Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

びねつおおかみしょうじょ

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びねつ が つづく


おおかみしょうじょ


でんりゅう びりり と


すいそ に よりそう ゆめをみた





2すてっぷ きざんで


あのよ おどった たいこ と いたこ


きゃんべるすーぷ あきかんのそこ


けちゃっぷあえの たましい ひろった





おしゃべりずきな かがみのへや


かぜのなかで めありーは なく


あんぱんずきの はろうぃんの どうけは


ふっかつのひに ぶりっじ まける





ねえ、あいんしゅたいん、


あたしのはいらん、なにをねがうの?


ねえ、ぐすたふ・くりむと、


あたしのごうまん、ふりーずさせてよ!


ねえ、れい・かわくぼ、


あたしのよろいは、いつだって、じばくきりしたん。。。






びねつ が うずく


おおかみしょうじょ


こども たくさん うんで


ままごとは めとろぽりすの あきちで


せいろんてぃー と ぶりきの たいほう


こんけつのしょうねん だんしゃくいもふじん と じょうはつする


じゅんあい は たったひとつ


たいようのくに


すわりこんで ないていた


せいせんしょくひんうりば


かたすみで ふるえてた


れいぞうこの たまごおきば


ありふれたさいみんじゅつしの なんみんきゃんぷ


ぶたれたって きずつかない


あまったれた しゅうまつのこいびと


かれは きらーで


かのじょは あらー


どうしたって


まごころ を


あのときの



はつじょうき を


あなたが


たまって


あたしが


はらんで


だから


しっかり


さくらんするわ


もえつづけ


あふれつづけ


やみあがった


これが


うわさの


さるさの


いわゆる


ゆるゆる


ぺてんで☆


らてんよ♪





(-_-メ) びねつおおかみしょうじょ (-_-メ)






拭い去ることの出来ない虚無感の心的光景

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 GW期間中はどこにも行く予定はなかった。しかし、4月の末からすこぶる調子が悪かった。

 久々に一日中寝込む日々が数日続き、鬱の重さ加減は2月前半の冬季うつと同じくらいの重さに感じられた。まったく食欲が湧かず、起きていると頭痛がした。

 原因はInterPalsで、三年に一回出会うか出会わないかというぐらいの変態女に遭遇してしまったことにある。少し前のハメ撮り偽装オナニー写真を送ってきた女もかなりのものだったが、今回の変態女はメンヘラ的に気持ちの悪い女だった。

 思い出すのも嫌なので敢えて記録しないが、そのメンヘラ的変態度はずっと昔に会った生活保護不正受給の多重人格偽装女に匹敵するほどだった。
 なぜ、こういう珍獣のような際立ったパーソナリティの人間ばかりを招き寄せるのか、僕ってなんでいったいどうしてこうなのか。

 とにかく、鬱はどうやっても慣れることはない。その苦しさはいつも鮮度が高い。頓服薬なんか飲んでもどうなるものでもない。
 鬱になったら寝るしかない。5日くらいは寝込む覚悟で、通過するのを待つしかない。


 
 5月5日が過ぎたが、今年の5月5日は特別な日になるはずであった。なぜならこのブログを開設してちょうど10周年になるからである。

 「なるはずであった」というのは、実際に5月5日を迎えてみても、何の感慨も起こらなかったからである。鬱に七転八倒しながら、ブログどころか、文字をタイピングするのさえ苦痛であった。

 いろいろなブランクを挟みながらも10年書き続けたということに、大した意味は見出せない。むしろ10年経ってweb環境は想像もしなかった速さで激変したが、僕自身は想像もしなかった驚きとともに何も変わっていないということの方が大きい。

 10周年を機会に、というわけでもないが、ブログの更新回数を減らすことを考えている。

 一ヶ月に10投稿を目標にやってきてはいたが、最近書くことがなくて困っている。政治経済時事問題にタッチしないようになったので、なおさらネタ不足に陥っている。自分の個人的なことを随想みたいに書くのは得意でもないし、あまり好きでもない。

 日記に添えているフォトコラージュの製作も、だんだんと活動が鈍ってきた。

 遊びのようにやっていたことが、芸術になってくると、だんだん面白くなくなってくる。より良いものを、と考え出すと、それは仕事みたいになってきて、発想も大胆さも膠着してしまう。
 ちょっとこの辺で、少し休ませてみたいと思う。ストックは十分に揃っていることだし。



 『ザ・ハングマン 燃える事件簿』を1話から3話まで見る。ハングマンを知らない人は、説明するのも面倒なので、ウィキペディアで調べてもらいたい。

 第1話はゴッドと呼ばれるリーダーによって偽装殺人・自殺して戸籍を消したメンバーたちがハングマンになる過程を描いた回。

 あべ静江演じるベニーについてゴッドが説明するナレーションがあって、「長所、優れた学識と大胆な行動力。短所、拭い去ることの出来ない虚無感」と読み上げられるのだが、この「拭い去ることの出来ない虚無感」というのを聞いて、鬱病真っ最中の僕は「おいおい、おれのことやん」という思いに駆られる。

 「拭い去ることの出来ない虚無感」。

 自分の気分変調症がいつを契機に始まったのか、それを考え始めると、直接的には大学時代にきっかけをみいだせるのだが、萌芽のようなものは幼年期にその根拠を見つけ出せる思いがする。

 子供の頃、宿痾と呼ぶべきほどひどかった喘息の発作に死ぬほど悩まされた。発作が起こると当然学校は休まざるをえないのだが、共働きだったので、教師だった母が年休をもらって夕方に帰ってくるまで、一人で孤独なマンションの中、ずっと待っていなければならなかった。

 夕方の時間になると、窓の近くに横たわって母を待った。車の音がすれば苦しい身体を起こして窓から駐車場を見下ろすのだが、それが母の車でなければひどく落胆させられた。
 車の音がするたびに身体を起こして、またしても母の車でないことを確認させられ、一人で泣いていた、あのときの苦しさ。あれは大人になって、喘息がほぼなくなった現在においても、つらい思い出として感覚がはっきりよみがえる。
 
 待ちわびることの苦しみ、その分離不安は大人になってから対象が恋愛関係の女性に移行する形で再燃した。待つことは今でも苦手で、待っている間に、僕の思考はどんどん自滅する方向へ勝手に走り出す。

 だから気分変調症の世界像を覆い尽くす僕にとっての「拭い去ることの出来ない虚無感」というのは、幼児期に形成されてしまったものだと考えている。
 だからといって、いまさらそれを覆すことなど出来はしない。そんなことはありえない。

 
 『ハングマン』は第一シリーズのエンディングのみ、昼間、ちょうど午後3時くらいだろうか、夕刻と昼間のちょうど間の東京の光景が映される。
 第二、三シリーズは夜景なのだが、僕にとってのハングマンはこの夕刻と昼間のちょうど狭間の光景が最も適したイメージなのだ。

 雨が流れ落ちる窓が映され、やがて雨がやむと、都心の高層ビルが窓越しに見えてくる。それをゆっくりとズームアウトさせながら都心全体の景色が広がってゆき、その間にエンディング・テーマの『あれから』が流れる。

 僕はこの終わりのシーンを見るたびごとに、自分の原体験の心的光景を象徴的に見る思いがする。母の帰りを待ちわび続けた幼児期や、恋人だった女性たちに突きつけた分離不安の景色を、この映像がカリカチュアのように物語っているように映るのだ。

 夕刻と昼間のちょうど狭間、ビルがひしめき合う都市の光景。僕はこのなかに、意味もなく戦慄を覚えたり、パニック寸前のときの予兆の不安に似たものを感じたり、どうしようもなく胸を掻き毟られるような切なさに意識を持っていかれる気分になるのだ。

 『あれから』の歌詞の中に、こんな一節がある

 「あの人のことだから今も 気楽な暮らしだろうか。男たちの胸を焦がして 笑っているだろうか」

 この部分を聞くたびに、忘れていた思い出の疲れがどっと背中に刺さってくるような思いになる。

 終わりも逃げ場もない分離不安の宿命に怯えながら、人生を永久に彩る「拭い去ることの出来ない虚無感」を、僕はこのフレーズの中にいつもハッと思い出させられるのだ。





Stay, Stay, Stay

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Catastrophe




      人々は望むものを悲劇的に願い、


    人々は人々の顔を知らない、


        言葉は同じ言葉に収束されて、   


                カミソリへと仕向ける仕草を鏡に向かって繰り返す。


あなたは彼や彼女を使い捨てて、


        彼や彼女に似た誰かへと向かう。


             繰り返す物語に嘔吐しながら、


      そしてあなたはあなたの求めるすべてに憎悪するから。
   






Catastrophe




               彼は彼女に夢みられた世界をロッヂで待ち続ける。


      少年は古い指紋を懐かしみ少女は新しい誘惑にドレスが湿る


           混乱した鋪道の上で衝突する幾つかの人生は命がけで


                  僕はあまりにも多くの顔のことをいらないと思う。


あなたは時々立ち止まってふりかえり


        彼や彼女に似た誰かの運を数え上げるだろう。


             繰り返されるしかない物語に誰かは犬死にして、


        そしてあなたはあなたの求めるすべてから生き残るから。
 









あなたの求めるものへ、



あなたは求めたものに、



あなたの求めるものから、



あなたを求めたものが。








断酒、そして自主映画、人生最後の目標

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 身体の中が、昼夜逆転状態になっている。

 昼間はちゃんと起きていて生活しているのだが、意欲が湧かず、感情が反応しにくい。むしろ夜の方がやる気が起こって、情緒も活発に働く。だから「身体の中」というわけなのである。



 ウイスキーをやめたら、途端に体重が5キロ減った。

 同時に「食」に関する好奇心も元通りに消え失せた。あれほど「余市」と一緒につまんで美味しいと思っていた子いわしにも興味がなくなった。

 夜食を食べなくなった。食事を自分で作るのも大層に感じてしまうようになった。やはり酒を飲んでこそ、肴としての食物に対して欲が生じるのだ。

 ウイスキーと同時にInterPalsもやめてしまうと、夜になると空虚感に襲われ鬱みたいになってしまったので、どちらかはしばらく残そうと思い、InterPalsのアカウントを復元させた。
 InterPalsを続けるのはフリーだが、ウイスキーはべらぼうに金がかかる。依存性がダイレクトに身体に直結する点においても、やはりアルコールの方を除くのが適当である。

 それでもなんだかウイスキーが恋しい。ブラックニッカ・クリアでも良いから飲みたくなってくる。



 大学時代に撮った自主映画をほぼ全作品、YouTubeにアップロードした。

 数年前にアナログテープを再生させてmpg2で取り込んだものが、古いパソコンの中に眠っていた。それを新しいパソコンの方に移動させて、アップロードしたのである。

 一番時間の長い映画はファイルをパソコンどうしに移行させるだけでもかなり苦労した。40GBある古いハードディスクにコピーしようとしたが、6.3GBのファイルがどうしても移せない。
 マイクロソフトのone driveにアップロードさせる方法も試してみたが、6時間近くかかって残り数パーセントのところでエラーが出て失敗した。
 ネットで調べてみたら20GBぐらいのファイルを吸い上げるサービスがあったので、やってみたら20分も経たずに成功して、新しいパソコンへのダウンロードはもっと早く、あの6時間の苦闘はなんだったのかと拍子抜けする。

 6.3GB、1時間33分なんてYouTubeにアップロードなんかしたこともない。最初にOperaからアップロードしようとすると1パーセント消化するのに10分ぐらいかかったので、グーグルでめぼしいソフトを検索する。
 見つけたフリーソフトだと確かにアップロードは早いのだが、映像だけで音声を押し上げてくれない。
 どうしたものかと、Google Chromeで地道にアップロードしようと試みると、30分弱で成功。Operaだと400時間が表示されたが、ブラウザによるこの大きな隔たりは、いったいどういうことだろう。

 ただし、アップロードしたファイルの処理には半日以上かかって、ようやく見れるようになった。

 今回、アップロードに踏み切った理由は、InterPalsで出会ったアート好きの中国系アメリカ人女性がぜひ見たいとのことで重い腰を上げて作業したのだった。まことに僕は女性に対して甘い、というか弱い。
 だがその女性とも自主映画の大半をアップロードした時点で、すでに喧嘩別れしてしまい、結局、見せる相手がいなくなった。

 今のところYouTubeでは「限定公開」扱いにしている。動画のリンクを知ってる人しか見れないという状態だ。

 これを普通の「公開」状態にするかどうか、考えあぐねている。

 画質が良くて、見てもらっても恥ずかしくない作品なら公開してもいいのだが、僕の作品のほとんどは8ミリフィルムやアナログビデオで撮影したものなので、当然ながらほとんどが画質が悪い。
 しかも現在あるノンリニア編集と違って、アナログ時代はダビングにダビングを重ねていく画質劣化式編集しか素人にはなかった。だから画質の悪さも、ちょっとどころではないのだ。

 夜中に、昔の自作を久々に眺めていたら、それこそウイスキーを飲みたい気分に駆られた。激しいノスタルジーなのである。

 友達も自分も、みんな、嘘みたいに若い。映画自体、当時の自分の感受性が思い出されて懐かしいのだが、実際に映像には映っていないけど、映らなくても記憶に焼きついた思い出がどんどん画面から放出されて、なんともいえない気持ちになる。

 画質は本当にクソみたいに汚いのだが、16:9のハイビジョンに見慣れてしまった感覚からすると、4:3で、ノイズに画面が揺れて、インターレースが走りまくりのクソ画質が、なにやらシュールで前衛的な作品のように見えてくるのだから、それもまた面白い。

 
 大学時代に撮ったアナログ映画を、すべてデジタルに転換して一から再編集するというのが、僕の人生の最終目標である。

 ダビングにダビングを重ねて劣化しているので、撮影時のオリジナルテープをデジタル化して、一番きれいな状態の画像を繋ぎ合わせて、最初から終わりまで編集しなおすのである。

 だがその作業には膨大な時間がかかる。だから今までそれを放り出して、一年が経ち、二年が経ち、最初にそれを企図してから15年以上が経ってしまった。

 YouTubeにアップロードしたのを契機に、再編集へ取り組まなければならないという気持ちが強くなった。

 今のパソコンでIEEE1394を使ってテープから動画を取り込むのにも成功した。Adobe Premiereも一応使いこなせるようにもなった。

 条件は揃っている。あとは始めるだけなのである。

 自主映画の再編集をやらなければ、僕は死ぬにも死に切れない。言い方を変えれば、作品を半永久的な形で残せる目処がつければ、もはやこの人生のしがらみに、なんら思い残すことなどない。





その肉体の地図に分割された新領土に僕は住んでいる

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1 すでに街娼のことについて屡々しばしば、僕はその実在についてのエピソードを書いた。

 かの女たちの色彩の同一色であることは、労働者の持つ社会観が赤と黒によって染められたと同じく、かの女たちのイヴニング・ドレスの黒色と紅の一線が虹のように浮き、厚化粧に口紅の持つ特殊な色は、これはマドモアゼルでもなし、不良の女でもなし、ショップ・ガールでもない、商売女としての商標を明瞭に人々に感じさすところの色彩だ。
 この間も僕は妻を同伴して銀座を散策してかの女たちの一人を見出すと、妻にかの女こそ、ストリート・ガールの典型的なものだ。と、云った。
 流行品店とキャバレーのあるアスファルトの露地に、黒いケープレットのついた夜の衣裳をつけて、ハイ・ヒールのエナメルの靴を穿はいた都会の売笑婦。
「――君。それ、ほんと。」と、僕の妻は異彩のある女にたいする興味を外に見せて確めるように云った。
「――うん。最上等の立ち淫売だ。」
「――もし、……そうなら、今夜は君をかの女の恋愛術の中へ預けたいのよ。」
「――うん、御随意だが、君はどうする?」
「――仕事があるのよ。Sデパートに依頼された新衣裳と、R新聞に原稿を明朝までに書いて置かなくちゃならないの。」
「――それで、あの女にはいくら支払う。」「――いくらぐらい必要なの。あの女?」
「――十円とその他、……いくらか。」
 夜間の遊覧飛行イルミネェーションで作られたファンタジツクな科学の尻尾、――妻にたいする愛を結びつけて、……。

2 極楽鳥パラダイツの飾りをつけたフェルトの流行とは正反対のグランとツバの拡い帽子を目深まぶかにした身装いでたち、……流行品店の飾窓に映るかの女の姿態を裸体にするキャバレーの門柱のムーラン・ルージュ。

 ラジオの音声が、かの女の肉体の下層に忍び込むとき、人々はかの女から、鋪道と化粧塔の匂いを嗅いだ。
「――今晩は。」「――何か御用?」
 夜の女の衣裳の背後が社交的に展ひらいて、生姜しょうが色の皮膚の断面に機能の失せた女の蠱惑こわくが感じられた。

3 ホテルの部屋で僕はかの女が花瓶の中の花の茎のように華奢な肉体なのに気が付いた。

 僕は女性にたいする狩猟家であったか。かの女の痩せた花粉のついた装飾にすら、僕は情欲をもって鎧よろいばっている。女性の尻ばかり見て暮す男にとっても、売笑婦の心理的な綺羅きらによって飾られた脣くちびるから、下腹部にかけてのガリッシュな紅色の部分については特殊な魅惑を感じる。かの女たちは小指のような微生物まで琥珀色こはくいろの液体で染めた。
 エロチシズムの演技場に行くまでの道程については云う必要もあるまい。そして近代女の技術主義についても。
「――あなたの一緒にいた御婦人について伺いたいわ。」
「――恋愛でないセンジュアリズムの見本。」「――と、云うと?」「――女房だ。」
 街に展いた窓の出張でっばりに置かれた洋紅色の花鉢を寝台の枕もとに持ってくると、夜の女は眸ひとみの快楽のために、
「――その女房と云うのはどんな役目なの?」
「――君に委任された僕のセンジュアス以外のものの委托品いたくひんあずかり所なのだ。」
「――あなたの云うこと、よく分んないわ。」

4 夜が更けて僕が眼覚めたとき、かたわらには腐敗しかかった売笑婦の肉体が萎しおれた花のように残っていた。

 その肉体の地図に分割された新領土に僕は住んでいる。売笑婦の持つ感覚の楼上から底辺に達する戦場には、資本家の軍隊の残した指紋の遺跡がある。……つまり、売笑婦の蠱惑を戦場の地域に例たとえるのに、現今として誰一人、不服はない筈だ。
 侵略される肉体の所有者について探究するとき、かの女たちは、そこに帝国主義的な型を持った男性の手管を感じ、軍閥ぐんばつの持つ圧力を、ブルジョアジイの持つ征服にたいする歓喜を衝けるのだ。――ラグビー争闘の場合の靴の跡を刺繍ししゅうされ、……野球における華美な盗塁と、……水球のときの潜水と、……ミニチュア、ゴルフの墜死と、……ボクシングにおける残酷な、……マットの中の死を。
 戦争にたいする僕の幻影のいかなるものかについてはいま語るをさし控えよう。かの女の肉体の地図に戦争の持つ赤手袋を穿はめて、僕は他日を約して一先ひとまず退却だ。国際連盟の持つイデオロギイからも、満州の階級性からも、シャンハイをまったく取巻いた赤色プロレタリアの××からも、第二、世界経済恐慌の襲撃からも、……しだいにかの女の吹鳴らすラッパの音韻の沈衰して行くままに。

5 夜が明けて僕は卓上の電話の受話器を妻の寝室に通じた。

「――お早う。昨夜はよく寝られたかね。」
「――……君のいない、……おかげで、あたし睡眠を充分とることが出来たわ。」



吉行エイスケ 『戦争のファンタジイ』 (改行の一部は引用者による)






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