死んだら止まる。
 霊魂の苦痛は、とても自分の力だけでは、なおらぬ。おまけに死んだって消えない。
         *       *
 罪を犯さぬ聖人の霊的苦痛は深いものだろうねェ!
         *       *
 告白のとき同じような罪ばかり思い出すものだが、――案外、自分の気のつかぬところに欠点があるのじゃないか?
         *       *
「ありがとう」の一言で決算をすませる気にもならぬので、……ご恩を借りておこう。
         *       *
 ひとさまの施しを素直に受け取れるまでには、なかなかの修業がいるものだ。
         *       *
 こうして寝ておれば、悪い遊びもできないが、善いこともせぬものよ。
         *       *
 再建というのは天主堂を建てたり、家を建てたりすることじゃないよ。

 私らの信仰を建て直さなきゃ――。



永井隆 『この子を残して』 - 子に向かってもらした言葉 - 






その真理が何であるかを我々は知ろうと欲している

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 我々は思想の危機にあたって理論的なものが実践的なものに推移してゆくのを見た。しかも同時に我々はそこにおいて理論そのものの否定が実行されているのを知った。

 かくのごとき場合においては、理論的意識はもはや単なる理論的意識としてとどまることが出来ない。独断論における理論より実践への転化がまさにそのことを教えるのである。実践を理論から分離することが純粋に理論的意識を維持する所以であるとする見方は、思想の危機にあっては、なんら現実的なる理論的意識であることが出来ぬ。思想の危機にあっては、このような見方こそかえって理論的意識そのものを死滅させることとなる。それはこのとき、思想そのものにとってはむしろ「危機の思想」であるのである。

 ここに私はかかる非現実的な危機の思想として現われている一、二のものを挙げておこう。

 そのひとつは形式主義である。

 形式主義者は考える。理論は理論としていつでも形式的なものである。したがってそこには階級性などはあり得ない。彼らは階級を超越した理論を求める。しかるに理論は、それが現実的な理論として、現実の社会と連絡をもちそれに働きかけ得るものである限り、現在の階級社会ではつねに階級的な性格をもたざるを得ないから、そこで彼らは非現実的な理論を意識的に求めることになる。そして彼らは彼らの理論の非現実性に、普遍妥当性または永遠性などというがごとき美しき札を張りつける。

 例えば、彼らは、普遍妥当的な真理があるということを論理的に証明し得ると称して、――相対主義は自己矛盾に陥る、なぜなら相対主義をいやしくも意味あるように主張し得るためにはこの主張そのものが絶対性をもたねばならず、したがって少なくともひとつは絶対的な真理がある、という。

 かくのごとく形式的には、真理の普遍妥当性は証明されることが出来よう。絶対的な真理はある、しかしそれでおしまいだ。その真理が内容的には何であるかを我々は知ろうと欲しているのである。形式主義は形式を説くことによって我々の認識を豊富にすることなく、形式に固執することによってかえって我々の認識を貧困ならしめる。

 形式主義は最も多くの場合我々の認識活動を停止せしめることを我々に命ずる。かくしてそれは我々の具体的な理論的意識を満足させることなく、思想の危機に際してはそれは、我々の認識を窮乏ならしめる論理であることによって、かえって反動的な役割を演ずる。

 ――他のものは自由主義である。今日、自由主義者は行為の自由と研究の自由とを区別する、そして思想研究の自由は認めるもそれを行為において実現することはこれを認めることが出来ぬ、と考える。しかるにかかる自由主義は現在の社会において我々はこれを徹底し得るであろうか。

 なるほど、危険思想の研究が自由に許されているとする、そこでいまひとりの者がこの思想を研究しているとする、しかし彼はまさに危険思想の研究者なる故をもって、会社でも、銀行でも傭ってくれず、否、大学においてさえ使ってくれない。研究の自由は彼にとって貧困の自由を意味する。彼の研究の自由はかたっぱしから彼の行為の自由によって否定されてゆく。行為の自由を得ようと思えば、彼は研究の自由を否定しなければならぬ。

 自由主義は階級社会の中では現実的に存在し得ないのである。

 思想の危機にあたっては、理論的意識は実践と結びつくことによってのみ現実的であることが出来る。このとき実践はもとより単なる理論の否定ではない、それは独断論者のことである。

 実践は理論にまで高められ、理論は実践にまで深められ、かくて理論と実践との弁証法的統一がなければならぬ。理論と実践との弁証法的統一の上に立つ理論的意識のみが、思想の危機に際して、ただ一つの現実的なる理論的意識である。

 しかるにかくのごとき理論的意識は今や社会的に危機にある階級、すなわち支配階級の中では獲得されることが不可能である。彼らは危機を絶対的なる危機として受取らざるを得ないが故に、弁証法的に危機を思惟することが出来ない。この危機を弁証法的に把握し、そこにむしろ未来の発展に対する展望を認め得るものは、未来を約束されているところの新興階級である。

 これが思想の危機の理論である。



三木清 『危機における理論的意識』 (改行の一部は引用者による)




詩が亡びるということは人間が亡びるということ

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 もうひとつ、これも日本的というものであろうか、どうせ食えない時代だから、食えないことを覚悟の上で、文学に精進するのだという作家の心構えだ。そういう心構えはフランスあたりに流行していたのであろうか。


 そのような作家をいながらにして見せつけられるということは、日本の文学の意気地なさが感じられる。食えない覚悟まで文学のために持たなくてはならぬのだから日本の作家は瘠せ細って死んでしまう傾向がある。食えない覚悟を文学のために持つだけのほんとうの勇気があるならば、食えない時代のためになぜ食う覚悟を持たないで、しかも文学を舐めてばかりいるのだろうか。


 時代が食えない時代だから、食えない覚悟で、文学の消費は、ジイドを舐めヴァレリイを舐め相当に行われているにもかかわらず、その生産面に於ては彼等の比でないと考えられようが、それは仕方がないと答えることによってすますつもりでいるのだろうか。


 ファンク博士はその手記で、仕方がないということを、日本人の特長として挙げていたようだ。


 この時代が、食えない時代であるということを、ほんとうに自覚しているならば、食う覚悟、それは僕みたいにつらの皮を厚くしてまでも持たねばならぬ覚悟なのだ。


 そうして文学は、日本の文学が気に入らないなら、さしあたり外国の文学を真似てもよろしい。が舐めさせるだけにでも値するような、なるべくは真似もばれない位の文学を生産するという覚悟で、持つ覚悟も健康な覚悟を持ちなおしたらどうであろう。


 詩は亡びる。と菊池寛氏が言ったので、詩人達の間に騒がれた。小学生が言ったのなら、振り向くものもなかったろうに、菊池寛氏が言ったというので騒がざるを得なかったわけなのだ。


 詩が亡びるということは、人間が亡びるということをも言わなくては用をなさない言い方である。詩が亡びることは考えられて、人間が亡びるということを考えられないとすれば、詩が亡びるということの論拠が薄弱である。


 人間に死ということがある。死ということは個人の現象であって、人類の現象としての結論ではない。だから死んでしまうのは昔から今に至るまで個人ばかりが死んで来たのであるし、なお、将来もどこまでも個人にだけ死は現象するが、人類は地球といっしょにどこまで行くものか解らない。


 たとえ文明の方向が人間を殺したり、生かしたりしてもそれは人類の方向を美しく表現するための、個人的な現象にしかならないのだ。つまり僕らには、個人の死は考えられても、人類の滅亡は考えられない。しかも、個人の場合に於ては、死を前提にしていながら生きるようなものであるとも言えるのであるが、人類の生死は、僕だけでなく人類総がかりになって考えても計り難いことなのだ。


 詩の概念もまた、僕らには、人類の概念と等しいものでなくてはならないのだ。


 詩が亡びるということは、詩が亡びるということの意味をなさない。そのような個人の言動や生死如何に依らず、亡びることなど知りもしない人類と同時しつづけているのが詩なのである。


 即ち、詩と人類とはぐるになっていて、誰が何と言おうが地球を振ら提げて生きる一方なのだ。


 僕は或る人が、詩よさよなら、と言ったことを知っている。

 詩を経験し詩を知っている人は、さすがに詩に対する礼儀をわきまえていると見えて自分の身をひくのであるが、詩に就て、その可能不可能の限界を持っていない人は自分には詩は解らないと率直に引き下るべきであって、一体どこを向いているのであろうかと人に思わせるようなポーズで詩を見ていては、つまり詩は亡びる。



山之口獏 『つまり詩は亡びる』 (改行の一部は引用者による)






いいよ、いいよ。君が死ねば僕だって死ぬよ

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 私達は予定通り、恰度一時間を費して、インタアナショナルを出た。
 真暗な河岸通りに青い街灯が惨めに凍えて、烈しい海の香りをふくんだ夜風が吹きまくっていた。

 元町へ抜けて、バンガロオへ寄って、そこで十二時になるのを待った。アレキサンダー君が、このダンス場の看板時間まで踊り度いと云うので、踊の出来ない私は、ぼんやりウイスキーを舐めるばかりで、旺んなホールの光景を見物しながら待っていたわけである。
 へべれけに酔っぱらった大そう年をとり過ぎた踊子(ダンサー)が、私の傍へ来て、ポートワインをねだるので、振舞ってやると、やがて彼女は、ダンス位出来なくては可哀相だから、教えてやると云って、私の両手を掴んで立ち上がるのであった。
 だが、彼女は直ぐに、蝋引きの床の上に滑ってころがった。何度でもころがった。
 私は到頭、やっかいな老踊子を、静かに長椅子(クッション)の上に寝かしてやらなければならなかった。

 十二時にバンガロオを追い出されて、私達はさて、大方寝てしまった元町通りを、真直に徒歩で大丸谷へ向った。
『大丸谷は本牧より半分安いですが、悪い。そして、日本人は好かれませんよ。』と、アレキサンダー君は、私と腕を組ませて歩きながら云った。
 草の生えている真暗な坂道を上がって行くと、左側に何々ホテルと記した、軒燈りの見える家が幾軒となく立ち並んでいた。
 私達はその中で、一等堂々として見える新九番館(ニュウ・ナンバア・ナイン)を的にして行ったのだったが、玄関も窓も、すっかり暗くなっていたので、已を得ず、その裏側にある東京ホテルの玄関を敲いた。
『何国?――』と云う声と共に、傍の小窓が開いた。
 窓明りを背負って現われた黒い女の顔は、玄関の扉にくっ着いているアレキサンダー君よりも、その後に立った私の方を主に窺った。
『支那人(チャニス)。』とアレキサンダー君が咄嗟に答えた。が、『満員!――』そして忽ち、窓は閉まった。
『ちえッ!――』アレキサンダー君は、唾を甃石の上へ吐きつけた。
『チボリへ行っても寝ています、本牧へ行きましょう。』
『オールライト!』
 と、私は答へた。

 私達は、それから本牧へタキシイを駛らせながら、十二天と小港の何れを択ぶべきかと相談した。
 そして結局、キヨ・ホテルはブルジョワ・イデオロギイであると云うので、後者をとることになった。車は夜更けの海辺を疾走した。

 狭い横町を左へ折れて、梅に鴬の燈りが灯っているホテルの前を過ぎると、間もなくアレキサンダー君は車を停めさせた。私達は、エトワールと云うホテルに入った。ひきつけとも云うべき明るい広間に、十人もの六月の牡丹の如く絢爛たる女が並んでいた。
 アレキサンダー君には、すでに馴染があったが、私はその中で、最も自分の気に入ったどの女をでも、選択することが出来たのである。
 女達はアレキサンダー君を、『サーシャ』『サーシャ』と呼んで取り巻いた。アレキサンダー君の女は、頭を美事な男刈にした、眉根の険しい感じのする、十七八にしか見えない小娘であった。
『サーシャ、タンゴ――』と、その女は直ぐに男の体に絡みついた。

 私は自分の女を択ぶことを、『酒場さん』なる鴇母(おば)さんに催促された。私は大勢の女の一等後の方で、蒼い顔をして外っぽを向いている、痩せた女を指してしまった。

 彼女はさっきから、私の心を殊の外惹いていた。それと云うのは、彼女は他の女達のように、私へ笑いをかけることをちっともしなかったし、それに脆弱な花のように、ひどくオドオドとした哀れな風情が、その大きな愁しげな眼や、尖った肩さきなどに感じられたからである。

 併し、これは鴇母さんにも、他の女達にもまたサーシャにも、少からず意外であるらしかった。が、私は彼女を膝の上に腰かけさせて、その艶のない頬を撫でてやった。

 私共は二人分として二十五円払った。勘定が済むと、それぞれの寝室へ入った。私の女は、私の衣服をたたんで、鏡台のついた箪笥へしまってくれた。

 『あなた、偉い方?』と女は私の髪を骨ばった指で弄びながら訊いた。女の声は喉もとで嗄がれて、長い溜息のような音を立てた。

 『ああ、華族様さ。けれども男爵だよ。』と、私は嘘を吐くのであった。

 『そう、いいわねえ。』彼女の声は風のように鳴った。

 『君、病気なんだね。肺病だろう?』

 『ごめんなさいね――あたし、死ぬかもわからないの。』

 『いいよ、いいよ。君が死ねば、僕だって死ぬよ。』

 『まあ――調子がいいわね。』私は彼女の、小さな頭を胸の中に抱いた。

 『お止しなさいな。あたし、もっと悪い病気なのよ。』と、彼女は唇をそらそうと、もがいた。

 『いいよ、いいよ。』

 私は、そして、無理遣りに彼女の頬を両腕の中におさえた。――そんな病気は、世界中の何万何億と云う男と女とを、久しい時代に渡って一人一人つないで来た――云いかえれば、男女の間の愛と同じ性質のものである――と云った、アレキサンダー君の言葉を思い出しながら……



渡辺温 『ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった』 (改行の一部は引用者による)






肯定狂と否定狂

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 青空に風呂屋の煙突がはっきりそびえてゐた。


 その左の方に外苑の時計台と枯木の梢が茫と冬日に煙ってゐた。


 もっと近いところには屋根の入り乱れた傾斜が、一方に雪を残して続いてゐた。


 雪があるので、そこの二階の縁側からは景色が立体的に見えた。


 立体的と云へば、この景色を眺めて争ってゐる二人の男の対比もまたさうであった。


 一人はこの春さきの景色が煽情的だと云って頻りに嬉しさうに眺め廻した。


 一人は彼がそんなに景色にまで愛恋を感じるのがをかしいと云ってそれを笑ひこけた。


 そして二人はとりとめもなく、こんにゃく問答をしながら、ネクタイを結んで出勤の用意をした。


 それから二人は電車に乗っても依然として争ってゐた。


 一体、何がそんなに問題の中心になってゐるかと云へば、ことの起りは、一人が女を大へんいいと云ひ、一人が女を大へんつまらないと云ひ出したことからであったが、――かう云ふことを問題にさすに応はしい二月の午後でもあった。

 一人は、海辺で桃の花と牛を眺めながら如何に中学時代恍惚としたか、無人島の松林の蝉の声に如何に魂を奪はれたかと云ふやうな話まで挿入した。


 そして二人は東京駅で下車すると、八重洲口の方へ地下道を歩いた。


 その時、


 「何とか彼とか云ひながら、男が金を稼ぐのは、つまり女房のために生活をより修飾するためなのだね」と一人が云った。


 「さうではない、それは大へん面白くないことだ」と相手が大反対を唱へた。

 そこで二人のあげつらひは急激にもつれて行った。


 階段を降りて駅を出ると、もうお互に時間がなかった。で、一人が云った。


 「つづまるところ君は肯定狂だよ、何でも彼でも、いい、いい、いい、いい、いい、いい、と云ふぢゃないか」


 「何だい、それなら君こそ否定狂さ、一から拾まで、否いや、否、否、否、否だ」

 「ハハハハハ」


 そして二人は別れた。


 肯定狂は美人グラフへ、否定狂はダンスホールへ、それぞれ職場を持ってゐた。



原民喜 『残雪』 (改行・漢字変換の一部は引用者による)






真理を求めようとはしないで、それを所有していると称するもの

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 ロマン・ロランは第一次大戦にあたって彼の「戦いを超えて」の中で次のようにいっている。


「真理を求めようとはしないで、それを所有していると称するものと議論することは不可能である。ドイツが日の光りに対して防御壁をつくっている自信の厚い壁を破ることは、今のところ、いかなる精神の力にとっても可能ではない。」


 ドイツの多くの哲学者が、すべて背骨を失って、戦の中に巻きこまれたあのとき、そして、フランスの好戦論にこびたあのとき、ロランはひとりスイスに逃れて、痛切な孤独の中に吐いたのがこの言葉である。


 真理を求めようとしないで、それを所有していると称する者たちの間でのみ戦争は巻き起こされるのである。


 真理が何であるかを、ひたすら求め抜く心が、地球に拡がるときにのみ、人々の上に美しい平和がくるのである。


 そして、それは醜いことだろうか。決してそうではない。


 それは卑きょうなことだろうか。否、決してそうではない。


 それは弱いもののできることだろうか。否、その反対である。


 子供たちが、手離しで自転車を走らせてあそぶ遊びが外国にはある。その中の一人の子供が、たまりかねてハンドルに手をかけると、皆で、


「卑きょう者!」
 と呼ぶ。


 そして車はなおも狂って走るのである。


 しかし、ほんとうは、あえて、このハンドルに手を出す子供が「勇気があるもの」であり、手を出さない子供たちが、むしろ、ほんとうは卑きょう者なのである。




中井正一 『真理を求めて― 平和祭に寄す』 (改行の一部は引用者による)






扇動者とテロリストの相互確証破壊を希望する

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 被征服者のいっさいの行為に対して、絶えず兵力を用いる困難と費用とおよび部分的失敗とは、ついに征服者の一大負担となった。一時は勝利の誇りに駆られて、その権威に対するあらゆる叛逆者を、見つかり次第に厳罰に処してもいたが、やがてこんなふうに一人一人別々に支配して行くのが面倒臭くなって、何とか纏った統治の方法が要求せられて来た。

 すなわちもっともしばしば犯される行為の種頬を圧伏するために、ある一般的規則を設けることが発明せられた。そしてこの方法のはなはだ経済的なことが分ってからは、なおその他の広い範囲の諸種の行為にも、同様にそれぞれの一般的規則を設けることとなった。かくしてついに今日いうところの法治的支配の基礎が置かれたのである。そしてこの法律を犯さない間は、多少の自由が、被征服者に与えられる。換言すれば、この法律に服することが被治者の義務であり、この法律の違犯にならない行為がその権利であると認められるようになった。

 これと同時にまた、征服階級のいわゆる教育ということが行われた。両階級の地位の不平等を維持して行くためには、もともと被征服者階級の方があらゆる点において劣等種族であるという観念を、是非とも被征服階級自身の心中に、しかと植え付けて置かねばならぬ。もし被征服階級がいささかでもこれに疑惑をさしはさむようになれば、それは社会の安寧と秩序との大なる紊乱を生ずるもととなる。そこでこの観念を強制するために、諸種の政策が行われた。いわゆる国民教育の起原にしてかつ基礎たる組織的瞞着の諸種の手段が行われた。

 けれどもただこれだけでは治まって行くものではない。元来ある一種族が征服せられたというのは、ほんの偶然の出来事からか、もしくは戦争術が下手だったからである。その他の点においては、あるいは被征服者の方がかえって優れていたかも知れぬ。そこで征服者は、利害のまったく異なった被征服者を統治する困難から遁れるために、被征服者の中のあるものの助けを乞わねばならなくなる。被征服者の中にもまた、多少の特権を得て、容易にこれに応ずるものが出て来る。すなわち被征服者の中の知識者が、征服者の階級に仲間入りをして、その征服事業に協力することとなる。そして権利と義務とが、両階級の間に、もっと適切に言えば、征服階級と被征服階級の一部分との間に、多少相互的になる。

 この相互的ということは、いまだ不平等を生じない被征服階級に対する、絶好の瞞着手段であったのである。すなわち知識者は言う。

 見よ、今やわが部落は征服階級のみの部落ではない。彼等はすでに先きの非を悟って被征服階級たる吾等に参政権を与えた。万人は法律の前に平等であると。

 なお種々なる事情は、一方に征服者をして諸種の譲歩をなさしめるとともに、また一方に被征服者をして空虚な誇りとおよびあきらめとに陥らしめる。そして両階級の間に、漸次に皮相的妥協を進めて行く。



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 僕は今、この征服の事実について、詳細を語る暇はない。けれども以上に述べた事実は、いやしくも正直なる社会学者たらんものの、恐らくは何人も非認することのできない事実である。

 歴史は複雑だ。けれどもその複雑を一貫する単純はある。たとえば征服の形式はいろいろある。しかし古今を通じて、いっさいの社会には、必ずその両極に、征服者の階級と被征服者の階級とが控えている。

 再び『共産党宣言』を借りれば、「ギリシャの自由民と奴隷、ローマの貴族と平民、中世の領主と農奴、同業組合員と被雇職人」はすなわちこれである。そして近世に至って、社会は、資本家てう征服階級と、労働者てう被征服階級との両極に分れた。

 社会は進歩した。したがって征服の方法も発達した。暴力と瞞着との方法は、ますます巧妙に組織立てられた。

 政治! 法律! 宗教! 教育! 道徳! 軍隊! 警察! 裁判! 議会! 科学! 哲学! 文芸! その他いっさいの社会的諸制度!!

 そして両極たる征服階級と被征服階級との中間にある諸階級の人々は、原始時代のかの知識者と同じく、あるいは意識的にあるいは無意識的に、これらの組識的暴力と瞞着との協力者となり補助者となっている。

 この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会の根本事実である。この征服のことが明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何ものも、正当に理解することは許されない。

 敏感と聡明とを誇るとともに、個人の権威の至上を叫ぶ文芸の徒よ。講君の敏感と聡明とが、この征服の事実と、およびそれに対する反抗とに触れざる限り、諸君の作物は遊びである、戯れである。われわれの日常生活にまで圧迫して来る、この事実の重さを忘れしめんとする、あきらめである。組織的瞞着の有力なる一分子である。

 われわれをしていたずらに恍惚たらしめる静的美は、もはやわれわれとは没交渉である。われわれは、エクスタシイと同時にアンツウジアスムを生ぜしめる動的美に憧れたい。われわれの要求する文芸は、かの事実に対する憎悪美と叛逆美との創造的文芸である。



大杉栄 『征服の事実』 (改行の一部は引用者による)






刹那に出遇って、ふとある空虚を感ずる、何という悲惨なことだろう

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「今日は二人で、こうして海を眺めながら、歌を作り合ふじやありませんか。
 貴方は文科へ行つてゐらつしやるのだから定めし詩や歌をお作りになることがお上手でせう。
 私なんか、どうもただ下手の横好で……ちよつと待つて下さい――ええと、
 ひとつ出来ました。
 まあこんなものですが、見て下さい。」

「……ウム。こりや、うまい、ほんとにうまい、実によく整つてゐますね。」俺にはとてもこんなに巧みに歌ふことは出来ない、と私は思ひました。

「さあ今度は貴方の番です。」
「私は出来さうもありません。」と私は自分の心の儘を云ひました。
「戯談(じようだん)じやありませんよ。謙遜されては私が困つて仕舞ひます。」
「謙遜? ハツハハハ、それや恐れ入つた。」
「私には、まあそれは謙遜とより他に思へませんもの、だつて、
 貴方は朝からこうして、黙つて海ばかり眺めて暮してゐるじやありませんか。
 それは歌でなければなりません。詩でなければなりません。――もういい時分です。歌が出来上つた時分です、さあお聞かせ下さい。」

 ――何と云はれても出来なければ仕方がない。

 成程俺は今朝から海ばかり眺めてゐる、その間には多少、詩になりさうな気持も浮むで来ないでもない……然し俺にはそんな気持はどうしても書き現すことは出来ない、俺は、
「最後のものを歌ひ度い。」――美しい、と思つた瞬間、悲しいと思つた瞬間、それは俺にとつて「最後のものだ。」それが書ければ文句はないのだが……俺は常にその刹那に出遇つた時、ふとある空虚を感ずる、何といふ悲惨なことだらう……悲しい、と感じた瞬間には、俺は、「余り悲しくない」と思つてしまふ――と、笑ひたくさへなつてしまふ――俺は「恍惚」に浸る夢心地をもつことが出来ないのだ、ああ俺はもう今、俺の想ひは、この人に責められてゐるといふことから全々離れてしまつた――。

 私はこんな事を考へて居りました。

「さあ、もうお出来になつたでせう。」
「――――」
「一体貴方はこの美しい海を、どんな気持で眺めていらつしやるのですか。」その人の句調には大分私の芸術的感覚を疑ふやうな色が見へて参りました。

「――――」
「それに答へられないといふのは何といふ怪し気なことでせう。」
「僕は……別になんにも考へてゐませんよ。」
「どうか正直な事を云つて下さい。あの美しい空の色を何と歌はうとしてゐるか、とか、あの紺碧の水を渡る白鳥について、とかと、ね、貴方の眼に写つた儘でも……それが貴方の詩となり歌とならなければならないのです、ですから――貴方の今の瞬間の気持をどうか正直に云つて下さい。」
「僕は、今頼むだ子供が早く煙草を買つて来て呉れればいいと思つてゐます。」私は、思つてゐる事を正直に云へと云はれましたので、正直に答へました。
「へえ」その人は大変に驚いた。と云ふ顔付をしました。

「貴方は芸術家にならむがために文科へ通つてゐらつしやるのでせう。」その人は親のやうな威厳を示して云ひました。
「まあ……そんなやうなつもりで。」私は心から恥入つて――仕方がなく、ニヤニヤ笑ひながら答へました。
「貴方は詩人じやないのですね。」その人は勝ち誇つたやうに云ひました。
「……まあ、そうですかね。」私は悲しい気持(?)になつて答へました。

「私は貴方のやうな非芸術的な――似非詩人とは絶交します。」その人は行つてしまひました。

 私は砂をはらつて立ち上りました。浜風がそよそよと吹いてゐましたので、私はうまく煙草に火がつけばいゝが、と思ひながらマツチをすりました。舌がピリピリしたので、ペツと唾を吐きました。



牧野信一 『I Am Not A Poet, But I Am A Poet.』 (改行の一部は引用者による)






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