Hemakovichの半永久的平坦な戦場

パニック不全神経症者が落ちてゆくカムフラージュ

唐突に再現された魚屋の娘

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 大学生の時にバイトをしていた魚屋さんの家の娘が、けさ夢に出てきた。

 彼女は僕とあまり年が違わず、片方の耳が聴こえない、芸大に通う女性だった。日本画だったか洋画だったか、とにかく絵を描いてて、店に作品が飾られていた。
 最初、キリスト教系の某有名大の哲学科に入ったのだが満足できず、浪人して国公立の芸大に入り直したのだという。

 バイト先の魚屋夫婦はあまり性格が良いとは言えず、最後まで馴染めなかったのだが、どうしてあんなあくどい商魂の塊の性悪夫婦から、哲学とか芸術に美意識を見出そうとする内省的な娘が生まれたのかと、常に不思議に思っていた。器量もよく、なかなかの美人さんだったから、バイト仲間たちは皆、彼女のことを口にせずとも意識していた。

 どんなふうに繋がりが生じたのか覚えていないが、僕はその魚屋の娘といつしか言葉を交わすようになっていた。

 自主映画の上映会をやっていたときに、彼氏さんを連れて映画を見に来てくれたことがあった。後日、映画の感想を書いた手紙をもらって、その手紙自体は紛失してしまったが、文面に関しては内容を今でもよく覚えている。それだけ嬉しかったのだろう。
 上映会を経て新しい作品を作ろうとしたとき、主演で出てもらおうと思って頼んだのだが、学業が忙しいとかでこちらは断られた。その電話の折に、自主映画で使った音楽の音源が欲しいというので、テープにダビングして渡したりもした。

 それなりに仲良くなった人ではあったのだが、魚屋のバイトをちょっとしたトラブルを抱える形で辞めてしまったので、もったいないことだが交流はそれで切れてしまった。

 けさの夢の中で現れた彼女は、実際の人物とはまったく異なる容姿をしていたのだが、なぜか夢の中で僕は彼女を魚屋の娘として認識していた。その代わり、バイト先の魚屋の店内は夢の中でもほとんど違わない光景として現れた。
 魚屋夫婦は夢の中で「店は改装した」と言っていたが、僕がバイトしていた当時よりひどい内装であった。

 夢自体はそれなりに楽しい夢だったのだが、目覚めてから最初に思ったのは、「なぜあの娘が僕の夢の中に出てきたのか?」ということだった。なぜなら、ここ一年くらい、覚えている範囲では、バイト先の魚屋のことを思い出すことはあっても、その娘のことが僕の意識に現れたことは、たぶん、一度もなかったからである。

 「夢判断」だとか、そういう類のものを非科学的だと考えているので、夢と現実がどのように相関するのか、僕にはまったく知識がない。
 でも、最後に思い出して意識したのがいつなのか分からないような特別ではない人物が、ある日唐突に夢の中に現れるというのは、夢というものが自分の操作が働かない性質のものだと分かっていても、不思議なことだと思う。
 僕の夢というのは基本的に、直下の現実に即した事柄がアレンジされて現れることが多い。たとえばある人物が夢の中に現れたとするならば、僕は必ず、その人物のことをその最近に大なり小なり何らかの形で必ず意識したことがあるはずなのである。

 だからこそ、けさ唐突に魚屋の娘が現れたことはなおさら不思議に属する出来事であった。

 「人生のテーマ」みたいなものの中で、僕の場合「恋愛」が多くを占める経験や思考をたくさん積んできたせいか、良い夢でも嫌な夢でも、とにかく目覚めた後にも憶えていてブログに書ける内容のものには、必ず女性関係が絡んだ内容が多い。
 恋愛状態の有無に関わらず、一番多く見るのはたぶん恋愛の夢だと思う。

 ただ最近になって、恋愛の夢を見ることが夢の良し悪しに関係なく、だんだん苦痛になってきている。

 恋愛という行為も久しくなってきているし、年齢的にも何の思慮もなく簡単に人を好きになることが可能な状態ではなくなってきた。このごろは時々、もはや次の恋愛はないのではないかというような断念の境地に至りかけることもある。
 
 むかしは僕にとって恋愛というのは単純に「わざわざ自分から苦痛に足を踏み入れる」ような行為以外、なにものでもなかった。
 だが恋愛することに理性的なリスクや年齢的条件などが重なって、その経験がだんだん不可能になってくると、苦痛であった行為が今となっては憧憬の対象にすらなりつつある。

 僕の夢の内容というのは、直下の現実に関連するもの以外では、過去のノスタルジーに浸ったような類のものが多い。ノスタルジーというのは同じ経験が反復可能である場合や、今の現実にそれに代替する快が存在するという前提の範囲内においては、それは甘く快い情動の機会となりうる。
 だが、現実に望みを抱いていなかったり、代替する快が欠落した状態のなかでやってくるノスタルジーというのは、時折残酷であって、痛みを与えられたりもする。

 恋愛から遠ざかってゆくなかで、過ぎ去った遠い過去から女性たちの思い出が自分の意思に関係のないところで想起されたりするのは、だんだん快いものではなくなってきている。

 20代の頃の、死ぬほど苦しかった時代にすれちがった人たちのことが、今では憧憬の対象のようにさえ感じられたりもするのは、そこに不可逆的な機会の喪失があるからだけではないと思う。

 むかしは苦痛でしかなかったことは、たぶんよほど自由でありえたから、苦痛に対しても向かい合うことができたのだろう。

 いまは、苦痛が現実を支える上であまり意味がないと思ったら、わざわざリスクを抱えることはしない。 だがそこに意味を持ち出したりするということは、僕が「思いの放縦」のような自由から自分を制限するようになったということだ。

 数年前はそういうことが「やっと大人になれた」と思える嬉しいことだった。

 でも最近はその不自由が寂しいことのように感じる。


 ついでながら、夢の内容について言えば、20代前半までは核兵器が投下される街の中を逃げ回る夢と、姉と近親相姦する夢、この二つをもう本当に「たいがいにしてくれ」というくらいさんざんに見さされた。
 それに代わって、30を過ぎてから今に至るまでは「大学を留年して高校からやりなおす」というストーリーの悪夢に頻繁に襲われている。
 実際に大学には卒業までに7年半も費やしたし、通った高校は学校と名の付くものの中では人生で最も劣悪な環境であった。

 核兵器と近親相姦もひどいもんだが、大学留年と高校生活の再来という悪夢ってのも嫌なもんだ。目覚めた後は、何時間も過酷な肉体労働をした後のような疲労と徒労感が、ぐったりと伴う。

 寝てる間も働かされてるみたいだ、まったく。





Capital is becoming more and more cosmopolitan

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 いったいコスモポリタンという言葉の正確な意義はどういうのだろう。私にはまずこの疑問が起こった。そこで『井上英和辭典』を引いて見ると、こうある。

 名詞 = 四海を家とする人。一所不住の人。世界的の人。世界主義者。
 形容詞 = 世界主義の。宇宙的。非地方的。四海を家とする。一所不住の。一視同仁の。国家的観念を超脱せる。

 これで大抵分かるには分かったが、さらにセンチュリー・ヂクショナリーを引いて見ると、こうある。

 名詞 = One who has no fixed residence(一定の住所を持たぬ人)、one who is free from provincial or national prejudices(地方的または国家的偏見を離脱した人)、one ewho is at home in every plac(いかなる場所をも我が家とする人)、a citizen of the world(世界の民)。
 形容詞 =〔一〕Belonging to all parts of the world(世界すべての部分に属する)、limited or resitricted to no one part of the social, political, economical, or intellectual world(社交界、政治界、経済界、または知識界のいかなる部分にも制限されざる)、limited to no place, country, or group of individuals bu common to all(いかなる場所、国、または個人の集団にも制限されず、その一切に共通なる)。〔二〕Free from local, or national ideas, prejudices, or attachments(地方的または国家的の思想、偏見、または愛着から離脱したる。〔三〕Widely distributed over the globe, said of plants and animals(広く全地球上に分布されたる。植物及び動物について云う。)

 これだけ読んだのでこの言葉の意義内容が私の頭の中にハッキリしてきた。大和魂を表象する、朝日に匂う山桜がコスモポリタン植物でない事は無論である。大日本の妾宅用に制限された狆君が、コスモポリタン動物でない事もまた無論である。日本主義者、帝国主義者、国家主義者、愛国者、国自慢者などがコスモポリタン人でない事もまた実に無論である。

 しかし私自身はどうだ。コスモポリタンか否か。

 私は今、私の少年時代の事を思いだす。明治十九年、私が初めて九州から東京に遊学に来た時、私の友人や先輩の学生間に、よくこういう話のあった事を覚えている。『あいつは他国人に交際している。』『あの男は他県人と懇意にしている。』そしてそれがいつも批難の意味を含んでいた。しかしそのころはもうそういう事で他人を批難するのは馬鹿馬鹿しいという意見を持っている学生の方が多かった。ただ旧藩の因縁に執着する元気な豪傑連や、小さな愛国者達が、他の墮落したコスモポリタンを批難するのであった。私はいつのまにかそのコスモポリタンになって、同郷人とよりも、他国人と、よけいに交際するようになっていた。私はそのときまさに、日本国という範囲内にあっては、同郷、同藩、同県などいう地方的偏見から離脱したコスモポリタンであった。

 しかし日清戦争の起った頃には、私は一個の愛国者であった。『同郷』『同藩』という事からなんらの利益も保護も受けなくなると共に、日本国内におけるわたしのコスモポリタニズムはいよいよ徹底していたが、世界列国というものに対しては、依然として多量の排外的感情を持っていた。もしそのとき『日本帝国』からなにほど利益と保護とを受けているのかと問われたら、返事には当惑するほどのミジメな貧乏生活を送っていたくせに。

 ところが、それから十年経って日露戦争が起こった時、わたしはすでに非戦論者として愛国心を嘲笑していた。わたしは日本国民として、日本国土の極小の一部分すらも分かち与えられていないを知っていた。もっとも、わたしの父は初め小さな士族として、家屋と、宅地と、その周囲の少しの山と、金祿公債証書の何(なん)百円かを所有していたが、わたしが家督を相続した頃には、公債が無くなったばかりでなく多少の借金があり、家屋と地所とは全部で金七十円に売却したのであった。だからわたしがそのとき、日本国民として所有する物は、ただ僅かの家具と、僅かの本と、僅かの衣服類とに過ぎなかった。そして僅かに文筆労働によって衣食するのであった。したがってわたしは、その以前に同郷的愛着、同藩的偏見を失つたと同じように、今は次第に国民的愛着、国家的偏見を失うしなったのであった。そしてその後、現在に至るまで、この本当のコスモポリニズムは私の心中に層一層の徹底をなし来たっているのである。

 センチュリー・ヂクショナリーに、形容詞としてコスモポリタンという言葉の用例が挙げてある。

 Capital is becoming more and more cosmopolitan ―― J. S. Mill.
 資本はいよいよますますコスモポリタンとなりつつある。ジエー・エス・ミル。

 資本がコスモポリタンとなれば労働もコスモポリタンになるはずである。資本の勢力、資本の搾取力がコスモポリタンになれば、それに対抗する労働運動も同じくコスモポリタンになるはずである。したがってってまた労働運動者の心理がコスモポリタンになるのは当然である。

 ただし、資本は一面においてなお大いに国家的であるから国際戦争も起こり、したがってまた、国家的社会主義者もあり、コスモポリタンに成り得ざる心理の働きがそこに在る。アメリカの資本家に搾取されるのも、日本の資本家に搾取されるのも同じわけだが、日本の労働者としては、まったく『同じわけ』にいかない心理が残っている。だからまだ世間に半煮えのコスモポリタンが多い。

 私自身としては、まさに一個のコスモポリタンだと信じている。しかしわたしは『一所不在』でない。あきらかに日本東京に居住している。また海外に旅行した事もほとんどない。『四海を家とする』ほどの広い心持ちもない。国語と風俗と人種人種との関係上、世界のあらゆる国民、あらゆる人種に対して、『一視同仁』というほどの、まったく同じ親しみを感じ得るとは言えない。したがってまた、『地方的または国家的の偏見』からは離脱しているつもりだけれども、日本人と、日本語と、日本の風俗と自然とに対して、まだかなり多くの『愛着』を持っている事は争われない。



堺利彦 『櫻と狆と愛國心 コスモポリタンの心理』 
(改行の一部・新字新仮名変換は引用者による)






それのどこが「大人の態度」なんです?

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 長く生きているので、今までにいろんな悪いことはそれ相応にしてきたけれども、殺人と窃盗と非合法麻薬、それにギャンブル、そういうのには未だ手を染めたことはない。

 ギャンブルに関してだが、競馬や競艇はもちろんのこと、パチンコも今まで一度もやったことがない。友人がやるのについていって一回だけ入店したことはあるが、自分では玉は買わなかった。だからパチンコ屋の店内の景色だけはどんなに頑張っても頭に思い浮かべることができない。

 かつてギャンブル依存症の友人がいたことがある。

 パチンコがやめられないということを初めて彼から打ち明けられたとき、その友人が別の友人から十数万もの借金をしてまでのめり込んでいたことを知らされて、「それほどまでしてやってしまうものなのか」と、大層驚かされた。
 一年ほど大学のスクールカウンセリングに通って治療を試みたが、結局彼の状態は改善されず、パチンコ依存が原因となって恋人とも別れ、下宿を引き払い、田舎に帰ってしまった。

 生年月日が同じである小学生からの友人がいたが、その男もかつて深刻なパチンコ依存に陥っていた。音大を出た後、バイオリンだかピアノだかを教える教室に勤めていたのだが、給料をまるまる注ぎ込むほどの荒れた生活を送った挙句に、とうとう職場の楽器を盗んで売り払ったのが露見して逮捕されてしまった。

 ギャンブル依存のために派手に人生を破綻させた友人が2人もいるというのは、レアなケースかもしれないが、ともかく周囲にそういう例があったために、煙草はやめられなくてもギャンブルには一歩も立ち入らないようにしようとする自覚が、いつしか僕の中に芽生えていた。


 現政権がカジノを日本にも作ろうと考えているらしい。

 とりあえずは外国人のみが利用できるものを作ろうとしているそうだが、一度カジノを作ってしまったら、そのうち日本人も入場できるようにハードルを下げることになるだろう。

 朝日新聞オピニオン面で、『カジノと民主主義』というタイトルで、内田樹へのインタビュー記事が掲載されていた。

 僕はこれに関して自分の意見を持っていないのであまりよく分かっていない。だからカジノ法案に対する内田の見解にはただただ「なるほどなあ」という感じで、ぼんやりと眺めていた。

 内田の主張を端的に言えば、パチンコのように既存の賭博業がすでに存在していることと、国が堂々と公認して賭博業を産業として認めることは、その意味合いが全然異なり、後者に関しては賛成しないということ。
 なぜなら本来賭博は不幸になる人が増えていくことで利益を増やすビジネスモデルであるから。パチンコのようにあくまでグレーゾーンに留めおかれていることで足かせとなっているものを、為政者が国策として押し進めるのは節度も謙虚さもない、それは国がやるべき「経世済民」の理念から反している。
 福島の原発問題や震災復興、沖縄の基地問題など、他に優先順位の高いことがたくさんあるのに、なぜ金儲けの話ばかりになるのか。
 以上が内田の主張の大雑把な要約になるのだが、興味がある方は上記のリンクから詳細を読んでみてほしい。なかなかいいこといってると思う。

 このインタビューはカジノの話を次第に脱線して、現政権と民主政治の反映といったようなテーマにシフトしていくのだが、僕が興味を持ったのは実はそっちの方だった。

 現政権が一定の支持率を保っていることについて、内田は国民が「こむずかしい政策論争よりも民生の安定を望んでいる」のにもかかわらず、それをメディアが「有権者は経済成長を望んでいる」という話へと矮小化し、「有権者は何より金が儲かることを望んでいるというふうに世論を誘導していった」のだとして、メディアの責任を激しく糾弾する。

 「武器輸出も原発再稼働もカジノも『金が儲かるなら、他のことはどうでもいい』という世論の形成にあずかったメディアにも責任の一端があります。メディアはなぜ『金より大切なものがある』とはっきり言わないのか。国土の保全や国民の健康や人権は金より大切だと、はっきりアナウンスしてこなかったのはメディアの責任です」

 
 この、内田の「金より大切なものがある」に朝日の記者は反応したのだろうか。
 「理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、成熟した大人にとって、現実的な議論とは言えないのではないでしょうか」などと嘯くのである。

 これに対して、内田は猛然と、キレる。

 「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金をもっている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」


 この部分を読んだ直後、僕は不覚にも、ちょっとだけ泣きそうになってしまうぐらいの激しい情動におそわれた。

 感動してしまった。

 「金より大切なものがある」というのは実に稚拙ではある。だがそれを「成熟した大人にとって、現実的な議論とは言えない」などと上からの態度のごとく言い捨てる記者の反応もまた、稚拙かつ紋切り型のものであって、いつもどこかで見慣れたようなものである。

 だが、

 「あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金をもっている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」

 この言葉も当たり前のことのようであるが、ここには「人を救う」ものが宿っていると思った。当たり前のようなことでありながら、誰も見向きもしないものであり、誰も口にしないような言葉だ。
 だがこんな言葉を、愚直であろうとも、敢然と言い放つ、その態度に、僕は賢明さの希望を感じた。

 
 僕は朝日新聞と地方紙しか読まないから他の新聞のことは知らない。だが比較的リベラルである朝日に対して時々怒りを感じてしまうのは、「理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、成熟した大人にとって、現実的な議論とは言えない」などと嘯く態度のごとく、スノッブなエリート感情というか、われわれ読者を見下した意識を紙面から感じ取るときがあるからだった。

 それに対する内田の半ば義憤に駆り立てられたような応答は、僕のような人間にとって、「誰か代わりに言ってくれないだろうか」と切実な感情に寄り添ってくれたものであり、僕が僕の怒りに対して言葉にしようとしても言語化できない感情を説明してくれたような言葉でもあった。

 今まで内田樹に対しては良いイメージを持っていなかった。

 彼の物言いは時として、日本を批判するときに自分が当事者である日本人であることを欠落させたような印象を感じて、「嫌な奴だ」と思ってきた。
 「スノッブは嫌いだ」と言いながら内田自身がスノッブに感じるときもあるし、洗練された話し方を意識しているような感じも伺えて、高橋源一郎と似たような鼻持ちならない知識人特有の悪臭を感じるときもあった。実際、この「カジノと民主主義」の文中でもそういう内田節は健在で、僕は全面的に評価しているわけではない。

 だが上記に引用した内田の発言は、本当に見事に感動させられてしまった。こんな愚直で誠実な言葉を吐いてくれるような人だと思ってなかった。こんなことをいう日本人を久々に見た思いがした。

 ちょっとだけ彼を見直した。

 この紙面を読み終えたとき、いつも過ごしている朝の時間が、いつもと違って、なにか特別なものと向き合っているような、そんな美しい朝に感じられた。





殲滅リーチェ #2

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前髪を


執拗に


切り揃えるような


不安


人生は


積み重なった


パンケーキのよう


愛の 一つ


毛皮の アンニュイ


日溜りで


髪をすかしながら


からかう


コミューンの少年


愛しあうソファの上の選択権


プライドに跨り


短剣の発熱


もはや


気だるげに


冷めてしまった


求愛のシエスタ


考える。








            諧謔チェルシーは哀れな金持ちの女の子だった。
           諧謔チェルシーは晴れ着のドレスを運河に投げた。
       諧謔チェルシーは15分間のフィルムを略奪したヒロイン。
         諧謔チェルシーは悶絶するスカトロジストに君臨する。
        諧謔チェルシーはモロッコでかどわかされた律動人形。
        諧謔チェルシーはサロンで踊れなくなったヒップな道化。
諧謔チェルシーはペーパーバックのタイトルを乗り換えるPUNK Doll。
            諧謔チェルシーはパルチザンの少年を裏切った。
         諧謔チェルシーは逆オリエンタルに溺れられた愛人。
    諧謔チェルシーはベッドサイドのBeauthy#2に暴かれた少女。
      諧謔チェルシーは誰も愛さないフレンチポップ・シングル。
      諧謔チェルシーはNYのアップタウンのことなんか知らない。
              諧謔チェルシーは時間をジンビームに沈める。
      諧謔チェルシーはバスルームのアヘンの火に未来をくべる。
        諧謔チェルシーはもはやリムジンの恋人へは帰らない。
        諧謔チェルシーはいつか君の衝動に刺殺されるだろう。
            諧謔チェルシーは誰かの憂鬱と道連れに死んだ。








世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも
世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも
世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも
世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも
世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも世界はあまりにも







世界 が


あまりにも








農業、反革命、マイノリティと、いつか見た破局

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 うちの家は小規模な兼業農家で、減反やら本業の多忙が理由でもう20年以上稲作は休耕したり専業農家の人たちに収穫してもらっている。
 だがここ近年、年老いた両親は「将来かならず食糧不足がやってくるから、今のうちに稲作を覚えて米を作れ」ということを息子にさんざん言い聞かせている。それがどうも僕には煩わしい。

 今日も昼食を食べながら、母と戦時中の食糧不足の話題になって、同じ枢軸国でもドイツは日本のように農家まで無差別大量に徴兵に狩り出したりしなかったから日本ほど深刻な食糧不足に陥らなかった、というようなことを話すと、
 「なんでそんな身近ではない大きな話ばっかりで、おまえはもっと地に足つけて米を作ろうとは思わないのか」と、激怒するように言われたので、ちょっと面食らった。

 僕の人生は根本的に地に足ついていないというスタイルでここまで来てしまっているので、そこのところを突かれると、まったく反論しようがない。自分ながら困った人である。

 だが、ただ単純に米を作っていたら食糧不足の時代が来ても多少は有利に生きられる、というような母の妄信的な発想を聞いていると、それが大局的に血に足ついているといえるのか、こちらとしては大いに疑ってしまうので煩わしく感じるのである。

 自民党の大規模集約的な農業政策が現実になれば、別に戦争が来なくても小規模農家が生産するのは赤字で身を切るような立場に追い込まれていくだろう。
 だが自民党的な政策が実現してしまうと、生産の多様性が失われて、凶作や経済恐慌に見舞われてしまうと米のような主要作物でも輸入に頼らなければ切り抜けられない、そういうちょっとした危機にも脆弱な食糧供給の時代がやってくるだろう。

 では、どんな形であれ農家を今の規模と数で維持され続けて、ただ漫然と農家は米や野菜を作り続けていれば、危機の時代に都市住民が食糧供給に困り果てても農家の人間はやりくりできるだろうという予想が正しいかどうかと問われれば、それもずいぶん認識が甘いというような気もする。

 戦争末期に生まれたうちの両親の世代は、終戦直後に都会の住人が田舎に食料を得るために物々交換に訪れて農家はそれなりに得をした、というような、そういう子供時代の漠然としたイメージから未来の食糧不足へのシュミレーションを発想しようとする。
 だが戦時中には農家は働き手を兵役に取られて生産に苦労した上に、自分が食べていくにも困難なほどの作物の供出を国から強要されて難儀したというような事実は、歴史の本をかじってない漠然としたイメージからは想定することはできない。

 ロシア革命が起こって後、内戦やら他国からの軍事的干渉に遭って食糧不足に陥ったソ連では、都市のプロレタリアートである工業労働者が武装して、地方のプロレタリアートである農民たちを襲って無理やり作物を収奪した。逆らえば富農(クラーク)という現実の反したレッテルを貼られ、反革命的として殺された。

 何が言いたいかというと、日常が地に足ついていない僕のような人間はこういう話を本で読んで現実に対してシニックな怠け者であるからこそ、「ただ米・野菜さえ地道に作っていれば大丈夫」というような、母の猪突猛進型の発想を聞かされると漠然とした楽観思考に感じられて、どうしても冷笑的に返してしまうのである。

 最近になって両親は休耕地に大量にソーラーパネルを設置することで農業に代わる現金収入を得ようとする、巷で流行りだした案に傾倒しつつあるけれど、これにしたって自然災害に襲われるとパネルを修理したり処分させられるコストが発生するリスクがあるから、現実に地に足ついていない僕は反対している。


 大局的発想ばかりに没頭して身近な日常に還元しないと、よく批判されるけれども、近眼視的な想定に埋没していると何だか大きな存在の手によって希望を裏切られる気がして仕方ない。

 僕が地道な努力に基づく楽観的期待に対して怠惰かつシニックであるのは、知性を信頼しているからではあるけれど、それは「頭がいい」とかいうことを意味してはいない。

 僕の知性の目的やベクトルが弱者としての自分が生存するという方角に向けられているからである。

 弱者に求められる資質として「安易に期待しない」ということも大事ではあるが、「袋小路であろうとも小路を敢えて選ぶ」ということがより重要である。そのためには強度の大きな情報も、その裏返し的な陰謀論も、両方とも排除することが可能な知性が必要になる。

 そういう知性は、たとえ地に足ついていたとしても思考が自立してないと意味がない。

 思考が自立しているということは、基本的には、自分の目的と他人の意図を穿き違えないということである。

 朝日新聞の「誤報」騒動が始まって以来、とりわけそのことを意識せざるをえなくなった。右の人間は捨て置いたとしても、リベラルな側の人々にそういうことへの脆弱性をしばしば感じさせられるようになった。

 だが多くの場合、物事に対する単純な情報を獲得していれば容易に乗り越えられるものなのである。それなのに単純に知らないにも関わらず、むやみに語ろうとしたり情緒で突っ切ろうとする無防備な人たちがやたら多い。
 少なくとも自分の意図を他人の意思に取り替えようとする右側の人たちの方が、自分のやっていることに自覚的である。その分においては彼らの方がより「知っている」と言える。

 リベラルであるということとマイノリティであるということは、似ているようであるが現実にはほとんど一致していない。だから知らないことまで語ろうとして墓穴を掘るリベラルな人たちの無様さ、言葉の意味のなさは、見ていて滑稽である。

 知らないことは語ることを律儀に保留しておけば、本意の所在を見失うことにはならない。

 僕は社会的に弱い立場の人間という意味でマイノリティであるが、弱いからこそ自分の意思にないことにはとりあえず暗黙する。
 話さないことはともかくそれが自分の意思を示さないことにはならないし、他人のそそのかしで自分の意思を間違えることにはならない。
 話さずに考え続けることは、時々何もしないように誤解されることにもなるが、日々を継続させる努力以上に必要なものなど何もない。それ以上に安易に足を踏み入れてしまって最初に失うのは、純粋な自分の意思である。

 日々を継続させる努力という地道さと、大局的というほら吹きのような立場は相似していないように見受けられるかもしれないが、自分の意思の在り処を確保するには容易に答えないことへの時間の長さを必要とする。大局的というのはとどのつまり、そういう類の時間の長さを許容するスタンスとほぼ同義なのである。


 話を最初の地点である農業のところへ強引に戻すならば、漫然と米を作ることよりも大胆にソーラーパネルを据え付けることよりも、とりあえずそういう類の時間の長さを確保して防衛するためには、ともかく、地面を無作のまま耕し続けておけばいいのである。
 それが近視眼的でもなくただの怠惰でもほら吹きにもならずにすむ、必要に足りる日々の継続だと僕は思う。

 大部分の農家が弱者になりつつある現状で、自分の意思を持っておく百姓が他者的な意図として介入してくる政治と対決するには、自分が持つ田畑の土の具合から常に解離しないことである。

 
 もしこのままの状態が続けば日本の農業から多様性が失われる、と僕は上述した。

 この多様性というのは一口に軽々しく説明できるものはない。気力があればそのうちこれについて記事を書こうかと思うけど、農業に寄り添って生きたことのない人間にはたぶん説明するだけでは理解できない。

 だがその多様性が失われたとき、農業だけでなく、すべての事柄において破局は始まるだろう。





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